俺の遺産の一部を世界の子供たちに贈っても良いか? ユニセフの宣伝!

俺の遺産の一部を世界の子供たちに贈っても良いか?

 

ユニセフの広告の台詞に驚いた!

そして、この父親の台詞を子供が非常に肯定的に、感激したかの如き感想がその後に続いて語られている。

 

食べ物がなかった時代、不味い脱脂粉乳でも食べるものがあるだけでも幸せだったという父親の思い出が語られていて、食べ物のない世界の子供に遺産を贈りたいということである。

 

遺産を誰に、どのように分けるかは、法律の許す範囲内に於いて、死ぬ者の自由であるだろう。だから、自分がこの世にいなくなる時点で、「善行」をして好い気分になろうというのは自己中心で、高く評価される筋合いのものではないと思うのだが、不思議に世の中はこういう行為を歓迎する。

 

社会の弱者、政治紛争の犠牲になっている子供たちへの思いやりが本当にあるのなら、遺産ではなく現在の自分が享受している様々な恩恵をこそ分かち与えるべきだろう。自分も大きな犠牲を払ってこそ、意味がある行為である。余ったから与える、自分が死んでいくのでもう要らないから分かち与えるという不遜な態度には、申し訳ないが眉をしかめたくなる。

 

このような人物たちの「寄付」は、数字の上では経済的潤いをもたらしてユニセフの働きに貢献しているのだろう。でも、それが日本人の思いやりの心であるとは思いたくない。

 

自分が下車する時、次に座る人を決めようとした人!

 

ユニセフのこの広告で、列車内で体験した一コマを思い出した。

 

筆者がもう少しだけ若くて、1時間くらいなら立っていても我慢の範囲であった頃、京都から東京まで出かけた時のことである。新幹線がかなり混んでいて、当然指定席は手に入らず、自由席で筆者は立っていた。大抵は、名古屋で席が空くので一時間我慢すれば良かったのだが、その時の混み具合はそれを期待できるような状態ではなかったので、東京まで仕方がないと諦めていた。

 

さて、名古屋到着のお知らせ。

降りる準備をする人々がもぞもぞと動き始める見馴れた風景である。そして、予想通り、通路に立っていた人々が席を確保できるほど下車する人はいない気配であった。

 

と、その時、遠くから筆者の袖を引っ張る人がいた! 振り返ると、「自分は降りるので、どうぞ」と言う。勧められた座席と筆者との間には立っている人が二人ほどいた。その人々を押しのけて「善意に溢れている」という笑顔を作って、「私の席」を譲って上げるというわけである。

 

もちろん、その席は、もはやその人が坐る権利を持っている「私の席」ではない。強いて言うなら、一番側に立っていた人が次にその席に座る権利を獲得したのである。したがって、自分が権利を持っていない他人のものである席を「盗んで」、他の人に譲り渡そうとする行為である。

 

筆者は、「そのような行為はいけないことだ」と一言、注意したい思いはあったのだが、それはしなかった。ただ、その座席から遠ざかって拒絶の意思表示をするに留まった。

 

ちなみに、この広告はいつからしていたのだろう?と、ふっと思った。随分以前からしていたのかも知れないな。日本人の思いやりの心をこのように安っぽい理解しか出来ないユニセフなのか、このような行為が弱者への思いやりだという誤解が日本には実際広がっているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ドクターウーマン:女は外科にいらない? 昔、女には大学の門さえ開かれなかった。

ドクターウーマン

 

女性医師の活躍を取材した番組を見た。

 

優秀な医師たちである。男性の場合には決して起こらない数々のハードル、社会的邪魔だて、妨害、そんなものを一つずつ乗り越えて彼女たちは優秀な外科医として成長し、活躍している。同じ成果を得るためには、男性の何倍もの苦労がある。

 

「女は外科にいらない」と平気で言えてしまえる社会だったと、現在47歳のこの女性医師は言う。このような攻撃を受けた出来事を過去のこととして語る。確かに、立場も地位も評判も手に入れた彼女に対しては、そのような攻撃は今はないだろう。しかし、今から伸びようとしている若手には、多分、今もそうではあるまいか?

 

筆者は医者ではなく科学者であるが、長い長い間、迫害に耐えてきた。「女は大学教育など受ける能力はない」「女は家庭で主婦になればいいのだ」「女は教えられて学び、試験で良い点を取ることは出来るが、研究は出来ない」「女は、受け身で教えられた事しか出来ない」「女は考えることは出来ない」「研究に女は要らない」「研究室には女はお断り」・・・こんな恐ろしい言葉を、折に触れては浴びせられて、とんでもない迫害の中を生き延びてきたのである。

 

社会の女性に対するこのような攻撃は、確かに少しずつ減ってはいるが、筆者が大昔、期待したのとはほど遠い。女性であるが故の迫害に辛い思いをしたときに、2−30年も経てば良くなって、後輩たちはきっとこのような苦労をしないだろうと期待したのであった。すなわち、この女性外科医の世代は、女だからと差別されることはなくなるだろうと思ったのであった。しかし、この女性医師自身は、やはり、女性に対する迫害と闘って、今やっと力一杯働けている。

 

しかし、この女性は独身であり、今回の番組で出てきた女性医師たちは、独身か、離婚体験者で、家庭生活を楽しむという側面がなく、男性医師とは異なる。家庭生活を楽しみ、子供を持つということを「女の幸せ」という言葉で置き換えるのは間違っているが、家庭を持ち、子供を育て、社会でも働くというすべてが満たされて、人間生活だと言えるのかな?とは思う。

 

日本人初の女性医師、荻野吟子

 

日本人女性初の国家資格を持った医師、荻野吟子は、明治18年、1885年に女医第一号になった。
長い長い人類史に於いていつ始まったのか、女性の人権を否定するような社会に転落し、女性自身がそれが正しいことだと思い込まされるところまで人類は堕落した。

 

そして、そんな長い堕落した社会から抜け出そうとする女性も僅かながら顔をもたげる人々が出てきて、その中で艱難辛苦を耐え忍んで、医者の世界で最初に医師の資格を得た人物として荻野吟子は大々的に報道されたようである。

 

このクリスチャン女性医師については、長野キリスト集会の「地上の星」シリーズの講演会で、尾崎富雄先生が詳細に講演しておられるので、興味のある人はCDを取り寄せて聴いてみて下さい。

 

先人たちの努力の結晶として、今の若い女性たちが何とか社会に進出しているが、それにつけてもその歩みの緩慢であることが残念に思われる。

 

政治の世界でも、このところ有名になりすぎた小池東京都知事、確かに有能な人だと思うが傲慢になりすぎた。所詮それだけの人物だったのだろう。

他にも、国会議員になった途端に不倫騒ぎを起こしたり、まるでやくざのような物言いをして秘書を侮辱するような、まともな人間以下の振る舞いをする「国会議員」というバッジを付けた女性など恥ずかしくてしょうが無い。伸びようとしている真面目な女性の将来に暗雲を立ちこめさせるこれら馬鹿者、女性たちには、がっかりさせられる以上で、唾棄すべき存在に思われる。

 

荻野吟子のような優れた先輩たちの爪の垢でも煎じて飲めばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中学生の自殺・教師によるいじめを「指導」と言い換える卑劣さ

「担任ら叱責中2自殺」??

 

10月16日、朝刊の一面に踊っていた文字に、「またか! この頃の子供は命を粗末にするなぁ! 子供たちが叱責されないで育つために弱くなっている」。こんな第一印象を与えるような見出しであった。

 

記事を読んでみたら、見出しとは異なっていた。見出しは記者の偏見に基づいて付けられたものだろう。

担任と副担任の行動は教師としてのまともな叱責などというものではなく、「指導」という建前を振りかざして「叱責」という名前を与えたに過ぎない、実は教師による陰険ないじめであることがおぼろげに読み取れた。権威と権力を振りかざす教師に対して、弱い立場の生徒は抵抗できない。

 

子供のちょっとした失敗を、どうやら長期間に亘って「指導」という名目で、繰り返していじめていたようである。

 

その後、様々な情報が出てきて、教師の行動が不当であり、又学校の対応も理不尽であったことが明らかになってきた。校長は辞表を提出して、自宅待機の状態になっているようである。一体どれ位の人数の「教師」が、教師という重要な任務を誤解して、教師としての給料をもらっているのであろうか?

 

理不尽な教師たちや学校に一撃を加えることが出来てよかったが、しかし、そのために幼い命が犠牲になってしまったのは余りにも無残な事件である。

 

昔の教師も理不尽な怒りを生徒に爆発させた!

 

筆者が小学校へ入学したのは、第二次世界大戦敗戦後、国も人々もボロボロになった直後であった。恐ろしいB29から雨あられと降ってくる爆弾と焼夷弾で国は焦土と化した。もちろん、二発の原爆がだめ押しをしたことは周知の事実である。日本の国土も人々もアメリカの爆弾攻撃によってボロボロになった。

 

若い男が全部戦争に駆り出されたため、老人と病人以外は体力の衰え始めた壮年も男という男は、すべて戦争に駆り出されることになってしまった。これらの人々は死に、生き残っても体も心もズタズタに引き裂かれて帰ってきた。戦争に行かなかった人々も、爆弾で、焼夷弾で、大勢が殺された。

 

そんな中で戦争が終わり、学校は曲りなりにも残っていたが教師がいなかった。戦時中、教師の免状はおろか、まともな高等教育を受けていない人が代用教員として教師になった。そして、戦後、代用教員として働いた実績が教員であるという資格として採用され、教員免状を手に入れてしまったのである。

 

教員免状がないということ以上に問題だったのは、知識不足の問題、教育者としての自覚の問題、人格的な問題など、問題の多すぎる人々が「教師」になってしまっていたのである。そして、実力がないという劣等感のゆえにさらに、悪循環へとはまり込んでいったようである。

 

筆者もこうした教師たちが勤めていた小学校で、この時代の子供たちの一人として最初の学校教育を受けたのである。その頃には、学校では次々と困った問題が発生していた。今の時代であったら、新聞紙上を毎日賑わすであろうような事件である。ただ、今の子供たちと決定的に異なっていたのは、子供たちは権力に対して唯々諾々として従い、親にも話さなかったという大きな相違があり、又今の子供たちとは比較にならないほど我慢強かったので、問題は表に出てこなかった。そして、自殺もしなかった。

 

そのような出来事の一つを紹介する。

四年生であったある日のこと、教師が「触ってはいけない」と命令しておいたものを、生徒が触ったという出来事があった。触っても実害は無かったのであるが、生徒が命令に従わなかったということだけで、この教師はカンカンに怒った!そして、14,5名の生徒を後ろに立たせるという罰を与えた。所が、この中の半分以上がえん罪であった。そして、触った生徒の内、数名は罰を逃れて席に座っていた。しかし、それを言って抗議をするという恐ろしいことは生徒には出来なかった!

 

えん罪である生徒は、当然教師の理不尽な罰に納得しがたい。えん罪でなかった生徒も、そんなに悪いことをしていないのに、教師の怒りを不当だと思い、後ろに立たされるというような罰を受けなければならないとは思わなかった。こうして教師に対する怒り、不信感、不平が子供たちの心に渦巻いたので、謝る気にはならなかったのである。

 

「謝れ! 謝るまでいつまでも立たせておく!」教師は怒り狂った!この教師は、戦時中のドサクサに紛れて教員免状を与えられた人の一人で、まともな知識も持っていなかった人であった。そして、感情的にも人格的にも問題の多い人で、劣等感の塊であったので、怒る理由もないのに自分の命令に従わなかったということだけで、事実確認もしないで怒り狂ったのであった。

 

そして、大人の対応をしたのは、立たされていた生徒の一人だった。彼女は間違いなくえん罪であったのだが、誰かが謝らないと解決しないので、代表して謝ったのであった。みんなのために形だけ「謝ってあげましょう」という振る舞いをしたのであった。

 

昔の教師も、権力を笠に着て生徒をいじめた


上の事件から2〜3年後、筆者が中学校、多分一年か二年生だったときのことである。当時学年主任で、理科の教師であった年配の教師が、クラスの一人の男子生徒の行動の一体何が気に入らなかったのか全然分からなかったのだが、突如怒り始めて、「前に出てこい」である。そして、くどくどと「説教」をし、その生徒の人格にまで及ぶ「悪口」を言って、そして、床に正座させてしまった。

 

当時、教室の木の床には油が引いてあった。床になど正座させられては、ズボンが油でベトベトになってしまう。しかし、その床に正座させたのである。普段から悪いことばかりする生徒ではなく、むしろ成績も、クラスで2〜3番で真面目でおとなしい生徒で、生徒間でも人望があった。何を悪いことをしたのか当人も、クラスメートも理解しない理由で、多分教師の虫の居所が悪かったのか怒りを生徒にぶつけたのである。今の子供だったら、もしかすると自殺するかも知れないな、とふと思う。

 

あの教師で忘れられないことが、まだある。理科の生物の授業で生殖のことを教えたときに、信じられないようなみだらな表現をしたことである。「犬が『さかっとる、さかっとる』と言うやろ。」云々である。全く卑猥な表現で、子孫が出来る機構の説明をしたのである。

 

ちなみに彼は、正規の教員免状を持っていたと思う。

 

教師であること

 

今の教師たちが、質が下がっているのかどうか知らないが、教師によるこのようないじめや、質の悪い行動は昔もあった。もっとも、筆者が学校教育を受けたのは敗戦後の最悪の時代であり、また通った学校は少したちの悪い、地域では馬鹿にされていた学校であったことも事実ではある。

 

日本が教育をなおざりにし始めたのはいつからであろうか。少なくとも戦時中は、教育のみならず日本国民が全て使い捨て思想でゴミのように扱われた時代であった。戦後も、教育は決して重要視されてこなかった。常に、支配層の都合のいいようにしか政治は行われてこなかった。そのようなマイナスの「教育」を受けた子供たちが今の大人の姿になったのである。日本国としては自業自得とも言うべきか。

 

折しも、本日は10月22日、今頃大型台風が日本列島を襲う中、衆院議員選挙である。安倍首相が自分たちの失態を隠すために、首相の不当な特権を行使して衆院を解散してしまった大義なき選挙である。人間として人々を思いやる心を養わなかった国の首相の下で、自分自身の欲得でしか動かない国会議員が現れてくる日本国である。弱い者をいじめる首相の治める国では、学校が乱れきるのも当然かも知れない。

 

安心して我が子を学校に託せないので、自分で教育する、いわゆるホームスクーリングをする家庭、あるいは文科省の支配下に敢えて入らない「本当の学校」に通わせる学校が増えている現状を、政治家たちは何と思っているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「赤ちゃん 泣いてもいいよ」ステッカー

電車内で、レストランで、赤ちゃんや子どもが泣いたり、騒いだりする場面に遭遇した経験は多くの人が持っているだろう。

 

赤ちゃんや子どもを連れている保護者の対応は、いくら泣こうとわめこうと騒ごうと気にもしない人、子どもをやたらと叱りつける人、脅す人、周囲の人の目を気にしておろおろする人等々、様々である。

 

それで、赤ちゃんが泣いておろおろする保護者のために、「赤ちゃん 泣いてもいいよ」という心優しいステッカーを考え出した人がいる。

確かに、時には赤ちゃんが何故泣くのか分からないこともあるだろう。だが、この世の悪知恵を無意識下に注ぎ込まれてしまった子どもたちはともかくとして、赤ちゃんは単純に泣く理由があるから泣くのである。「お腹が空いている」「おしっこやウンチが出て気持ちが悪い」「車内の空気が悪くて気分が悪い」「暑い、寒い、居心地が悪い」等々、自分で改善できず、また言葉で訴えることが出来ない等、赤ちゃんの側からの主張として「赤ちゃんは泣くのは当然」である。

 

電車の中は、今でも快適な環境ではないが、昔々、筆者がまだ舌が回らなかった頃、「でんちゃ、きらい。くちゃい!(電車、嫌い、臭い)」と訴えたそうである。臭いといって訴えた電車は地下鉄である。大昔の地下鉄は、今の地下鉄とは比較にならないくらい空気が澱んでおり、臭くて、頭痛を催し、吐き気に襲われたことだけは明確に覚えていて、大人になるまで地下鉄は大嫌いであった。赤ちゃんがこれを訴える唯一の手段は、「泣く」ことである。

 

はじめから、赤ちゃんが泣かなくてもいいような状況をできる限り整備し、また泣いた場合は泣く原因を探り当て、解決するのが保護者の責務である。今の時代、現実的には難しい問題は数多くあるとは思うが、夜10時、11時、時には真夜中近くに赤ちゃんや幼い子どもを連れて電車に乗り込んでくる親がそんなにまれではない。赤ちゃんの頃から、大変な生活環境に曝されているようであるから、泣きたい状況は一筋縄ではいかないのかも知れない。

 

 

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「築城3年、落城1日!築き上げたものは一瞬に崩れてしまう。」 安倍総理、理解して言ってますか?

逃げ回っている総理、内閣府。

こんなことを真正面を向いて堂々と言うので恐ろしくなる。

次から次へと言葉を探して、大きな顔をして逃げて回る国の代表。

 

何故こんなにも自信を持つことが出来るのか?

何が何でも、保守の自分が総理である間に憲法を変えて・・・・戦前の日本に戻りたい?

 

日本はどこへ行く?世界はどこへ行く?

互いに「やくざ」の恐喝を繰り返す世界、日本!

人間としての尊厳を取り戻したいものである。

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人々に感動を与えた小林麻央の闘病日誌・乳がんは怖いというメッセージを世界中にばらまく結果に!

人々の心を打った闘病記

 

ニュースキャスターだった小林麻央さんが、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと結婚して世の中の話題になったのは多分大分昔のことなのだろう。芸能界の情報には疎いので、今回の乳がん闘病日誌の社会的反響が話題になって、関連する過去の芸能界のニュースを遡って知った次第である。

 

ともあれ、「乳がん」になってブログに闘病記を書いて、そのブログはどうやら素晴らしいものだったらしく、日本のみならず世界的に大反響をもたらしたようである。

このブログが乳がんで苦しむ病人に勇気を与えたとか共感を呼んだとか、色々影響があったらしい。歌舞伎俳優の妻ということで多数の読者が得られ、ネット上でどんどん広がった。真摯な闘病記を公開すること、それ自体はまことに結構なことである。そして、遂に闘病の甲斐なく病に倒れてしまったのは大変残念なことであった。

 

乳がんは怖いという印象をばらまくことになったブログ!

 

ただ、当然のことながら非常に否定的効果「乳がんは怖い」という恐怖感を煽ることになった・・・当人はよもやそれを意図した筈はないが。

 

ガンがとことん恐れられた時代は通り過ぎたという一般認識が、日本では固まり始めているところである。膵臓ガンなどはまだ発見しにくく、発見されたときには手遅れという事態も少なくない。しかし、乳がん、前立腺ガンは初期に発見されやすく、そして初期に発見されればもう恐れなくてもよくなっている。胃がんも大腸ガンも同様に、発見が遅れなければガンは命を奪うものと恐れなくてもよくなっている。

 

それなのに!まことにもって遺憾である!彼女の闘病記が興味深いものであればあるほど、その否定的効果は大きい。医師は乳がんはしっかり治療すれば完治しますと、彼女のブログ効果を打ち消すことに努力しなければならなくなっているのである。患者はただでさえ不安を抱えているのである。あんなものが出てしまうと、その不安を掻き立てられてしまうのである。

 

乳がんとの闘いが真の勇気を人々に与える働き

 

おりしも、今朝6月25日(日)の朝刊に出ていた芸能界の別の女優の証、「喜びを見つけて、気持ちが沈んだら笑う」は美しく力強く、本当の意味で人を励ます。この女優、樹木希林さん(74歳)は、60歳を過ぎて乳がんが発見され、そして彼女の場合にもガンは全身に広がっていたが、闘病しながら映画などに出続けた。2015年に公開された映画「あん」では、ハンセン病を病んだ主人公を演じたという。実はその縁で、ハンセン病療養所の入所者等を迎えて大阪市内で開かれた「いのちや人生の最後を考えるフォーラム」に招かれて、前記「喜びを見つけて、気持ちが沈んだら笑う」の発言になった。

 

乳がんが発見されて10年以上、全身にガンが広がって闘病は続いているが、しかし、彼女の行動や発言には死の臭いはしない。もとより、病状は違うだろうが、しかし、彼女の証は間違いもなく病人を勇気づけ、又将来に向けての力強い証言になっている。乳がんは恐ろしいという悲しいメッセージを伝えてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「暴力団員が国会議員になった」安倍チルドレン。身内かばい・外に恫喝…安倍政権「マフィア化」

男性政策秘書に悪口暴言、殴るなど暴力をふるって打撲などのけがをさせた国会議員!

「死ねば。生きる価値がない」などとの暴言を録音したテープの存在も明らかにしている。

 

普通の、ごく普通の日本人であれば、誰に向かっても、いや例えペットのイヌに向かってでも使わない言葉、語調をテレビから聞いて呆れるという以上の衝撃を受けた。あのような表現を「知っていた」、あのような語調を発することを「知っていた」、思わず口をついて出たという、このありえない出来事に日本中が大騒ぎをするかと思ったらそれほどでもない。大騒ぎをするべき一大事が山ほどあるからだろうか? 結構日常茶飯に行っていたというから、言語道断!こんなことをしでかしたら普通なら、恥ずかしくて外に出られない、まともに顔を上げられない状況である・・・暴力団員ででもなければ。

 

それが、例によって病院という隠れ家に逃げ込み、離党届を出して、それでお終いにするのか?

 

これは刑事事件として追求するべき事案であるが、このような「暴力団員もどき」をあろうことか、国会議員にしてしまったのである。まことに恥ずかしい日本の姿である。安倍政権の真実の姿を、一般国民にも目に見える形で見せただけなのだろうか。

 

身内をかばい合い、そして外には恫喝的な安倍政権は聞きしに勝るおぞましい姿、まさしく「マフィア」そのものである。

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俳優・中井貴一のミケランジェロを訪ねる旅・・・芸術家の深層に俳優として迫ろうとする

天才ミケランジェロの足跡を訪ねる旅の番組を興味深く見た。それは天才としての栄光を讃えるのではなく、大芸術家ミケランジェロの心の軌跡を辿っていた。ミケランジェロと言えば誰でもすぐに思い浮かべるのは、ダビデ像や、システィーナ礼拝堂にある彫刻「ピエタ」(十字架から下ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリア)など、有名な作品が数多くある

 

ミケランジェロは「大理石の中に眠っている像を掘り出す」ために、大理石の山に8ヶ月間籠もったという。

中井貴一は表現者としての自分を重ねてこう言う。

「人間を疑っているし、自分を疑っているし、表現するということを疑っている。だから準備をしたいのであり、俳優として提供する前にセリフを覚えて準備をする。まず、セリフを覚えて、それからいったん忘れて、本番で、あたかも初めて声を発するごとく言う。二段階を経る必要があるのであって・・・覚えたという一段階だけだったら時間は要らない。

忘れるという段階を経るので、凄く長い時間がかかる。」

 

中井貴一は、ミケランジェロが山に籠もった8ヶ月は準備だったのではないかと言う。石の声を聞き続けた8ヶ月だったのではないか、と。彼は俳優「アーティスト」としての職業故に、このような表現をするのだろう。科学者がこのような視点を語ったのを聞いた記憶はないが、実はある意味で同じ過程を、スケールの大きさはそれぞれであるが、それでも大なり小なり体験していると思う。

 

学んで、それからいったん忘れて、すなわち距離を置いて・離れて、自分のものとして熟成したときに全体像が迫ってくるのである。一流の科学者であろうと、それ以外の小粒の科学者であろうと、それにしがみついて、近視眼的視点で見つめている間は決して何も分からない。

 

学生が試験のための準備として行ういわゆる「一夜漬け」が、仮にその場の点数稼ぎにつながっても、決して実力は付かないという点において、同じようなことである。ついでのことに、筆者が生物学や化学の領域に於いて学生たちを教育するに当たり、細部の知識に囚われず全体像を見つめる視点を養わせようと、四苦八苦するのも似たようなことである。学生たちは細かい知識にこだわりを見せて、色々暗記しようとするがそのようなことをしても、「生き物」の姿を捉えることが出来ないし、化学を理解することは出来ないのである。

 

有名なサンピエトロ礼拝堂のピエタ以外に、ミケランジェロは生涯に4つのピエタを造ったという。このことは、これ以上に大きなテーマであるので、別に稿を起こして書きたいと思う。

 

 

 

 

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「地上の星」(50)「私にはまだ三本も指がある」死の淵から生還して:田原米子物語

長野キリスト集会の特別企画「地上の星」

   :名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ (50)

 

「私にはまだ三本も指がある」 死の淵から生還して 田原米子物語

 

            *********

長野キリスト集会で出された案内を右に示す。解像度の問題で読めるほど大きく出来ないので、その文章をコピーして下に示す。

いつも思うことであるが、尾崎富雄先生は信仰と熱意と、そして使命を主に与えられて、次々と信仰深いキリスト者の資料を集め、焦点を定めてまとめ、そして見事に紹介しておられる。ぜひ、CDを直接聴いて頂きたいと思う。間違いなく、大きな励ましと勇気を与えられるだろう。現在(59)森本春子物語(2017年5月12日)まで進めておられ、その中には、かの有名な三浦綾子さんの物語もある。(1)から(58)までのリストを次のファイルに掲載する。

 

            *********

 

昭和12 年に八王子市に生まれ、何不自由なく中学を卒業したものの、16 歳の時、最愛の母が急死。その衝撃はあまりに大きく、孤独と不安から非行に走り、やがて生きる意義を見失い、高校3 年生の時に小田急線の新宿駅で深夜、飛び込み自殺を図る。
奇跡的に一命をとりとめたが、両足切断、左腕切断、残されたのは右手とその指3 本だけだった。「これからは一生、だれかに面倒を見てもらわなければならないのか」と、死に損ねたことを恨み、再び自殺を図ろうと睡眠薬を致死量までこっそりとため込んだ。
そのような彼女の病室を何度も訪れる二人がいた。アメリカ人宣教師と牧師を目指して勉強していた日本人青年(後に夫となる田原昭肥氏)であった。二人は讃美歌を歌い、聖書のことばを読んで励まし続けた。
ある日、二人が置いていったカセットテープを聞いたことがきっかけとなり、生まれて初めて、渾身の力をふりしぼるようにして祈った。「神さま、助けてください」涙がとめどなく流れた。その夜は入院後、初めてぐっすり眠ることができた。翌朝、目が覚めると、窓から射しこむ朝日がまぶしく、見慣れた風景のどれもが輝いて見えた。
そして、ふと自分の右手を見ると、それまでは指三本しかないと思って絶望していたのに、三本も残っていることに気づいた。嬉しくてならなかった。枕元にあった聖書を何気なくめくってみると、次の言葉が目に飛び込んできた。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
今回は、神に生かされている喜びを発見し、「生きるってすばらしい」(自伝のタイトル)と、全国各地を訪れて多くの人々に生きる勇気を与え、その人生を描いた映画で国内外に大きな驚きと感動を与えた田原米子さんの生涯から学びます。

 

 

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「つらいとき、不安なとき立ち上がる力・健康より大切なもの」現役心臓外科医のエッセイ集

かつて夏目漱石は「とかくこの世は生きにくい」と嘆いたが、今の世の中はあの時代より、もっともっと生きにくいかも知れない。大人だけでなく、将来のある若者が、子供たちまで悩んで、そして簡単に命を投げ捨てる。心ある人々は、このように生きあぐねている人々に何とか救いの手を差し伸べたいと知恵を絞って手を差し伸べる。

 

その様な目的で多くの本が書かれるが、それが必要な人々に届かないのが残念である。ともあれ、今、悩んでいる人々に光と勇気と慰めを与える本を一冊紹介したいと思う。

 

この間、東京で開かれたセミナーで久しぶりに著者今中先生にお会いして、標題の近刊エッセー(いのちのことば社)を頂いた。「つらいとき 不安なとき立ち上がる力」「健康より大切なものがある」そして、帯封に「健康の課題に直面している方、何を食べようか何を飲もうかと思い悩む方に知ってほしい!」と訴えている。本の見開きの裏に、素晴らしい一言が添えられていた。

 

多くのことを教えてくれた 忘れえぬ患者さんたちへ

 

医者としての彼の優しさが滲み出ている一言だと思う。

著者、今中和人医学博士は、現役の心臓外科医である。臨床医であるから体が傷ついている患者の手当をしているのであるが、体の健康を損ねると大概の場合、心も病むことが多い。その時に、手当をしてくれている医者をどの程度信頼して良いのか、大抵分からない。心から信頼できる医者を探し当てた幸せな人は少ない。医学的な知識、知恵は確かか、腕は確かか、まともな人間性を持っていて医療行為を行っているかどうか・・・・今の時代、病気になったら一般庶民は不安だらけである。

 

帰りの新幹線で読み始めて、時間の経つのを忘れるほど引き込まれた。

 

「3時間待って、3分診療」と悪口を言われるほど、実は医療現場自身が、そして医者や看護師たちなど医療に携わる人々が病んでいる。医者は患者の顔を滅多に見ないでパソコンばかり眺め、カルテに記入することに精力を注ぐ。たまに患者と会話すると、患者の言うことを聞かないで自分の意見を押しつける。だから、多少体調が悪くても、素人判断以上のことを医者がしてくれる期待が薄く、ついつい病院から足が遠ざかる。そして、怪しげな民間療法が世の中でもてはやされ、サプリメント信仰が大流行で、それで大儲けをする企業がのさばっている。

 

さて、この書物、読み進むうちに、自分が病気をしたら彼に頼りたいと思った・・・とは言っても、彼は心臓外科医であり、手術を受けなければならないほどの心臓病にはなりたくはないが・・・・。患者を医者である自分と同じ赤い血の通う人間であり、上から目線ではなく生きた人間として対峙してくれる彼のような医者に自分の病を任せることが出来たらどんなに幸せだろう。

 

医者の視点から、まさしく標題の通り、体の治療ではなく、体の健康を損ねると心も弱くなっていることを本当に理解して、体と心を一体として、人間として付き合って手を差し伸べようとする医者の本音がじわじわと伝わってくる本である。

 

今健康を損ねている人も、今は健康である人も、心ある一人の医者の温かい心に触れてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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安藤和子 文 / 神谷直子 絵
800円(定価)

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