植村正久訳 「天に一人を増しぬ 清められ 救われ 全うせられしもの一人」

クリスチャンにとっては、この上ない慰めと希望を与えてくれる詩をご紹介しよう。

 

著名なキリスト者である植村正久氏が美しい翻訳をする前は、原作もほとんど知られていなかったらしい。それがこのように見事に翻訳されて、日本のみならず世界に知られることになったという。

筆者がこの詩を知ったのは、長野キリスト集会の尾崎富雄先生の「地上の星」シリーズの講演の第54回「植村環」の話の中で紹介されて大きな感激を覚えたことによる。

                            

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「聖書を読む会」特別企画  
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
  第1回 2011年10月7日(金)
  第48回 2016年2月19日 
 各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
 TEL・FAX026-295-6705

「地 上の星」リスト・2016年3月

長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。

興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。

 

「天に一人を増しぬ」 

            セラ・ゲラルデナ・ストック作   植村正久訳

 

家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり

愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき

さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ

全うせられしもの一人を

 

家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉 一つ消え失せぬ

別るることの絶えてなき浜辺に

一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ

 

家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず

内に入れば空きし席を見るも涙なり

さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ

天に一人を増しぬ

 

家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて

歩みもしどろに 目も暗し

さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ

天に一人を増しぬ

 

げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて

キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること

いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん

かしここそ家なれ また天なれ

 

地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり

旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり

さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を

天の家に増しぬ

 

天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん

感謝 讃美の題目 更に加はり

吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環

さらに一つの環を加へられしなり

 

家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に

一人も失はるることなかるべき家に

主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を

我らすべてにも与えたまえ

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神のかたちを頂いた素晴らしい人、ハーザー誌「創造と福音」連載の締めくくり

マルコーシュパブリケーションの月刊誌「ハーザー」に、「創造と福音」を主題にして、長期に亘って連載させていただいた。2016年12月号で締めくくりとして書いた「神のかたちを頂いた」を、筆者の公式サイトにアップした。

 

「34.神のかたちを頂いた」

 

サイトを訪れて本文を読んでいただきたいと願うので、その「序文」をここで紹介する。

 

神のみ姿を映された尊い存在として人はこの世に命を頂いた。そして、地を治め、動物たちを治める任務を与えられた。しかし、神よりも自分の方が正しいと主張して、神に反逆し続けたなれの果ての人類の姿、世界中が憎しみと戦争で荒れ狂っている姿、ボロボロになった地球の姿を、人類は今、なすすべもなく呆然と見つめている。神のお姿がすっかり見えなくなり、頂いた美しい姿も分からなくなっている。

 

 しかしながら、私たちが創られた見事に完全な、最初の姿がどのようなものであったかを再確認し、イエス・キリストを信じる信仰によって新天新地に新しい体を頂く約束に胸膨らませて、この「創造と福音」の連載を締めくくりたいと思う。

 

なお、2017年1月号から12月号までは、「キリスト信仰&聖書」対「学問&自然科学」との関係について、様々な角度から考えて書かせていただいた。そして、2018年1月号からは、「神の創造、そして慈愛と正義」という全体的な主題の元に、(中)高校生及び大学生を読者の中心において、読みやすいよう、親しみを持てるように工夫して創造の過程を描いている。興味のある方は、ハーザー誌を購読して下さい。ハーザー誌は多少堅いかも知れないが、内容の濃い、記事が山積みである。霊魂体の大きな養いになる月刊誌であるのでお薦めしたい。

 

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俳優・中井貴一のミケランジェロを訪ねる旅・・・芸術家の深層に俳優として迫ろうとする

天才ミケランジェロの足跡を訪ねる旅の番組を興味深く見た。それは天才としての栄光を讃えるのではなく、大芸術家ミケランジェロの心の軌跡を辿っていた。ミケランジェロと言えば誰でもすぐに思い浮かべるのは、ダビデ像や、システィーナ礼拝堂にある彫刻「ピエタ」(十字架から下ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリア)など、有名な作品が数多くある

 

ミケランジェロは「大理石の中に眠っている像を掘り出す」ために、大理石の山に8ヶ月間籠もったという。

中井貴一は表現者としての自分を重ねてこう言う。

「人間を疑っているし、自分を疑っているし、表現するということを疑っている。だから準備をしたいのであり、俳優として提供する前にセリフを覚えて準備をする。まず、セリフを覚えて、それからいったん忘れて、本番で、あたかも初めて声を発するごとく言う。二段階を経る必要があるのであって・・・覚えたという一段階だけだったら時間は要らない。

忘れるという段階を経るので、凄く長い時間がかかる。」

 

中井貴一は、ミケランジェロが山に籠もった8ヶ月は準備だったのではないかと言う。石の声を聞き続けた8ヶ月だったのではないか、と。彼は俳優「アーティスト」としての職業故に、このような表現をするのだろう。科学者がこのような視点を語ったのを聞いた記憶はないが、実はある意味で同じ過程を、スケールの大きさはそれぞれであるが、それでも大なり小なり体験していると思う。

 

学んで、それからいったん忘れて、すなわち距離を置いて・離れて、自分のものとして熟成したときに全体像が迫ってくるのである。一流の科学者であろうと、それ以外の小粒の科学者であろうと、それにしがみついて、近視眼的視点で見つめている間は決して何も分からない。

 

学生が試験のための準備として行ういわゆる「一夜漬け」が、仮にその場の点数稼ぎにつながっても、決して実力は付かないという点において、同じようなことである。ついでのことに、筆者が生物学や化学の領域に於いて学生たちを教育するに当たり、細部の知識に囚われず全体像を見つめる視点を養わせようと、四苦八苦するのも似たようなことである。学生たちは細かい知識にこだわりを見せて、色々暗記しようとするがそのようなことをしても、「生き物」の姿を捉えることが出来ないし、化学を理解することは出来ないのである。

 

有名なサンピエトロ礼拝堂のピエタ以外に、ミケランジェロは生涯に4つのピエタを造ったという。このことは、これ以上に大きなテーマであるので、別に稿を起こして書きたいと思う。

 

 

 

 

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「地上の星」(50)「私にはまだ三本も指がある」死の淵から生還して:田原米子物語

長野キリスト集会の特別企画「地上の星」

   :名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ (50)

 

「私にはまだ三本も指がある」 死の淵から生還して 田原米子物語

 

            *********

長野キリスト集会で出された案内を右に示す。解像度の問題で読めるほど大きく出来ないので、その文章をコピーして下に示す。

いつも思うことであるが、尾崎富雄先生は信仰と熱意と、そして使命を主に与えられて、次々と信仰深いキリスト者の資料を集め、焦点を定めてまとめ、そして見事に紹介しておられる。ぜひ、CDを直接聴いて頂きたいと思う。間違いなく、大きな励ましと勇気を与えられるだろう。現在(59)森本春子物語(2017年5月12日)まで進めておられ、その中には、かの有名な三浦綾子さんの物語もある。(1)から(58)までのリストを次のファイルに掲載する。

 

            *********

 

昭和12 年に八王子市に生まれ、何不自由なく中学を卒業したものの、16 歳の時、最愛の母が急死。その衝撃はあまりに大きく、孤独と不安から非行に走り、やがて生きる意義を見失い、高校3 年生の時に小田急線の新宿駅で深夜、飛び込み自殺を図る。
奇跡的に一命をとりとめたが、両足切断、左腕切断、残されたのは右手とその指3 本だけだった。「これからは一生、だれかに面倒を見てもらわなければならないのか」と、死に損ねたことを恨み、再び自殺を図ろうと睡眠薬を致死量までこっそりとため込んだ。
そのような彼女の病室を何度も訪れる二人がいた。アメリカ人宣教師と牧師を目指して勉強していた日本人青年(後に夫となる田原昭肥氏)であった。二人は讃美歌を歌い、聖書のことばを読んで励まし続けた。
ある日、二人が置いていったカセットテープを聞いたことがきっかけとなり、生まれて初めて、渾身の力をふりしぼるようにして祈った。「神さま、助けてください」涙がとめどなく流れた。その夜は入院後、初めてぐっすり眠ることができた。翌朝、目が覚めると、窓から射しこむ朝日がまぶしく、見慣れた風景のどれもが輝いて見えた。
そして、ふと自分の右手を見ると、それまでは指三本しかないと思って絶望していたのに、三本も残っていることに気づいた。嬉しくてならなかった。枕元にあった聖書を何気なくめくってみると、次の言葉が目に飛び込んできた。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
今回は、神に生かされている喜びを発見し、「生きるってすばらしい」(自伝のタイトル)と、全国各地を訪れて多くの人々に生きる勇気を与え、その人生を描いた映画で国内外に大きな驚きと感動を与えた田原米子さんの生涯から学びます。

 

 

14:19 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
「ノアのだいこうずい」聖書の絵本・Kindle版・・スマホ、タブレット、パソコン対応。詳細な案内

電子絵本「ノアのだいこうずい」

〜かつて地球は、水ですっぽりとおおわれた〜

 

 タブレット、スマホ、パソコンで見ることが可能な電子絵本、「ノアのだいこうずい」ができました。

安藤が編集を担当し、雑誌・講演等の資料にイラストを提供してくださっている坂井陽子さんが絵を描いてくださいました。

 

 聖書の記述を忠実に伝える絵本として、また各種のデバイスで読むことができる新しいタイプの読み物として、広く活用されることを願っています。購入方法、内容のご案内、クリエーション・リサーチ・ジャパン会長の推薦文など、下のチラシに詳細にご案内しています。

 

 

 

この絵本は、スマホ、タブレット、パソコンで読むことのできる電子書籍(Kindle版)です。

下記よりご購入いただけます。税込み313円 

 

 

 

 


 

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15:10 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
地上の星・名もなきクリスチャンの生涯:燃ゆる生命 亀井光子物語
「地上の星」シリーズ                         

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「聖書を読む会」特別企画  
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
  第1回 2011年10月7日(金)
  第48回 2016年2月19日 
 各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
 TEL・FAX026-295-6705

「地 上の星」リスト・2016年3月

長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。

興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。
23:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
地上の星・「名もなきクリスチャンの生涯」:ハンセン病による数奇な生涯・井深八重
「地上の星(29):名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ 






































井深八重はハンセン病患者に母と慕われ、その生涯を捧げたクリスチャンである。右の写真はWikipediaより転載したものである。
井深八重は、小学校卒業後、1910(明治43)年に同志社女学校普通学部に入学、その後、専門学部英文科に進み、1918(大正7)年に卒業した。同志社と言えば、新島襄・八重を思い出されるが、その同志社のホームページに井深八重が紹介されている。(「一粒の麦」として ― 井深八重の足跡に誘われて

ハンセン病患者のために生涯を捧げた医師・小笠原登の日記が生家から発見され、改めて彼の業績が注目を浴びた。ハンセン病患者は医学的に根拠のない恐ろしい感染性の病気として延々と迫害を受けてきた。
この迫害に医学界がこぞって参画していたのであるから、そら恐ろしい出来事である。
医者と政府が一丸となって患者を痛めつけてきた百年。やっと隔離政策の過ちを認め、せめてものことと重い腰を上げて補償を裁判で認めさせたのが今から15年前である。

小笠原登については、順次書き進めていく予定であり、なぜ医学的に根拠がないかも、簡単に触れる予定である。

 
17:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
地上の星・名もなきクリスチャンの生涯: 時代の良心・北村徳太郎物語
地上の星「名もなきクリスチャンの生涯」シリーズ

長野キリスト集会の尾崎先生による講演、今回は北村徳太郎(右の写真はWikipediaより)についてご紹介する。少し読みづらいのでチラシの下に、紹介文だけをコピーするので、それをお読みください。
また、長野キリスト集会のホームページには講演がアップされているので、是非お聴きください。この北村徳太郎のみならず、大勢の名もなきクリスチャンの生涯が紹介されており、大きな感動を覚えられると思います。






時代の良心 北村徳太郎物語
日本にかつて驚くほど無私の政治家がいた。「日本が第二次世界大戦で敗け、今までにない混乱と困窮の最悪状態にあった時、神は二粒の麦の種を国会に与えた」と元総理大臣中曽根康弘は述べている。その一人は片山哲首相、もう一人は運輸大臣を務めた北村徳太郎。ふたりともクリスチャンである。
 
徳太郎は幼少時より虚弱体質で、二人の兄も早逝した。少年の頃より人間の死について深く考えるようになったのも自然であった。阿弥陀如来に帰依したいと思ってもその客観的実在が信じられず、論語を学んでも「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」との箇所を読み、絶望した。しかし、トルストイの作品に親しむうちに聖書を知り、やがて賛美歌の歌詞を読みふけるうちに輝く希望を見出していった。そして熱心に聖書を読む日々が続く中で、不思議にも健康をとりもどしていったのである。
 
大阪の北浜銀行に入行してキリスト信者の先輩と接し、教会に通うようになった。初めて富士登山をして大自然の荘厳さと美しさに圧倒された徳太郎は、それまで自分という小さなものさしで神を測ろうとしていた愚かさに気づき、神に従う決心をして下山し、洗礼を受けた。
 
大正4年の北浜銀行破綻により、鈴木商店、播磨造船、神戸製鋼所、佐世保商業銀行(常務、頭取)、佐世保商業会議所(会頭)と、活躍の舞台は変わったが、それぞれにおいて人々の心に忘れがたい功績を残した。終戦翌年の昭和21年、60歳の北村は、政界への転身を決意。以降7回連続当選を果たし、片山哲内閣の運輸大臣、芦田均内閣の大蔵大臣を務めた。対共産圏との関係改善のため日ソ東欧貿易協会会長に就任したほか、日中国交回復にも尽力した。
 
父の熱烈な信仰を受け継ぐ英才の誉れ高い一人息子を27歳で天に送る、という悲哀も味わうが、その信仰は終生変わることなく、「一書の人」と称されるように、聖書に学び続ける人であった。
今回は、知られざるクリスチャン政治家、北村徳太郎の生涯から学びます。
 
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地上の星:人を恐れず天を仰いで 「広岡浅子物語」
「地上の星」シリーズ ご案内

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「聖書を読む会」特別企画  
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
  第1回 2011年10月7日(金)
  第48回 2016年2月19日 
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〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
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「地 上の星」リスト・2016年3月

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長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。

興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。

今回は時の人、広岡浅子である。NHKの宣伝力のおかげで、無名だった一人の女性が突如として、日本中に知られる人物になったようであるが、どうやらかなり魅力的に作り変えられている話らしい。NHKで放映しているドラマが、広岡浅子がモデルの小説のドラマ化したものだとは知らなかったが、このドラマに触発されたのかどうか、民放で彼女の生涯を取り上げていたのを聞いて、まさしく度肝を抜かれた。あの時代に、こんなにすごい人がいたのが信じられない気がした。今の時代でも、彼女ほどの生き様を貫き通すことの出来る人がそうそういるだろうかと思わされた。この驚異的なスケールの大きさは生まれつき与えられた才能だろう。

        *************
上にコピーした要約は、読みづらいので、下に書き改めて示す。

9月から放送されるNHK 朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン、「今井あさ」(後に白岡あさ)のモデルとなった女性である。豪商三井家の四女として生まれ、17歳で大阪の豪商、加島屋の次男、広岡信五郎に嫁ぐが、夫は三味線や茶の湯など風雅に興じ、店は手代に任せきり。

この危機に、浅子は簿記、算術、今律、経済の知識を、寝る間も惜しんで習得し、のちに加島屋を救うことになる。20歳の時、明治維新が起こり、家運の傾いた加島屋の立て直しに奔走する。

さらには炭鉱事業に着手。護身用のピストルを懐に単身炭鉱に乗り込み、坑夫らと起き伏しを共にした、という冒険談も伝えられている。明治21年には、加島銀行を設立、35年に大同生命創業に参画して、加島屋は大発展を遂げた。


明治29年、梅花女学校の校長、成瀬仁蔵の訪問を受けたことがきっかけとなり、浅子は明治の元勲を含む人脈を駆使し、実家の三井家も目白台の土地を寄付させ、明治34年に、日本女子大学校(現・日本女子大学)設立にこぎつけた。

ところが60歳のとき、長年放置していた胸のしこりが乳癌の末期となっていたことを知る。手術は成功し、自分が無事生還できたのは、まだなすべき使命があるからではないか、と思っていたとき、熊本バンド出身の牧師、宮川経輝より懇切に聖書を学ぶ機会を得て、ついに受洗。クリスチャンとしての新しい人生が始まった。

婦人運動や廃娼運動にも参加し、大正3年からは毎夏、御殿場で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいた。「私は、遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と言っていた浅子は1919年(大正8年)、波乱万丈の生涯を終え、天に召されていった。


今回は、テレビ放送では扱われることのない浅子のクリスチャンとしての側面にも光を当てて、その生涯から学びます。

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死は受け容れ難いか? 死は永遠の国への凱旋か?
死は誰にとっても受け容れ難いか?

朝のひととき、テレビから耳に飛び込んできた一言、「誰にとっても死は受け容れ難いものですが・・・」に思わずもテレビを見に行ったところ、末期ガン患者の緩和医療の話であった。確かに、死は肉体が滅びることであり、物質、すなわち「見えるもの、触れるもの、数値化できるものなど」が全てである考えでは、死は「肉体の滅び」であり、全ての終わりを意味している。

死を具体的なこととして認識するのは、愛する人、身近な人の死であり、それは辛く、惨めな状況下に起こることが多い。どのように死がやってくるとしても、肉体的には苦しい体験を通らずに辿り着くことはまれであり、大なり小なり痛みを伴う苦しみを嘗めなければならないので、当人にとってはもとよりのこと、周りの人々にとっても堪え難い出来事である。

生命が尽きるということはそれくらい大変な出来事なのであり、死に至る過程は確かに恐ろしい。どれだけの時間、どのような精神的、肉体的苦しみが襲ってくるか誰にも分からないが、楽に死に至ることは少ない。充分長生きして、静かに生命の炎が燃え尽きる場合は、死の瞬間は確かに苦しまずにすんなりと息絶えることが出来るかも知れないが、それに至る「苦しみ抜きに」、とはいかないのが普通である。

医療が進歩して、ただ息をしている状況を永続きさせることが医療行為として推奨されなくなったのは昨今のことである。ペインクリニックも発達し、またホスピス活動も少しずつ広がっている。肉体的に余り苦しまないで、命を終えたい、終えさせて上げたいという動きが表面化してきている。

ところが、このような事情は、世界観・死生観には余り関係がないように思われる。「誰にとっても死は受け容れ難い」というのは、死に至るまでは心身共に様々な苦しみを経由しないと死ぬことは出来ないということ以上に、もっと深刻な意味を持っていると思われる。物質的価値観にどっぷり浸っている思想では、死はどういうことか全く分からない不気味な世界である。充分長生きした後でも、やはり死は完全に未知の世界であり恐ろしい。

特に日本人は信仰深い人々であって、一人の人が数多くの宗教を「掛け持ち」する不思議な現象が当たり前になっている。つまり死後の世界が分からない、死後地獄に堕ちると脅かされるので、どれも大して御利益がありそうには思えないが、幾つもの偶像を拝んでおけばちょっとは何かあるかもとから頼みする。それでも心配なので、「死は受け容れ難い」ことになるのである。

この世の命を終えて、永遠の希望の国に喜んで凱旋する

地球史、人類史を本当に知った時に、自分がどこから来て、死後どこに行くのか明らかになる。今の命は言うなら一時的に与えられた命であり、幸せに生きたいと願うなら、真実の命を見つめる必要がある。

どのようにして宇宙が、地球が創造されたのか。どのようにしてこの地球に、人々の命が豊かに生きるように創造されたのか。何故、破綻もしないで支えられているのか。誰が、地球を、人を護っていて下さるのか。

そして、死後、どうなるのか?

死に至る道のりは、大抵は険しい。辛いことは山ほどあるかも知れない。しかし、それを一瞬たりとも目を離さず見守っていて下さる方がおられるのである。
最高の人生を歩んだ後にこの肉体は滅び、人間の実質は新しい体を戴いて希望と幸せの満ち満ちている神の国に凱旋することが出来るのである。これは、イエス・キリストを救い主として信じた者には誰でも、一人残らず与えられている約束である。

クリスチャンにとって死は決して受け容れ難いものではない。ある意味で喜びの凱旋である。死に至る道のりは険しくても、行き着く先は光り輝く神の国であるからである。












 
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