孤独の中で生ける主に出会った! 〜ロビンソン・クルーソー(2)〜
 小学生用のロビンソン漂流記

 ロビンソン・クルーソーは日本では大人はあまり読まず、子どもの読み物のようである。それで小学生がどのような漂流記を読んでいるのか知ろうとして、1994 年発行の古書を手に入れた。私の予想に反して、クルーソーの信仰の成長の足跡は、子どもの本でも省略されてはいないことを発見した。

robinson_crusoe_2_1.jpg この本の末尾に、読後感想文が掲載されていた。「クルーソーは優秀で、心の強い、勇敢な人、人食い人種に捕らえられた人を助けだし、仲間や自然を大切にする心優しい人である」と書いている。小学4 年生としては優れた模範的な感想文であるが、クルーソーの信仰のことには気が付かなかったようである。私も同じ4 年生のときに読んだが、クルーソーの人種差別意識に反発を感じたことを明確に覚えている。クルーソーはフライデーの命を救ったが、一方、孤独から救われたのである。二人は五分五分であるのに、何故友人にならないで初めから主人と従者なのかと疑問を持ったのである。

 その印象が強かったので、クルーソーの漂着後、割にすぐにフライデーがやってきたと錯覚した遠因になっていた。事実は、クルーソーは25 年以上この島で一人きりで生き延びる苦闘を繰り広げ、孤独と闘い、苦しみ、楽しみ、そして創造主である神としっかり向き合う恵みを受けたのであった。

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無人島からの脱出

 「フライデーとの出会い後、一艘の船がこの無人島にやってきた。謀反人が船を乗っ取って、船長以下数名を島に置き去りにするためであった。こうして船長たちとクルーソーの出会いが実現し、二人は偉大な創造主の摂理を見て、互いに神に感謝した。

 クルーソーは無人島での霊的・精神的孤独との壮絶な闘いの中で、聖書を読み、祈り、そして主と直接語り合う親しい関係に導かれていたのである。また、フライデーもクルーソーに教えられて、真の神を信じる者となっていた。
クルーソーは船長たち数名と協力し、見事な戦術を展開して謀反人を破り、首謀者を殺して船のマストに吊り下げて見せしめにした。こうして、船を奪い返し、無事に故国に帰り着くことになった。

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ロビンソン・クルーソー漂流記の主題

 ジャン・ジャック・ルソーは教育論『エミール』の中で、子どもの教育のために最も重要な一冊としてこの本を上げており、また、出版された当時、最も厳しい評論家でさえ、「ジョン・バニヤンの『天路歴程』に加えて子どもに与えたい本」と認めた。
キリスト信仰を持たず、聖書を知らない日本人には、聖書の引用箇所の意味や必要性など理解しにくいのか、ただの冒険小説としかみなされていないようである。

 第一作・第二作に一貫している主題があり、第三作「反省録」では信仰・倫理・社会に関するデフォーの思索をまとめている。「クルーソーの心の変遷」「信仰の成長」「主との対話」等、デフォーを映し出した形で人間像、人生における重要事項を巧みに描写している。

 無人島に置き去りにされて4 年余を過ごした一人の水夫の体験談をデフォーはヒントにしたかも知れない。しかし、実はそれ以前に、荒浪に翻弄された自分自身の人生の苦闘や孤独を、小説という形で発表することを考えていた証拠が挙がっている。この三部作は、想像を絶する人生の荒浪に揉まれたデフォー自身の自叙伝であり、人間学、社会学、キリスト信仰などの視点から非常に味わい深い大人の小説である。壮絶な人生の本質を煮詰め、昇華させて、含蓄のある作品に仕上げた力量に痛く感銘を覚える。子ども時代に読んでおられても、クリスチャンは特に信仰に軸足を置いて、改めて読み直されることをお薦めする。

ダニエル・デフォーの生い立ち

 デフォーは1660 年頃に非国教会派に属する中産階級の子としてロンドンに生まれた。1660 年代は、階級抗争があり、ピューリタン革命が挫折し、王政が回復した。また、英国国教会派と非国教会派の抗争があり、歴史上重要な年代である。

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 家族の意向により、デフォーは聖職者になるために、特別に優れた教育を受けた。しかし、彼は事業家になる志を持ち、すぐに成功を収めた。富や名声を得て、事業と政治の世界に突入し、全力投球をしてのめり込んだ。ロビンソン・クルーソーの中で告白しているように、彼は神に背を向けて大嵐の吹きすさぶ人生の荒浪に身を ( ) して、霊的な荒野の中を、 彷徨い始めた。

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 デフォーの文学的・非文学的活動は、この時代の精神風土から自然に形成されていったのだろう。1665 年にはロンドンはイギリス史上空前絶後のペストの流行に襲われ、人口46 万人中7 万人もの死者が出るという惨状であった。そして、その翌年にはロンドン市の大半を焼き尽くす大火が起こっている。少年デフォーがこれらを体験したことは、後の「ペスト年代記」に書かれている。

浮き沈みの激しい 波瀾 ( ) の人生

 デフォーは投機的な側面まで含めた各種の経済活動、政治活動、ジャーナリスト、そして小説家と 多岐 ( ) ( ) って精力的に活躍し、落ち着いていた時期は短く、最後まで荒浪にれ続けた。その人生の起伏の激しさは、尋常ではない。大きな成功をおさめて頂点に立ったかと思うと、いきなり荒れ狂う大海原に叩き込まれ、命からがら陸地に辿り着くと、そこには仲間のいない寒々とした孤独が覆い被さり、遠くを見やると荒浪の立ち騒ぐ、荒涼たる人の世のむなしさが広がっていた。

robinson_crusoe_2_7.jpg ある時は専制君主ジェームス二世打倒運動に加わり、()めな敗北を喫した。何百人もの軍人が処刑され、死体は公衆の面前に曝された。デフォーは何とかこの処刑を免れたが、何年も社交界から遠ざけられた。

 ある時は首相の協力者になってトップレベルの政府関係者になり、時事問題に精通し、自分一人で刊行する週刊誌(後には週3 回)を9 年間、発行し続けるという快挙を成し遂げた。

robinson_crusoe_2_8.jpg ウィリアム王と友情をはぐくみ、王立の法廷においてアドバイザーになり、社会的地位を高めた。ウィリアム王の亡き後、耐え難いほどの窮地に立たされたが、アン女王に救い出された。事業も、大成功して頂点に達したかと思うと、大失敗をして生涯返却しきれない負債を背負って、何度も投獄される ( ) き目に ( ) ったりした。自業自得ではあっても、このように絶頂と絶望の繰り返される過酷な状況に振り回されて、デフォーは孤独で   んだ人間となっていった。

 イギリスの議会で勢力を持っていたグループは、国民が国教会にだけ 帰依 することを要求し、それに協調しない牧師たちは教会を追われ、財産を没収され、投獄されるという激しい迫害を受けた。これを 糾弾 するためにデフォーは「非国教徒撲滅策」という痛烈な風刺を込めた小冊子を出してロンドン中の話題になった。

 当然、時の指導者たちは烈火の如くに怒り、デフォーを3 回も「さらし台」に立たせた後、悪名高い汚水だめニューゲート刑務所に投獄したのである。デフォーは5ヶ月間、孤独と死しか見えない苦しみをめることになった。好調だった事業は破綻し、家族は飢え、ボロボロになった。まさしく、究極の「難破」だった。
獄中で泥棒や殺人者から、ロンドンの荒廃した生活の冷酷さを聞き、腐敗、不正、イギリス人の上品なうわべの下に潜む不道徳を知ることになった。
この12 年後、船の壊滅的な難破、無人島の厳しさを耐え抜くロビンソン・クルーソーの中に、自身の体験や、自分の姿を映し出して発表したのである。

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クルーソーの信仰の成長過程

 クルーソーは両親に背いて家出をし、船に乗り、嵐に逢う。「もし神のおぼしめしで命拾いしたら、父の元へ帰り、二度と船には乗らない」と決心した。ところが嵐が過ぎ去ると、また航海に出かける。冷静な判断が出来ず、押しまくる力の前に無力な自分を発見している。苦難に襲われる度に、神様の罰だと思ったり、助けて下さいと中途半端な祈りをしたりするが、嵐が去ると忘れてしまうという得手勝手な信仰である。

robinson_crusoe_2_9.jpg 遂に、無人島で暮らすという結果をもたらした呪いの船出をし、難破し、仲間と共にボートで脱出し、たった一人だけ助かって無人島に漂着した。自分の身に降りかかった不幸を呪って「絶望の島」と言ったが、その後、自分一人だけ助かったことに気が付き、天を仰いで、形式的に神に感謝をした。(※日本語で神と翻訳されている言葉は、原語(英語)では、クルーソーの神は、初めから大文字の「God」、つまり唯一神である聖書の創造主である。そして、フライデーたち、「蛮人」の神は小文字で複数形「gods」であり、「諸々の神々」と日本語に翻訳されるべき言葉である。すなわち蛇や狐など動物、あるいは石や木から人間が作ったものなど「何でもあり」である。)

 生き延びる苦労をしている時に、大麦の芽が出ているのを発見し、神の恵みに感謝し涙を流す。だが、それが難破船から持ち出した鶏の餌袋からこぼれたものに過ぎないことに気が付き、「ただrobinson_crusoe_2_12.jpgの偶然」と、一瞬にして感謝の念を失う。そして、1ヶ月少し経った頃には、安息日を守らなくなった、つまり礼拝しなくなった。

 半年経った頃、大地震に見舞われ恐怖に駆られ、「神よ、憐れんでください!」と唱えたが、地震が終わると忘れ果ててしまった。

 島での生活、8 ヶ月半目、ひどい病気になり、このまま死ぬのかもという恐れに捕らわれた。命からがら漂着し、地震や暴風雨に見舞われても、本気で主にすがる心を持たなかったクルーソーであるが、病気という死の恐怖に襲われ、初めて正気に返って主を思い出した。何とかなっている時には、創造して下さった方のことは忘れ果てるものなのだろう。祈ろうとしたが、祈り方を知らなかったと告白している。今まで開いてみようともしなかった聖書を読み、詩篇 50 篇15 節に捉えられた。

 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。

 こうして日課として聖書を読み、祈ることを身につける恵みを得たのである。漂着1 年の記念日を厳粛なものと定めて断食し、地面にひれ伏し罪を告白し、神の公正な裁きを認め、そしてイエス・キリストを通して慈悲を下さいと祈ったのである。クルーソーがこのように生まれ変わった如くに、デフォーは、さらし台後、刑務所に投げ込まれ、四面楚歌の中でこの恵みに預かったのだろう。

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 4 年目に入ると 神の言葉を真剣に研究し、神の恵みに支えられて、祈りを通して神ご自身と交わるほうが、この世の人間社会との付き合いで得られる最大の喜びよりも、ずっと良いだろうという心境に至った。

 坂道を上ったり下ったり、ぬかるみに転んだり起き上がったりして23 年、神の意思に委ねて落ち着き、神の摂理の処置の上に自分自身を全て投げ打ったと、クルーソーは思っていた。
ところが! 人食い人種が島を訪れ、捕虜を料理して食べているという現実を突きつけられ、恐怖が募り、平安は一挙に粉々に崩れ落ち、希望を追い払ってしまった。神に対する信頼は、「神が私に善くして下さった」という素晴らしい経験だけに基づいていたからであると、回顧している。自身の信仰を改めて点検し 「この方は創った時と同じ力と摂理でもって、この世界を支配しておられる」ことを確認し、真剣に神の加護に身を委ね、「野蛮人の(魔の)手から救ってください」と、熱心に祈った。

robinson_crusoe_2_14.jpg これ以上は望めない純真で、忠実なフライデーを与えられ、クルーソーは真の創造主を熱心に教えた。「その方は全能で、我々に対し何でもでき、あらゆるものを与えることも、全てを奪い取ることもできるのだ」と教え、次第に彼の目を開いたのである。

永遠の、孤独な旅人デフォー

 人生そのものが孤独という一つの普遍的な行為に過ぎないのに、どうして島での人生が孤独で、苦しいと言えるのかと、クルーソーは考える。故国に帰還するという奇蹟に恵まれながら、クルーソーは再度、漂泊の旅に出てしまう。この旅は、総括の旅、島に残した人々の信仰確認という収穫の旅、赦しの旅である。デフォーは最後に以下のようにクルーソーに言わせて、第二作を締めくくっている。

 「私は今、これまで経験したどの旅よりも長い旅に出る準備をしている。私は波乱に満ちた72 年の生涯を送ってきた。今では、隠退するということの価値も、平和に生涯の終焉 を迎えることのありがたさも充分知ることが出来たつもりである。」
 

(ご案内)この投稿内容は、CR誌39号クリエーション・リサーチ・ジャパン)に連載したものです。
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絶海の孤島で見つけた友だち 〜ロビンソン・クルーソー(1)〜
 広い世界に憧れて船乗りになり、念願の航海で暴風雨に巻き込まれて船が難破し、無人島に流れついたロビンソン・クルーソーの冒険物語に、胸ときめかした幼い日の思い出を持っている人は多いことだろう。子ども用に翻訳された冒険物語を読んで、日本人は、どのように理解し、何を記憶に留めているだろうか。

300年を経て、なお新鮮な小説

Robinson_Crusoe_1_1.jpg 1719 年、日本では徳川幕府八代将軍に吉宗が就任(1716 年)し、享保の改革が軌道に乗った頃、またその少し前、1702 年には、松尾芭蕉の紀行文集「奥の細道」が発刊された歴史の 彼方、今から300 年も昔、この大ロマン小説は発刊された。ジャーナリストとして知られていたダニエル・デフォーが、「ロビンソン・クルーソーの生涯と、奇しくも驚くべき冒険」という題をつけて、27年余の無人島生活を自分自身の体験として発表した。これが三部作のうち最も有名な第一作で、通常「ロビンソン・クルーソー漂流記」として知られている。第二作「ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険」を読む人は少なく、第三作「ロビンソン・クルーソーの反省録」に至っては、通常の図書館には所蔵されてさえいないので、手に入れるのに少し手間暇を要する。
「ロビンソン・クルーソー漂流記」は、一般的には子どものための物語だと思われている。筆者も小学4 年生の頃、「少年少女世界文学全集」で読んで以来、原作をそのまま翻訳した作品を読んだことはなかった。

Robinson_Crusoe_1_2.jpg 今回、ロビンソン・クルーソーを取り上げることにしたのは、第一に、土着の食人種間の戦いに捕虜 となり、危うく食べられる寸前であったフライデーの命を助けた後の、二人の人間関係に焦点を当てて考えてみたかったことである。土着民を初めから見下していたクルーソーの人間観・差別意識に以前から違和感を抱いていたので、今回大人として、またクリスチャンの視点で考え直してみたかったのである。
第二に、27 年間にも及ぶ無人島での生活を、精神に異常を来さずに堪えることが出来たことに関して、何故・どのようにしてという疑問があり、クルーソーの人間像、特に死生観・世界観について、作者がどのように描いているかを考察したかったのである。

筆者の記憶の中の漂流記あらすじ

 「中流階級の安定した人生を」という両親の勧めを振り切って航海に飛び出し、船が難破した。乗組員は全滅し、ロビンソン・クルーソーただ一人が無人島に打ち上げられ、九死に一生を得た。

Robinson_Crusoe_1_3.jpg 難破し見捨てた船が島近くへ流されてきたので、を作って船に出向き、様々なものを入手した。火薬や鉄砲、大工道具、筆記用具、羅針盤、望遠鏡、海図、それに航海術の本などを見つけた。また、食料や衣類など、通常船に備えられているような様々なものを手に入れた。こうして、人間が誰もいない中で生き延びるための戦いが始まる。
クルーソーは、「1659年9 月30 日、この浜に私は上陸した」と大きな柱の上にナイフで彫り付け、それを十字架の形にして、最初に上陸した海岸に立てた。この四角い柱の側面に、毎日ナイフで刻み目を付け、そして7 番目(日曜)の刻み目は他のものより長くするなどの工夫をして、カレンダーを刻み、週と、月と、年の経過を計算した。

Robinson_Crusoe_1_4.jpg 最低限の衣食住を確保することは急務であり、サバイバルのためのまじい戦いが始まった。洞穴を作り、テントを張って住む場を確保し、山羊を鉄砲でったり、海辺の亀を捕まえたりして食糧を手に入れた。船から持ってきた穀類が、土に根を張り芽を出したので、 ( ) を作って土を耕し、収穫を狙うウサギや鳥を追い払ったり、土器を焼いたり、また乾葡萄  や、パンまで作ったりした。



Robinson_Crusoe_1_5.jpg 大きな丸木舟を作り、島の中だけではなく、海の上から島の周囲を探検して回った。また、試行錯誤()して山羊を生け捕りにして牧場を作った。すべて一人で少しずつ、苦労しながら誰にも邪魔されずに、自分だけの世界を作り上げていった。

 この無人島は、蛮人たちが捕虜を殺して食べる祝宴が行われる場になっていることをクルーソーは発見して、戦々恐々とする日々が続いた。そんなある日、殺されそうになった捕虜が逃げ出して、見張っていたクルーソーの目の前にやってきたので、追っ手を討って、この捕虜を助けた。



Robinson_Crusoe_1_6.jpg クルーソーは、彼を助けた日が金曜日だったので、「フライデー」と名付けて従僕にした。フライデーは命を助けられたので、ロビンソン・クルーソーに絶大な感謝を捧げ、死ぬまで忠節を尽くすと誓った。クルーソーは文明人の生活様式や英語を教えて、自分を「マスター」(ご主人様)と呼ぶように教えた。

 そして、そして、・・・・実に様々なことがあった後に、イギリスの船との出会いがあり、クルーソーは無事に故国に帰り着いた。

漂流記の素材となった実在人物

 スコットランドの水夫、アレキサンダー・セルカークは、無人島・ファン・フェルナンデス諸島に取り残されて4 年4 ヶ月間を過ごした。彼が持っていたのは銃、火薬、大工道具、ナイフ、聖書と衣服だけであった。島には野生化した山羊の群れがいて、肉も乳も食料となった。野生の蕪(かぶら)、キャベツ、胡椒()の実も食用となった。野生化した猫を飼い慣らして一緒に暮らした。自分の感情を良い状態に保ち、また英語を忘れずにいる上で有益だと思い、しばしば聖書を拾い読みした。

 この彼の無人島生活が、ロビンソン・クルーソー漂流記の素材になったのではないかと推測されており、1966年1 月1日、セルカークが滞在した島は、公式にロビンソン・クルーソー島と改称された。

生き延びるためのクルーソーの戦い

 普通は、300 年どころか、30 年前の小説でも時代を感じさせられるものである。それなのに、何故、「ロビンソン・クルーソー」にはそれを全く感じさせない新鮮さがあるのだろう。一つには、いくら時代が過ぎても、無人島に漂着すれば、生き延びるためには原始的な方策しかないということがあるだろう。

Robinson_Crusoe_1_7.jpg 彼は星や太陽を観測して、緯度や、日時を推測している。彼は船乗りだったから出来たのであって、普通の人には出来ないだろう。筏を組んで難破船にまで辿()り着いて、船の中の物資を運び出したが、これもそんなに簡単なことではない。持ってきた布を使って帆を作り、それを操って筏を動かし、ハンモックを作ったり、着る物、帽子、傘、履物を作ったりした。
住むためにテントを作り、いるかも知れない野獣に襲われないように洞穴を工夫したり、柵で囲いを作るなど、必要に応じて知識と知恵が湧いて出てくるという感じである。手に入ったコンパスを使いこなし、十字架の形に作った板切れに、日を刻んでカレンダーを作った。
畑を耕すための鋤を作り、小麦を実らせ収穫するという一連の作業は農夫以上の技術を要する。収穫した小麦からパンを作り、水を入れるための土器を作るなど、まさしく自給自足の生活を難なくやってのける有能な人物である。次々と問題が起こるが、日記を付ける律儀さを見せ、様々な失敗もするものの、その都度解決して概ねすべてをやってのけている。

 27 歳の青年時代から約27 年ほど孤島で暮らし、初老、54 歳ぐらいに故国に帰ったということで、孤島という過酷で文明とはほど遠い環境に住みながら、年齢による体力の衰えや健康上に支障が生じたりしていない。島に上陸して少し経った頃、海ガメを食べた後に体調を崩して寝込んだという話が一回出てくるだけである。

 この冒険小説は、非常に具体的で新鮮みがあり、そして、現在文明の利器に囲まれて生きている私たちには、彼が仕遂げたそのうちの一つでも、出来ないのではないかと思わせるところが、奇妙に魅力的である。無人島で生き延びるすべを、自立して生きるすべを現代人は失っているかも知れない。そして、無事に生き延びて帰っても、社会復帰は相当困難だろう。(*注:日本の敗戦を知らず、グアム島で一人生き残っていた横井庄一さんが1972 年( 戦後26 年半) 発見され、帰国した出来事を覚えている人もおられるだろう。)

 また、27 年も孤島で暮らしていたのに、彼は帰国後、善良な友人や幸運に恵まれ財産を得て悠々自適の生活を再開し、しかも結婚して子供にも恵まれている。この54歳のロビンソンは、老齢による衰えを全然感じさせない。どころか、また懲りずにどこかに旅に出た。その続編をいずれ書くという予告をしてこの小説は終わっている。

孤島で見つけた友だち、慰め

 孤島での27 年間を支えた物質的な側面を、作者は工夫して綿密に描いており、その一端を垣間見てきた。さて、人間が完全な孤独にどれくらい耐えられるのか分からないが、デフォーは限界はそんなに高くないとみなした。それで、クルーソーに次々と解決すべき簡単な演習問題を与えると同時に、心を慰める様々な「友だち」を与えるという心憎いばかりの演出をしている。

 クルーソーは、流れついた島を当初、「『絶望の島』と呼ぶことにした」と日記に記している。それが、日を追うにつれ、様々に変化していくのである。
船で見つけたペンやインクがどれくらい心に慰めを与えたかは不明であるが、律儀に日記を記しているということは、相当な慰めを与えるものであっただろう。また、聖書を3 冊発見しているが、無人島で生活することを余儀なくされていたこともあり、クルーソーを生ぬるい信者の状態から抜け出させ、自立した信仰者、一人前のキリスト者へと成長させるための一助となった。この点については、次号にて詳細に紹介する。
Robinson_Crusoe_1_8.jpg クルーソーの大切な友だちになったのは、船に乗せられていた一匹の犬と二匹の猫で、嵐の中を生き延びていて、筏で辿り着いたクルーソーを出迎えてくれた。犬は、自分で船から海へ飛び降りて、泳いでクルーソーの所へやって来た。その後何年も忠実なしもべとなったが、クルーソーは犬に何か用を果たさせるつもりはなかった。唯一望んだことは、犬が話しかけてくれることだったが、「それは無理というものであろう」と、クルーソーは日記に記している。

 クルーソーは島の北西部へ旅をして、気持ちよく広々と開けた草原は草花で飾られ、とても美しい木々に満ちあふれていることを発見した。そこに沢山いた若いオウムを一羽、棒で叩き落として息を吹き返したところを家へと連れ帰った。クルーソーはこのオウムに言葉を教え込んで、ポルと名前を付け、大切な家族の一員に加えた。
Robinson_Crusoe_1_9.jpg クルーソーがくたびれ果てて眠っていると、ポルはクルーソーの顔にくちばしを近づけ、「哀れなロビン・クルーソー! お前はどこにいるのだ?どこへ行っていたのだ?どうしてここへ来たのだ?」と、教えた通り話したりした。
こうして、クルーソーはこの孤島に辿り着いて2 年の間に、楽しい我が家を形成することが出来たのである。

 孤島での独りぼっちの生活は、こうして実に25 年目に入って、作者はフライデーとの出会いという素晴らしい演出をしてのけた。救出直後、フライデーが最初に何か話しかけた時、クルーソーにはそれを理解することはできなかったが、その声はクルーソーの耳にとても心地よく響いた。というのもそれは自分自身の声を除けば、この25年間で耳にした最初の人間の声だったからであると、デフォーは描写している。嬉しいという表現では伝えきれない激しい感情の躍動は、このようにしか表現できなかったということだろう。

ロビンソン・クルーソー漂流記の主題

 今回、子ども用ではなく、原著を翻訳した作品を読んで、びっくり仰天、青天の霹靂()の思いを味わうことになった。クルーソーがクリスチャンであることがしっかり描かれていることなど記憶の片隅にさえ留まっていない。昔、読んだのは幼い小学生時代であったことを割り引くとしても、書かれていることを全く読めていなかったことを発見して愕然()としたのである。
 次回、彼の霊的、精神的内面、孤島でどのようにクルーソーが成長していったか、デフォーが極めて巧妙に小説という描き方をしながら、自叙伝として本当に意図したことを探りたいと思う。
 

(ご案内)この投稿内容は、CR誌38号クリエーション・リサーチ・ジャパン)に連載したものです。
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赤い靴
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機テ枯辰寮こ

 「かちかち山」「浦島太郎」など日本の民話、あるいは「白雪姫」「裸の王様」など西洋の物語などの数々を、幼い日に読んでもらって聴き、あるいは自分で読んだりして親しんだ童話を、懐かしく思い出す人も多いだろう。

 童話は、民話、伝説、神話、寓話などを子ども向けに書き換え、或いは編纂(へんさん)したものである。今回取り上げるアンデルセン童話のように創作されたものもある。童話は確かに「童話」ではあるけれども、大人が読んでも味わい深く、新しい発見があったり、また人生の深い機微(きび)を伝えるものも少なくはない。

 なかでもデンマークの代表的な童話作家・詩人であるアンデルセン童話は、幻想に彩(いどろ)られた美しい作品が多く、また教訓がひっそりと秘められている以上に、人生を、いのちの深みを考えさせられる作品が多い。

供ゥ魯鵐后Εリスチャン・アンデルセン

 ―仗函ξ梢

akai_kutsu1.jpg 1805 年4 月2 日にデンマーク、フュン島の都市オーデンセで、病気で貧しい22 歳の靴屋の父と数歳年上で、教育はないが信仰心の篤(あつ)い母親との間に産まれ、1875年8 月4 日肝臓癌で死去、 70 歳であった。

 数多くの作品は大きな評価を受け、有名になり、知識人として処遇された。その死は多くの人々に哀悼(あいとう)され、国葬として鄭重(ていちょう)に葬られた。


    詩人・童話作家としての生涯

akai_kutsu2.jpg アンデルセンは何度も自伝を書いているが、最初の自伝は「私の生涯は波瀾に富んだ幸福な一生であった。それはさながら一編の美しいメルヘンである」という有名な冒頭から始まる。しかし、実は、貧困の中に育ち、正規の教育も受けられず、有名になった後も収入は少なく、また下層階級の出身であるための精神的、経済的苦労に翻弄(ほんろう)された生涯であった。

 1835 年に出版された「即興詩人」は、発表当時かなりの反響を呼び、アンデルセンの出世作となった。1057の全著作のうち、童話は156 篇である。アンデルセンの童話はグリム兄弟のような民族説話の影響はなく、創作童話が多い。

akai_kutsu3.jpg 童話には彼自身の実体験が織り込まれ、内面の真実を赤裸々に伝える創意を凝らした作品の中に、彼の自画像が描かれている。美しい白鳥となった醜いアヒルの子、愛を貫いて泡となった人魚姫、マッチのほのかな光の中で真の安息に導かれたマッチ売りの少女、自らの両足を切断してもらうことで、やっと醜い虚栄心・歪(ゆが)んだ自己顕示欲から解放された赤い靴の少女、これらがアンデルセンの自画像の断片である。

 したがって、アンデルセンの投影として彼の童話を語るときに、彼の辿った人生の光と影を語らずに作品を語ることは困難であるが、紙面が限られているので、それは後の機会に委ねる。

掘ァ屬澆砲いアヒルの子」

 アヒルの母鳥は、卵から孵った群の中に我が子とは思えない醜いひな鳥が一羽混じっていることに気がついた。このひな鳥は自分たちに似ていないという理由できょうだいに苛められる。(*1)

 akai_kutsu4.jpg周りの苛めに耐えられなくなったひな鳥は逃げ出すが、どこへ行っても苛められ、辛い一冬を過ごす。そして、生きることに疲れ果て、殺してもらおうと白鳥の住む池に辿り着く。しかし、いつの間にか成鳥になっていて、自分はアヒルではなく美しい白鳥であったことに初めて気付く。

 アンデルセン自身は当初、役者やオペラ歌手を目指したが芽が出ず、その後、作家として優れた業績を上げて認められたが、極貧の下層階級の出身であるために、最後まで上流階級の一員には入れてもらえなかった。アンデルセン自身の生活と心の葛藤(かっとう)を、アヒルの子に投影していると思われる。

 異質のものを認めない人間の意識を描き、母鳥にさえ疎(うと)まれ、鶏も人間の少女も醜いと言って苛める。野ガモは醜くても実害がないならまぁ良いよと寛大であるが、「結婚さえしなければ」と、仲間にすることは拒絶する。アンデルセンの体験そのままである。犬に噛み付かれず難を逃れたことまで、犬にまで嫌われたので噛み付かれなかったのだと、ひがみ根性を増幅する材料になっているのは、人間の本性を描き得ている。

 醜いアヒルの子を最後には美しい白鳥にしてしまう結末に不満を漏らす人もいる。結局は白鳥でなければダメだと言っているのではないか、と。しかし、かつての醜いアヒルの子は、 「とてもとても幸福でした。でも、少しも威張ったりはしませんでした。心の素直な者は、決して、威張ったりはしないものなのです。」と、作者は結んでいるのである。

 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。       
マタイの福音書5 章3, 8 節


検ァ嵜裕姫」

 嵐に遭い難破した船から溺死寸前の美しい人間の王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。人魚姫は魔女の力を借りて、魚の尻尾の代わりに人間の脚を得ることができたが、その代償として舌を切りとられ、声を失う。愛する王子の前で踊ることができても、一足ごとに鋭い剣で突き刺されるような激痛が全身を襲った。

akai_kutsu5.jpg 声を失ったので、胸の思いを伝えることもできない。やがて王子は他の娘との結婚が決まり、人間の愛を得られなかった人魚姫は、水の泡になって消えていく約束である。

 姫の姉たちは、自分たちの美しい髪と引き換えに海の魔女から短剣を手に入れた。その短剣で王子を刺せば、王子の血で人魚の姿に戻れるという伝言を持って、姫を助けに来たのである。しかし、愛する王子を殺すことの出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡となり、空気の精となって天国へ昇っていった。

 失恋という<男 vs 女>の乖離(かいり)に派生して<体 vs 心><人間 vs 人魚><地上 vs 海底>、そして<善 vs 悪>など様々な次元の乖離が描かれている。アンデルセンの私的な世界やナルシズムを昇華して、人間の引き裂かれた魂の姿を、限りなく透明な文学的表現として伝えている気がする。

 人魚姫は純粋に心だけの透明な存在になって、天空を漂いながら善行を積むことになる。泡になっておしまいではなく、三百年後の将来、彼女の初志、不死の魂の獲得が貫徹されるという希望が描かれており、そこに救いがある。三百年という歳月は、永遠の救いの視点からすれば、一瞬の時間にも紛う時間であるだろう。

后ァ屮泪奪素笋蠅両女」*注

 大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。家の貧しさと父親の暴力のせいで、少女は惨めだった。マッチをすべて売り切るまでは家には帰れない。しかし、人々は年の瀬の慌ただしさから、少女には目もくれずに通り過ぎていった。
(*注 十九世紀半ば、マッチは魔法の文明の光を意味していた。東南アジア諸国で、少年少女が混み合う車の間をかいくぐって、タバコを一本ずつ売って生活を凌(しの)いでいる姿と、相通じるものがある。)

akai_kutsu6.jpg 夜も更け、少女は寒さのために凍え死にそうであった。少しでも暖まろうとマッチに火を点けた。マッチの炎と共に、暖かいストーブや七面鳥などのご馳走、クリスマスツリーなどの幻影が一つまた一つと現れ、炎が消えると幻影も消えた。

 akai_kutsu7.jpg流れ星が流れた。可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言ったことを少女は思いだした。次のマッチを擦ると、その祖母の幻影が現れた。炎が消えると、祖母も消えてしまうと思い、少女は持っていたマッチすべてに火を点けた。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

 新しい年の朝、マッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑えんでいる少女の小さな屍(しかばね)を、町の人々は発見した。

 永遠の国を知らない人には、あまりにもかわいそうで惨めな少女の一生に思えて、思わず涙するかも知れない。しかし、少女は幸せそうに微笑んでいたのであり、クリスチャンであったアンデルセンは永遠の救いを描いたのである。

 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
マタイの福音書16 章26 節

経済的に恵まれない少女時代を送った母親をモデルに作った作品だと言われている。

此ァ崟屬しぁ

 美しい少女カレンはたった一人の家族である母親と住んでいた。非常に貧乏なため、夏は裸足で、冬は大きな木靴を履いていたので、小さな足の甲は真っ赤に腫(は)れていた。

 その母親が亡くなり、埋葬の日にカレンは近所の靴屋が作ってくれた粗末な、しかし真っ赤な靴を履いていた。これ一足しか靴を持っていなかったので仕方がなかったのだ。彼女の哀れな姿を見たお金持ちの婦人が、カレンを引き取り、こうして、大きな屋敷で驚くほど豊かな暮らしがカレンに始まった。

akai_kutsu8.jpg この幸運を、生まれて初めて履いた赤い靴のおかげだと、カレンは錯覚した。しかし、奥様はこの赤い靴を捨てさせてしまった…が、カレンは、上等の赤い靴をその代替え品のように手に入れてしまったのである。

 こうして、可愛い赤い靴を通して、人々の注目を浴びたいというナルシズムにカレンは見事に囚われてしまったのである。教会で堅信礼(*2) を受ける時にも赤い靴を履いていき、周囲の咎める眼差しを称賛の目だと誤解してしまった。人々の称賛に酔い、自分の意志を制御することが出来なくなって、奥様に叱られても、カレンは赤い靴を片時も忘れることが出来なくなり、彼女の心は赤い靴に支配されてしまった。

 やがて年老いた奥様が病気で床に伏せてもカレンは看病をせず、赤い靴を履いて舞踏会に出かけてしまった。

 舞踏会に向かう道すがら、カレンの足は勝手に踊り始め、彼女の意志を無視して町外れの暗い森に、そして薄気味の悪い墓地へと連れていった。虚栄心に取り憑(つ)かれ乱心したカレンの足に赤い靴は食いついて、脱ぐことが出来なくなってしまった。カレンが自分のものにしたと思った赤い靴が、逆にカレンを捕虜(ほりょ)にしてしまったのである。カレンは赤い靴に操られ、踊りをやめることが出来ず、いばらの森や冷たい川や荒れ野に踏み込んでしまった。

 カレンは傷つき血を流し、身も心もボロボロになって踊り続け、彷徨(さまよ)って、そして、遂に首切り役人の住む野中の一軒家に辿り着いた。カレンが取れる唯一の道は、足と共に靴を斧で切り離すことだけだった。アンデルセンはもちろん次のキリストの御言葉を熟知していたはずである。そして、カレンに御言葉の実践を促し、足を切り離してでも救いの道へと導いたのである。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。    
 マルコの福音書9 章43 〜 47 節

akai_kutsu9.jpg この御言葉をキリストが本気で言われたわけがないというのが、多くのクリスチャンの見解であるようである。しかし、アンデルセンはそうは思っていなかった。キリストの言われた通りに足を切り離すことにより、その後、紆余曲折(うよきょくせつ)はあるが、最終的に心身共に救いの道に入ることが出来たのである。

 八百万の異教の「神々」は、今も生きている。「クリスチャン」という外面の背後に潜み隠れて、人々の心のあり方、そして生き方に影響を及ぼしている。キリスト者は、目に見えても見えなくても、各人各様の「赤い靴」を履いていないだろうか。人の目に明らかな状況ではなくても、赤い靴が脱げなくなり、囚われの身になっているのさえ気がつかないで、踊り続けていないだろうか。

 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
ガラテヤ人への手紙6 章7,8 節




*1 写真を除き、イラストはすべて坂井陽子さんによる。 
*2 教派によって堅信の概念・方法はかなり異なるが、洗礼と区別されること、洗礼後に受けることによって聖餐(領聖・聖体拝領)に参与する資格が信徒に与えられる。


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初恋の人
  (ご案内)この投稿内容は、CR誌(クリエーション・リサーチ・ジャパン)に連載したものです。



幼い日の甘い思い出

 
  いのちなき砂のかなしさよ
  さらさらと
  握れば指のあひだより落つ。

 

 もうすでに60年も昔のことである。小学校5年、いや6年生になっていたかも知れない。夢多き文学少女であった私は一人の詩人に出会った。彼の短歌・詩は幼い私の心を鷲づかみにし、私は身も心もすっかり吸い取られて、思春期の多感な胸が引き裂かれるほどの恋心を募らせた。彼の短歌、詩にむしゃぶりつき、日記、評論、小説、そして短か過ぎた生涯についても、彼のすべてを知りたいと、次々と読みあさった。

hatsukoi_no_hito_1.jpg この優れた詩人、啄木の最後の数年は無残な、荒んだ生活であった。友人から借金し、勤めに出かける電車賃もないような困窮生活の中にいるのに売春婦のもとに通う。家庭にあっては封建的で我が儘、自己中心極まりない夫である。幼い私が何故、「赦せない不真面目な人間」と、反発や、嫌悪感を覚えなかったのか、今以て不思議である。
 彼の短歌、詩の中にその答えが秘められていたような気がする。全身全霊でいのちを生きていた詩人のがむしゃらな本気、真実、清らかで温かないのちが漲っていた。そのような啄木に私は恋い焦がれたのであろう。
 冒頭の短歌の心を、幼い私がどのように汲み取れたか怪しいものであるが、それでも、砂を握りしめると、さらさらと指の間からこぼれ落ちてしまう頼りない存在を歌った心は、そのまま思春期の私自身であった。永遠の叙情を謳い上げた痛哭の詩人、永遠の青年である啄木の短歌は、多くの人々の痛んだ心を慰め、癒しを与えるようである。

  砂山の砂に腹這ひ
  初恋の
  いたみを遠くおもひ出づる日


詩人として生まれ、生きた

 石川啄木を知らない方々のために簡単に紹介しておこう。本名、石川一、明治時代の歌人・詩人・評論家で、1886 年(明治19 年)生まれ、1912 年、26歳の若さで肺結核で死去した。当時はまだ抗生物質による治療法が知られておらず、一家は肺結核という病魔に魅入られて、母、妻、姉、そして子どもたちが次々と犠牲になった。

 今回の東北大震災の被災地、岩手県岩手郡(現在盛岡市玉山村)の寺の住職の長男として生まれ、両親に溺愛されて育った。当時、寺の住職は村の貴族であり、その秘蔵っ子は幼くして神童と言われるほどの天才であった。盛岡の中学(現在の高校) へ進学するという、上流階級の子弟だけに許される特別待遇の中で、何不自由なく育ったのである。そして、中学でも天才の誉れ高く、逸材ぶりを発揮した。成人に達する直前まで豊かな生活をして、それが啄木を作り上げたのである。

  そのかみの神童の名の
  かなしさよ
  ふるさとに来て泣くはそのこと

 啄木自身も自分の類い希な才能と、詩人として生まれたことを充分認識しており、それが故に生じた才走った傲慢な振る舞いをも自覚していた。多数残っている啄木の写真はいずれも、貴公子のような凛とした雰囲気を漂わすものばかりであるのも、こうした生い立ちを反映しているのであろう。極貧に喘ぎ、家族の問題に苦しみ、遊蕩に溺れて荒んだ生活臭や印象を伝えるような写真は見つからないのである。
 啄木は短歌を三行書きにするという独自の境地を確立したが、奇を衒って三行書きにしたのではなく、彼にあっては短歌は『詩』そのものであった。啄木は言葉の真の意味での詩人だったのである。

hatsukoi_no_hito_2.jpg
 
 

 啄
木の短歌・詩・評論を高く評価し、心から愛する人々がいる一方で、彼の生き様を完膚無きまで貶す人々もいる。
 若くして激しい恋をし、周囲の人々に助けられて19 歳という若さで結婚しておきながら、浮気をしたり、遊郭に通ったりする。友人たちが窮状を見かねて工面してくれたお金を、遊蕩に
使い果たして、寝具まで質に入れなければならないようなことをする。中学で天才の名をほしいままにして、そして中退して上京する。一応定職について安定した収入が得られるようになっても、それを大事にしない。極貧の中から脱出できたはずだと手厳しい非難を浴びせる人々は、次の短歌も「ウソ」に思えるのだろう。

  はたらけど
  はたらけど猶わが生活楽にならざり
  ぢっと手を見る

 しかし、10代最後の日々から26歳で死ぬまでの数年間、極貧の中を生きたので、この歌は彼の真実であり、だから人々に訴える力を持つのであろう。貧困に喘ぐ人々の生活感との間に一分の隙も無い。生活に密着した啄木の短歌は、人々の心にしみ通る共感を呼び、啄木が生まれ育った岩手県の各地や、啄木が放浪した北海道の各地に数多くの歌碑が建てられている。


愛され、愛した

 
hatsukoi_no_hito_3.jpg啄木は生活者としてはほとんど破綻していた。家族、特に妻に、そして友人、知人など周囲の多くの人々に甚大な迷惑を及ぼした。人々に見捨てられても仕方がないと思われる。しかし、家族も友人たちも見捨てず、親身になって面倒を見たのは、人に甘えることが出来、愛される天賦の才があったのであろうか? 一方、啄木自身もまた、これらの人々を愛し、心に掛け、面倒を見ていたことも記録に残っている。
 啄木のことを多少とも知っている人は、文学者、アイヌ研究の第一人者金田一京助と義弟・宮崎郁雨の二人が親身も及ばぬ面倒を見たことを忘れないだろう。金田一京助が家財を売って用立てたのに、啄木はそれを浅草で遊興に費やしたので、息子の春彦は幼心に石川啄木は石川五右衛門の子孫ではないかと疑ったことがあるという。他にも交友を持った有名人は、与謝野寛、晶子を始め多数の文壇関係者があり、また郷里の人、学校の友人など大勢の知己を数えることが出来る。


いのちを愛した利己主義者

「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない。・・・おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何より可愛から歌を作る。( 「一利己主義者と友人との対話」、文芸雑誌『創作』、1910.11.1. 24 歳)


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 当時、一流の歌人であっても、文学で生活は成り立たず、歌と生活とは切り離さなければならなかった。 「詩人として生まれてきた」と言った啄木にとっては、詩・文学はいのちそのものであった。詩と生活とが密着していたので、人々の心を打つ詩が生まれてきたのであろう。詩人・芸術家としてぎりぎりのいのちを啄木は生きて、その生活を、<いのちの一秒>を謳ったのである。
 まれに見る天賦の才だけでは生活が成り立たず、また、そこに安住できず苦しみ回って短い生涯を生きた啄木は、いのちをすり減らして燃え尽きたのである。

  こころよく
  我にはたらく仕事あれ
  それを仕遂げて死なむと思ふ

 人間の心の奥底に渦巻いている悲しみ、明確に自覚は出来ないもののドロドロした不思議な感情、内側に巣くう罪を鋭くえぐり出している。啄木は聖書を相当読んでいたこともあり、アダムの罪をはっきり認識していたのかも知れない。

  その膝に枕しつつも
  我がこころ
  思いしはみな我のことなり

  かなしきは
  飽くなき利己の一念を
  持てあましたる男にありけり


ヒューマニスト・社会主義者?

hatsukoi_no_hito_5.jpg 啄木の履歴書の名前の肩書きに「平民」と書かれていることに気がつかれただろうか。江戸時代の身分制度が廃止され、四民平等の政策が採用された。しかし、支配階層には皇族・華族・士族の称号が付与され、農民・町民は平民とされて戸籍に明記され、四民平等とは名ばかりであった。
 その後、この身分が形だけ二本線で消された時期があり、完全に書き換えられたのは第二次大戦後、それも相当の年数を経てからであった。

 独歩は霊魂を信じていたが予は確固たる唯物論者であると・・・ (1911 年2 月)

 啄木は自分を「唯物論者・社会主義者」と擬しているが、本当のところ何を意味していたか、分からない部分もある。ともあれ、啄木の心は社会の弱い人々の心に寄り添っていたようである。

 要するに社会主義は、・・・労働者乃ち最下級の人民を資本家から解放して、本来の自由を与えむとする運動で、・・・一切の人間を生活の不条理なる苦痛から解放することを理想とせねばならぬ。(1908.1 21 歳)

  百姓の多くは酒をやめしといふ。
  もっと困らば、
  何をやめるらむ。

 文明の暴力はその発明したる利器を利用して・・・良民の汗を絞って安楽に威張って暮らして行く官人を見、神から与へられた義務を尽さずにも生きる事の出来る幾多の例証を見た。かくて美しい心は死ぬ、清浄は腐れる、美風は荒される、遂に故郷は滅びる。(1906.3.6. 20 歳)

 人間の最後の発見は、人間それ自身がちっともえらくなかったということだ!(1909.4.7. 23 歳)

  人といふ人のこころに
  一人づつ囚人がゐて
  うめくかなしさ


キリスト教・妹三浦光子そして賀川豊彦

啄木より二歳年下であった妹光子は、啄木の我が儘の被害者であり、一番喧嘩した間柄であったが、同時に一番仲良しであった。啄木と同じく頭がよく、高等小学校を卒業すると盛岡市に出て、カトリックの名門校である私立盛岡女学校に入学した。その時「これを読め」と啄木から黒い表紙の聖書を手渡されたそうである。
光子はその後、1907 年10 月に洗礼を受けて後、神学校に入学した。1912 年、聖公会の伝道師となった。1964 年「兄啄木の思い出」を理論社より出版した。「私は誰にも気がねなしに小樽メソジスト教会で洗礼を受けた。」と書かれている。

  クリストを人なりといへば、
  妹の眼がかなしくも、
  われをあはれむ。

 啄木は妹が信じているキリスト教をからかったり、無視したり、議論したりした。「大のキリスト教嫌い」と妹は兄を憐れみ、一方啄木は、「妹は天國があると信じてゐる、悲しくもさう信じてゐる。」と日記に書いている。別の日の日記では、下のように教会批判を展開している。


 いかめしい教会が到る処に立てられて宗教の真の信仰が段々死んだではないか。法律が完成して罪悪が益々巧妙になったではないか。外界の進歩は常に内心の退歩だ。(1906.3.6. 21 歳)

 光子が後に結婚し、共に伝道者として働くことになる三浦清一は、1915 年、20 歳で受洗した。1921 年、神戸の貧民窟で奉仕中の賀川豊彦を光子と共に訪ね、信仰復興の道を示される。三浦清一は1922 年に福岡神学校を卒業し、すぐ光子と結婚。伝道師として阿蘇に赴任した。1941 年12 月、治安維持法の疑いで逮捕され、6ヵ月間獄に繋がれた。当時の社会は混血に対する差別が強く、教団や牧師の仲間から見放されて孤立し、清一は路線変更を強いられた。

hatsukoi_no_hito_6.jpg 1942 年12 月、三浦一家は上京し、賀川豊彦のもとに身を寄せた。1944 年、賀川の社会事業の一つである非行少女の更生施設「神戸愛隣館」の館長となった。1960 年4 月に賀川豊彦が召天するまで、夫妻は様々な面で賀川豊彦との交わりがあった。
 1945 年11 月、日本社会党が結成され、清一は入党し、1951 年から三期、兵庫県議会議員として活躍し、青年男女の心を捉えた。 1962 年、清一が死亡し、その葬儀には、教会堂の周りに数多くの赤旗が立つという、異様な風景が見られた。葬儀が終わり、出棺の時に、清一の棺に党旗の赤旗を掛けて敬意を表したいと社会党から申し出があった。
 戦中戦後を通じて聖公会の忠実な信徒であった光子は、「三浦は死んで、一人の信仰者として神様の許に戻るのですから、この世的な一切の絆を外していただきたいのです」と、きっぱりと断った。
 清一の死後、光子が館長に就任し、よく働いて1968年、80 歳で召天した。
 啄木は光子を初めとして福音を聞く恵まれた環境にいて聖書も読んでいたが、残念ながら信仰に至らなかったようである。

  神有りと言張る友を
  説きふせし
  かの路傍の栗の樹の下

  神様と議論して泣きし――
  あの夢よ!
  四日ばかりも前の朝なりし。



参考文献:
啄木全集、全17 巻、岩波書店(1951)
啄木を繞る人々 吉田弧羊著 改造社(1929)
若き石川啄木ーその作品と思想ー 岡 邦夫 文理書院(1960)
人物叢書 石川啄木 岩城之徳著 吉川弘文館(1961)
石川啄木 日本文学アルバム 筑摩書房(1955)
羊の闘い 三浦清一牧師とその時代 藤坂信子著 熊日出版(2005)
国際啄木学会 1989.12 設立  http://www.takuboku.jp/index.html



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ハンカチィーフ!ハンカチィーフ!
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この投稿内容は、以前、クリエーションリサーチ誌に連載したものです。



シェイクスピア四大悲劇の一つ「リア王」を読んだのは、多分小学校3年か4年の時だっただろうか。最も愛していたはずの末娘コーディリアの真摯な愛の表現を理解しない父、リア王の愚かさと理不尽、そして美辞麗句を散りばめたお世辞で父を騙して、財産と権力のすべてをむしり取った後に、父王や妹夫婦を虫けらのように惨殺する二人の姉たちの冷酷さに、心が煮えたぎったことを思い出す。シェイクスピア作品を読むには頭脳も心も幼く、あまり理解してはいなかっただろうが、愛という言葉の陰に蠢く(うごめく) リア王の歪んだ自己愛、利己主義、心の動きに、言葉にならぬ大きな疑問を抱いたのは事実である。

小説は何がしかの真実を伝えるために、特徴を誇張して描くという手法を採用する。シェイクスピア作品は、「リア王」のみならず、「ハムレット」や「マクベス」でも、また、ユダヤ人に対する偏見を助長するのに一役買った「ヴェニスの商人」でも、人の心の奥底に潜むものを実に巧妙で鮮やかにえぐり出し、誇張して、「人間」というものを描いている。実際の人間は、ここまで極端に愚かでも、滑稽でも、冷酷・残忍でもなく、こんなに易々と奸計に引っかかりはしない「だろう?」と、左脳は希望的観測をする。一方で、右脳をも充分楽しませ活性化させる構成と筆致で迫ってくる。人の心のありようの究極はこうなのだろうと心の内まで揺さぶられ、登場人物に思わず感情移入してしまうだけの文学的力量が凝縮された、珠玉の作品群である。

四大悲劇の一つ「オセロ」は、シェイクスピア作品の中ではあまり知られていないかもしれない。主人公のオセロはムーア人でヴェニスの貴族、キプロスの軍隊の指揮官である。ムーア人は北西アフリカの肌の黒いイスラム教徒の呼称であり、シェイクスピア時代のイギリス文学においては一般に蔑視され、悪役として描かれることが多かったようである。が、そのような時代背景の中で、珍しいことに色の黒いムーア人オセロには多少同情的で、オセロの部下である色の白いイアーゴは、救いがたい悪の権化として描かれている。

社会の混乱に困り果てた米国は、大統領候補に女性を選ぶか、黒人を選ぶか、前代未聞の選択を迫られた! そして、大統領選挙では差別意識を乗り越えて黒人の勝利となった。米国の大統領選を巡って、人間の様々な姿が映し出された。二十一世紀になってさえ、人種差別も女性差別も脈々と生き続けているということ、アメリカ人のような先駆者精神に富んだ国民でさえ、人間というものは本質的には「今まで通り」が好きな保守的な生き物であるということ、そして、あれだけ大変な社会情勢にならなければ、差別意識に打ち勝つ重大な選択ができなかったということを露呈したことである。

さて、ムーア人である誇りと、黒人である劣等感を併せ持っていたオセロは、不釣り合いに格式の高い家族の出身で肌の透き通るほど白く美しいデズデモーナを、遂に妻として射止めた。彼女がオセロを心から愛していたので、父の反対を押し切ることが出来たのである。舞台設定は、黒人蔑視が当たり前で、デズデモーナの父が、「娘が黒い胸に飛びこんでいくはずがない、オセロがたぶらかした」などと、平然と言ってのけることが出来た社会だったのだけれども。

オセロの旗手イアーゴは、同輩キャシオが自分より先に昇進したことを妬んで陥れるために、デズデモーナがキャシオと浮気をしているとオセロに密告する。オセロがデズデモーナに贈ったハンカチをイアーゴは盗んでキャシオの部屋にこっそり置いておき、浮気の証拠であると騙す。なんと、オセロはイアーゴの奸計にまんまと引っかかってしまい、妻デズデモーナを殺し、自身も自殺する。キャシオも殺され、イアーゴの妻のエミリアも夫に殺され、イアーゴは悪事が発覚して捕縛されて、最も厳しい処刑をされる。こうして、皆殺しという、残酷な結末である。

私がこの作品に最初に接したのは、舞台で演じられたものをイギリスBBC放送がテレビで放映したもので、多分1970年代半ば、30年以上も昔のことだが、俳優たちの迫真の演技の映像や言葉が、瞼や耳の奥に鮮やかに甦ってくる。

イアーゴは優秀な頭脳をフル回転して計画を練り、全エネルギーを集中して、執念深く一歩一歩確実に相手を追いつめていく。利用できるものは全て利用し、邪魔なら妻さえ殺してしまう非情さなど、徹底的に醜い人物像である。イアーゴを演じた俳優の演技は抜群であった。彼の中に渦巻く嫉妬、憎悪、復讐心、奸計を巡らす頭の良さと心の醜さを余すことなく演じていた。

一方、まるで子どものように騙されるオセロの精神状態は、疑り深い性質、激しい嫉妬心、間違った劣等感と自己憐憫、妻を愛していたのではなく歪んだ自己愛という複雑な素因を抱え込んでいた。美しい妻が、こともあろうに自分の副官と浮気をした!? 自分が贈ったハンカチが、副官の部屋に落ちていたのが、何よりの証拠である! 赦せない!

「ハンカチィーフ ! ハンカチィーフ ! …」、「ハンカチィーフ ! ハンカチィーフ ! ……」

凄まじい形相をして、ガラガラ声で絶叫して回るオセロの姿! 嫉妬に狂い、無惨に傷ついた心を持てあまし、常軌を逸した見苦しい心を映し出す声が舞台いっぱいに響き渡る。

オセロ.jpg吹けば飛びそうな証拠とも言えないものに振り回され、疑心暗鬼、嫉妬と劣等感の塊になって狂ったオセロは、「信じたい、いや、信じたくない」という錯綜した心理状態に陥り、悪魔に魅入られたイアーゴに食い込まれる。信じてはならない人を信じて簡単に騙され、一番信じるべき人を信じることができず人の本質を見抜けない。罠に嵌る時というのは実際、こんなにも簡単に惑わされて人の口や噂で翻弄されてしまうのである。

シェイクスピアが描き出したこれらの人物の中に、アダムから延々と引き継がれ、増幅されてきた罪の果実、創造主を敬わない人間中心主義思想、我が儘・自己中心が色濃く滲み出ている。イアーゴもオセロも人間の本質の一面を見事に誇張して描かれているのであって、イアーゴは悪人、オセロは愚かな善人と決めつけるのは的外れだろう。私たち、すべての人の中に潜んでいるイアーゴやオセロ、救いがたい人間中心、自己中心が、こうしてシェイクスピアによって小気味よく誇張されて描き出されているのである。

欺かれたり、陥れられたり、自己主張が受け入れられなかったりしたときに、オセロのように、「ハンカチィーフ ! 」と大声で怒鳴り散らしたいという誘惑が心の中で蠢くことがあるだろう。言うまでもないことながら、「ハンカチィーフ」はただの象徴に過ぎない。それは、何か高価な物質であるかもしれないし、社会的な立場・地位・身分、または名誉であるかもしれない。あるいは、自我、歪んだ自尊心や、今の時代に人々が喘ぎ求めている「認められたい欲望」であるかもしれない。

オセロは何故、どちらかというと凡庸なキャシオを副官に選んだのであろうか? 有能なイアーゴを選ばなかったのは、人間としての本質に気が付いていたからであろうか?

聖書には、「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10-12)と書かれて、人間の本質が暴露されている。そして、イエス・キリストの尊い十字架の死と復活により、「恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。」(エペソ2:8, 9、新共同訳)と、オセロもイアーゴも、信仰を持ちさえすれば、神の国に入ることが出来るという約束を頂いていることが書かれているのである。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ10:13)のである。

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鏡よ!鏡!
「鏡よ! 鏡! 世界で一番美しい女性は誰でしょう?」

鏡は「あなたが一番美しい」と言うはずだと、美貌を誇っていた王妃は自信満々であった、
今までずっとそうだったのだから・・・。

kagami2.jpgああ、それなのに!  「白雪姫が一番美しい」と鏡は断言したのである。王妃の落胆、嘆き、憤怒は如何ばかりだったことか!  魔法使いの継母は、「白雪姫を森に連れて行って殺してしまえ!」と、漁師に命じたことからも明白である。魔女に二度目に殺されかけた白雪姫はただ眠っただけであり、その美しさがいささかも損なわれない姫を七人のこびと達がそばで護り、やがて白馬の王子がやって来て助け出し、若い二人が結ばれるメルヘンの世界・・・。

ドイツの民話をグリム兄弟が童話集に収載した「白雪姫」は、幼い日に絵本を読んだり、ディズニー・アニメで見たりしたことがあって誰でも知っているだろう。学芸会などで、白雪姫やハンサムな王子や愉快なこびとを演じ、あるいは、「鏡よ、鏡!」と魔女らしく呪文をたどたどしい口調で唱える練習をした楽しい思い出を持っている人もいるだろう。どんな人でも正義がなされることを心の奥底で願っているので、このような勧善懲悪の物語は人々の正義感をくすぐるのである。自分の生活とは完全に無縁であり、またあり得ない童話だから、安心して読んだり、劇を演じたり、見たり出来るのかも知れない。

しかし、実際は、「白雪姫」のみならず世界各地の民話や優れた小説は、人間の姿や、表面に出ない人の心の奥底を巧みに描写していることが多い。善と悪の両面は同じ一人の人の中に厳然と共存しているので、このようにその両側面を別人の中に強調して「善人」と「悪人」として具現し、物語に登場させているのである。kagami4.pngロバート・スティーヴンソン作の有名な「ジキルとハイド」では、二重人格(解離性同一性障害)の一人の主人公の中に同居している善人のジキルと悪人のハイドという全く異なる人格が、時と場所を巧妙に使い分けて二人の人間として行動している。現実の社会でも、これほど顕著ではないが、矛盾の塊である人間は実はジキルとハイドを併せ持っており、「建て前と本音」を使い分けることに長けている人は、二人の自分を自在に使い分けているのかも知れない。

この魔法使いが、白雪姫を殺したいと切に望みながら、確実に殺すことが出来なかったのは何故だろう? 漁師は何故、白雪姫を助けて、動物の肝臓を持っていって恐ろしい王妃を欺いたのだろう? そう言えば、ヨセフの兄たちも動物の血をヨセフの服に付けて、父親のヤコブを欺いたなぁ! そんなことは、この童話を楽しむためにはどうでも良いことだろうけれども、人の心に潜む闇、ねたみ心は何をしでかすか、想像を絶する悪事kagami1.jpgを企むものであることを見るのは、人間学として興味を掻き立てられることである。

大人になって美しくなっていく白雪姫を若々しい美と愛でて、自分に与えられた円熟の美を喜ぼうとせずに、比較して不安を感じ、鏡にお伺いをたてずにはおられなかった王妃を悲しいと思う。嫉妬に駆られた魔法使いの王妃を自分とは関係のない世界に生きている者だとあぐらをかいているのに、実は、この王妃の姿はそっくりそのまま、私たち一人一人の姿であるのだと言ったら、どのような反応が返ってくるだろう?

「鏡よ! 鏡! 日本で一番優秀な科学者は誰ですか?」、「鏡よ! 鏡! この学校で一番成績の良い学生は誰ですか?」、「鏡よ! 鏡! 一番優秀な投手は誰ですか?」、「鏡よ! 鏡! 一番強いのは、・・・」、「・・・一番上手なのは・・・」、「・・・一番・・・」、「・・・一番・・・」

私たちは、物心付いてから絶えず人との「比較」、「競争」のストレスに曝されて生きてきている。入学試験で他人と比較され、出来る方が選ばれ、駄目な方は蹴落とされるところから人生は始まり、他人と比較するための様々な試験は生涯つきまとう。人は何事においても、自分以外の誰かと常に比較され、また不思議なことに自分でも比較せずにはおれない、相対的な価値観の世界に生きているのである。そして、いつも「鏡」の評価を求めている。

人は負けるのは大嫌いである。まして、後から来た者に追い越されるのは我慢がならない。自分より高い評価を受けた相手を逆恨みして、時には卑怯な方法さえ駆使して叩きつぶそうとする生き物である・・・この魔法使いのように。また、魔法使いが鏡を叩き割って、お伺いをたてることを止めなかったように、様々な「評価者」にお伺いをたてることを止めようとはしないのである。

絶対者・全能の創造主が自分を創ってくださったことを信じる心が何故もぎ取られたのか、それは不思議としか言いようがないが、人類はこの最高の喜びを奪われた、実は自ら棄ててしまったのだ。そして、アメーバーのようなものから順番に上等になって、魚や、カエルや、トカゲや、サルなどという動物を自分たちの先祖だとする惨めな進化論を平気で信じ込むようになってしまった。創造主を否定する思想、すなわち人間中心主義から出てくるのは相対的価値観である。自分の目に入ってくる対象と常に比較せずにはおれない悲しい性質が全身に満ちており、そして自分の方が上であると思いたいし、例え自分が変わらなくても、自分の上にいる者を引きずり下ろせば、相対的に自分の方が上に行くからそれで満足してしまう。白雪姫が死にさえすれば、王妃は自分が今より美しくならなくても、一番になるのである。

kagami5.jpg「鏡よ! 鏡!」 様々な鏡に日夜問いかけている人間は、鏡が本当のことを言うのを好まない。人間は鏡の中に自分の本当の姿を見ようとしないで、目を閉じてしまうものである。・・美容院の鏡は、「美人鏡」なのだそうで、可能な限り美しく映してくれる鏡を置いて、美人でありたいという女性の自尊心をくすぐるのだそうである。嘘でも良いから、「あなたは美しい、あなたは優秀だ、あなたのほうが上だ、あなたが一番だ」と言って欲しい!

オリンピックに参加できるのは、一握りの選ばれた運動選手のみである。一人の選手の背後には、蹴落とされた何百人もの人々がいる。しかし、そのオリンピックで金メダルはそれぞれたった一人、あるいは一グループだけである。運動であれ、学問であれ、様々な分野の活動・職業であれ、もし、「一番」ということ、あるいは「優秀者」の立場に立つことが目的であるとしたら、この魔法使いのように自滅するしかない。鏡の答えが気に入らなかったときに、魔法使いの振る舞いをしようとしても、命令に従う漁師がいなかったり、自分で手を下すのが怖かったりすると、人はじっと耐えるしかない。ダーウィン・メガネを掛けるということはこういうことであり、間違った進化思想に掻き乱されて、幸せを失ってしまうのである。

もちろん、ダーウィン・メガネを掛けて相対の世界に生きている私たちは、上ばかり見ないで下も見る能力が身に染みついている。「あの人より自分の方がまし」という慰めを得て現実と妥協し、諦めるすべを体得してしまう。しかも、このメガネのおかげで、妥協や諦めの境地に自分自身を閉じこめたことに気が付きはしない、ある意味でありがたいことに。

しかし、この惨めなダーウィン・メガネを意識的にはずすと、それまで見えていなかった真実が見えてくる。人は、創造主のかたちを頂いて、それぞれが美しく創られたのである。だれ一人例外はなく、すべての人が美しく、絶対者に愛されている存在であり、美しくない人は一人もいないことが心で理解できるようになる。自分が愛されていることを全身で受けとめることができ、自分自身を美しく尊い存在であると思えるようになり、喜びに満たされて生きることが、理屈抜きに実現するのである。

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この投稿内容は、クリエーションリサーチ誌に連載した記事を元にしています。
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