「つらいとき、不安なとき立ち上がる力・健康より大切なもの」現役心臓外科医のエッセイ集

かつて夏目漱石は「とかくこの世は生きにくい」と嘆いたが、今の世の中はあの時代より、もっともっと生きにくいかも知れない。大人だけでなく、将来のある若者が、子供たちまで悩んで、そして簡単に命を投げ捨てる。心ある人々は、このように生きあぐねている人々に何とか救いの手を差し伸べたいと知恵を絞って手を差し伸べる。

 

その様な目的で多くの本が書かれるが、それが必要な人々に届かないのが残念である。ともあれ、今、悩んでいる人々に光と勇気と慰めを与える本を一冊紹介したいと思う。

 

この間、東京で開かれたセミナーで久しぶりに著者今中先生にお会いして、標題の近刊エッセー(いのちのことば社)を頂いた。「つらいとき 不安なとき立ち上がる力」「健康より大切なものがある」そして、帯封に「健康の課題に直面している方、何を食べようか何を飲もうかと思い悩む方に知ってほしい!」と訴えている。本の見開きの裏に、素晴らしい一言が添えられていた。

 

多くのことを教えてくれた 忘れえぬ患者さんたちへ

 

医者としての彼の優しさが滲み出ている一言だと思う。

著者、今中和人医学博士は、現役の心臓外科医である。臨床医であるから体が傷ついている患者の手当をしているのであるが、体の健康を損ねると大概の場合、心も病むことが多い。その時に、手当をしてくれている医者をどの程度信頼して良いのか、大抵分からない。心から信頼できる医者を探し当てた幸せな人は少ない。医学的な知識、知恵は確かか、腕は確かか、まともな人間性を持っていて医療行為を行っているかどうか・・・・今の時代、病気になったら一般庶民は不安だらけである。

 

帰りの新幹線で読み始めて、時間の経つのを忘れるほど引き込まれた。

 

「3時間待って、3分診療」と悪口を言われるほど、実は医療現場自身が、そして医者や看護師たちなど医療に携わる人々が病んでいる。医者は患者の顔を滅多に見ないでパソコンばかり眺め、カルテに記入することに精力を注ぐ。たまに患者と会話すると、患者の言うことを聞かないで自分の意見を押しつける。だから、多少体調が悪くても、素人判断以上のことを医者がしてくれる期待が薄く、ついつい病院から足が遠ざかる。そして、怪しげな民間療法が世の中でもてはやされ、サプリメント信仰が大流行で、それで大儲けをする企業がのさばっている。

 

さて、この書物、読み進むうちに、自分が病気をしたら彼に頼りたいと思った・・・とは言っても、彼は心臓外科医であり、手術を受けなければならないほどの心臓病にはなりたくはないが・・・・。患者を医者である自分と同じ赤い血の通う人間であり、上から目線ではなく生きた人間として対峙してくれる彼のような医者に自分の病を任せることが出来たらどんなに幸せだろう。

 

医者の視点から、まさしく標題の通り、体の治療ではなく、体の健康を損ねると心も弱くなっていることを本当に理解して、体と心を一体として、人間として付き合って手を差し伸べようとする医者の本音がじわじわと伝わってくる本である。

 

今健康を損ねている人も、今は健康である人も、心ある一人の医者の温かい心に触れてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「野心と医学の進歩」のため「心臓移植実験」をして二人の青年を殺した「優秀な?」外科医ー2

日本初の心臓移植・・・序文

 

先に、日本初の心臓移植について少し紹介した

1968年、今から48年昔のことであるが、明らかに人体実験以上の悪意が感じられる事件であったが、医療関係の事件は罰せられることが非常に少ない。専門知識が必要であり、しかも隠蔽体質の濃厚な医者仲間であり、互いに護り合うので、外の人間が入り込めない体質である。かくて、あの事件も不起訴になった。

 

筆者は、臓器移植に関してかなり関心を持っていたので、何冊か本を読んで多少はこの事件のことを知っていたが、こうして特別スクープとして取り上げられたのは、半世紀という時間が経ったからだろうか? 関係者は殆ど故人になってしまっているのだろう。

今回、幸いにしてこの番組を録画しておいたので、番組の内容を詳細にここで紹介したいと思う。

 

筆者は、「医療・医学」は「科学」ではなく、「医者は科学者ではない、あるいは科学者であってはならない」としばしば言及する。このように言うと、殆どの医師は嫌な顔をする。人の命を預かる医者が、何故科学者でありたがるのであろうか? 筆者には到底理解しがたい感情である。医者は人の命、一つしかないかけがえのない命を預かっているのであり、本来は失敗は絶対赦されない職業である。人の命は、何にも替え難い尊いものである。科学とは異なり、試行錯誤をしてはならないのである! 実験材料にするなど言語道断である。

 

医者と科学者は、似て非なる別の職種である。

 

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組・・・日本初の心臓移植

 

番組は、移植を受けた患者と、生きていると思われた間に心臓を奪われた青年二人は仮名で、又一人の医師も仮名であったが、それ以外の登場人物は全て実名であった。そして、証言したかつての関係者である医師は、顔を出して自分の言葉でメディアの前で語った。この部分は  で囲んで示し、その人々の語るのを聞いて、その通りをここに書き写した。

 

今回の番組を、出来るだけ番組に添って、放送された順番に、放送された通りにここに再現することにする。もとより画像はない。ネット上に写真や、画像が公開されているものがあり、ここに示した方が状況をよく説明できると思われるものが見つかったら、それはネットから拝借することにする。

 

総括天才外科医「奇跡の手術」の光と影

 

誰も触れようとしなかったタブーがある。それは48年前の心臓移植手術だった。

1968年、札幌医科大学付属病院。46歳の和田壽郎 天才胸部外科医

 

和田の発言「家族の一人が心臓を提供したと、ここに私は喜んで嬉しくて皆様にこのことを、真面目に心からご報告申し上げます。」

 

心臓を取り替えて生きている。その姿に日本中が熱狂し、新たな医療の期待を抱き、未来を見た。

 

ところが、患者が死亡すると、・・・・新聞の論調は手のひらを返したように変った。

新聞の大見出し 

 和田心臓移植の疑問点

 脳死の証明、記録無し

 生きた人間から心臓を取り出したのではないか

 心臓提供者の死亡時刻に疑問視

そして

 殺人容疑で刑事告発される・結果は嫌疑不十分で不起訴

 

心臓提供者を診た医師

  「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった。」

 記者の質問: (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

 「かなりの確率で、社会復帰できたのではないかと思う。」

 

奇跡の手術と言われた和田心臓移植、封印されてきた・・・今光が当たる

 

和田医師の受けた教育と才能

 

和田は28歳で渡米し、4年間心臓外科の技術を学ぶ

最先端の心臓外科医療を学び、帰国後まもなく35歳で札幌医大・胸部外科の教授に就任。驚異的な若さだ。

 

和田医師の部下だった小松作蔵さん(85)

「非常に優秀な人で、アイデアマンで、思いついたことをすぐ実行に移すというところが、我々とは違うなと感じてました。」

 

*実際、医療史にに残る数々の発明を残している。

  一人用高気圧酸素タンク、和田式人工肺、彼が開発した心臓の人工弁

  ワダ・カッター弁(心臓の人工弁)は、世界初の人工心臓に使われた、臨床に応用された完全埋め込み式

 

*毎日二つの手術を行う集中力、10年間の手術数は約7000件に及ぶ

 

小松作蔵さん(85)「手術の腕は最高でしたね。カリスマ的というか・・・」

 

移植手術の1ヶ月前

 

そのようなカリスマのもとに、ある患者が入院してくる。心臓の弁に障害を持つ市川さん(仮名)、当時18歳

後に、日本初の心臓移植の手術を受け、83日間生きた人物だ。

当初は、障害のある弁を、人工弁に換える手術を受ける予定だった。

 

・・・・が、あるとき、和田(当時46)がそそのかしに行く

市川(仮名)「心臓移植・・・ですか?」

 

筆者の見解・感想・・・当時、心臓移植などということは日本人だけではなく、人間の概念の中にはなかっただろうから、そのようなことを聞いても、何のことだかよく分からなかったことだろう。

 

 和田がアメリカで共に勉強した人が 世界で初めて心臓移植

 

僅か7ヶ月前に、世界で初めて、南アフリカで心臓移植手術に成功している。

世界の最先端医療である

 

執刀医:クリスチャン・バーナード、和田がアメリカ留学で、机を並べた仲だった

  1967年12月3日、交通事故により脳死状態になった24歳の女性から55歳の男性に移植

  術後18日目に肺炎で死亡

  1968年に二回目、術後19ヶ月間生存

  1983年に医師を引退するまでに、49例の心臓移植

そのニュースを知った和田は、すぐさま南アフリカまで執刀医を訪ね、心臓移植手術について議論した。

 

小松作蔵:「あいつもとうとうやったか。我々もやらなければ、という気に(和田は)なったと思う。」

 

自伝「神から与えられたメス」に、和田は次のように綴った

「世界の心臓胸部外科から取り残されまいと努力を続けてきた。」

 

心臓提供者現れる・・・救急車内で息を吹き返す

 

そんな中で出会ったのが市川さん(仮名)だった。こうして、日本初の心臓移植へと準備は整っていった。

そんなある日、8月7日(手術前日)札幌から約50km離れている小樽市・蘭島海岸で海水浴客が溺れる事故

夏休みで帰省中だった大学生吉村さん(仮名、21歳)、後に心臓を提供することになる人物である

 

駆けつけた日赤奉仕団員が救護所にいた・・・当時医大生(22歳)だった林 雄三さん(70歳)である

彼の記憶は生々しい。

「呼吸はしてない、意識もない、脈は触れない。放置すれば(死亡してしまう)という状況」

 

救助された吉村さん(仮名、当時21歳)は、生死の境をさまよっていた。

その時、救急車が揺れた、その直後、脈を回復・・・

「頸動脈の脈拍が、先に触れました」と林 雄三さん 

「状態が完全な心停止ではなく、心室細動という状態だったのが、呼吸路が出来たために、改善してきたのだと思う。」

 

吉村さんは息を吹き返したのか?

 

搬送先の病院で

搬送先の病院で治療した医師、上野冬生さん(80)(当時32歳)は、その決定的な場面に立ち会った。

 

「自発呼吸がありましたしね。血圧なんか計っても、130くらいあったし、だから(容体が)悪くなるということはあまり考えていなかった。」

 

治療開始4時間後には、瞳孔の対光反射があり、容体は安定

「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった」

 

筆者見解・感想・・・関係者であり、又、半世紀も経過しているということがあり、表現は柔らかくなっているが、彼らが診察した結果は、まさしく生きていることの証拠である。医者が脈を取るのは、心臓が動いているかどうかを診るのであり、心臓が動いているのは生きているということである。さらに、自発呼吸があった、すなわち自分で呼吸していたのである。

 

上野医師は治療を院長に引き継ぎ帰宅

 

当時の新聞記事は大きく取り上げた

「懸命の人工呼吸40分、心臓が動き出した 一度は死んだ水難大学生」

 

人の死の定義・脳死定義

 

ここで、人の死の定義と、現在の日本における脳死の判定基準を示す。

*人の死の判定基準:「死の三兆候」

  呼吸停止

  心拍停止

  瞳孔散大・対光反射消失

これが、人が死んだと医者が「臨終」を宣告する時の絶対的な基準であったし、今も基本的にはこれである。すなわち、呼吸している人、心臓が動いている人、対光反射を示す人を死んだとは言わないのである。

 

現在、臓器移植を進めるために「脳死」の定義は以下のように定められている。

「脳死」の定義:脳が永久に機能を失った状態

脳死判定基準

〇彪磴紡个垢詭吉娠性

呼吸停止

H深佑両端

で焦箸諒臣害

 

和田医師の所へ転送された密室ミステリー

 

上野冬生さん

「次の日の朝(病院へ)行きましたね

昨日の方はどうなりましたかと聞いたら、(和田医師がいる)札幌医大に送られたと」

 

二人の医師が「息を吹き返した」と証言した患者を、である。

「一度は息を吹き返した吉村さん」は、和田がいる札幌医大付属病院に送られていた。溺れたその日のうちに、午後8時5分、札幌医科大学付属病院へ搬送されていたのである。

 

札幌医大病院の闇のミステリー

 

札幌医大の治療室で待ち構えていたのは、和田を筆頭とした10人以上の胸部外科医たちだった。

ところが、わずか10分ほどで手術室へ

 

その状況を聞いた麻酔科の医師たちは・・・蘇生が必要な患者が運ばれれば、必ず呼ばれるはずだった麻酔科医の内藤裕史さん(当時、36歳)は、呼ばれなかったのである。

内藤さん(84)

「溺れた患者さんが入ったら、まず麻酔科の医者に話が来るはずで、私たちに何の連絡もなくて、手術室に溺れた患者さんが入っているのは、異常な状況だから、どうしたんだろうと思って(手術室へ)行ったんです。」

 

溺れた患者の蘇生措置は、最初に麻酔科医の気道の確保から始まる。

 

・・・筆者注:気道を確保するのは一つの技術で麻酔医が行うので、溺れた患者の蘇生措置は、当然最初に気道を確保することであるから、麻酔医が呼ばれなければならない。なのに、この時には、気道確保の措置をしなかった、つまり、助ける意志がなかったと理解されても仕方がない。大体転送する必要のない患者を札幌医大に転送したさこと自体が変であり、悪意さえ感じられる。

 

ところが、そこで麻酔科医の内藤さんが見たものは、手術の準備が進められていたことである。蘇生には本来使わないはずの免疫抑制剤などの大量の薬だった。

 

内藤「溺れた患者さんの蘇生をするときには、海水で溺れたか、真水で溺れたかで治療が変わるわけですよ。

(それを)知らなくて溺れた患者さんの蘇生が出来るのか」

 

患者である吉村さん(仮名)の胸に聴診器を当てた

「普通、溺れた患者さんだと プズプズ プズプズという音がするんだけれども 肺の音はきれいだった。

Q 心臓の音は?

「心臓はもう聞く必要なかった。

肌はピンク色で 意識が無いというだけで・・」

Q (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

「かなりの確率で社会復帰できたのではないかと思う。」

 

筆者見解:肺の音がきれいで、すでに溺れた患者の肺の状態ではなかったのである。そして、心音を聴く必要がないと医者が判断する状態で、肌がピンク色だった。これは、やがて意識を回復するだろうと予測できる状態だったのではないか? 少なくとも、「死」とはほど遠い状態だったことは議論の余地はないだろう。

 

功名心にはやる和田の人体実験か?

 

何が始まろうとしているのか理解できないままに手術室を出ると、和田から告げられたのは

「実は心臓移植をやろうと思う」午後、8時半頃

 

和田医師の主張

吉村さんの蘇生をしたが、その後容体が悪化し、午後10時10分に死亡判定したと答えている。

脳波平坦 心拍停止などを確認したことから死亡と判定した

 

そして遂に、深夜、午前2時5分 心臓移植手術を開始

 

術後順調に回復していく市川さんの姿に、メディアは殺到

和田は一躍、時の人となった。

 

偽りの光の世界から闇へ転落

 

しかし、その後容体は急変 83日目に市川さんは亡くなった。

 

すると一転

新聞記事 「和田心臓移植の疑問点」「脳死の証明、記録無し」「死亡時刻に疑惑」

和田医師は殺人容疑で刑事告発される

 

一番の争点は「正しい死亡判定は行われたか」

和田医師の主張

「瞳孔に対光反射なし 自発呼吸無し 心拍停止 脳波平坦などを確認して死亡と判定した」

死亡判定に一人の医師が大きく関わっていた

その人物は部下の胸部外科の高橋医師(仮名)

高橋医師が蘇生中に、吉村さんの容体は悪化、心電図で心停止したことを確認

脳波が平坦になったことも調べた。

それらの報告を聞き、和田は死亡判定した、と言う。

 

筆者見解:他の医師の証言とは、正反対の食い違う証言である。

 

警察は高橋医師に話を聞こうとしたが、捜査が始まる4ヶ月前にガンで亡くなっていた。

 

心臓移植は必要だったのか?

 

和田の主張

市川さんの心臓は、複数の弁が悪化していたため、一度に人工弁に換えるのは危険性が高いと判断、移植手術を勧めた。

 

筆者見解:仮に弁が悪くても、一つずつ対応する方法はあっただろう。市川さんの命を救うことを考えるなら、初めての心臓移植の危険を冒す必要はなかった。実際、オーストラリアの移植は18日で死んでおり、失敗であったと言わざるを得ないのに。

 

そこで検察は、市川さんから摘出された心臓で、どれほど弁が悪かったか確かめようとした。

すると弁は全て切り離されてしまっており、病状を詳しく調べられない状態になっていた。

これについて和田は、こう説明している。亡くなった高橋医師らが、研究のために弁をくり抜いたと証言。・・・筆者感想:「死者に口なし」である。

 

捜査はおよそ1年7ヶ月にも及んだが、捜査項目全てについて、殺人と認める十分な証拠がないとして、嫌疑不十分で、不起訴処分となった

 

和田の記者会見

「私は非常に良いことをした。出来るだけした。

人間でこれ以上のことが出来るか。これからこの手術をもっともっと

これだけプレスの人が集まらなくても 皆 拍手するように我々は努力をしていこうというふうに、何度も自分に言い聞かせております。それが その後考えていることであります。これはずっと変わっておりません」

 

その後和田が心臓移植手術をすることはなかったが、長年に亘る胸部外科医療への貢献は高く評価された。

名誉会長:日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会

名誉会員:日本呼吸器外科学会・日本人工臓器学会など

 

日本初の心臓移植

あの時和田は何を思っていたのか?

内藤裕史さん「野心と、もう一つは医学の進歩のため」

「若しかしたら助かったのかも知れないけれど、一人が犠牲になっても心臓移植の第一歩を踏み出して、その後に心臓移植がたくさんあれば、医学の進歩になるだろうと(和田は考えたと思う)」

 

その後、1997年、日本で臓器移植法が施行 

1999年 国内二例目の心臓移植手術 31年が経っていた。

 

筆者追記: 世間では、「助かる方法は臓器移植しかない、心臓移植しかない」と、まるで臓器移植をすれば助かるかの如き宣伝がされており、人々の同情により1億円以上の募金を募り、海外に出かけて移植を受けている。手術後の生存期間が、例え1年であっても、助かったと意気揚々と帰国した姿だけがマスコミに流れるので、多くの人々はだまされている。しかし、組織適合をしっかり行って、万全の準備をして移植を受けても、助かるとは限らない。もちろん、48年前の殺人のような無謀な手術とは異なり、術後の生存率は上がってはいるが、それでも、「それしか助かる方法はない」というような状況ではない。

 

筆者心臓移植適応患者の生存率について、以下の論文のデーターをご紹介する。

以下のデータをどのように考えるかは個人差があるだろう。手術しなければ、10人中3人が助からないが、他の人の心臓をもらって手術を受けても、10人中2人は助からない。

 

国際心臓・肺移植学会統計(1997年4月〜2008年10月)

    40,755人の心臓移植者 未移植患者293人

1年生存:78〜79%      70%

5年生存:64%         32%

10年生存:45%        20%

 

http://plaza.umin.ac.jp/~hearttp/PDF/2008yogo.pdf

 

http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph108.html

 

心臓を上げるドナーについては、「人にあげるために役に立つかどうか」という視点でしか論じられないことが多いが、実は、和田氏のようなひどいことをしなくても、臓器を取り出しても良いという「脳死判定」には大きな問題がある。

単純には、脳死判定が正しく行われても、’昌猗縦蠅亮蟒腓ら考えて、判定のためにこの患者を死の淵にたたせることになる。臓器を取り出されているドナーは、どうやら断末魔の苦しみを味わわされるらしい。

詳細は以下の書籍を読んでください。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「野心と医学の進歩」のため二人の青年を心臓移植の「実験」材料にして殺した「優秀な?」外科医

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組


毎年、年末になると一年を総括する様々な出来事が放映される。その一つかと思ったら、実は、世紀の大事件という特別スクープ番組の一つで、第4弾だったようであり、録画しておいた。羽田沖のJALの墜落事件、ニューヨークの9.11事件、信楽高原鉄道の満員電車の正面衝突事故等々、多くの人々が覚えている驚くほどに悲惨な大事件が次々と起こっている。その中には筆者が多少の「体験?」をした東大安田講堂事件も記録されていた。筆者は当事者というほどではなかったけれども、当時大学は荒れに荒れており、研究には大幅に邪魔が入り、そしてよもやと思った暴力事件の果てに大学は機動隊を大学に招き入れるという愚かな決断をしてしまったのであった。機動隊導入の当日、大学関係者は入れてもらえず、喫茶店で友人たちと共に安田講堂でのおぞましい「戦争」をテレビでを眺めるという情けない無力さであった。

 

日本初の心臓移植事件

 

その中に日本初の心臓移植という大事件が取り上げられていた。臓器移植に大きな関心を持っている筆者は、書物を読み、また学生たちに講義の課題の一端として臓器移植に関する人々の意識調査をさせたりして臓器移植の実態や、生と死の問題として何度も講演をしている。

 

「脳死は人の死か?」 臓器移植:医学・生物学及び聖書的問題

 

「臓器移植」講演のレジュメに、今回報道されている日本初の心臓移植について簡単に紹介しているものを下に紹介する。

 

序:日本最初の心臓移植 札幌医大の和田の心臓移植

1968年

8月7日 12:45 大学生溺れ病院へ搬送 自発呼吸あり、心拍もしっかりしていた。

     16:10 対光反射回復、顔色赤み、血圧130ー80、呼吸・心拍確実

     19:37 札幌医大へ。

8月8日 午前2:30 心臓摘出・移植

 

疑念:/澗‥出時、ドナーは生きていたのか?

   ▲疋福爾竜潴唇緡鼎賄切に行われたのか?

   レシピエントは心臓移植が本当に必要だったのか?

 

10月29日 レシピエント死去(移植後 83日) 殺人罪で刑事告訴

1972年8月14日 不起訴決定 当時脳死の概念はなかった。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」(PHP新書)

 

番組に紹介された事件の詳細は、次回紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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講演報告ー「自然葬:人間としての尊厳を全うする葬送」

「葬送の自由をすすめる会」関西支部の会員交流会

10月17日 (土)に、大阪難波市民学習センターにおいて、表記交流会が開催された。

イギリスに暫く勉強に行っていたキム・セッピョル (支部世話人)さんによって、「イギリスの自然葬の様子」の報告があった。日本で私たちが考えている自然葬とはかなり異なった考えではあるが、興味深い講演であった。
イギリスの自然葬は、火葬はしないで遺体を土葬にするという点では、イギリスやアメリカなど各国で行われている土葬と何も変わりは無いと思われた。

彼らが自然葬と名付けるのは、樹木葬であり「公園」のように樹木が一杯の場所に「土葬」するが、墓石を立てないということであるようである。そこが墓所であるという明確な指標を置かないということが本来のやり方としているようであるが、人によってはちょっとした目印を置いたり、花を飾ったり、特別な木を植えたりということのようである。彼らは火葬は自然環境を壊すという考えを持っているようで、日本のやり方は自然葬に反するという見解のようである。

日本の樹木葬は土葬ではなく、遺灰を土に還すということである。ただ、それも、墓石は立てなくても一応は墓所として確立した所に、というのが一般的であるので、墓所として遺族が「お詣り」に来る場所として定着しているのであろうか? とすると、通常の墓との差は、大きくは無い。ちなみに、本会が考える樹木葬は、どこまでも自然に還すということであり、「墓所」として定着させる意図は全く持たない。
 
筆者は、「自然葬:人間としての尊厳を全うする葬送」というタイトルで話させて戴いた。この講演の録音、スライド(PPT),会場で配布したレジュメをまとめて、筆者のサイトに掲載した。

その後、支部長から会全体のこれまでの動き、今後の計画などが丁寧に報告され、質疑応答の時間がゆっくり持たれた。
人生の締めくくりである死後の葬送について積極的に考え、行動しようとする人々の集まりであるので、死後の話であるのに前向きの人生観、前向きの生き方をしている人々の群れであることが、ひしひしと感じられた。

会終了後、懇親会として夕食を共にし、実に和やかで楽しいひとときを過ごさせて戴いた。


 
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B級戦犯として処刑された学徒出陣兵: A級戦犯の死刑は7人、B, C級戦犯の死刑は約1000人
序論:日本史・かつて日本は廃墟となった  

 「池上彰の戦争を考えるスペシャル 〜悲劇が生み出した「言葉」〜」という番組を発見して録画をしたのだが・・・どうやらこのスペシャルは、これ以前に4回あったらしく、今回でシリーズ5回目らしい。しかも、今回のこの番組は再放送らしく、8月の敗戦記念日を中心にして放送されたもののようである。確かに、戦争関連の番組は8月中旬を中心にして企画されるものである。ちなみにこの池上彰氏は非常に博学で、テレビで様々な講義を繰り広げている人気者だそうである・・・・今頃それを知った。

 日本はかつて世界大戦を戦ってボロボロになったこと、空恐ろしいB29という爆撃戦闘機がこの日本列島の上空を我が物顔に飛び回り、焼夷弾(しょういだん)や爆弾を雨あられと人々の頭上に浴びせかけたこと、その結果、東京も大阪もその他の大都市も焼け野原になったこと、大勢の非戦闘員、女性も子どもも赤ん坊も見境なく殺戮(さつりく)された・・・。現在、中東諸国の凄まじい状況をテレビで見て、日本は関係が無いと思う人もいるかも知れない。しかし、69年前に日本はあのようだった。東京・大阪・広島・長崎の惨状は、もしかしたら、もっとひどかったと思わせられるほど、語り尽くせない惨状であったのである。戦後は浮浪児が町に溢れて、惨めな姿を進駐軍の兵隊たちの前に曝さなければならなくなった日本だった。かつて日本人が飢えに苦しみ、そんなに惨めで苦しい体験をしたなどということなど露知らぬ素振りをする政治家たちは、原発事故の時に露呈したように、国民の目を逸らせて真実を知らせない隠蔽(いんぺい)体質は益々凄まじくなり、遂に「特定秘密保護法」を制定して、新たな戦争準備を始めている。

 
 明治維新から世界大戦の渦に巻き込まれるまで実は一筋の道を突き進んできた日本史を、おぼろげでも迷わず辿ることの出来る日本人は、もしかしたら余りいないのかも入れない。外国に出てみて分かったことは、日本人が(当時、筆者と同年代の若者たち)、驚いたことには日本の歴史、地理、政治、文化など、自分の国のことを知らないということであった。そのために「勉強に励む勤勉なはずの」日本人が、まことにバカに見えてしまった。池上彰の戦争を考えるスペシャルは、彼が「傍観者」の立場であっても、あるいは多少偏った見解を持っているとしても、マスコミを使って様々な情報を人々に知らせようとしている態度は評価できる。

きけ わだつみの声 

 今回は、第二次世界大戦で「学徒兵」として出陣させられ、特攻隊として、又捕虜になって飢えのために、又戦後戦犯として命を絶たれた青年たちのことに焦点を合わせることにする。戦没学徒74人の遺書や遺稿を集めた「きけ わだつみの声」(漢字で書くと、「聴け海神の声」となり、海神とは戦没学徒のことである)という本が、1949年に出版されていることは、多くの人々に知られている。しかし、それから65年、今はもう、もしかしたら知らない人の方が多いのではないかと危惧するが、戦争のために若くして非業の死を遂げた学徒兵たちのやり場のない苦悩、心の叫びを、少し紐解きたいと思う。

 この「きけ わだつみの声」の中で注目される木村久夫さんは、1942年4月京都帝国大学経済学部に入学し、その年の10月に学徒出陣、終戦翌年の1946年5月23日、シンガポールの刑務所にてB級戦犯として絞首刑になった、享年28歳。
 この本で紹介されている木村久夫さんの遺稿は獄中で愛読した「哲学通論」の余白に、「日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬのだと思えば、腹も立たない。等と書かれたものであったとされた。

 「軍隊のために犠牲になる」のは我慢ならないが、「日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬ」ことは受け容れることが出来るという、当時の泥まみれの世俗的思想に流されず、自ら国民のためなら死ねるという真っ直ぐな考え、潔さを、28歳の青年が持っていたことにびっくりする。「天皇陛下のために死ぬ」というのが、当時の指導者たちが人々の骨の髄まで叩き込んだ思想であったにもかかわらず、である。

隠されていた「わだつみの声」

 そして、実は、公になっているもの以外に、遺書がもう一通、隠されていたのが発見された。その内容が紹介されていたので、ここに書き写して紹介する。
 「戦火に死ななかった生命を今ここにおいて失って行くことは惜しみて余りある。せめて一冊の著述でも出来うるだけの時間と生命が欲しかった。(後に残る人々が)自由な社会において自由な進歩を遂げられんことを・・・地下より祈ることを楽しみとしよう。真の日本の発展はそこから始まる。凡ての物語が私の死後より始まるのは誠に悲しい。」

 「せめて一冊の著述でも出来うるだけの時間と生命が欲しかった。という悲痛な叫びに胸を打たれる。28歳の若さで上官(上官はその上官を、又その上官を、そして究極の上官は軍部の幹部、東條英機であろうか?)の罪を背負って絞首刑に処せられる。処刑30分前に記した遺言である。「せめて一冊の著述でも・・・」と、生命を奪われてしまうやりきれなさを、このように書き綴った心を思い遣らずにはおれない。そして、こうした理不尽な出来事で命を奪われてしまうようなことが、二度と起こってはならないと思う。と同時に、筆者が今までこの世に生かされてきた命、一分一秒でも、あだやおろそかに無駄に費やしてはならないと改めて思ったことである。

 さらに、痛烈な軍部批判が綴られていたために隠されていたようである。
 「日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測していた通り、やはり国を亡ぼした奴であり、凡ての虚飾を取り去れば私欲そのものの他は何ものでもなかった。軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものに他ならなかったことは反省し、全国民に平身低頭、謝罪しなければならぬ所である。」

 自分をこのような窮地に追いやり、殺されてしまうことに至った全責任は軍部にあるのだと、ただ単に怒りをぶつけているのではない。軍部が国を亡ぼしたことに怒りを覚え、軍部の何たるかを明確に分析している。そして、国を亡ぼした軍部は反省し、謝罪しなければならないと言っているが、謝罪をする相手は天皇とは言っていない。「全国民に平身低頭、謝罪しなければならない」と言っているのは、彼の考えが時代を先んじていたことは恐ろしいほどである。

 
ここでちょっと道草をする。
 半年ほど前のことだったか、何かのコメンテーターとしてテレビに出ていた自民党の重要なポストに就いていた女性議員が、自分たち(即ち全国民をということだが)を、天皇の「臣下」と言っていた。日本国では、1945年までは、どうやら国民は天皇の臣下であったようである。しかし、第二次大戦後、天皇は「象徴」という訳の分からない存在にはなったが、日本国民を支配する存在ではなくなったはずである。国民は天皇の臣下ではない。しかし、その場でこの間違いを訂正する人は誰もいなかった。筆者にとっては青天の霹靂(へきれき)で忘れることが出来ない。この70年近い昔、古い教育を受けたこの青年は時代を大きく先取りしていたので、詫びを入れるべきだと決めつけた相手を間違わなかったのはあっぱれである。


 彼の遺書の続きを読もう。
 「
この見るに堪えない軍人を代表するものとして、東條英機首相がある。さらに彼の終戦における自殺未遂は何たることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。もし、これを聞いて怒る軍人あるとするならば、終戦の前と後とにおける彼らの態度を正直に反省せよ。」


 第二次大戦の不始末の全責任は、軍部の総帥である東條英機首相にあると明快に指摘しているのは胸がすく思いがする。この時点では、極東国際軍事裁判(1946年5月3日〜1948年11月12日)が始まって3週間ほど後のことである。その2年半後に、判決があり東條英機は死刑に処せられた。東條に対する世間の評価は様々であったようだが、しかし、要職にあった人物であるから、このようにすっきりと東條の罪科を整理できていた人物はそんなに多くはないだろう。東條の自殺未遂が当時どのように受けとめられたのか、よほど深く調べないと実際の所は分からないだろう。しかし、自殺を図って成功しなかった不首尾をなじる声は相当あったようであるが、このように自殺を図ったこと自体を無責任極まると思った人々はそんなに多くはなかっただろう。それは国の指導者であった人物が、絞首刑の辱めを受けることが耐えられない、せめて自分で死んでくだされば良いという思いを持っていた人も少なくないのである。

・・・最後に「遺骨は届かない。爪と遺髪とを以て、それに代える。処刑半時間前 擱筆ス。」と、書かれていた。処刑後、死体が粗略に取り扱われるだろうことを予測していた悲しさは、いかばかりであっただろう。

 又道草をする。
 「擱筆」は「かくひつ」と読む。「筆を置いて書くのを止める」という意味で、漢字が難しいだけではなく内容的にもほぼ死語である。現在筆を使って文字を書くのは、実務的意味は無く文化的行事でしかない。何気なく使っている「鉛筆」も、実は「鉛の筆」である。そして、「筆圧」「筆まめ」「文筆家」「筆箱」「執筆」「達筆(文字や文章を巧みにこなすこと)」「悪筆(文字を上手に書けること)」「弘法筆を選ばず(本当の名人は、道具の善し悪しなど問題にしない)」など日本文化の底流に、こうして言葉として今もなお跡を留めている。
 終戦翌年、国語審議会により当用漢字1850字が制定され、難しい漢字への制限が設けられた。又、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の「漢字使用の目安」として
「常用漢字表」が、2010年には2136字が告示された。

戦争責任を取ったのは誰? 一般庶民と下級兵士である 

 連合国によって裁かれた「戦犯」は、罪の重いものからA級、B級、C級に分類されたことは、今の時代でも知っている人は多いだろう。最も責任の重かったA級戦犯が靖国神社に祀られていて、そこへ国の要職にある、大臣やまして首相が参詣するので、近隣諸国からひんしゅくを買ってニュースになるので若者も知るようになっている。国を間違った方向に導いた人々と、犠牲になって殺された人々を同じ神社に合祀することに、日本人でも嫌悪感を催している人々は多いだろう・・・神社への信仰を持っているか、他の信仰を持っているか、信仰の如何に関わらずである。

 ところが、日本人は、一般的に何ごとも水に流して「まぁまぁ」と物事を荒立てず、良く言えば平和を好む、悪く言えば好い加減に済ます習慣に慣れ親しんで生きている。さらに宗教的寛容の精神と、死者は「仏」になるという思想があって、なおざりにされているという側面もある。だから、近隣諸国の怒りが分からない、信仰音痴である。しかし、時の指導者たちの責任は果てしもなく大きいので、犠牲になった近親者にとっては「まぁまぁ」と言って済まされては、余りにも残酷なことである。

 一番責任の重かったA級戦犯はたった7名が死刑になっただけである。それなのに、苦労を強いられた下級の兵隊たちは現場にいて上官の命令を拒めなかっただけであるからこそ、その責任は重くないB級、C級とされたのである。しかし、現場にいたために憎しみを受ける対象になったのであろう。BC級の戦犯とされた下級兵士は、実に、1000名が死刑に処されたのである。

 戦勝者が形だけ正義の仮面を被って敗者を裁く東京裁判などが正しかったとか、間違っていたとかいう論議はここではしない。ただ、責任の重かった者たちが余り重い刑を受けないのに、下っ端の兵隊が戦後まで「正義の仮面」の犠牲になってしまったことにはやりきれない思いがするのである。

 放送では、池上彰氏を囲んで招かれていた人々がいたが、その人々との会話の一端を紹介する。
 池上:「木村久夫さんは上官の命令でやったこと。彼は責任を問われて処刑されたが、上官は重い罪に問われなかった。処刑を免れている
 若い女性:「どうしてですか?
 池上:「それぞれの事情で違いますが・・・現場の人間だけが処刑をされた。戦後、責任逃れをした上官たちが大勢いた
 中年女性:「こういうことが自由に言えればよかったのに。そうすればこういうことは起こらなかった
 池上:「そこで大切なのは、言論の自由

現在の日本の言論の自由度

 そこで、池上氏は言論の自由について話題を振った。
国境なき記者団が180ヶ国を対象にして調べた各国の報道の自由度のランキングを紹介した。こういう調査は、毎年行われているようである。私たちは、日本の報道の自由度はどれ位だと思うだろうか。その場にいた人々は、日本は相当上位であろうと予測していた。

 2014年度の自由度は、1位:フィンランド、2位:オランダ、3位:ノルウェー、・・・14位:ドイツ、33位:イギリス、46位:アメリカ、と日本は出て来ない。そして、・・・57位:韓国、59位:日本であると発表された。これには、筆者も驚かされた。日本はずっとトップクラスで、2010年は11位まで上がったが、その後下がったのは、福島第一原発の事故が起きたとき、情報が錯綜したり、混乱したり、政府もいろいろ情報を隠していた。その後、さらに下がったのは「特定秘密保護法」が制定され、一挙にこの順位に成り下がったそうである。

 外から見ていると、韓国には余り自由がないように見える。権力者は圧倒的な権力を誇り、権力に悪事が加担して財力が蓄積する。それを難詰する自由を持っていないように見受けられ、しかも、一度権力が失脚すると、大統領は刑事被告に叩き落とされる国である。その韓国より、日本の方が自由度がないとはどういうことであろうかと出席者は不審を口にしたし、筆者も心底びっくりした。
 
 そして、148位:ロシア、175位:中国、179位:北朝鮮、180位:エリトリアという順位は、すんなりと理解出来る。

私たちには「暗く見える現実」と「希望に輝く未来」

 このような状況は時代が変わっても、今も全く変わらないことが、言論の自由度という一つの尺度によっても推し測られる。政治家は悪いことをすると、自分は「知らぬ、存ぜぬ」を通して、秘書たちが処罰されるのと同じ図式である。役所でも警察でも会社でも、業績の褒美はトップが手に入れ、悪いことがあるとトップは逃げてしまって、一番下っ端か、たかだか課長位が責任を引っ被ることになるのが、日本の社会である。

 ジグザグ行進をして、時には完全に後戻りをしてどん底に突き落とされたように見えても、人類史は後戻りはしていない。ノーベル平和賞を受けたマララさんほどの苦難を日本女性は味わわなかったとしても、人間として自立して生きる道筋が薄ボンヤリと見えてきたのは第二次大戦後、参政権が与えられてからであった。男性も一般庶民はなかなか基本的人権を獲得できず、普通選挙権を与えられたのは1928年であった。

 
 男性も女性も、日本の一般庶民の歩む道は、まだまだ険しいが、それでも一歩一歩前進してきたし今も歩み続けている。パキスタンにも明るい希望の光が射し込んでいる。少女たちの健気な戦いが勢いを増してきていることからも、私たちの目にも見え始めているのである。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29章11節)

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ロマ書5章4節)
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一冊の本、一本のペンが世界を変える・教育が唯一の解決策と訴えるマララさん

マララさん: サハロフ賞を受賞

 タリバンを批判するブログを書いて脚光を浴びたマララさんは、2012年10月、スクールバス内で頭部や首を撃たれ瀕死の重傷を負ったが、奇跡的に一命を取り留めた。彼女の勇気ある言動は広く認められて、1988年から始まった欧州議会主催のサハロフ賞を受賞した。サハロフ賞とは人権と思想の自由を守るために献身的な活動をした個人や団体を称える賞で、ネルソン・マンデラやアウンサンスーチーが受賞している。そして、2014年ノーベル平和賞を受賞することになって世界中に覚えられることになった。

写真は、2013年、フランス・ストラスブールでサハロフ賞授賞式の様子である(Wikipedia)


平等な教育・人権のために一緒に闘う仲間

 マララさんと一緒にいて重傷を負ったカイナト・アフマドさん(16)も、女性はきちんとした教育を受けるべきだという考えをおおやけに表明している。「女子の教育は男子の教育より大事です。男子はどんな仕事でもできるけれど、女子はそうはいかないから。安心して暮らすためにも、女子は恥ずかしくない仕事を持たなければならない。『教育を受けるという使命を忘れないで』と女の子たちに言いたい」とカイナトさんは語った。女子の教育を否定するタリバーンに反旗を翻したことを今も後悔していない。「神の思し召しがあれば、私は勉強を続けます」と述べた。マララさんだけではなく、不当な暴力的差別に気が付いた少女たちは、教育を受ける権利と自由の為に命がけで闘っているのである。「タリバンは私たち人間を恐れている。仮に私が命を失ったとしても、教育を受ける権利の尊さに比べたら、たいしたことではない」「家に閉じ込められて料理をし、子供を産むような人生は嫌だった。学校に通えるのは素晴らしいことと伝えたい」。
 
 
 マララさんは、ノーベル賞受賞に際し、「私にとってノーベル賞がゴールではなく、平和が訪れ、全ての子供が教育を受けられることがゴールだ」と語った。また、
BBCのインタビューで、「タリバーンは、イスラム教の名を悪用している」と語り、「殺人や拷問やむち打ちは、イスラム教の教えに完全に反する」と訴えた。「パキスタンとインド、そして異なる宗教を持つ人々も、私たちは皆人間としてお互いを尊敬すべきです。肌の色や言語、宗教は問題ではありません。私たちは人類について考え、対話すべきです。私たちは子供たちの命、女性の命、全ての人類の命のために闘わなければなりません。」
写真は、
2013年11月、ホワイトハウスでオバマ大統領一家と会談 (Wikipedia)

 子どもたちを正しく育てる教育をしていない国々は、残念ながら世界中に数多くある。教育をしていないならまだしも、あろうことか国を挙げて子どもたちに、そして国民全体に人間同士、また多民族・多国民への憎しみを植え付けている国の指導者たち、弱いものを経済的に、また武力を以て虐げ、支配することを国民に教えている国の指導者たち、こういう国々では恐ろしい教育をすることに異常なほどに熱心である。マララさんたちが、命をかけて子どもたちへの正しい教育、分けても女性の教育を主張する所以である。

 マララさんは子どもたちに呼びかけている、「世界中の子供たちに言いたいのです。自分の人生のために立ち上がってほしい。他の人のために生きるのではなく、自分の人生のために世界の全ての子供たちに立ち上がってほしい。」
そして、女性たちには、「
女性は単なる母でも、姉妹でも、妻でもありません。自分自身であるべきです。男の子と同様に自分の人生を持てることを認識すべきです。私の弟たちは、私が(有名になって)良く扱われているのに、自分たちの扱いは良くないと思っているようですが……。」と語る。

 子どもを生むこと、母になることという、女性に与えられた大きな祝福を喜べないという事態が生じているのである。女性が人としての尊厳を踏みにじられて、自立して一人の人として、自由に生きることを拒まれている国であるから、創造主に頂いた祝福までもがねじ曲げられてしまうのである。
 ・・・・ちなみに、日本でもこれほどではないが、女性が自立した人間としての尊厳を奪われ、様々な束縛の中で喘いでいるのは事実である。女性を蔑視する発言が、国会で声高に堂々と発言される国である。ましてや、それ以外の地域と場所で、様々な形で差別的発言、差別的取り扱いを受けているのである。マララさんの叫びは、日本の人々への呼びかけと捉える必要があるのではないだろうか。


 

一冊の本、一本のペンが世界を変える。教育が唯一の解決策

 マララさんの叫びと希望
 今回の賞は私だけのものではありません。教育を望みながら忘れ去られたままの子どもたち、平和を望みながら脅かされている子どもたち、変化を求めながら声を上げられない子どもたちへの賞なのです。

 

 「過激主義者は本とペンを恐れている」と指摘し、「1本のペンと1冊の本で世界を変えることができる。教育こそが唯一の答えだ」と強調した。「私は、全ての子どもたちが質の高い教育を受けられることを望み、女性が平等な権利を持つことを望み、そして世界の隅々までが平和であることを願う、熱心で頑固な人間でしかありません。」
  

 子ども時代を工場で過ごすのはもう終わりにしましょう。少女が児童婚を強いられるのはもう終わりにしましょう。罪のない子どもたちが戦争で命を失うのはもう終わりにしましょう。学校に行けない子どもたちを見るのはもう終わりにしましょう。

 このようなことは、もう私たちで最後にしましょう。

21:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
マララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞に思うこと・女性の「教育と自立」なくして幸せはない
世界中が・・・多分ほとんどの良識ある人々は、この少女にノーベル平和賞が授与されるニュースに大拍手を送ったのではないだろうか。平和賞は時には多分に政治的で、眉をひそめるような「平和賞」もかつては結構あった。
今回も、余りに若すぎることと、今後、銃弾のターゲットになるのではないかという心配を拭いきれないことなどがあって、そういう懸念から賛成しがたいという見解を漏らす人々もいるようであるが・・・

彼女の堂々とした演説には、度肝を抜かれた。こんなにも優れた、輝いている女性が、教育を受ける自由さえ得られない彼の地で、どのようにして成長することが出来たのであろうか?

彼女に銃弾を浴びせた、獣以下のひとつかみの狂気。ただ、もはやひとつかみと言っておられないほど勢力を増しているのは何故だろうか?
人類は、70年前の狂気を覚えている。人間はあれほどに気が狂う生き物であるということである。 社会的状況も、その背景も、形態も異なりはするけれども、狂気という意味では同じである。そして、その狂気はかつてドイツで怒濤の如くに荒れ狂ったと同じように、今イスラム過激派は狂気の限りを尽くして荒れ狂っている。

マララさんにノーベル賞を与えて、今後彼女を守り通せるのであろうか? 多少とも心配である。平和賞を与えておきながら、世界が彼女を守れなくてどうしよう。どんなことがあっても、彼女を護り、育てていかなければならない。遙か遠くから、秘かに彼女にエールを送る。

彼女の希望は、極めてささやかで当たり前に叶えられなければならない要望である。
女性がかなり活躍している欧米のみならず、余りにもかけ離れて遅れている日本人さえ、彼女の要望は当たり前だと感じ、そして女性たちを虐げるイスラム教の一部の人々を「間違っている」と考える。そして、自分たちは女性を虐げていないと誤解している。安倍首相は、「女性の力を」とか、「活き活きと女性が活躍できる社会に」とか、ぬけぬけと言っている。彼が人気を持続するためには、ただの素振りであってもこういうことを見せなければならない世の中にだけはなっているということであろう。

しかし! 女性に対する拭いきれない差別意識が、この日本の社会に脈々と息づいているから、女性の社会進出、自立がこんなにも遅れているのである。確かに、形に表れる迫害はパキスタンほどではなくても、心のありようはどれほどの違いがあるのであろうかと、ふと思わざるを得ない小さな差別は日本国中に満ち満ちている。

女性たちの受難は、やはり男性には分からないものらしいと、つくづく思う。例えば、日本ではそういう差別はないと豪語する男性は山といる。安倍首相があのように言うのは、彼の政治家としての配慮であって、本音はどこにあるかは分からない。だから、閣僚たちが次々と暴言を吐く。「失言」と言うけれど、多くの失言は実は本音がポロッと漏れたということであろう。
この間も、「産まない方が問題」と発言した元首相がいたなぁ・・・うなるほどの財産に囲まれて、広大な土地と豪邸に住んでいる閣僚たちには、庶民のことは分からない。ましてや、庶民の女性たちのことなど全く分からないのであろう。何故なら、本気で分かろうとしないから、人々の中に入っていかないからであろう。日本の社会の時代遅れは、甚だしいものがある。

マララさんのことは、程度は大いに異なりはするけれども、思想に於いて日本女性の苦難と相通じるものがあるのである。

何故世界中で、女性への差別、虐げが横行して収まらないのであろう。
筆者自身も、若い日に有形無形の差別、無言に押し寄せてくる迫害・差別・偏見に苦しんで仲間と共に戦った。また、差別どころかそれ以下の迫害に、売春のために「売られる」タイの少女たちを助けるために、教育を受けるための助けをしようと一緒に運動したのは4〜50年以上も前のことだろうか。教育を受ける機会を与えられた少女たちは、次々と自立し、理不尽な人買いの魔の手から逃げることが出来るようになったことを覚えている。

マララさんが力説するように、教育はやはり解放のための第一歩である。今回は、マララさんに大拍手を送るということを書くに留めてともかく筆を置く。
女性の参政権や教育を受ける権利について、改めて稿を起こして書きたいと思う。
 
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死と向き合う・・・心臓弁膜症の手術を目前に控えた患者の恐怖
 人はこの世に生を受け、様々ないのちを生きて、やがて死ぬ。頭の中で誰でも解っているが、それは遠い将来のことであり、目下は自分のことではないと、大多数の人々は無意識下にそのように感じ取っている。日本人の死生観は、神道、仏教、儒教、諸々の土着信仰の入り交じった不思議な「宗教・信仰」に根ざしている。そして、この死生観は、侘び・さびの世界に直通し、死は暗闇であり、見つめたくない、避けて通りたいということになるのは当然のことだろう。先に「臨床宗教師」という題目で書いた通り、遠い問題だと思っている間は死の問題を語れても、いざ、死に直面したときには、とても直視できないというのが本音になってしまう。

 手術で死ぬかも知れない状況に直面した患者の実例をここで紹介しよう。これは筆者が実際に接した患者ではないが、信頼できるある牧師が語られた実例である。

 その患者は28歳の男性であったが、心臓弁膜症の手術を受けなければならなくなった。2014年の現在でも、心臓弁膜症の手術は大変な手術であるが、この実例は30年以上、多分40年も前のことである。この3−40年の外科手術の進歩は目覚ましいものがあるだけに、当時の危険率の高さは相当なものだっただろう。手術は、低体温にして様々な代謝機能を一旦休憩させて、心臓手術を行う術式だったという。この患者の弟が、この牧師の牧会する教会の教会員だったので、病院に来て欲しいと頼みこんだのである。

 こうして、この牧師が病床を見舞うことになったのであるが、未信者と言うよりはほとんどアンチキリスト教であったので、牧師の話を聞きたがらなかったという。「病気になったために、色々な牧師やら宗教者がやってきて色々話してくれて、聞き飽きた。そんな話は何の役にも立たない」と言う。それで、病気の話も、生死の話も、聖書の話も、およそ、キリストとは何の関係もない話をしばらくして、「では、帰ります」と挨拶をして別れを告げると、「あなた、面白い人ですね。また来て下さい」と頼まれたという。それから、何回かお見舞いに訪れては、ただ、言わば世間話のような話をしていたという。

 ところが、手術の前々日、間近に迫ってきた手術に彼は怯え始めた。「心配で、心配でたまらないので、何とかしてほしい」という。この患者は、弟がクリスチャンでもあり、また大勢の人がやってきては福音を語っていたので、知識はあったらしい。だから、この牧師の話も断ったのであろう。安心を得るためにそんな知識は何の役にも立たなかったのである。助けてほしいと言うこの患者に、安心を得るための最短の道筋を語ったという。福音を簡潔に語り、きちっと罪の告白をして、赦しを乞うことだと、当然のこととして語ったのである。患者は、「解りました。そうします」と始めて素直に受けとめた。

 さて、翌日行って「どうですか?」と聞くと、言われた通りにきちんとしたが、益々不安になってきたという。そんなはずはないでしょうと確かめると、福音は間違いなく理解している。一つ一つ確認しても、細部に亘ってしっかりと理解しているのである。それで、くどいほどに彼がどのようにしたか確認を取ると、最後に重大なことが判明したのである。
彼は次のように言った。
「罪と言われても、何しろ28年分ありますから、忘れていることも山とあるでしょうし、一つずつ告白なんか出来ません。28年分まとめてお願いします。済みませんでした。」と言ったという。

 そんなことでは、罪を告白したことにはならないということで、思い出す限りで良いし、祈っている間に思い出させて頂けることもあるから、出来るだけ具体的に、一つずつしっかりと告白して主の赦しを乞いなさいと言われて、彼は始めて真剣に主と向かい合ったようである。

 さて、その翌日、手術の前に病院に行くと、彼は晴れ晴れとした顔をして、次のように言ったという。「今まで、こんなにぐっすり眠ったことはない。すっかり安心しました。もう大丈夫です。」そして、付け足したことが面白い。「例え手術が失敗に終わっても構いません。神の国に行けるから良いんです」と。牧師は、そんなことを言ったっけとびっくりしたそうであるが、そんなことまで付け足して、安心の境地に立っていたそうである。
 
 そしてまた、それまでお兄さんに散々福音を語ったであろう弟に向かって、「こういうことを知らないんじゃないか」と言ったそうである。知っていたら当然語ってくれたはずであるからということなのだろう。これは、ある真理を突いているという気がする。

 カトリックでは「告解室」に信徒が入って、格子か何かで仕切られている別の小部屋に神父がいて、神父に罪の告白をするようであるが、今もそうするのかどうかは知らない。プロテスタントでは、告白する相手は罪のない神であるイエス・キリストであり、キリストと告白する人との間に同じ罪人である牧師とかという宗教人が入ることはない。そのためにかどうか、この大切なことがしばしば、なおざりになっていることがある。罪の告白をしっかりしないままに、そして心の奥底からほとばしり出る、まともな信仰告白をしないで、形だけを整えて洗礼を受けたら「クリスチャン」ということに、牧師も、周りも当人も思ってしまっているようである。

 しかし、主との対話がなされないままに、すなわち「心で信じて」という部分がなおざりにされたままであると、如何に形を整えて「信仰告白のような美辞麗句や文言」を唱えても、洗礼を受けても、クリスチャンとはなり得ないのである。神の御前に心が洗われて、罪の告白をして、始めて生まれかわり、クリスチャンとなるのである。形の儀式が大切でないとは言わないが、しかし儀式によってクリスチャンになるわけではないのである。

 クリスチャンが心の平安を保つことが出来るのは、強いからでも、頑張っているからでもない。この男性の例に如実に顕れているように、主の御前に自分の姿をしっかりさらけ出したときに、本当のいのちを与えられ、平安に満たされるのである。それが、クリスチャンなのである。

 




 
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臨床宗教師 ・・・ 死と向き合う患者の声に耳を傾ける。命の意味・死の意味を考える
 「臨床宗教師」という耳慣れないタイトルの特集が放映されたのを興味深く見た。普段から大きな関心を持っている領域なのであるが、わざわざ臨床宗教師と言わなければならないほどに、日本では関心の薄い領域、非常に遅れている領域である。臨床宗教師という職業があるのではなく、日本の社会の小さな片隅で、ひっそりと導入された新しい機能・新しい領域の働きのようである。

 医者と家族だけが看取る臨終から仏教式の葬儀に至るまでの儀式、そして火葬と骨揚げの儀式に至るまで、日本人の死生観はどうなっているのかと思うほど、カラカラに乾ききって人間味のない儀礼的な行事一式である。「諸行無常の鐘が鳴る」という日本人の死生観が悲しく滲み出ているという気がしている。大多数の日本人は死を恐れているにもかかわらず、死を看取る人々は、家族も医師も誰一人として、死に行く人のこの深刻な問題にはどのような支えも与え得ず、呆然と見ているしかないのが実情である。

 

 死と向き合う末期の患者の絶望的な状況に心を痛めた一人の医師の思いから、この「臨床宗教師」の働きが生まれたという。緩和医療に長年携わってきて「死と直面する患者の心を受けとめるには、専門の宗教者が必要ではないか」と考えたという。患者が死と向き合う場に、何故宗教者がいないのか。本来は、患者が亡くなる前に宗教者が来て、宗教的ケアをして上げられたら、家族も亡くなられる方も穏やかだっただろうと、この医師は思ったという。

 所がこの人は、自分自身がガンになり、余命10ヶ月の宣告を受けて自分が死ぬ準備が出来ていないことに気が付いたという。
「死の世界が闇、その中に降りていく道しるべも何もない、暗闇の中に身を置いている」ことを実感したのである。まさしく日本人の死生観・精神性の状況をずばり言い得ていると思う。8割の人が病院で死ぬので、宗教者といえども人の死に触れる機会はほとんどない。死の恐怖に日々怯える患者の切実な思いには、医療だけでは何も答えることが出来ない。余命宣告を受けて心身共に苦しみの極限にある患者と向き合うためには、自身の死生観だけではなく、生き方そのものを問い直すことが求められる。患者が安らかに死を迎えることが出来るように、特別な訓練を受けた宗教家、専門家が患者に寄り添う必要があると、この医師は考えたのである。

 

 この医師の思いを受け継いだというか共に歩もうとした一人の若い僧侶が、臨床宗教師としての働きをしており、番組ではいくつかの実例が紹介されていて、それぞれに問題提起されているが、ある一人の男性の例をここで紹介しよう。
 
 膀胱ガンの治療を続けていた75歳男性で、末期の胃ガンが見つかり全身に転移していて手の施しようがなく、余命は数ヶ月という。ずっと病院に通っていたのに末期になるまで何故見つからなかったのかと、医療に不信感と怒りがある。見捨てられた、死ぬだけという絶望感がありながら、一方では、まだ3年か4年生きるつもりで治りたいという気持ちが強い。その人に寄り添いながら、一応慰めを与える様々な努力をしてきた。

 さて、その人の死ぬ何日か前、最後に訪問したときに生まれかわりの話になったという。その患者は、
「生まれかわっても、俺は俺で良い。ただ、病気のない自分になりたい」と言ったという。そして、インタビューをしていた人の「どう答えたんですか?」という問いかけに対して、この臨床宗教師の僧侶は、次のように反応している。

 「特に答えはないんです。答えませんでした。ああ、そうかって思って言葉に詰まりました。彼は彼として、思いや、願いや、祈りというか奇跡が起こって欲しいという思いを抱えて、彼として逝かれたんだろうな、と思うんで・・・。でも、難しいですね。自分の中でもまとまらない部分が多いです。」

 まだ生きていたい、死にたくないという絶望の淵に立たされている患者に、何の答えも持ち合わせない臨床宗教師・・・・。儒教・神道・仏教の入り交じった死生観・世界観を持っている日本人は、どのように善意の人であっても、それでけでは結局、一番大切な究極の答えは得られない。「難しいですね」と頭を抱えるだけになるのはやむを得ないだろうと思う。この人の、この大切な場に、死後どうなるかについてきちんと答えを持っているキリスト者がいたなら、希望を抱いて安らかに、この世の命に「ひとまず」「さよなら」を言えたであろうにと、残念な気がする。

 始終思っていることであるが、99%の日本人は「自分がどこから来たのか」「人生の目的は何か」「死後どこへ行くのかという重要な命題に対して答えを持っていない。この重大なことを曖昧にしたまま、何十年も生き続けて、最後の土壇場でどうなってしまうのかという絶望と不安の真っ直中で死んでいく。キリスト信仰を持っている人々の場合、キリスト教会では、病気になると周囲のキリスト者が訪れ、そして特に牧者たちは死の床に寄り添っているから、最後に希望を持って永遠の世界への旅立ちをすることが出来るのである。そういう意味では、わざわざ「臨床宗教師」などという必要もなく、牧者たちは自然体でこの務めを果たしている。この世での「死」はお終いではなく、絶望でもないのであり、永遠の世界への希望に満ちた旅立
なのである。
 

 「死なない人間はいないわけで、では死が不幸だと言ってしまうと、あらゆる人が不幸になってしまうわけです。でも、やっぱりそうでは無いのではないかと思うし・・・。まぁ、人間の目から見れば色々あるかも知れないけれども、もっと大きな仏様の視点から見ると、一つの大きないのちの流れの中だから、ということになるんでしょうね。・・・・・ゆっくり、ゆっくり向き合って進んでいくのが良いのですよね。」
 「自分のいのちって誰のものなの」と呟いてしまう臨床宗教師の僧侶には、土台難しい課題なのだろう。


 この僧侶は、こうして善意から死に行く人の助けになりたいと思いながら、その善意は空回りをせざるを得ないのは、この発言の中に滲み出ているように、当人の中に迷いが渦巻いているからであり、それは、仏教の死生観では、生も死も解決されていないために迷いのまま残っていて、死が不幸だからである。「極楽浄土」などと言っているけれども、それは「教え」であって、どこまで行っても人間の教養講座でしかないから、安心は来ない。

 
東北大学大学院文学研究科で、実践宗教学寄付講座主催の「臨床宗教師研修」が行われた。次のような興味深い一コマが紹介されていた。
 

 「患者の体調が比較的良いときにこそ、「死」ということを取り上げて突き詰めて考える対話が出来たら・・・」という発言に対して、講師は「内容が内容だけに、突っ込んじゃうと相手をすごく傷つけてしまう。人によって全然違うんで、・・・こちらがこうじゃないかなというのは危険な部分があって・・・」と、本質に触れることには消極的な発言である。すると、受講者はさらに突っ込んで、「危険な部分があるんでしょうけれど、そこで変わっていかないと、本当の意味でその方が安心して生きていけない。」すると講師は、「その方の安心に繋がるのか、ただ単にこちらの満足を押しつけることになってしまうのか、ぎりぎりの所だと思う。」と、また疑念を語る。このような赤裸々な、一生懸命な取り組みには敬意を表するし、実際、あれかこれかの迷いは山とあるだろう。相手は生きた人間であり、十人十色であり、一律にこうだと決めつけるわけには行かないのは、常識的にはその通りである。


 重要な話し合いの場で、その本質を語れないもどかしさはどうだろうか? 信仰心に篤い日本人は、八百万の神々を拝み、詰まるところ、「いのちは誰のものか」「人生の意味・目的は何か」「死後どうなるのか」という、人間として最も重要な命題に答えを持っていないから、中心的論点をはずして、ボンヤリした慰めを与えようとする。ほどほどに何とかなっている人の場合には、イルカと遊んで得られる慰めと大差はなくても充分かも知れない。しかし、死に瀕している人にとって、このような曖昧な励ましや慰めでは、どんな解決にもならないのである・・・・諦めという情けないものしか。

 筆者自身、病気の故ではなかったが、「人生」「人のいのち」「死」という問題に深く考え始めたときに、科学もあるいは既成の「優れた教え」も、このような命題に答えを持っていないことを発見した。そして、究極の答えはイエス・キリストの福音にあったことを発見させて頂いた。興味のある方は、筆者のサイトに詳しく証しを書いているので読んでみて頂きたい。

            ************************
 心臓弁膜症という死ぬかも知れない大手術を目前にした一人の人が、死の恐怖に恐れおののいていた。この人がどのようにして本当の安心を得たかという実話を、次回ご紹介したい。

 

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