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生命への挑戦
(ご案内)
この投稿内容は、以前、クリエーションリサーチ誌に連載したものです。



アメリカから帰国して7〜8年経って、やっと日本の生活になじんだ1980年代の初め、小さな家を建てることになった。「神主を呼んで地鎮祭をしてほしい」と、建築業者が言ってきた。当時、私はカチカチの無神論者であったので、「地鎮祭などしたってどんなご利益もありませんよ」、と言った。

「地鎮祭をしなかったら地の神様が怒って事故が起こるかもしれない。そしたら建築工事を続けられないし、大工の少ない現在、会社が困るので、まげてお願いしたい」と、相手は食い下がってきた。「私は出ないけれど、地鎮祭の費用は出しましょう」ということで折り合いをつけた。

6年後、その家を手放して、今住んでいる家を建てたとき、「地鎮祭をしたいのでしょうね?」と尋ねた。私の口調に否定的な響きがあったためかどうか、「この頃は、地鎮祭をしたがらない施主も相当おられるので、しないこともある」という返事であった。今回は大手の建築業者であったためか、または時代が動いたのか・・・。そして、地鎮祭などしなくても工事はつつがなく終了し、それから23年無事に生活している…どころか、その1年後には福音にあずかり、信じられない恵みと祝福に包まれ、その家は祈りの家となった。当時はまだ、天地万物を造られた創造主のことは知らなかったが、地鎮祭をして異教の神々を呼び込むようなことをしなかったためかな、とふと思う。

神(創造主)はまた、彼ら(アダムとエバ)を祝福し、このように神(創造主)は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 創世記1章28節

全知全能の創造主は、人に地球全体を適正に管理する任務を与えられたのである。しかし、地の神のみならず、八百万の神々が何重にも厚い黒雲のように日本列島を覆い尽くしている。日本では用心していてさえ、諸々の神々が日常生活の中に割り込んでくる。新年が来ると干支が変わり、その年の運勢占いが始まる。還暦を祝う日本人は少なくはないし、少なくとも節目に覚える日本人は多い。贈り物には、のしが付いていないことのほうが珍しい。元旦の初日の出の参拝に始まって、3日間に神社に出かける日本人は9千万人にものぼる。

非常な高齢者と生まれたての赤ちゃんを除くと、人口の90%が参拝し、何がしかの賽銭を投げて願掛けをしていることになる。1月中旬の成人の日が終わる頃までには、日本人は様々なところに出かけて願いが叶いますようにと頭を下げたり、手を合わせたり、柏手を打ったりと、忙しいことである。

太陽、月、星、また地球上の海や山や河などの自然風物を拝み、また自然の中にそれぞれ守り神が棲んでいると信じる。自然の中で育まれている狐や蛇など動物も、石でも樹木でも拝む対象・神にしてしまうのである。このような東洋・日本の伝統的な風土によって、自然そのままを受け容れ、和を尊び、融合し、崇めるという生命観、世界観が築き上げられたのである。

何千年という歳月、このような風土に育まれた結果として、日本人の今があるのであって、好むと好まざるとにかかわらず内側の霊魂にどっしりと刻み込まれているのである。私のように地鎮祭を排除し、どんな偶像にも頭を下げなかった頑固者であっても、残念ながら例外ではない。

自然を身近に感じ、愛した日本民族であるから、自然を学ぶ学問がなかったわけではない。しかし、自然を客観的に眺める西欧的な世界観に立って発達した自然科学は、やはり異質のものであった。この自然科学が輸入されるまでの歴史的背景も、その後の日本の科学の歩みに大きく影響した。

日本は海に囲まれているために外国の文化や文明の影響を受けにくく、輸入という特別な認識、措置を講じなければ、海の向こうの世界とは無縁の状況下で歴史が刻まれたのである。こうして、良くも悪くも独自の文化・文明を築き上げ、そして鎖国をするに及んだ。明治維新で目を覚まし、西欧の文明に追いつき追い越せと躍起になり、遂に、世界大戦に突入し、戦争以外のすべての活動が抑制される歳月を経過した。

第二次大戦末期、原爆という強烈な武器の備えが相手にあることも知らずに、上陸してきた敵と竹槍で戦うのだと、日本国民は教えられ、本気で訓練を受けていたのである。日本の学者たちは、科学の世界においても同様に無条件降伏という屈辱の中におかれ、「原爆」に「竹槍」で立ちはだからざるを得ない状況にあったこと、すなわち、世界から置いてきぼりにされていたことに気が付いた。

私が教えを受けた先生方は、学者として脂の乗り切っている30歳〜40歳の年代に、このような荒波の中に放り出されたのである。実力を蓄え、自信を持って研究をしていた学者が、研究、教育、生活とすべての面で、いきなり異質の価値観・世界観を押し付けられたのである。

戦後教育を受けた若い私たちには頭の中でしか理解できない状況だったが、私が研究生活に入った頃、学者たちは、表面上は自信を取り戻し、落ち着いた研究を続けておられたようであった、少なくとも大学紛争が激化するまでは。

当時、化学・工学が花形であった時代で、生物科学の専門は社会に全く必要とされていなかった。卒業研究をさせてくださいと教授に頼みに行くと、「生物学を選んだら、就職はできないと覚悟すること」と言い渡された。「就職できなくても構わない」という、大人の目から見たら無謀な道を私は選択した。それ以上に無謀だったのは、「生命の本質を解明する」という大きな野望、情熱を抱いて、大真面目で勇み立っていたことである。

そして、今・・・世界の多くの生物学者たちが、まさにこの問題に真剣に挑戦しているのだから皮肉なものである。ついこの間、鳥のようにさえずるマウスが遺伝子操作によって作製されたと、マスコミが取り上げていた。これによって進化の研究が飛躍的に進展し、生命の本質の解明にまで迫ることができると、この研究グループは期待しているそうである。

私は、相当生意気な学生であったので、生物学研究にかける意気込みを教授に話したかもしれない。そのときに、私が研究者として生涯大切にしている重要な教訓を、教授は静かに諭された。

「実験条件を正しく設定して、しっかり間違いのない実験をすること。同じ条件下で実験したら誰が追試しても同じ結果が出ること。実験結果が出たら、それは研究者の手を離れるものである。解釈は、研究者個人の、その研究室の、その時代の科学の実力によって変わりうるので、理解できなくても、それを非常に気に病むことはない。」

人間の科学には、乗り越えられない限界があることを研究生活の初めに教わったのである。

後になって、私自身が後輩を指導するときに付け加えた言葉がある。「人間が予想した通りの結果が出た時には、人間の小さな頭で考えついたことであるから、それは大した発見ではない。予想が全く外れた時にこそ、もしかしたら価値のある発見である可能性が秘められているかもしれない。」クリスチャンになるずっと前にこのように言っているのは、この先生の薫陶のおかげかもしれない。

ちなみに、この先生のお葬式はキリスト教式で執り行われた。時に応じて受けた教えを思い起こして、「クリスチャンであったのかもしれないな」とその時思ったが、先生の信仰については、弟子たちは誰一人、何も知らなかった。

研究生活を始めてほどなく、生物科学は「生命現象を学ぶこと、“何故”を問いかけること」であり、 「生命の本質を解明する」ことなど不可能であることに気が付いた。また、それが電子顕微鏡で見るミクロの世界であっても、生物科学は 「生命現象のほんの一部を垣間見ること」であり、それを変更しようと挑戦することではないということも悟ったのである。

しかしながら、時代が下がって遺伝学・分子生物学が生物科学の中心になり始めた1960年代初め、コーヒー・タイムの雑談の時に、ある先輩が「生物学は生命現象を受け身に学ぶ段階を抜け出した。遺伝子操作は生物そのものを変えることであって、まさに生命への挑戦である」と議論を展開したが、クローン羊が生まれることまで予測していたわけではないと思う。

クローン羊ドリー.jpgそして、それから30有余年、1996年スコットランド ロスリン研究所で、ヒツジ乳腺細胞核由来のクローンから、世界初の哺乳類の体細胞クローン羊、ドリーが誕生した。ドリーは異常な若さで関節炎を発症、衰弱するなど生まれつき老化現象を呈し、2003年、ヒツジ肺腺腫で通常の約半分の寿命で死亡した。

ドリー誕生の後、ウマ、ヤギ、ウサギ、ブタ、ネコ、ラットなど多くの哺乳動物で、体細胞由来のクローン作製の成功例が報告された。ほぼすべての動物のクローン体には何らかの欠陥が報告されている。たとえば、細胞分裂に必要なテロメア※が短いことが報告されており、クローン動物は通常より寿命が短い可能性が示唆されている。

ドリーが誕生するはるか以前、ヒットラーのクローンが「何人も」生まれてきたというSF作品が、静かなSFファンであった私の目にとまったような気がする。あまりよく覚えていないが、「たとえ、顔や姿が全く同じであるとしても、人間としての本質まで同じになるものだろうか、いやそんなはずはないぞ」と、私はぼんやり考えていた。

クローン技術がSFの世界のものではなく現実のものとなり、様々な危険性をはらんでいるために、世界中で議論が巻き起こっている。ヒト・クローンを禁止するクローン技術規制法を制定するための枠組みが、世界各国で考えられている。

人間のいのちはどこから、どのようにして来たのか、人間とはどのようなものであり、人間の尊厳を守るとはどういうことか。いのちは誰のものか。人間にとって一番大切なことが忘れられ、揺れ動いているので、人間はいつまでたっても不幸せなままである。未来への願望表現「幸せになります」という言葉が流行る、不幸な現代社会である。

神(創造主)である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。 創世記2章7節

いのちの泉はあなた(創造主)にあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
詩篇36篇9節



※ テロメアは真核生物の染色体の末端部にある構造。染色体末端を保護する役目をもつ。テロメア短縮による細胞の老化が、個体の老化の原因となることが示唆されている。

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