高齢者が長い踏切を渡りきれず、犠牲になる事故がなくならない。
この問題について1年半前(2012年12月)、「踏切事故の犠牲者:弱い者いじめをする社会」というタイトルで、踏切事故の具体例と共に、危険な踏切の実例写真を挙げ、踏切の種類、また電車を停車させて人を安全に渡らせるイギリスの踏切の写真を示した。様々な踏切の問題点についても、多少言及して、事故は起こるべくして起こっている実態に触れた。
事故現場を検証した報告によると、今回の事故の踏切(東京・東武伊勢崎線)は、線路が5本、長さ23メートルである。警報機が鳴り始めてから遮断機が降りるまで約20秒、その約20秒後に電車が通過したという。検証した25歳の記者は18秒で渡りきったという。すなわち、元気な若い人の場合には、電車が来るまでに23メートルの踏切を渡り切るのに苦労は無いはずという机上の計算であるようである。ところが、近所に住む少し足の弱くなっている76歳の女性は、32秒かかったという。すると、電車が目の前に迫ってくるまで渡りきれず、パニックに陥る危険性さえあるだろう。
国交省は、歩行者の速度を時速5キロと想定して、踏切の警報機、遮断機の操作を設定しているのだそうである。「時速5キロ!だって!」驚きである。時速5キロと言えば、男性の若者の歩行速度である。一般に想定されている歩行速度は、平均的な成人で、1キロ15分、すなわち時速約4キロではないだろうか? まして、高齢者では時速4キロは無理だろう。足腰が弱っている場合は、時速3キロ位でしか歩けないだろう。壮健な若者を基準にして交通ルールを策定するなど論外である。
こうして、高齢者の踏切事故や道路を横断する時の事故が一向に減少しない大きな要因になっている。人の安全や、幸せよりも、効率を優先し、社会の「勝ち組の強い人々」のための利益を守る社会なのである。2012年度に起きた全国の踏切事故295件のうち、60歳以上の通行者が巻き込まれたのは48%にあたる142件で、死者数は121人であると記されている。この事情は、時間と共に悪くこそなれ、改善される気配さえないように思われる。
車で、電車で、飛行機で、一歩間違うと凶器に変身する道具を用いて人々は忙しく往来する時代になって久しい。そして、これら凶器の犠牲になるのは弱者である・・・飛行機は多少例外かも知れないが・・・。駅で線路に落ちないように、電車と連動する扉を駅側に設置する事例が、この頃は少しずつ増えてきた。しかし、踏切事故を絶滅するための立体交差の考えは、ただの夢の如くに空中分解して実現しそうもない。その申し訳は色々あるのは分かってはいるが、詰まるところ、このためにお金を投入できないから、臨時の歩道橋を考えているようである。権力を手に入れた施政者たちは、うなるほどの金品を持っているのに、それを良いことのために、弱者のために使って、正しい行動を取ろうとはしない。彼らは普通の庶民には計算さえ出来ないほどの金額を、何とメールで貸し借りするのである。国民のために特に弱者のためにこそ働く任務を与えられているのであり、この有り余っている財力を使ってほしいと思うのである。
歩道橋については、この踏切の記事の3ヶ月ほど前に、大昔の出来事を取り上げて、「歩道橋は人に優しいか」というタイトルで記事を書いた。歩道橋がどんなに弱者を苛めているか、元気な人は気が付かない。前にも書いたが、道路を簡単に渡りきることが出来る人は、歩道橋のあるところまで余分に歩いても、そして階段を上り下りしても、それは格別苦痛ではないだろう。
しかし、近付いてくる左右の車の速度を正しく目測できず、また車が近付いて来るまでに安全に道路を渡りきることが困難な老人は、余分に歩くのも大変であり、まして、階段の上り下りは途轍もない苦痛である。足の弱い人には、階段は降りる時が恐怖だそうである。歩道橋がある風景は、弱者をいたわる素振りだけして、本当は思いやりのない残酷な社会の象徴でさえある。
施政者たちは「福祉! 福祉!」と大声で叫んで、消費税を導入し、税率を上げ続けている。一般庶民に有無を言わさず従わせるためには、「福祉」という殺し文句が役に立つ日本の社会ではある。正面切って弱者を切り捨てろという主張をするほどには、日本は落ちぶれてはいないということだろうか?
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