<< main >>
臨床宗教師 ・・・ 死と向き合う患者の声に耳を傾ける。命の意味・死の意味を考える
 「臨床宗教師」という耳慣れないタイトルの特集が放映されたのを興味深く見た。普段から大きな関心を持っている領域なのであるが、わざわざ臨床宗教師と言わなければならないほどに、日本では関心の薄い領域、非常に遅れている領域である。臨床宗教師という職業があるのではなく、日本の社会の小さな片隅で、ひっそりと導入された新しい機能・新しい領域の働きのようである。

 医者と家族だけが看取る臨終から仏教式の葬儀に至るまでの儀式、そして火葬と骨揚げの儀式に至るまで、日本人の死生観はどうなっているのかと思うほど、カラカラに乾ききって人間味のない儀礼的な行事一式である。「諸行無常の鐘が鳴る」という日本人の死生観が悲しく滲み出ているという気がしている。大多数の日本人は死を恐れているにもかかわらず、死を看取る人々は、家族も医師も誰一人として、死に行く人のこの深刻な問題にはどのような支えも与え得ず、呆然と見ているしかないのが実情である。

 

 死と向き合う末期の患者の絶望的な状況に心を痛めた一人の医師の思いから、この「臨床宗教師」の働きが生まれたという。緩和医療に長年携わってきて「死と直面する患者の心を受けとめるには、専門の宗教者が必要ではないか」と考えたという。患者が死と向き合う場に、何故宗教者がいないのか。本来は、患者が亡くなる前に宗教者が来て、宗教的ケアをして上げられたら、家族も亡くなられる方も穏やかだっただろうと、この医師は思ったという。

 所がこの人は、自分自身がガンになり、余命10ヶ月の宣告を受けて自分が死ぬ準備が出来ていないことに気が付いたという。
「死の世界が闇、その中に降りていく道しるべも何もない、暗闇の中に身を置いている」ことを実感したのである。まさしく日本人の死生観・精神性の状況をずばり言い得ていると思う。8割の人が病院で死ぬので、宗教者といえども人の死に触れる機会はほとんどない。死の恐怖に日々怯える患者の切実な思いには、医療だけでは何も答えることが出来ない。余命宣告を受けて心身共に苦しみの極限にある患者と向き合うためには、自身の死生観だけではなく、生き方そのものを問い直すことが求められる。患者が安らかに死を迎えることが出来るように、特別な訓練を受けた宗教家、専門家が患者に寄り添う必要があると、この医師は考えたのである。

 

 この医師の思いを受け継いだというか共に歩もうとした一人の若い僧侶が、臨床宗教師としての働きをしており、番組ではいくつかの実例が紹介されていて、それぞれに問題提起されているが、ある一人の男性の例をここで紹介しよう。
 
 膀胱ガンの治療を続けていた75歳男性で、末期の胃ガンが見つかり全身に転移していて手の施しようがなく、余命は数ヶ月という。ずっと病院に通っていたのに末期になるまで何故見つからなかったのかと、医療に不信感と怒りがある。見捨てられた、死ぬだけという絶望感がありながら、一方では、まだ3年か4年生きるつもりで治りたいという気持ちが強い。その人に寄り添いながら、一応慰めを与える様々な努力をしてきた。

 さて、その人の死ぬ何日か前、最後に訪問したときに生まれかわりの話になったという。その患者は、
「生まれかわっても、俺は俺で良い。ただ、病気のない自分になりたい」と言ったという。そして、インタビューをしていた人の「どう答えたんですか?」という問いかけに対して、この臨床宗教師の僧侶は、次のように反応している。

 「特に答えはないんです。答えませんでした。ああ、そうかって思って言葉に詰まりました。彼は彼として、思いや、願いや、祈りというか奇跡が起こって欲しいという思いを抱えて、彼として逝かれたんだろうな、と思うんで・・・。でも、難しいですね。自分の中でもまとまらない部分が多いです。」

 まだ生きていたい、死にたくないという絶望の淵に立たされている患者に、何の答えも持ち合わせない臨床宗教師・・・・。儒教・神道・仏教の入り交じった死生観・世界観を持っている日本人は、どのように善意の人であっても、それでけでは結局、一番大切な究極の答えは得られない。「難しいですね」と頭を抱えるだけになるのはやむを得ないだろうと思う。この人の、この大切な場に、死後どうなるかについてきちんと答えを持っているキリスト者がいたなら、希望を抱いて安らかに、この世の命に「ひとまず」「さよなら」を言えたであろうにと、残念な気がする。

 始終思っていることであるが、99%の日本人は「自分がどこから来たのか」「人生の目的は何か」「死後どこへ行くのかという重要な命題に対して答えを持っていない。この重大なことを曖昧にしたまま、何十年も生き続けて、最後の土壇場でどうなってしまうのかという絶望と不安の真っ直中で死んでいく。キリスト信仰を持っている人々の場合、キリスト教会では、病気になると周囲のキリスト者が訪れ、そして特に牧者たちは死の床に寄り添っているから、最後に希望を持って永遠の世界への旅立ちをすることが出来るのである。そういう意味では、わざわざ「臨床宗教師」などという必要もなく、牧者たちは自然体でこの務めを果たしている。この世での「死」はお終いではなく、絶望でもないのであり、永遠の世界への希望に満ちた旅立
なのである。
 

 「死なない人間はいないわけで、では死が不幸だと言ってしまうと、あらゆる人が不幸になってしまうわけです。でも、やっぱりそうでは無いのではないかと思うし・・・。まぁ、人間の目から見れば色々あるかも知れないけれども、もっと大きな仏様の視点から見ると、一つの大きないのちの流れの中だから、ということになるんでしょうね。・・・・・ゆっくり、ゆっくり向き合って進んでいくのが良いのですよね。」
 「自分のいのちって誰のものなの」と呟いてしまう臨床宗教師の僧侶には、土台難しい課題なのだろう。


 この僧侶は、こうして善意から死に行く人の助けになりたいと思いながら、その善意は空回りをせざるを得ないのは、この発言の中に滲み出ているように、当人の中に迷いが渦巻いているからであり、それは、仏教の死生観では、生も死も解決されていないために迷いのまま残っていて、死が不幸だからである。「極楽浄土」などと言っているけれども、それは「教え」であって、どこまで行っても人間の教養講座でしかないから、安心は来ない。

 
東北大学大学院文学研究科で、実践宗教学寄付講座主催の「臨床宗教師研修」が行われた。次のような興味深い一コマが紹介されていた。
 

 「患者の体調が比較的良いときにこそ、「死」ということを取り上げて突き詰めて考える対話が出来たら・・・」という発言に対して、講師は「内容が内容だけに、突っ込んじゃうと相手をすごく傷つけてしまう。人によって全然違うんで、・・・こちらがこうじゃないかなというのは危険な部分があって・・・」と、本質に触れることには消極的な発言である。すると、受講者はさらに突っ込んで、「危険な部分があるんでしょうけれど、そこで変わっていかないと、本当の意味でその方が安心して生きていけない。」すると講師は、「その方の安心に繋がるのか、ただ単にこちらの満足を押しつけることになってしまうのか、ぎりぎりの所だと思う。」と、また疑念を語る。このような赤裸々な、一生懸命な取り組みには敬意を表するし、実際、あれかこれかの迷いは山とあるだろう。相手は生きた人間であり、十人十色であり、一律にこうだと決めつけるわけには行かないのは、常識的にはその通りである。


 重要な話し合いの場で、その本質を語れないもどかしさはどうだろうか? 信仰心に篤い日本人は、八百万の神々を拝み、詰まるところ、「いのちは誰のものか」「人生の意味・目的は何か」「死後どうなるのか」という、人間として最も重要な命題に答えを持っていないから、中心的論点をはずして、ボンヤリした慰めを与えようとする。ほどほどに何とかなっている人の場合には、イルカと遊んで得られる慰めと大差はなくても充分かも知れない。しかし、死に瀕している人にとって、このような曖昧な励ましや慰めでは、どんな解決にもならないのである・・・・諦めという情けないものしか。

 筆者自身、病気の故ではなかったが、「人生」「人のいのち」「死」という問題に深く考え始めたときに、科学もあるいは既成の「優れた教え」も、このような命題に答えを持っていないことを発見した。そして、究極の答えはイエス・キリストの福音にあったことを発見させて頂いた。興味のある方は、筆者のサイトに詳しく証しを書いているので読んでみて頂きたい。

            ************************
 心臓弁膜症という死ぬかも知れない大手術を目前にした一人の人が、死の恐怖に恐れおののいていた。この人がどのようにして本当の安心を得たかという実話を、次回ご紹介したい。

 

14:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
Comment








Trackback

講演依頼&お問合せ

公式サイト案内

講演情報_バナー

ご案内


skype_seminar_sidebuner4-e1357803993569.png




christmas_1.jpg
安藤和子 文 / 神谷直子 絵
800円(定価)

カテゴリー

最近の記事

過去の記事

安藤和子の紹介

Comment

  • ノアの洪水の史実について学ぶ:加古川バプテスト教会において
    Yukimichi Okabe (11/06)
  • STAP細胞 (16) 笹井芳樹理研副センター長自殺! 自分自身を赦せなかったのだろうか?
    吉村友喜 (08/07)
  • STAP細胞 (16) 笹井芳樹理研副センター長自殺! 自分自身を赦せなかったのだろうか?
    tera (08/06)
  • 老人には時速5kmで踏切を渡りきれない! / 踏切も交差点も若者対象の設定
    頭の悪いおぢさん (05/11)
  • STAP細胞 (9): 後出しジャンケンで 「グー・チョキ・パー」 全部を出した指導者
    武田照子 (04/19)
  • STAP細胞 (6) 関係する記事を公式ホームページに公開
    田口哲夫 (04/10)
  • STAP細胞 (3) 著者/共同研究者たちの責任・他施設の専門家たち
    やすだ (04/03)
  • STAP細胞 (2) 関係者たちの理解し難い対応・著者たち、他施設の専門家たち
    杉森 経弘 (03/19)
  • 盗んだ人、盗まれた人
    ソープ (07/25)
  • 盗んだ人、盗まれた人
    Yasuhisa Hamada (07/25)

Link

Search

Feed

Mobile

qrcode 無料ブログ作成サービス JUGEM