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B級戦犯として処刑された学徒出陣兵: A級戦犯の死刑は7人、B, C級戦犯の死刑は約1000人
序論:日本史・かつて日本は廃墟となった  

 「池上彰の戦争を考えるスペシャル 〜悲劇が生み出した「言葉」〜」という番組を発見して録画をしたのだが・・・どうやらこのスペシャルは、これ以前に4回あったらしく、今回でシリーズ5回目らしい。しかも、今回のこの番組は再放送らしく、8月の敗戦記念日を中心にして放送されたもののようである。確かに、戦争関連の番組は8月中旬を中心にして企画されるものである。ちなみにこの池上彰氏は非常に博学で、テレビで様々な講義を繰り広げている人気者だそうである・・・・今頃それを知った。

 日本はかつて世界大戦を戦ってボロボロになったこと、空恐ろしいB29という爆撃戦闘機がこの日本列島の上空を我が物顔に飛び回り、焼夷弾(しょういだん)や爆弾を雨あられと人々の頭上に浴びせかけたこと、その結果、東京も大阪もその他の大都市も焼け野原になったこと、大勢の非戦闘員、女性も子どもも赤ん坊も見境なく殺戮(さつりく)された・・・。現在、中東諸国の凄まじい状況をテレビで見て、日本は関係が無いと思う人もいるかも知れない。しかし、69年前に日本はあのようだった。東京・大阪・広島・長崎の惨状は、もしかしたら、もっとひどかったと思わせられるほど、語り尽くせない惨状であったのである。戦後は浮浪児が町に溢れて、惨めな姿を進駐軍の兵隊たちの前に曝さなければならなくなった日本だった。かつて日本人が飢えに苦しみ、そんなに惨めで苦しい体験をしたなどということなど露知らぬ素振りをする政治家たちは、原発事故の時に露呈したように、国民の目を逸らせて真実を知らせない隠蔽(いんぺい)体質は益々凄まじくなり、遂に「特定秘密保護法」を制定して、新たな戦争準備を始めている。

 
 明治維新から世界大戦の渦に巻き込まれるまで実は一筋の道を突き進んできた日本史を、おぼろげでも迷わず辿ることの出来る日本人は、もしかしたら余りいないのかも入れない。外国に出てみて分かったことは、日本人が(当時、筆者と同年代の若者たち)、驚いたことには日本の歴史、地理、政治、文化など、自分の国のことを知らないということであった。そのために「勉強に励む勤勉なはずの」日本人が、まことにバカに見えてしまった。池上彰の戦争を考えるスペシャルは、彼が「傍観者」の立場であっても、あるいは多少偏った見解を持っているとしても、マスコミを使って様々な情報を人々に知らせようとしている態度は評価できる。

きけ わだつみの声 

 今回は、第二次世界大戦で「学徒兵」として出陣させられ、特攻隊として、又捕虜になって飢えのために、又戦後戦犯として命を絶たれた青年たちのことに焦点を合わせることにする。戦没学徒74人の遺書や遺稿を集めた「きけ わだつみの声」(漢字で書くと、「聴け海神の声」となり、海神とは戦没学徒のことである)という本が、1949年に出版されていることは、多くの人々に知られている。しかし、それから65年、今はもう、もしかしたら知らない人の方が多いのではないかと危惧するが、戦争のために若くして非業の死を遂げた学徒兵たちのやり場のない苦悩、心の叫びを、少し紐解きたいと思う。

 この「きけ わだつみの声」の中で注目される木村久夫さんは、1942年4月京都帝国大学経済学部に入学し、その年の10月に学徒出陣、終戦翌年の1946年5月23日、シンガポールの刑務所にてB級戦犯として絞首刑になった、享年28歳。
 この本で紹介されている木村久夫さんの遺稿は獄中で愛読した「哲学通論」の余白に、「日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死にきれないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬのだと思えば、腹も立たない。等と書かれたものであったとされた。

 「軍隊のために犠牲になる」のは我慢ならないが、「日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬ」ことは受け容れることが出来るという、当時の泥まみれの世俗的思想に流されず、自ら国民のためなら死ねるという真っ直ぐな考え、潔さを、28歳の青年が持っていたことにびっくりする。「天皇陛下のために死ぬ」というのが、当時の指導者たちが人々の骨の髄まで叩き込んだ思想であったにもかかわらず、である。

隠されていた「わだつみの声」

 そして、実は、公になっているもの以外に、遺書がもう一通、隠されていたのが発見された。その内容が紹介されていたので、ここに書き写して紹介する。
 「戦火に死ななかった生命を今ここにおいて失って行くことは惜しみて余りある。せめて一冊の著述でも出来うるだけの時間と生命が欲しかった。(後に残る人々が)自由な社会において自由な進歩を遂げられんことを・・・地下より祈ることを楽しみとしよう。真の日本の発展はそこから始まる。凡ての物語が私の死後より始まるのは誠に悲しい。」

 「せめて一冊の著述でも出来うるだけの時間と生命が欲しかった。という悲痛な叫びに胸を打たれる。28歳の若さで上官(上官はその上官を、又その上官を、そして究極の上官は軍部の幹部、東條英機であろうか?)の罪を背負って絞首刑に処せられる。処刑30分前に記した遺言である。「せめて一冊の著述でも・・・」と、生命を奪われてしまうやりきれなさを、このように書き綴った心を思い遣らずにはおれない。そして、こうした理不尽な出来事で命を奪われてしまうようなことが、二度と起こってはならないと思う。と同時に、筆者が今までこの世に生かされてきた命、一分一秒でも、あだやおろそかに無駄に費やしてはならないと改めて思ったことである。

 さらに、痛烈な軍部批判が綴られていたために隠されていたようである。
 「日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測していた通り、やはり国を亡ぼした奴であり、凡ての虚飾を取り去れば私欲そのものの他は何ものでもなかった。軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものに他ならなかったことは反省し、全国民に平身低頭、謝罪しなければならぬ所である。」

 自分をこのような窮地に追いやり、殺されてしまうことに至った全責任は軍部にあるのだと、ただ単に怒りをぶつけているのではない。軍部が国を亡ぼしたことに怒りを覚え、軍部の何たるかを明確に分析している。そして、国を亡ぼした軍部は反省し、謝罪しなければならないと言っているが、謝罪をする相手は天皇とは言っていない。「全国民に平身低頭、謝罪しなければならない」と言っているのは、彼の考えが時代を先んじていたことは恐ろしいほどである。

 
ここでちょっと道草をする。
 半年ほど前のことだったか、何かのコメンテーターとしてテレビに出ていた自民党の重要なポストに就いていた女性議員が、自分たち(即ち全国民をということだが)を、天皇の「臣下」と言っていた。日本国では、1945年までは、どうやら国民は天皇の臣下であったようである。しかし、第二次大戦後、天皇は「象徴」という訳の分からない存在にはなったが、日本国民を支配する存在ではなくなったはずである。国民は天皇の臣下ではない。しかし、その場でこの間違いを訂正する人は誰もいなかった。筆者にとっては青天の霹靂(へきれき)で忘れることが出来ない。この70年近い昔、古い教育を受けたこの青年は時代を大きく先取りしていたので、詫びを入れるべきだと決めつけた相手を間違わなかったのはあっぱれである。


 彼の遺書の続きを読もう。
 「
この見るに堪えない軍人を代表するものとして、東條英機首相がある。さらに彼の終戦における自殺未遂は何たることか、無責任なること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。もし、これを聞いて怒る軍人あるとするならば、終戦の前と後とにおける彼らの態度を正直に反省せよ。」


 第二次大戦の不始末の全責任は、軍部の総帥である東條英機首相にあると明快に指摘しているのは胸がすく思いがする。この時点では、極東国際軍事裁判(1946年5月3日〜1948年11月12日)が始まって3週間ほど後のことである。その2年半後に、判決があり東條英機は死刑に処せられた。東條に対する世間の評価は様々であったようだが、しかし、要職にあった人物であるから、このようにすっきりと東條の罪科を整理できていた人物はそんなに多くはないだろう。東條の自殺未遂が当時どのように受けとめられたのか、よほど深く調べないと実際の所は分からないだろう。しかし、自殺を図って成功しなかった不首尾をなじる声は相当あったようであるが、このように自殺を図ったこと自体を無責任極まると思った人々はそんなに多くはなかっただろう。それは国の指導者であった人物が、絞首刑の辱めを受けることが耐えられない、せめて自分で死んでくだされば良いという思いを持っていた人も少なくないのである。

・・・最後に「遺骨は届かない。爪と遺髪とを以て、それに代える。処刑半時間前 擱筆ス。」と、書かれていた。処刑後、死体が粗略に取り扱われるだろうことを予測していた悲しさは、いかばかりであっただろう。

 又道草をする。
 「擱筆」は「かくひつ」と読む。「筆を置いて書くのを止める」という意味で、漢字が難しいだけではなく内容的にもほぼ死語である。現在筆を使って文字を書くのは、実務的意味は無く文化的行事でしかない。何気なく使っている「鉛筆」も、実は「鉛の筆」である。そして、「筆圧」「筆まめ」「文筆家」「筆箱」「執筆」「達筆(文字や文章を巧みにこなすこと)」「悪筆(文字を上手に書けること)」「弘法筆を選ばず(本当の名人は、道具の善し悪しなど問題にしない)」など日本文化の底流に、こうして言葉として今もなお跡を留めている。
 終戦翌年、国語審議会により当用漢字1850字が制定され、難しい漢字への制限が設けられた。又、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の「漢字使用の目安」として
「常用漢字表」が、2010年には2136字が告示された。

戦争責任を取ったのは誰? 一般庶民と下級兵士である 

 連合国によって裁かれた「戦犯」は、罪の重いものからA級、B級、C級に分類されたことは、今の時代でも知っている人は多いだろう。最も責任の重かったA級戦犯が靖国神社に祀られていて、そこへ国の要職にある、大臣やまして首相が参詣するので、近隣諸国からひんしゅくを買ってニュースになるので若者も知るようになっている。国を間違った方向に導いた人々と、犠牲になって殺された人々を同じ神社に合祀することに、日本人でも嫌悪感を催している人々は多いだろう・・・神社への信仰を持っているか、他の信仰を持っているか、信仰の如何に関わらずである。

 ところが、日本人は、一般的に何ごとも水に流して「まぁまぁ」と物事を荒立てず、良く言えば平和を好む、悪く言えば好い加減に済ます習慣に慣れ親しんで生きている。さらに宗教的寛容の精神と、死者は「仏」になるという思想があって、なおざりにされているという側面もある。だから、近隣諸国の怒りが分からない、信仰音痴である。しかし、時の指導者たちの責任は果てしもなく大きいので、犠牲になった近親者にとっては「まぁまぁ」と言って済まされては、余りにも残酷なことである。

 一番責任の重かったA級戦犯はたった7名が死刑になっただけである。それなのに、苦労を強いられた下級の兵隊たちは現場にいて上官の命令を拒めなかっただけであるからこそ、その責任は重くないB級、C級とされたのである。しかし、現場にいたために憎しみを受ける対象になったのであろう。BC級の戦犯とされた下級兵士は、実に、1000名が死刑に処されたのである。

 戦勝者が形だけ正義の仮面を被って敗者を裁く東京裁判などが正しかったとか、間違っていたとかいう論議はここではしない。ただ、責任の重かった者たちが余り重い刑を受けないのに、下っ端の兵隊が戦後まで「正義の仮面」の犠牲になってしまったことにはやりきれない思いがするのである。

 放送では、池上彰氏を囲んで招かれていた人々がいたが、その人々との会話の一端を紹介する。
 池上:「木村久夫さんは上官の命令でやったこと。彼は責任を問われて処刑されたが、上官は重い罪に問われなかった。処刑を免れている
 若い女性:「どうしてですか?
 池上:「それぞれの事情で違いますが・・・現場の人間だけが処刑をされた。戦後、責任逃れをした上官たちが大勢いた
 中年女性:「こういうことが自由に言えればよかったのに。そうすればこういうことは起こらなかった
 池上:「そこで大切なのは、言論の自由

現在の日本の言論の自由度

 そこで、池上氏は言論の自由について話題を振った。
国境なき記者団が180ヶ国を対象にして調べた各国の報道の自由度のランキングを紹介した。こういう調査は、毎年行われているようである。私たちは、日本の報道の自由度はどれ位だと思うだろうか。その場にいた人々は、日本は相当上位であろうと予測していた。

 2014年度の自由度は、1位:フィンランド、2位:オランダ、3位:ノルウェー、・・・14位:ドイツ、33位:イギリス、46位:アメリカ、と日本は出て来ない。そして、・・・57位:韓国、59位:日本であると発表された。これには、筆者も驚かされた。日本はずっとトップクラスで、2010年は11位まで上がったが、その後下がったのは、福島第一原発の事故が起きたとき、情報が錯綜したり、混乱したり、政府もいろいろ情報を隠していた。その後、さらに下がったのは「特定秘密保護法」が制定され、一挙にこの順位に成り下がったそうである。

 外から見ていると、韓国には余り自由がないように見える。権力者は圧倒的な権力を誇り、権力に悪事が加担して財力が蓄積する。それを難詰する自由を持っていないように見受けられ、しかも、一度権力が失脚すると、大統領は刑事被告に叩き落とされる国である。その韓国より、日本の方が自由度がないとはどういうことであろうかと出席者は不審を口にしたし、筆者も心底びっくりした。
 
 そして、148位:ロシア、175位:中国、179位:北朝鮮、180位:エリトリアという順位は、すんなりと理解出来る。

私たちには「暗く見える現実」と「希望に輝く未来」

 このような状況は時代が変わっても、今も全く変わらないことが、言論の自由度という一つの尺度によっても推し測られる。政治家は悪いことをすると、自分は「知らぬ、存ぜぬ」を通して、秘書たちが処罰されるのと同じ図式である。役所でも警察でも会社でも、業績の褒美はトップが手に入れ、悪いことがあるとトップは逃げてしまって、一番下っ端か、たかだか課長位が責任を引っ被ることになるのが、日本の社会である。

 ジグザグ行進をして、時には完全に後戻りをしてどん底に突き落とされたように見えても、人類史は後戻りはしていない。ノーベル平和賞を受けたマララさんほどの苦難を日本女性は味わわなかったとしても、人間として自立して生きる道筋が薄ボンヤリと見えてきたのは第二次大戦後、参政権が与えられてからであった。男性も一般庶民はなかなか基本的人権を獲得できず、普通選挙権を与えられたのは1928年であった。

 
 男性も女性も、日本の一般庶民の歩む道は、まだまだ険しいが、それでも一歩一歩前進してきたし今も歩み続けている。パキスタンにも明るい希望の光が射し込んでいる。少女たちの健気な戦いが勢いを増してきていることからも、私たちの目にも見え始めているのである。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ書29章11節)

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ロマ書5章4節)
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