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吉田松陰・深い思索をした哲学者・時代を先駆けた故に投獄、そして斬首刑
長州の天才児:激動の時代には、英雄が現れる

吉田松陰については、名前だけは歴史で教わるのでほとんど誰でも知ってはいるが、明治維新の理論的・精神的指導者・思想家・倒幕論者である。私塾「松下村塾」で、明治維新で重要な働きをする多くの若者、伊藤博文・高杉晋作・山縣有朋・木戸孝允(桂小五郎)・久坂玄瑞・品川弥二郎などの弟子を育てた。
時の政権に反対して断罪されたこともよく知られているが、政府に殺されたとしても吉田松陰が悪人であったと理解している人は今はいないだろう。

彼は、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され、取り調べの結果、牢屋敷にて斬首刑に処された。若干29歳であった。
「時の権力に抵抗して斬首刑にされた」というだけならば、権力者はおべっかを使わない相手をいつでも抹殺するので、ある意味でどうということもない。しかし、それまでのわずか29年の生涯に彼が築き上げ、後の世に残したことの大きさには目を瞠るものがある。今の時代で考えると、29歳と言えば、ヒヨコである。しっかりとした自分自身の思想を構築して何かをなしている、あるいはなそうとしている若い人材が一体どこにいるのであろうかと、首をかしげざるを得ない。

世の激動期には、例えば江戸末期から明治維新にかけて、優秀な若者が輩出した。
あの頃の若者は、日本を憂い大義に立って、世の権力者から迫害されてもものともせず、自己を殺して奮闘していた優秀な若者がいた。今の狂った世にこそ、そのような優れた若者の輩出を待ち望む。あの時代の思想とは異なったものであるべきだが、二十一世紀の吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛などなどのようなお金に取り憑かれていない大人物が出てほしい。

手厳しい吉田松陰の戒め
  
彼が遺した戒めは「もっとも」と思われるものも数多く、今の時代にもしっかり受け止められるべきものが多い。しかし、何とも受け入れがたいような手厳しすぎることも書かれている。

「学問は藩に役立てるためにやっている公のこと。その最中に虫が止まって痒いというのは私事である。」と、蚊が刺してもそれに煩わされてはならないというのは、どうも理解できない。公務で旅をするときも、公務のためには私事を棄てなければならない。「用を足すのは私事である。用を済ませた後、走る。私事の無駄な時間は走って取り戻さなければならない」という手厳しさである。公私混同の甚だしい汚れきった桝添東京都知事の耳の穴をほじくって怒鳴って聞かせたい。

「江戸の学者は皆、学問は生計を立てる手段と考えている。人が貫く道として学問を志す人がいないのはどういうことだ」

「佐渡の金山では奴隷のようにこき使われ、盛岡では優れた軍馬が生産されるが利益は官が取り上げる。国の護りの基礎を支える人々が、幕府や藩に追い詰められている現実に私は疑問を抱く」

吉田松陰が死罪になるまで

吉田松陰が密航を企てたことは有名であるが、共に密航を企てた身分の低い金子は牢で死に、松陰は生き延びた。身分の低い者が志を果たせない国の現状に松陰は疑問を膨れあがらせていく。

長州藩の藩主宛に意見書を提出した。
「将軍は天下の賊である。大義に照らしてこれを討滅して少しも許してはならない。」
高杉晋作や久坂玄瑞等5名の弟子たちが、「決起は容易でなく、かえって藩に迷惑が掛かります」と松蔭をいさめる血判状を出したが松陰は聞き入れなかった。

幕府批判する学者と密会したという疑いで幕府により取り調べを受けたが、本来は軽い罪で済みそうであった。しかし、老中の暗殺を企んでいたと言ったため、結局、1859年、斬首された。

 「留魂録」:獄中で 門弟たちに当てた遺書

江戸・小伝馬町牢屋敷の中で書かれた遺書で、全16節からなる。

冒頭に辞世:身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

第八節は、松陰の死生観を語るものであり、現代の私たちの心にも強く訴えかけてくるだろう。

第八節(現代語訳)

今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えるからである。
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れる。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。

私は三十歳で生を終わろうとしている。
未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳のうちに自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。


もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。


松陰は、大きな志を達成するために、常識にとらわれないで行動するという意志を「狂」の文字に託した。
松陰の死(1859年)の8年後、幕府は倒れた。

吉田松陰語録
 吉田松陰の見解は、現代においても十分重要な訓戒である。

 *私心さえ除き去るなら、進むもよし、退くもよし、出るもよし、出ざるもよし。
 *小人が恥じるのは自分の外面である。君子が恥じるのは自分の内面である。
 *人間たる者、自分への約束を破る者がもっとも下らぬ。死生は度外に置くべし。
 *世人がどう是非を論じようと、迷う必要はない。世俗の意見に惑わされてもいけない。

 *学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。
 *君子は何事に臨んでも、それが道理に合っているか否かと考えて、その上で行動する。小人は何事に臨んでも、それが利益になるか否かと考えて、その上で行動する。

 *世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。
 *思想を維持する精神は、狂気でなければならない。志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない。
 *だいたいにおいて世間の毀誉(悪口と称賛)というものは、あてにならぬものである。



 

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