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言葉は生きている(4):「言葉たち」は日本語として公認の言葉か?
言葉たち

朝日新聞社説で「党首討論 空費される言葉たち」という見出しに、正直びっくりした。

「忙中閑あり」で、頭がくたびれたときに
ブログにたわいない「お喋り」を繰り広げるので、本項も「言葉たち」という言葉遊びが主題である。が、主題に入る前に、この社説の本論に少しだけ触れておく。

憲法学者の意見を無視する首相

安全保障関連法案を「憲法違反である」と、
衆院憲法審査会に参考人として招かれた憲法学者3人が断言した。政府・自民党推薦の学者が政府の意向に真っ向から反対したのは見ものであった。昨今、日本がかつての帝国主義に成り下がる気配が窺われて多少心配していたが、しかし、民主主義や自由がまだ息も絶え絶えであっても日本に多少は残っているということだろう。

憲法学者に「憲法違反である」と断じられたあと、
国会で
首相が「答弁」に立った「はず」であった。当然、憲法をめぐり活発な議論が戦わされると期待した「はず」だが、議論は低調で、首相と民主党の岡田代表が互いに「私の質問に答えていない」と言い合ってお終いだった。朝日新聞社は、それを評して「党首討論 空費される言葉たち」と言ったのである。

もっとも、まともに討論しないのは、今回に限ったことではない。
国会であれ、県議会であれ、まともな討論をしているのを余り聞いたことが無いような気がするが、どうだろうか? そんなに熱心に聞いているわけではないので、余り大きなことは言えないが、下らない野次を飛ばす首相が権力を振るっている国である。安部さんは肩すかしが甚だ上手であるので首相として長生きしているに過ぎないという感じさえする。野党も一番肝心なことを突かないので政府の肩すかしを食らってしまっているということのように思える。

県議会で大泣きをして、世界中に日本国の大恥を曝した議員のいる国である。アイドル議員が国会をサボって遊びに行っても解雇されない国である。


この国はどちらへ彷徨い出るのだろうか? 大いに心配である。

文化的な美しい日本語

日本語は実に豊かで潤いのある、文化的で美しい言語である。しばしば、主語抜きの文章で立派に意味が通るような言語である。単数と複数を一々区別する必要のないことが多い言語である。時制(過去か現在か未来か)も然りで、一々きちっと言わなければならない文脈と、言わなくても間違いなく解る文脈とがある。

このように理屈を捏ねると、そんなこと言わなくても良いじゃないかと反発が起こりそうであるが、しかし、このような美しい文化的な言語を苦労せずに駆使して来たし、崩れつつあるとは言え今以て使っている民族なのである。


それが、外国語、特に英語が日本の国に入ってきて、日本語に混乱を生じている・・・混乱と言って悪ければ変化を生じている。その一つが、ここで取り上げている複数形の表示である。英語では、複数形を使う名詞と複数形の無い名詞とは厳密に区別されている。この短い文章の中に綴られている名詞を取り上げても、「言語」「主語]「文章」「民族」「外国語」「名詞」などは、それぞれ末尾に「s」を付けて複数形にするが、日本語はその必要はない。すなわち「言葉」という言葉も、日本語の本来としては複数形はない。

言葉は時代により、地域により確かに生きているので変化していくが、さりとてどうでも良いということではないだろう。「空費される言葉たち」と敢えて言わなければならなかったのだろうか? 昔なら、「空費される言葉」とあっさり言ったかも知れず、あるいは「空費される数々の言葉」と言ったのかも知れない。言葉の専門家であるはずの新聞記者が、それも社説の欄だから正しいのか、とチラッと思いはしたが、この頃は、新聞記者でも、アナウンサーでも、ひどい日本語を使うので、余り信用出来ない。

日本語の数の数え方

日本語は、「本棚に本が並べて置かれていた」という表現がまかり通る言語である。この本を一冊とか二冊だとは誰も思わないだろう。すなわち、英語だと"books"と言って、"a book"とは区別するが、日本語は区別しないでも、少なくとも数冊以上だと理解出来るのである。数を敢えて言わなければならないときには、それぞれに独特の美しい言葉を使って数を言い表す。本は一冊、二冊と数える。靴や箸は数を言わなくても、通常、一足、一膳と理解してしまう。英語では一対という表現になる。

家は一軒、二軒、アパートは一棟、二棟、車は一台、二台、電車の車両は一両、二両、人は一人、二人、・・・そして、動物の数え方は面白い。犬や猫は一匹、二匹、ところが馬や牛は一頭、二頭、鳥は一羽、二羽。魚を一尾、二尾と数えるのは魚屋だけか? そう言えば、兎は一羽、二羽と数えるそうだが何故そうなったかは、諸説(7
〜8説)あるが、キーワードは、鳥に似ているということらしい。
同じ言葉を重ねて複数にする例もある。いつからそうなったのかは知らないが、「人々」「国々」「山々」「家々」は抵抗なく使われているが、「川々」「星々」はどうだろうか? 「幾つもの川々が流れて」とか、「満天に無数の星々が輝いていた」ではなく、「幾つもの川が流れて・・・」「満天に無数の星が輝いていた」が普通の違和感の無い日本語であると筆者は思うのであるがどうだろうか。「口々にわめき立てて」とは言っても、「大勢が々をそばだてて」などとは言わない。

言葉たち、笑い声たち、海たち???

その内に、「〜〜たち」と言って、何でも複数形にするのではないだろうか? 時代と共に変化していく言語ではあっても、それは然るべき節度を持って変化して欲しいと思うのである。日本語の変化の度合いは、かなり凄まじく大きいという気がする。また、その地域差も、良くも悪くも非常に大きい。地域によっては、土地の人同士が話している言葉は、殆どまるきり解らないことがある。

筆者は数多くの言語を知っているわけでは無いので比較できないが、あの大きなアメリカ大陸で東と西と南で、多少異なっているのは事実であるが、解らないほどではない。また、時代を言うと、確かにシェークスピア(1564〜1616)まで時代を遡ると難しいが、それでもぎりぎり理解の範疇に入っているように思った。ところが、日本語は、江戸時代に差し掛かろうかという時代の文学は、とても読めたものではない。それどころか、明治時代の文学でも結構難しい。

日本人は、言語の変化に抵抗しない民族なのだろうか? 



 












 
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