地上の星:人を恐れず天を仰いで 「広岡浅子物語」
「地上の星」シリーズ ご案内
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「聖書を読む会」特別企画
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
第1回 2011年10月7日(金)
第48回 2016年2月19日
各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
TEL・FAX026-295-6705
「地 上の星」リスト・2016年3月
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長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。
興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。
今回は時の人、広岡浅子である。NHKの宣伝力のおかげで、無名だった一人の女性が突如として、日本中に知られる人物になったようであるが、どうやらかなり魅力的に作り変えられている話らしい。NHKで放映しているドラマが、広岡浅子がモデルの小説のドラマ化したものだとは知らなかったが、このドラマに触発されたのかどうか、民放で彼女の生涯を取り上げていたのを聞いて、まさしく度肝を抜かれた。あの時代に、こんなにすごい人がいたのが信じられない気がした。今の時代でも、彼女ほどの生き様を貫き通すことの出来る人がそうそういるだろうかと思わされた。この驚異的なスケールの大きさは生まれつき与えられた才能だろう。
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上にコピーした要約は、読みづらいので、下に書き改めて示す。
9月から放送されるNHK 朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン、「今井あさ」(後に白岡あさ)のモデルとなった女性である。豪商三井家の四女として生まれ、17歳で大阪の豪商、加島屋の次男、広岡信五郎に嫁ぐが、夫は三味線や茶の湯など風雅に興じ、店は手代に任せきり。
この危機に、浅子は簿記、算術、今律、経済の知識を、寝る間も惜しんで習得し、のちに加島屋を救うことになる。20歳の時、明治維新が起こり、家運の傾いた加島屋の立て直しに奔走する。
さらには炭鉱事業に着手。護身用のピストルを懐に単身炭鉱に乗り込み、坑夫らと起き伏しを共にした、という冒険談も伝えられている。明治21年には、加島銀行を設立、35年に大同生命創業に参画して、加島屋は大発展を遂げた。
明治29年、梅花女学校の校長、成瀬仁蔵の訪問を受けたことがきっかけとなり、浅子は明治の元勲を含む人脈を駆使し、実家の三井家も目白台の土地を寄付させ、明治34年に、日本女子大学校(現・日本女子大学)設立にこぎつけた。
ところが60歳のとき、長年放置していた胸のしこりが乳癌の末期となっていたことを知る。手術は成功し、自分が無事生還できたのは、まだなすべき使命があるからではないか、と思っていたとき、熊本バンド出身の牧師、宮川経輝より懇切に聖書を学ぶ機会を得て、ついに受洗。クリスチャンとしての新しい人生が始まった。
婦人運動や廃娼運動にも参加し、大正3年からは毎夏、御殿場で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいた。「私は、遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と言っていた浅子は1919年(大正8年)、波乱万丈の生涯を終え、天に召されていった。
今回は、テレビ放送では扱われることのない浅子のクリスチャンとしての側面にも光を当てて、その生涯から学びます。
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「聖書を読む会」特別企画
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
第1回 2011年10月7日(金)
第48回 2016年2月19日
各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
TEL・FAX026-295-6705
「地 上の星」リスト・2016年3月
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長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。
興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。
今回は時の人、広岡浅子である。NHKの宣伝力のおかげで、無名だった一人の女性が突如として、日本中に知られる人物になったようであるが、どうやらかなり魅力的に作り変えられている話らしい。NHKで放映しているドラマが、広岡浅子がモデルの小説のドラマ化したものだとは知らなかったが、このドラマに触発されたのかどうか、民放で彼女の生涯を取り上げていたのを聞いて、まさしく度肝を抜かれた。あの時代に、こんなにすごい人がいたのが信じられない気がした。今の時代でも、彼女ほどの生き様を貫き通すことの出来る人がそうそういるだろうかと思わされた。この驚異的なスケールの大きさは生まれつき与えられた才能だろう。
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上にコピーした要約は、読みづらいので、下に書き改めて示す。
9月から放送されるNHK 朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン、「今井あさ」(後に白岡あさ)のモデルとなった女性である。豪商三井家の四女として生まれ、17歳で大阪の豪商、加島屋の次男、広岡信五郎に嫁ぐが、夫は三味線や茶の湯など風雅に興じ、店は手代に任せきり。
この危機に、浅子は簿記、算術、今律、経済の知識を、寝る間も惜しんで習得し、のちに加島屋を救うことになる。20歳の時、明治維新が起こり、家運の傾いた加島屋の立て直しに奔走する。
さらには炭鉱事業に着手。護身用のピストルを懐に単身炭鉱に乗り込み、坑夫らと起き伏しを共にした、という冒険談も伝えられている。明治21年には、加島銀行を設立、35年に大同生命創業に参画して、加島屋は大発展を遂げた。
明治29年、梅花女学校の校長、成瀬仁蔵の訪問を受けたことがきっかけとなり、浅子は明治の元勲を含む人脈を駆使し、実家の三井家も目白台の土地を寄付させ、明治34年に、日本女子大学校(現・日本女子大学)設立にこぎつけた。
ところが60歳のとき、長年放置していた胸のしこりが乳癌の末期となっていたことを知る。手術は成功し、自分が無事生還できたのは、まだなすべき使命があるからではないか、と思っていたとき、熊本バンド出身の牧師、宮川経輝より懇切に聖書を学ぶ機会を得て、ついに受洗。クリスチャンとしての新しい人生が始まった。
婦人運動や廃娼運動にも参加し、大正3年からは毎夏、御殿場で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいた。「私は、遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と言っていた浅子は1919年(大正8年)、波乱万丈の生涯を終え、天に召されていった。
今回は、テレビ放送では扱われることのない浅子のクリスチャンとしての側面にも光を当てて、その生涯から学びます。
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2016.03.20 Sunday | category:信仰・クリスチャンの生活
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