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言葉は生きている(7):「させていただく症候群」・敬語の乱れ
敬語は日本語だけか?

「日本語には複雑な敬語があって煩わしい」、「英語には敬語がないのであっさりしている」という「常識」が日本の社会に横行し始めたのはいつ頃からだろう?
そして、日本人自身の手で自分たちの言語をけなし、突き崩し、訳の分からない言語にしてしまおうという暗黙の力が社会に働いているようである。確かに、日本の身分社会の中で築き上げられてきた言語は、複雑で微妙なニュアンスを含んでいたり、敬語が微妙に入り組んでいるのは事実である。しかし、英語には敬語がないと錯覚して英語圏に出かける人々は大失敗をしでかすのである。

人間が二人いると必ず上下関係を生み出すのは、ロビンソンクルーソーがフライデーとの間に築いた主従という人間関係が好例だろう・・・作り話ではあるが、人間の機微を雄弁に物語っている。英語も、その頃のイギリスの厳しい上下関係のもとに築き上げられた社会規範の中で生まれ、使われてきた言語の一つである。家族間の会話、ごく親しい友人間の会話、初対面の人の間での会話、職場やその他の上下関係のある人の間の会話は、相互に異なっているのである。

自分の言語に愛着を失った日本人

日本人であるということに自信を失ったのは、紛れもなく「無条件降伏」から、「アメリカの進駐」によって「国土占領」の屈辱を味わい、植民地に近い状態になったことがきっかけだろう。沖縄はアメリカの支配下に置かれ、一番良いところは全部米軍の基地として没収され、今なおそれがほとんどそのまま続いている。沖縄だけではなく、本土にも数多くの米軍基地が相も変わらず存在している。そして、米国の兵隊による無法な犯罪は後を絶たず、それを日本は裁くことさえ出来ない。日本国内の至る所に、日本の司法が届かない「アメリカ」が存在している。

このような屈辱を、屈辱と認識しない日本人! 
様々な苦難を「肩すかし」のような驚くべき一手を用いて、すり抜けるすべを日本人は知っているのであろうか? 

第二次大戦によって、国土が蹂躙されたのはドイツも同じであった。しかし、ドイツは罪、責任をヒットラーとナチスにすべて負わせることが出来たという特殊事情があったせいであろうか? あるいは、ヨーロッパという国同士がせめぎ合いをして生きてきた歴史的な訓練を経てきたせいであろうか? ドイツは敗戦から立ち直り、本当の意味の「自立」を取り返したように見える。

一方日本は、見かけ上の自立をしたように見えながら、アメリカが整えた道を引きずられて歩いてきた。日本国中に基地というアメリカをいっぱい背負って、そして日本国全体はアメリカに上手に乗せられ、アメリカの「子分」になっていることさえ気づかない。いつまで経っても対等の親しい関係を築き上げることが出来ないのである。

そうした自信喪失の中で、思い・意思・感情を伝える言語は当然のこととしてかき乱されてしまったのである。
正しい日本語を護ろうとする意見は、後ろ向きであるとか、進歩を阻むとかと非難中傷のやり玉に挙げられ、その非難の頂点が敬語であり、また難しい漢字も極端に制限をするに至った。言葉遣いも乱れに乱れた。

行き過ぎへの反省?

そして、そのような流れに対する反省が生まれ、一方で極端に難解な漢字を競う「漢字検定」みたいな動きがあり、一時は大流行したようである。送り仮名の付け方や筆順もどんどん変更され、筆者などが昔教わった知識の多くが、「間違い」だと決めつけられるが、・・・言語のルールをこんなに、どんどん変更してどうするの?という感じである。

そして、一方では、敬語の問題である。
実は、正しい敬語を知っている日本人が少なくなった。国語を教える教師たち、正しい言語を使わなければならないアナウンサーや文筆業・・・新聞記者など。小説家も一応この中に入れても良いが、小説家は奇を衒うところがあるので、必ずしも正しい言語を使わないようである・・・の人々が、間違いだらけの日本語を使っている。
東京人は、自分たちは標準語を使っていると誤解しているが、彼らは東京弁を喋っているのである。
頻繁に聞くのは、「はじ」である。アナウンサーが「端」を「はじ」と読むのであるから、「恥」だよねと思う。

相手に媚びるために使う間違った敬語・「させていただく症候群」

敬語の使い方は確かに難しい一面はある。特に、学校の教師が知らないのだから、それらの教師に教わった人々が正しい使い方を知知る機会は少ない。
だが、敬語排斥が行き着くところまで行った後に、漢字同様、揺り返した来たようで、それがもう10年にもなるのだそうである。「敬語を使わなければならない」と言われると、何でもいいや、何にでも敬語を使ったら良いのだろうと思うらしい。

ペットにも、ご飯をあげる、散歩に連れて行ってあげると敬語を使う。物体にも敬語を使う。車を洗ってあげて、鉢植えのお花に水をあげて、道路のお掃除をしてあげる。「感動させていただきました」のように、本来配慮したり遠慮したりする必要がないのに使われることも頻繁にある。「感動しました」が正しい日本語だろう。本来謙遜語で語らなければいけない肉親のことまで、「お」がついて「さん」がついて、そして敬語である。「私のお母さんがお洗濯をなさった」「私のお父さんが元気になられた」に至っては、開いた口がふさがらない。そうかと思うと、「さん」を付けてはいけないという中途半端な知識を駆使して、自分の親のことは「父」「母」と言うべきところを、「父親」「母親」と言う人が増えている。謙譲語を知らないのもほどがある。

敬語を使うべき対象ではない時に敬語を使い、本来敬語で表現しなければならないときに、かえって敬語を省く。そして失敗する。結局、しっかり知らないために「思い切り重ねて丁寧に言ったらそれで良い」みたいな、ダブル敬語、トリプル敬語も多用されるようになった。
同じ「見る」という動作であっても、三通りの表現があるのである。敬語では、相手に敬意を表す尊敬語(ご覧になる、見られる)、自分がへりくだることで相手を高める謙譲語(拝見する、見せていただく)、相手に敬意を表して上品に言い表す丁寧語(見ます)がある。面白いのは、「食べる」という言葉である。尊敬語は(召し上がる・・・こんな言葉は聞かなくなった)、謙譲語は(頂く)であり、丁寧語は(食べます)である。ところが、どうも「食べる」という言葉が消えてしまっているようで、「しょくする」という変な言葉に入れ替わっているようである。

心がへりくだっていないのに、へりくだらなければならないという緊張感のなす技か?敬語に自信がないからついつい過剰に敬語的な表現を使ってしまうのかも?「〜させていただく」を連発するのを聞かされることがよくある。だが、「感動させていただく」などという日本語はないし、自己紹介の時に、自分が「〜を担当させていただいて」「〜この資料を準備させていただいて」「配らせていただいて」「ご説明させていただきます」というのは、日本語とは言えないだろう。たいていの場合は、単純明快な丁寧語に置き換えることが出来る。

こういうおかしげな言葉を使う症状を、「させていただく症候群」というのだそうだ。





 
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