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安田講堂事件47年:大人の理不尽に、怒り、行動することを知っていた若者たち

世界で、昔の若者は大人の理不尽に怒った!

 

泥沼化したベトナム戦争にアメリカで反対運動が起こり、フランスでも学生たちが蜂起(5月革命)した。このベトナム戦争に駆り出されるアメリカの若者たちにとって、ベトナム戦争は自分たちの問題であった。実際、ベトナムからの帰還兵の多くが、精神に異常を来したほどの異常な戦争であったようである。

 

日本でも、ベトナム戦争反対、安保条約反対といういわゆる政治的な学生運動が激しくなったが、一方でその域を抜け出し、自分たちの生活の問題、大学の自治の問題で立ち上がったので、一部の学生の運動ではなくなり、大勢の学生全体の問題になった。こうして学生たちの大人に対する不信感、怒りが日本中の大学で爆発した。その究極に安田講堂事件が起こった。

 

安田講堂事件に至るまで

 

医学部の学生は、卒業後1年間は研修医として無給で奴隷のように働かなければならず、その後の学生たちの将来を教授たちが握っており、教授に逆らうことは生活を失うことであった。大学という城は、特に医学部は、「白い巨塔」以上の魔物であったのである。

 

よく考えたら、筆者が所属していた理学部も、基本的には同じだったのであるが、理学部学生にはその自覚はあまりなかったという気がする。大学院生は、無給どころか授業料を支払って労働者として働いていたのである。ただ、「論文の著者にして上げるよ」、やり通せば「修士号」、そして究極の「博士号」というニンジンを鼻先にぶら下げられていたという客観的な状況を把握していなかったのかも知れない。もっとも、話にきく医学部のように組織や教授による峻烈な締め付けはなかった。

 

権力者たちは、学生たちが命令に従わないことに怒った。政府は弱者を締め付ける権力であるということは大勢が知っている。しかし、学生を教え、導く立場の総長が、さっさと警察力を導入したことに学生たちは怒った。当時の大河内東大総長が機動隊を導入して大学を武力制圧しようとした。このけしからん行動は、学生たちの怒りに油を注ぐことになった。安田講堂の占拠は、話し合いの場から総長が逃げ出してしまったことに始まったのであり、学生たちが理不尽にも安田講堂を占拠したのではなく、総長が話し合いを拒んだことに拠るのである。数々の理不尽は、大学側の行動にあるのである。

 

安田講堂事件

 

安田講堂事件全体は、医学部がそもそもの始まりであったし、理系の学生は、このような運動の先頭を切るだけの能力がないので、他学部の力ある学生たちの後ろをついていくだけである。まして、当時大学院博士課程の筆者たちは、ただ、「あれよ!あれよ!」と見ていた無力な立場であった。そして、最後に大量の機動隊が入ってきて、東大の安田講堂が戦場と化した日、筆者たちは大学に入れてもらえなかった。貧乏な大学院生は、洗濯機やテレビなどという結構なものを下宿に持ってはいない。夜中まで営業している喫茶店に居座って、自分たちの大学が戦場と化していく姿をただ呆然と見ているしかなかった。

 

その年、入学試験は中止になった。高校3年生や予備校生や、その親たちは、「自分たちはすでに東大に入って、将来はエリートとして生きる道を与えられているから、こうして暴れ回って後輩の行く手を阻むのはけしからん」と言った。しかし、この運動の指揮者は、実は東大生ではなかったと聞いている。このような運動の指揮を執るにはエリートはあまり役に立たないので、近隣の大学の運動家が指導者としてやってきて東大生はむしろそれに従った形で、一緒に主力部隊として安田講堂に立てこもったようである。

 

物理的には、多くの校舎がボロボロになった。分けても安田講堂は見る影もなく破壊され尽くした。しかし、破壊されたのはこのような物理的な構造体だけである。本部機能も失った。多くの情報も失った。しかし!

 

安田講堂事件で失ったもの

 

「東大でなければ大学ではない」と心の中でうそぶいていた人々、「東大を出て、大学教授への道を突っ走り、あるいは官僚になり、あるいは一流企業に入り、出世街道まっしぐら」という東大流の世界観、権力を振りかざして弱い者いじめをしていた人々の世界観は大きく変わるだろうと淡い期待をしていたが、完全に裏切られた。

東大のエリートは頭が固い。そもそも頭が固いからこの事件が起こったのである。

 

運動に全力投入し、国家権力によって逮捕されたのは、安田講堂だけでも377人だという。それ以外の建物に立てこもった学生たちを加えれば、400人を越えるだろう大量の逮捕者が出た。その人々の人生は変わっただろうし、実は、どうやら悪くはならず、吹っ切れて豊かな人生を歩いてきた人々も大勢いるようである。

このような運動に積極的に携わった人々を筆者は知らないが、当時、理学部と言えども大学の制度改革には頭を悩ませていたのである。そんな小波の中にいた人々も大なり小なり、その人生観は影響を受けた。そして、予定していた道を大幅に変更した人々もいたのである。

 

あの後、連合赤軍による旅客機ハイジャック事件が起こったり、様々な暴力的な運動が起こったりして、安田講堂事件に集約されたかつての若者の「目的意識、夢」は、どうやら雲散霧消してしまったのだろうか? 

そして、あれから47年。北朝鮮に逃れ出た連合赤軍の人々も、人生の終わり近くになって、望郷の念ひとしきりだそうである。北朝鮮でどのような生活を送っているかについてちらほらと伝わってくるが、彼らは、自分たちのしでかした若い日の過ちに歯ぎしりしているのだろう。

 

大学改革を目指して全力を尽くして闘争したが、結果的に実を結ばなかった。勝利者のいない闘いであった。

運動が実を結ばなかった結果として世の中にもたらしたもの、それは、今の若者が現状に妥協するようになっていないかということである。なるようにしかならない、一生懸命に闘っても何も得ることがないのなら、「長いものに巻かれた方がまし」と思っていないだろうか? 

選挙権の年齢が引き下げられたが、若者の投票率の低さは目を覆うばかりである。選挙に行っても「得することは何もない」みたいなあきらめムードを持って、現実に流される生き様は、若者ではない。

 

安田講堂事件にまで至った当時の若者たちは、現状に飽き足らず、常に上を向いて改善しようと喘いでいたのではないだろうか。それこそが若者の生き様である。昔の若者である筆者は、今の若者に若さを持って欲しいと思う。肉体は若いだろうけれど、若さは肉体ではない。精神の若さを獲得して欲しいと切に願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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