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「野心と医学の進歩」のため「心臓移植実験」をして二人の青年を殺した「優秀な?」外科医ー2

日本初の心臓移植・・・序文

 

先に、日本初の心臓移植について少し紹介した

1968年、今から48年昔のことであるが、明らかに人体実験以上の悪意が感じられる事件であったが、医療関係の事件は罰せられることが非常に少ない。専門知識が必要であり、しかも隠蔽体質の濃厚な医者仲間であり、互いに護り合うので、外の人間が入り込めない体質である。かくて、あの事件も不起訴になった。

 

筆者は、臓器移植に関してかなり関心を持っていたので、何冊か本を読んで多少はこの事件のことを知っていたが、こうして特別スクープとして取り上げられたのは、半世紀という時間が経ったからだろうか? 関係者は殆ど故人になってしまっているのだろう。

今回、幸いにしてこの番組を録画しておいたので、番組の内容を詳細にここで紹介したいと思う。

 

筆者は、「医療・医学」は「科学」ではなく、「医者は科学者ではない、あるいは科学者であってはならない」としばしば言及する。このように言うと、殆どの医師は嫌な顔をする。人の命を預かる医者が、何故科学者でありたがるのであろうか? 筆者には到底理解しがたい感情である。医者は人の命、一つしかないかけがえのない命を預かっているのであり、本来は失敗は絶対赦されない職業である。人の命は、何にも替え難い尊いものである。科学とは異なり、試行錯誤をしてはならないのである! 実験材料にするなど言語道断である。

 

医者と科学者は、似て非なる別の職種である。

 

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組・・・日本初の心臓移植

 

番組は、移植を受けた患者と、生きていると思われた間に心臓を奪われた青年二人は仮名で、又一人の医師も仮名であったが、それ以外の登場人物は全て実名であった。そして、証言したかつての関係者である医師は、顔を出して自分の言葉でメディアの前で語った。この部分は  で囲んで示し、その人々の語るのを聞いて、その通りをここに書き写した。

 

今回の番組を、出来るだけ番組に添って、放送された順番に、放送された通りにここに再現することにする。もとより画像はない。ネット上に写真や、画像が公開されているものがあり、ここに示した方が状況をよく説明できると思われるものが見つかったら、それはネットから拝借することにする。

 

総括天才外科医「奇跡の手術」の光と影

 

誰も触れようとしなかったタブーがある。それは48年前の心臓移植手術だった。

1968年、札幌医科大学付属病院。46歳の和田壽郎 天才胸部外科医

 

和田の発言「家族の一人が心臓を提供したと、ここに私は喜んで嬉しくて皆様にこのことを、真面目に心からご報告申し上げます。」

 

心臓を取り替えて生きている。その姿に日本中が熱狂し、新たな医療の期待を抱き、未来を見た。

 

ところが、患者が死亡すると、・・・・新聞の論調は手のひらを返したように変った。

新聞の大見出し 

 和田心臓移植の疑問点

 脳死の証明、記録無し

 生きた人間から心臓を取り出したのではないか

 心臓提供者の死亡時刻に疑問視

そして

 殺人容疑で刑事告発される・結果は嫌疑不十分で不起訴

 

心臓提供者を診た医師

  「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった。」

 記者の質問: (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

 「かなりの確率で、社会復帰できたのではないかと思う。」

 

奇跡の手術と言われた和田心臓移植、封印されてきた・・・今光が当たる

 

和田医師の受けた教育と才能

 

和田は28歳で渡米し、4年間心臓外科の技術を学ぶ

最先端の心臓外科医療を学び、帰国後まもなく35歳で札幌医大・胸部外科の教授に就任。驚異的な若さだ。

 

和田医師の部下だった小松作蔵さん(85)

「非常に優秀な人で、アイデアマンで、思いついたことをすぐ実行に移すというところが、我々とは違うなと感じてました。」

 

*実際、医療史にに残る数々の発明を残している。

  一人用高気圧酸素タンク、和田式人工肺、彼が開発した心臓の人工弁

  ワダ・カッター弁(心臓の人工弁)は、世界初の人工心臓に使われた、臨床に応用された完全埋め込み式

 

*毎日二つの手術を行う集中力、10年間の手術数は約7000件に及ぶ

 

小松作蔵さん(85)「手術の腕は最高でしたね。カリスマ的というか・・・」

 

移植手術の1ヶ月前

 

そのようなカリスマのもとに、ある患者が入院してくる。心臓の弁に障害を持つ市川さん(仮名)、当時18歳

後に、日本初の心臓移植の手術を受け、83日間生きた人物だ。

当初は、障害のある弁を、人工弁に換える手術を受ける予定だった。

 

・・・・が、あるとき、和田(当時46)がそそのかしに行く

市川(仮名)「心臓移植・・・ですか?」

 

筆者の見解・感想・・・当時、心臓移植などということは日本人だけではなく、人間の概念の中にはなかっただろうから、そのようなことを聞いても、何のことだかよく分からなかったことだろう。

 

 和田がアメリカで共に勉強した人が 世界で初めて心臓移植

 

僅か7ヶ月前に、世界で初めて、南アフリカで心臓移植手術に成功している。

世界の最先端医療である

 

執刀医:クリスチャン・バーナード、和田がアメリカ留学で、机を並べた仲だった

  1967年12月3日、交通事故により脳死状態になった24歳の女性から55歳の男性に移植

  術後18日目に肺炎で死亡

  1968年に二回目、術後19ヶ月間生存

  1983年に医師を引退するまでに、49例の心臓移植

そのニュースを知った和田は、すぐさま南アフリカまで執刀医を訪ね、心臓移植手術について議論した。

 

小松作蔵:「あいつもとうとうやったか。我々もやらなければ、という気に(和田は)なったと思う。」

 

自伝「神から与えられたメス」に、和田は次のように綴った

「世界の心臓胸部外科から取り残されまいと努力を続けてきた。」

 

心臓提供者現れる・・・救急車内で息を吹き返す

 

そんな中で出会ったのが市川さん(仮名)だった。こうして、日本初の心臓移植へと準備は整っていった。

そんなある日、8月7日(手術前日)札幌から約50km離れている小樽市・蘭島海岸で海水浴客が溺れる事故

夏休みで帰省中だった大学生吉村さん(仮名、21歳)、後に心臓を提供することになる人物である

 

駆けつけた日赤奉仕団員が救護所にいた・・・当時医大生(22歳)だった林 雄三さん(70歳)である

彼の記憶は生々しい。

「呼吸はしてない、意識もない、脈は触れない。放置すれば(死亡してしまう)という状況」

 

救助された吉村さん(仮名、当時21歳)は、生死の境をさまよっていた。

その時、救急車が揺れた、その直後、脈を回復・・・

「頸動脈の脈拍が、先に触れました」と林 雄三さん 

「状態が完全な心停止ではなく、心室細動という状態だったのが、呼吸路が出来たために、改善してきたのだと思う。」

 

吉村さんは息を吹き返したのか?

 

搬送先の病院で

搬送先の病院で治療した医師、上野冬生さん(80)(当時32歳)は、その決定的な場面に立ち会った。

 

「自発呼吸がありましたしね。血圧なんか計っても、130くらいあったし、だから(容体が)悪くなるということはあまり考えていなかった。」

 

治療開始4時間後には、瞳孔の対光反射があり、容体は安定

「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった」

 

筆者見解・感想・・・関係者であり、又、半世紀も経過しているということがあり、表現は柔らかくなっているが、彼らが診察した結果は、まさしく生きていることの証拠である。医者が脈を取るのは、心臓が動いているかどうかを診るのであり、心臓が動いているのは生きているということである。さらに、自発呼吸があった、すなわち自分で呼吸していたのである。

 

上野医師は治療を院長に引き継ぎ帰宅

 

当時の新聞記事は大きく取り上げた

「懸命の人工呼吸40分、心臓が動き出した 一度は死んだ水難大学生」

 

人の死の定義・脳死定義

 

ここで、人の死の定義と、現在の日本における脳死の判定基準を示す。

*人の死の判定基準:「死の三兆候」

  呼吸停止

  心拍停止

  瞳孔散大・対光反射消失

これが、人が死んだと医者が「臨終」を宣告する時の絶対的な基準であったし、今も基本的にはこれである。すなわち、呼吸している人、心臓が動いている人、対光反射を示す人を死んだとは言わないのである。

 

現在、臓器移植を進めるために「脳死」の定義は以下のように定められている。

「脳死」の定義:脳が永久に機能を失った状態

脳死判定基準

〇彪磴紡个垢詭吉娠性

呼吸停止

H深佑両端

で焦箸諒臣害

 

和田医師の所へ転送された密室ミステリー

 

上野冬生さん

「次の日の朝(病院へ)行きましたね

昨日の方はどうなりましたかと聞いたら、(和田医師がいる)札幌医大に送られたと」

 

二人の医師が「息を吹き返した」と証言した患者を、である。

「一度は息を吹き返した吉村さん」は、和田がいる札幌医大付属病院に送られていた。溺れたその日のうちに、午後8時5分、札幌医科大学付属病院へ搬送されていたのである。

 

札幌医大病院の闇のミステリー

 

札幌医大の治療室で待ち構えていたのは、和田を筆頭とした10人以上の胸部外科医たちだった。

ところが、わずか10分ほどで手術室へ

 

その状況を聞いた麻酔科の医師たちは・・・蘇生が必要な患者が運ばれれば、必ず呼ばれるはずだった麻酔科医の内藤裕史さん(当時、36歳)は、呼ばれなかったのである。

内藤さん(84)

「溺れた患者さんが入ったら、まず麻酔科の医者に話が来るはずで、私たちに何の連絡もなくて、手術室に溺れた患者さんが入っているのは、異常な状況だから、どうしたんだろうと思って(手術室へ)行ったんです。」

 

溺れた患者の蘇生措置は、最初に麻酔科医の気道の確保から始まる。

 

・・・筆者注:気道を確保するのは一つの技術で麻酔医が行うので、溺れた患者の蘇生措置は、当然最初に気道を確保することであるから、麻酔医が呼ばれなければならない。なのに、この時には、気道確保の措置をしなかった、つまり、助ける意志がなかったと理解されても仕方がない。大体転送する必要のない患者を札幌医大に転送したさこと自体が変であり、悪意さえ感じられる。

 

ところが、そこで麻酔科医の内藤さんが見たものは、手術の準備が進められていたことである。蘇生には本来使わないはずの免疫抑制剤などの大量の薬だった。

 

内藤「溺れた患者さんの蘇生をするときには、海水で溺れたか、真水で溺れたかで治療が変わるわけですよ。

(それを)知らなくて溺れた患者さんの蘇生が出来るのか」

 

患者である吉村さん(仮名)の胸に聴診器を当てた

「普通、溺れた患者さんだと プズプズ プズプズという音がするんだけれども 肺の音はきれいだった。

Q 心臓の音は?

「心臓はもう聞く必要なかった。

肌はピンク色で 意識が無いというだけで・・」

Q (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

「かなりの確率で社会復帰できたのではないかと思う。」

 

筆者見解:肺の音がきれいで、すでに溺れた患者の肺の状態ではなかったのである。そして、心音を聴く必要がないと医者が判断する状態で、肌がピンク色だった。これは、やがて意識を回復するだろうと予測できる状態だったのではないか? 少なくとも、「死」とはほど遠い状態だったことは議論の余地はないだろう。

 

功名心にはやる和田の人体実験か?

 

何が始まろうとしているのか理解できないままに手術室を出ると、和田から告げられたのは

「実は心臓移植をやろうと思う」午後、8時半頃

 

和田医師の主張

吉村さんの蘇生をしたが、その後容体が悪化し、午後10時10分に死亡判定したと答えている。

脳波平坦 心拍停止などを確認したことから死亡と判定した

 

そして遂に、深夜、午前2時5分 心臓移植手術を開始

 

術後順調に回復していく市川さんの姿に、メディアは殺到

和田は一躍、時の人となった。

 

偽りの光の世界から闇へ転落

 

しかし、その後容体は急変 83日目に市川さんは亡くなった。

 

すると一転

新聞記事 「和田心臓移植の疑問点」「脳死の証明、記録無し」「死亡時刻に疑惑」

和田医師は殺人容疑で刑事告発される

 

一番の争点は「正しい死亡判定は行われたか」

和田医師の主張

「瞳孔に対光反射なし 自発呼吸無し 心拍停止 脳波平坦などを確認して死亡と判定した」

死亡判定に一人の医師が大きく関わっていた

その人物は部下の胸部外科の高橋医師(仮名)

高橋医師が蘇生中に、吉村さんの容体は悪化、心電図で心停止したことを確認

脳波が平坦になったことも調べた。

それらの報告を聞き、和田は死亡判定した、と言う。

 

筆者見解:他の医師の証言とは、正反対の食い違う証言である。

 

警察は高橋医師に話を聞こうとしたが、捜査が始まる4ヶ月前にガンで亡くなっていた。

 

心臓移植は必要だったのか?

 

和田の主張

市川さんの心臓は、複数の弁が悪化していたため、一度に人工弁に換えるのは危険性が高いと判断、移植手術を勧めた。

 

筆者見解:仮に弁が悪くても、一つずつ対応する方法はあっただろう。市川さんの命を救うことを考えるなら、初めての心臓移植の危険を冒す必要はなかった。実際、オーストラリアの移植は18日で死んでおり、失敗であったと言わざるを得ないのに。

 

そこで検察は、市川さんから摘出された心臓で、どれほど弁が悪かったか確かめようとした。

すると弁は全て切り離されてしまっており、病状を詳しく調べられない状態になっていた。

これについて和田は、こう説明している。亡くなった高橋医師らが、研究のために弁をくり抜いたと証言。・・・筆者感想:「死者に口なし」である。

 

捜査はおよそ1年7ヶ月にも及んだが、捜査項目全てについて、殺人と認める十分な証拠がないとして、嫌疑不十分で、不起訴処分となった

 

和田の記者会見

「私は非常に良いことをした。出来るだけした。

人間でこれ以上のことが出来るか。これからこの手術をもっともっと

これだけプレスの人が集まらなくても 皆 拍手するように我々は努力をしていこうというふうに、何度も自分に言い聞かせております。それが その後考えていることであります。これはずっと変わっておりません」

 

その後和田が心臓移植手術をすることはなかったが、長年に亘る胸部外科医療への貢献は高く評価された。

名誉会長:日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会

名誉会員:日本呼吸器外科学会・日本人工臓器学会など

 

日本初の心臓移植

あの時和田は何を思っていたのか?

内藤裕史さん「野心と、もう一つは医学の進歩のため」

「若しかしたら助かったのかも知れないけれど、一人が犠牲になっても心臓移植の第一歩を踏み出して、その後に心臓移植がたくさんあれば、医学の進歩になるだろうと(和田は考えたと思う)」

 

その後、1997年、日本で臓器移植法が施行 

1999年 国内二例目の心臓移植手術 31年が経っていた。

 

筆者追記: 世間では、「助かる方法は臓器移植しかない、心臓移植しかない」と、まるで臓器移植をすれば助かるかの如き宣伝がされており、人々の同情により1億円以上の募金を募り、海外に出かけて移植を受けている。手術後の生存期間が、例え1年であっても、助かったと意気揚々と帰国した姿だけがマスコミに流れるので、多くの人々はだまされている。しかし、組織適合をしっかり行って、万全の準備をして移植を受けても、助かるとは限らない。もちろん、48年前の殺人のような無謀な手術とは異なり、術後の生存率は上がってはいるが、それでも、「それしか助かる方法はない」というような状況ではない。

 

筆者心臓移植適応患者の生存率について、以下の論文のデーターをご紹介する。

以下のデータをどのように考えるかは個人差があるだろう。手術しなければ、10人中3人が助からないが、他の人の心臓をもらって手術を受けても、10人中2人は助からない。

 

国際心臓・肺移植学会統計(1997年4月〜2008年10月)

    40,755人の心臓移植者 未移植患者293人

1年生存:78〜79%      70%

5年生存:64%         32%

10年生存:45%        20%

 

http://plaza.umin.ac.jp/~hearttp/PDF/2008yogo.pdf

 

http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph108.html

 

心臓を上げるドナーについては、「人にあげるために役に立つかどうか」という視点でしか論じられないことが多いが、実は、和田氏のようなひどいことをしなくても、臓器を取り出しても良いという「脳死判定」には大きな問題がある。

単純には、脳死判定が正しく行われても、’昌猗縦蠅亮蟒腓ら考えて、判定のためにこの患者を死の淵にたたせることになる。臓器を取り出されているドナーは、どうやら断末魔の苦しみを味わわされるらしい。

詳細は以下の書籍を読んでください。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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