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ユダヤ人を救った音楽家近衛秀麿と、A級戦犯となり服毒自殺した異母兄、近衛文麿

生まれながらに栄誉と権力に包まれていた近衛家

 

戦争責任を問われて巣鴨拘置所に呼び出され、裁かれる前に自分で裁いて、服毒自殺してしまった元首相、近衛文麿(写真、Wikipedia)のことを覚えているのは、筆者の世代が最後だろうか? 今の若い人々は歴史で教えられても、戦争責任を問われて絞首刑にされてしまった東条英機の名前は覚えていても、自殺して逃げてしまった当時の近衛家の当主、近衛文麿の名前は忘れられているかも知れない。そして、若しかしたら異母弟の近衛秀麿の方が知られているのかも知れない。

 

近衛文麿の肩書きを書き連ねると、「輝くばかり」の「栄誉」に包まれ、今の人々には何のことやらと思われるような、仰々しい肩書きである。生まれは、五摂家(公家の家格の頂点に立った五家・・・近衛家・九条家・二条家・一条家・高司家・・・)の近衛家の第30代目当主で、生まれながらに栄達を約束された家系に生を受けた、後陽成天皇の12世孫にあたる。

 

勲一等旭日大綬章、公爵、貴族院議員、貴族院副議長・議長、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、農林大臣、司法大臣、国務大臣、大政翼賛会総裁等を歴任した。第一次近衛内閣では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争が発生し、戦時体制に向けた国家総動員法の施行などを行った。国内の全体主義化と独裁政党の確立を目指して、大政翼賛会を設立し総裁となった。

もっとも、表向きにはこのように栄誉を得ていても、彼の人生をサラッと見てみると、仰々しい家柄に生まれてからの子ども時代から、どうやら幸せではなかったようであるが、それはこの小文とは関係が無いので省略する。 

 

外交政策では、八紘一宇と大東亜共栄圏建設を掲げて、日独伊三国軍事同盟や、日ソ中立条約を締結した。言うならありとあらゆる栄誉と権力を手中に収めたのである。                                                注:八紘一宇とは「天地四方八方の果てに至るまで、この地上に生存する全ての民族が、まるで一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である。

 

A級戦犯となり、青酸カリ自殺した近衛文麿

 

敗色が濃くなると、昭和天皇に「近衛上奏文」などを出して、戦争早期終結を唱えたりした。戦争責任から逃げだそうとしたのであろうか?

 

戦争終結後、東久邇宮内閣で国務大臣として入閣し、大日本帝国憲法改正に参画しようと意欲を燃やしたのは、よもや戦争責任を問われるとは予想していなかったのであろうか? 開戦前の日米交渉に自身が果たした役割が書かれた手記が朝日新聞に掲載されたが、これを読んだ昭和天皇は「近衛は自分にだけ都合の良いことを言っている」と呆れ気味に語った。

 

近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判された。

近衞は『世界文化』に「手記〜平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張した。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。

 

福田和也(評論家、学者)は、伊藤博文(1885.12~)から小泉純一郎(~2006.9)までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、近衛(1937.6.4~1939.1.5 & 1940.7.22~1941.10.18, 在任期間、合計2年10ヶ月)のあまりの無責任さの故に、最低の評価点を与えている。

筆者は近衛文麿よりむしろ、もっと無責任で非常に短命であった総理大臣を上げたい気がするが、最低だと評価する対象は故人から選ぶ方が差し障りが無いということだったのであろうか?


ともあれ、巣鴨拘置所に出頭を命じられた日の未明に、近衛文麿は青酸カリを服毒して自殺した。

 

異母弟の近衛秀麿(写真、1939年、Wikipedia)

 

音楽家の秀麿は兄と違って気の強い人物であった。秀麿は1936年以降、終戦まで政府音楽大使としてヨーロッパで指揮者として活動した。当時ナチスが政権を握っていたが、秀麿はナチスを嫌っており、たびたび彼らの意向を無視したことで嫌がらせを受けながら公演を続けていた。日本のオーケストラにとってパイオニア的存在であったが、様々なことが相俟って音楽家としての評価は必ずしも良くない。・・・がそのことは、本稿の主題ではないので触れない。

ある日、総理となった文麿から国際電話があり「ドイツ大使館からお前のことで文句を言われている。総理の面子を保つため、ナチスの言うことを聞いてくれないか」と言ってきた。秀麿は兄の弱気ぶりに憤慨して「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返した。

以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通になってしまった。

戦後、兄弟が再会を果たしたときに、文麿は「お前は自分の気持ちを貫いて立派だったよ。お前に比べたら自分は何も残せなかった」と、かつてのことを繰り返し詫びたという。また、「お前は音楽家になって良かったなぁ」というようなことも言ったようである。

文麿の悟りきったような態度に、秀麿は兄の死を予感して、毒薬を隠し持っているのではと探し回ったそうであるが、文麿は入浴の際にも肌身離さず持っていたので家族にも見つけることが出来なかったという。

 

ユダヤ人音楽家との交流・逃亡を援助

 

日本のオーケストラの礎を築いた後、再びドイツへ渡り、ベルリン・フィルをはじめ、数多くの交響楽団の指揮をした。ところが、ヒトラーの率いるナチス・ドイツによる動乱の時代に突入したが、近衛文麿の弟として日独親善の先頭に立っていた秀麿は、身に危険が及ぶことも顧みずユダヤ人音楽家の国外亡命を援助した。秀麿はユダヤ人音楽家たちの希望の光となった。

第二次世界大戦が勃発した後も、秀麿はドイツに留まって、戦乱に傷つく欧州各地で指揮棒を振り続け、窮地に陥ったユダヤ人音楽家の逃亡を陰で手助けした。

 

ユダヤ人を助けたことでは、「6000人のビザ」で杉原千畝が最も有名であるが、それ以外にも様々な民間人がこのように、大小様々な援助の手を差し伸べている。人の歴史には語られなくても、神様の記録にはしっかり留められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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