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サッカー、サッカー、サッカー!!! 日本中、サッカーしかないのか?恐ろしい全体思想

マスコミは、サッカーで狂乱の騒ぎである。

日本にはサッカーしか、他には何も無いかの如き様相である。確かに、サッカーしか何も目に入らない人々もいるのは確かだろう。しかし、日本人の何パーセントの人々がこのようにサッカーに夢中なのだろう?

 

このように日本中が、まるで一つであるかの如き狂乱状態を呈すると、映像でしか知らないヒットラーを取り巻いた当時のドイツの姿を思い起こす。その頃、日本も軍国主義一色であった。アメリカも参戦した後は、「パールハーバーを忘れるな!」のその一点で、一致団結させられた。そして、その後にはソ連のスターリンの独裁、そして何回も様々な局面での中国の「一致団結」。そして北朝鮮の独裁制の狂乱はいつまで続くのだろう。一体何がどうなっているのか外部の人間には一切分からない。

 

このように国全体が、あるいは地方全体が、あるいは何かのグループ、それが例え数人のグループであっても、全体が一致団結すると人は理性を失って、「何でも出来てしまう」みたいな状況を醸し出す。グループが小さくて、別の逃げ道があればそこから抜け出すことは可能であるが、抜け出すことの出来ないグループにはまってしまうと狂乱の生活の中でどんどん人間であることを忘れてしまう。もう、昔のことになってしまった感のある「オウム事件」は、そのような「一致団結」の恐ろしさを日本人に改めて思い出させたのである。ただ、このような全体主義思想は自分とは無縁だと思い込んでいることこそ、全体主義思想を助長する温床なのであり、実は、多くの人がその中で生きている。そして、日本中はしばらく、「オウム事件」一色で塗りつぶされた。

 

全体主義的思想は、人から理性を奪い、全体の中に巻き込まれていると、とにかくも安全である。「個」を主張すること、他の人とは異なる「独自の考え」を述べること、他の人とは「異なった行動をする」ことは、恐ろしい危険に曝される。実態は色々であるが、「みんな」という訳の分からない言葉で、人は簡単に踊らされる生き物である。

 

スポーツは、しばしば人間の理性を奪い、狂乱の踊りを踊らせる。このような大騒ぎが起こると、筆者が体験した昔々の小さな事件を思い出す。筆者が高校生の時のことであるが、国民体育大会(国体)が県で開催されることになり、当然のことながら学校は上げて参加し、応援した。どの競技に学校が参画したか覚えていないが、当時、その高校はサッカーが強かったからサッカーは多分参加したのであろう。それ以外に、どの競技に出たのかは全く覚えていない。ただ、学校は応援に行くようにと生徒たちを鼓舞し、奨励した。

 

それは自然なことであり、それ自体は悪くない。その高校は、当時の他の高校に比較すると、非常に自由を大切にし、生徒一人一人の個性を育てることに心を用いた高校であったと思う。そろそろ受験戦争の嵐が荒れ始めた時代であったが、その高校は「全人教育」を目指していた学校で、大学受験のためだけの「机にしがみついた勉強」を評価しない教育が行われていた。従って、生徒たちもいわゆる「ガリ勉」を軽蔑し、勉強もクラブ活動もきちんとこなす生徒が尊敬されていた。

 

その高校の生徒の大多数は、当時としては珍しくそのようなバランスの取れた高校生活を、何とか曲がりなりにも楽しんでいたように思う。「ところが」である。勉強だけではなく、クラブ活動も運動も大切であるという考えを歪んで解釈した教師がいた。勉強も、クラブ活動も、運動もというこの「も」を曲がって考えたのである。国体があったら、「運動が」唯一大切であると決めつけ、教職員も生徒たちも一人残らず、国体に夢中になり、応援に全力投球すべきであるという全体思想を生徒たちに押しつけたのである。

 

国体終了後、その教師の授業の第一時間目、「国体の応援に行かなかった者は手を上げなさい」と、手を上げさせたのである。この教師の国体に対するこれまでの考えを生徒たちは知っていたので、手を上げたらクラス全体の中で叱責されることは分かっていた。それで、知らん顔をして無視した生徒がかなりいた。しかし、数名は手を上げた。予想通り、彼は「大学受験だけが大切ではない。このようなスポーツ大会に応援にも行かないで、机にしがみついて勉強ばかりしているようでは、ろくな大人にならない、云々・・・」の叱責を加えた。

 

国体の応援に行かないということが、すなわちガリ勉であると決めつけた教師に、筆者は猛然たる反感を覚えた。小さい頃から運動に関しては人並みのことが出来ないために、教師に痛めつけられ続けていた筆者は、当然のこととして運動嫌いで、激しい劣等感を持っていた。ガリ勉だから国体の応援に行かなかったのではない。勉強は一生懸命したが、さりとて、大学受験につながることばかりしていた訳ではない。ただ、単純に運動が嫌いだったのである。ただ、問われて手を上げないという振る舞いは筆者には出来なかった。何を言われるかが分かっていても手を上げた。彼の非難を黙って聞いていた。それに反論するすべはなかった。心の中に彼への反発心が沸き上がっていた。

 

運動が好きな人は、自分が一番出来る種目だけではなく、どの運動をしてもある程度はスマートにこなす。いわゆる運動神経が発達しているのだろう。逆も真である。運動が出来ない人は、何をやっても人並みに出来ない。

 

人の好みも様々である。運動の好きな人、嫌いな人、勉強が好きな人でも、数学が好きな人、物理が好きな人、生物に関心を持つ人、音楽が好きな人、絵画が好きな人、文学が好きな人・・・・・実に、人様々である。この多様性を認めない、全体主義思想は人間をダメにする。空恐ろしい思想である。

 

日本は、あるいは世界中、このような全体主義思想でうごめいているのかも知れない。

 

まだ、決着を見ていないレスリング界の騒動も、その一つである。あのようなとんでもない監督がパワハラをし続けて、・・・通用したような群れは恐ろしい。そして、その彼を支持して、まるでドラマの悪役がほざくような台詞を平気でマスコミの前で、パワハラの被害者である選手に更に追い打ちを掛けて非難の暴言を「吠えた」〜大学の「学長」。どのように贔屓めに見ても、彼女はまともな人間とは思えない。

 

そうかと思えば、アメフト騒動・・・・巨大な大学という閉鎖社会。この中で生き残るためには、口をつぐむしかないという恐ろしい群れが、大小様々、日本にどれ位あるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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