昨年11月頃から、世界のあちこちで流行の兆しが見え始めた新型コロナウイルス。当初は恐ろしそうには伝えられてこなかった。様々な変遷を辿って、現在、2020年6月、ある地域では多少下火になり、別の地域ではいつまでも収まらず、別の地域では新たに荒れ始めて、ニュースと言えばこの新型コロナウイルスのことである。
様々なウソとほんとの混じり合ったニュースと、さらにウソの方が多いコメンテーターと称する人々の大声の発言が、日本中をかき回している。その中で、本当のことをかぎ分けるのは並大抵ではない。特にご大層な肩書きを持った方々が、テレビで大声で情報を流すので、ますます混乱する。
筆者は、このパンデミックに多少とも興味を持ったので、各種情報を多少は掻き集めた。とは言っても、この世に舞っている数多くの情報量からすると、ほんの一部でしかないが。そして、それをまとめて、この新型コロナウイルスは現状分かっているところで、どんなものか、どのようにして避けて通るか、仮に知らぬ間に感染していて、すなわち無症状感染者になってしまっていた場合に、どのようにして他の人に感染させずに済むか、などなど、興味のある方々には情報提供している。
大学では、「生命科学」の講義の一端として、特別に挿入して2回に亘って話したが、講義であるからもちろん科学の話が中心である。ただ、4月中旬であったので、2ヶ月後の現在担って、このウイルス相当異なった姿を見せ始めている。
前の日曜日には、枚方市のグレイスチャペルで、そして次の日曜日はインマヌエル枚方キリスト教会でその話をする。そのチラシを紹介する。
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京都インターナショナルユニバーシティ・アカデミーの教諭である山本晴代さんの優しい声で朗読されていて、目で読むのとは異なった穏やかな雰囲気が滲み出たナレーションを楽しむことが出来ます。
パソコン、スマートフォンで、またポッドキャストでもお聴きになれます。(全タイトル無料)
是非、音声版でもお楽しみください。月2回のペースで配信されます。
公式サイト:http://andowako.holy.jp/podcast/dm/
ポッドキャストリンク先:https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1472323845
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上記チラシ案内のように、
「命の自然発生の否定」
〜 聖書的・科学的検証 〜
生命の自然発生はなぜ、否定されなければならないか?
という内容で話します。
興味を持たれる方は、自由にお越し下さい。
場所:インマヌエル枚方キリスト教会(戸谷芳朗、富士子牧師)
日時 6月9日(日)午後1時半〜
〒573-1185 大阪府枚方市天之川町2-122
TEL & FAX 072(840)2213
京阪枚方市駅から徒歩8分
「私たちは健康に生きるように創られた」という標題の下に、創造主が創って下さった私たちの体の素晴らしさを話します。上記のパンフレットのように、免疫力の素晴らしさと、町に溢れている無数の薬がしばしば私たちの健康を損ねている現実を話します、
日時 11月17日(土)10時〜12時半
会場は、兵庫県加古川市大野823 加古川バプテスト教会 079-423-2729
興味を持たれる方は、自由にお越し下さい。
11月11日(日)10:45
南花台キリスト教会
河内長野市南花台4丁目15−1
日本は世界一の長寿国であるが、ただ死ななかったというのではなく「健康寿命」が話題になって久しい。それは、人々が健康に自信を失ってしまっていることの裏返しになっている。健康に自信がない、自分の体に信頼がおけない人々は、企業の金儲け主義に踊らされて、様々なサプリメント漬けになっている。
私たちは本来、健康に生きるように創られたのである。そのことに焦点を当てて、特別聖書講義が開催される。興味のある方は、ご参加下さい。
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若い時には教育者になることにとことん抵抗して、背を向けていた。大学院生の時には、アルバイトとして非常勤講師を数年間務めたが、どこまでもアルバイトでありライフワークであるなどとは夢にも考えていなかった。
ところが、研究の場にいたら、いつの間にか必然的に他の人の面倒を見ていた。自然に指導していたり、その任務に就いたり、結果的に教育者としての人生を送ってきた。
イエス・キリストを救い主として信じる恵みを頂いてからは、積極的に教育を考え、行動してきた。こうして、子供たち、若者の教育と同時に、キリスト者としての人間教育を考え続けて30年になる。
教育は、人間にとって永遠の大切なテーマである。後に続く人々の様々な側面からの教育、自分自身の教育、共に考える教育、様々な教育者たちが考え続けてきている。
キリスト者として確かな世界観を持って教育に携わる人々は、大きな役割を果たしてきている。だが、一方で、意識的に色々な間違った思想を社会に振りまく人々もいる。そして、一番、影響が大きくて恐ろしい「教育」は、教育という顔をしない大きな教育効果である。テレビ、新聞、スマホなどマスコミは、人々の生活に、心に絶えず入り込み、語りかけて大きな影響を及ぼしている。
そして、今や、進化論を教えるのは学校ではない。テレビでありスマホである。どんなことでもちょっと良くなると「進化した」と言うことに抵抗を感じる人々は本当に少ない。そして、それが、人々の脳に大きな作用を及ぼして、人間もサルのような動物が進化して存在するようになったと大きな暗闇に突入している。自分の命の尊さが分からなくなってしまう。今の世の荒れ方を見ると明らかである。
ということで、クリエーション・リサーチ・ジャパンでは二〜三年に亘って教育問題を考えるセミナーを秋に催してきた。今年の秋は筆者が担当した。セミナーは東京で開催されたので、大阪からは参加しにくい。それで、大阪の鳳キリスト恵み教会から、同じ話題で教会で話して欲しいという要請があり、明日10月28日(日)にセミナーの奉仕をさせていただくことになった。案内が遅れてしまって申し訳ないと思いつつ、フェースブックでもご案内した。今回は、一地方教会でのセミナーであるので、先のセミナーとは趣を変えて、一般信徒を対象にしてお話をすることになる。鳳キリスト恵み教会は非常に開放的で、フレンドリーな教会であるので、近くの方は気軽に参加してほしいと思う。
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久しぶりに「地上の星」シリーズをこのブログでご紹介する。
この「地上の星」と題する講演会は、長野キリスト集会の尾崎富雄氏により長年開催されているもので、地上できらっと輝く働きをしたクリスチャンの生涯を紹介している。中には非常に有名な人も取り上げておられるが、ほとんどは余り知られていない人々である。(長野キリスト集会のサイトを開いて下さい。講演が聴けます)
今回ここでご紹介する河井道も、タイトルにあるようにこの人がいなかったら戦後の歴史は大きく変わっていただろうという働きをした女性である。にもかかわらず、日本の歴史は彼女の働きを埋もれさせてしまった。何かの意図があったのか、なかったのかは、歴史の底の底を探らなければ分からない。恐らくは人間の歴史では永遠に埋もれたままになってしまうかも知れない。しかし、神の国の歴史では、しっかりと書きとどめられているに違いない。それくらい彼女の働きは大きな影響を与えたのである。
河井道は恵泉女学園の創立者としてのほうがよく知られているようである。恵泉女学園という学校も、尾崎富雄先生の話を聞くまでは筆者は知らなかったが、学園のサイトで知る限りにおいては、非常に素晴らしい理念を掲げておられる。
「広く世界に向かって心の開かれた女性を育てなければ戦争はなくならない」と考えて、1929年、河井道が創立した学校が恵泉女学園である。そして、「この学校の真の校長はキリストです」と言い、信仰に基づく謙虚な心を持って学園を運営し、今も恵泉教育の中で一貫して伝えられているという。
創立89年を迎える現在、学園長中山洋司氏は「教育の目的は、自立(律)」であると断言する。学園の使命は「キリスト教信仰に基づき、・・・神と人とに仕え、自然を慈しみ、世界に心を開き、平和の実現のために貢献できる女性を育てる」ことであると発表している。「人が人間として自立(律)するには、学力と人間力を兼ね備えることが必須である」と言う。
言葉として書かれていることには異論はない。非常に素晴らしいと思う。
さて、具体的には、(1)人間性の滋養(心)を育むために、「聖書」「国際」「園芸」を正課に取り入れているという。(2)学力を育てるとは、単に与えられた事柄を覚えるだけではなく、じっくりと学習者自身が自分の内で知を醸成し、理を獲得していくことを意味する。中学高校では、思考力と発進力に力を注ぎながら知を醸成する。大学は、思考力・判断力・表現力を高める。(3)自立した学びへの支援。などを掲げている。
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河井道は、余りにも優れた才能を頂いた類い希な人であると思われる。良家の生まれであって庶民ではない、後で、経済的な苦難が時代の流れの中で一家を襲ったが、しかし多くの恵みの中で彼女の才能は非常な努力の結果、見事に花開いた。
多方面に亘る能力を駆使して、また恵まれた機会もあって、日本の戦後の一つの危機を救う一助をしたのだろうと思われる。また、その才能を新渡戸稲造にこの上なく珍重されて、遂に、世界恐慌のまっただ中で恵泉女学園を創立した。
「女性が少し学問が出来るからと言って、炊事・洗濯・掃除等々の家事が出来なくては駄目です」というのが、彼女の「自立・自律した女性を育てる」方針の真の中身であったようである。明治の時代に生まれ育った女性として、このような思想は致し方なかったとは思う。今の時代にこんなことを、心の中で秘かに思っていても、公言したら、多分袋だたきに遭うだろう。だが、恵泉女学園を創立したのは、昭和4年、このような発言が当然であると考えられた時代であったし、どうやら平成がもう終わろうとしている現在、2018年でも、一般的には心に引っかからないで聞き流す人がほとんどだろう。だが、筆者は、とことん「引っかかった」。こんなにも優秀で先進的で、時代を牽引してきた女性が、しかも女性の自立・自律を旗印にして学校を創立した彼女が、何ということ!と思った。
この話は、上に紹介した「地上の星」の講演で、尾崎富雄先生がサラッと紹介しておられる。それに対するコメントはないが、全体的な話の流れや調子としては肯定的かな、という印象を受けた。当たり前かも知れない。普通の男性の感覚としては、女性の自立や社会進出を支援する男性のほとんどは、家事を手抜きしないという前提が入っていることが多い。即ち、家事、家を整え守るのは女性の仕事であるというのが社会一般の「常識」だと決めているのである。
即ち、女性は社会で活躍したいのであれば、働きづめに働いて、心身共にすり減らして生きていきなさいということか?実際、一日の仕事を終えて帰宅すると、男はのんびりとくつろいで腰掛けて新聞を読んだり、テレビを見たりしている。一方で、女性は夕食の支度をしながら洗濯機を回し、洗濯物を取り入れて畳み、ただ働きづめの一日を終える。朝は朝で、女性が先に起きて朝食の準備、子供たちのお弁当を作り、そして子供たちを起こして、大変な思いをして朝を過ごす。・・・もっとも、これは日本の場合である。アメリカの家庭は違う。家庭は夫婦で作り上げるものだという思想が人生観の根底にあるようである。
さて、ともあれ、女性の自立のために大きな働きをし、恵泉女学園という実を遺した河井道がこのように豪語した背景は、彼女の生きた時代、彼女の家系、そして何よりも彼女の類い希な才能によるのだろう。そういう意味で、彼女は余りにも有能すぎた。二人前、三人前の働きをやり通すことが出来たのである。だが、並の人間には出来ない。家事万端をするのは、今の時代にやっと認められ始めているが、一人前の仕事である。社会で何かの仕事をするのも同等に一人前の仕事である。従って、特に優れた仕事をしていなくても、家事を行い、同時に外で働くのは二人前の仕事である。
河井道は社会的にも二人分の仕事を高いレベルでやり遂げた。その上で、家事も立派にやったのだろう?? ともあれ、それほどに優れた才能を誰に頂いたのだろう? 彼女を特に選んでこのような才能を与えられた神を彼女が忘れていたはずはない。よもや自分がエライと思っていたとは思いたくない。だが、ではなぜ、このような傲慢な発言をしたのだろう?このように豪語したのはどうも赦しがたい思いがする。学問をし、同時に家事も満足に果たすことが出来る女性、いや男性も含めて人間は、1000人いたら、多分一人くらいいるだろうか? 残り999人は、どちらか、あるいは両方ともに欠けが生じる。そして、女性の場合、社会での仕事を充分に果たせない状況が起こる。かくて、日本における女性の社会進出が著しく遅れている一因となっているのである。
****日本は民主主義後進国であると評価される所以である。****
河井道のこの発言にこだわるのは、筆者自身が若い時代にこのような言葉を浴びせられながら自立・自律を追い求めて人生を歩んできたからである。筆者は河井道のびっくりするような才能には及びもつかない凡人であった。一人前のことしか出来ない一人の平凡な女性として生を受けた。ただ、「女性はこのように生きなさい」と、社会から女性に押しつけられることとは異なった生き方をしたいと思い、異なったことに関心があり、異なったことに情熱を燃やしたために、ある意味で厳しい人生を強いられることになったのである。筆者が関心を持つことは「女らしくない」と非難の対象になり、多くのことは道を閉ざされてしまった。男であったなら良いのだけれどとだめ押しをされた。女は自分の意見を持ってはいけないし、ましてそれを発表するなどとんでもないと否定された。日本では男も「出る杭は打たれる」傾向は結構あるが、女性には何倍も手厳しかった。アメリカに行って、女が自分の意見を持っても、それを発表しても構わないと知った時の驚きと喜びが分かるだろうか? 自分の独自の見解を持つことが、女らしい定義の中に収まっているのである。男らしいこと、女らしいことの定義は、日本とアメリカでは全く異なっていたのである。
日本では押しつけられることを撥ね付ける以外に、筆者のような人間には生きる道はなかった。もっと有能であれば、少しぐらいは楽であったかも知れないと、この世の人生の終焉が何十年も先ではなくなった今になって思う。だが、神様はそのように豊かな才能を筆者には与えられなかった。もしかしたら、能力以上のことをしたいと思ったのかも知れないと、今になって思う。だが、そのような厳しい道を歩いてきたから、世の理不尽に気が付いた。世の不当な差別に気が付いた。そして、そのような世の理不尽に対しては、理知的に戦う必要があると気が付いた。ただ単に、腹が立つという感情的な戦いではなく、理性的に世の理不尽を、差別を多少でも解決するための努力をしなければならないと気が付いた。様々な理不尽な差別と戦ったいる多くの人々のために、本当に小さなことではあるが、筆者の出来ることで手を差し伸べなければならないと思った。
昭和に生まれ育ち、平成まで無事に生きてきた、そういう時代背景の中で育まれた一人の平凡な女性にも、主である神が小さな使命を与えられた。「あなたはこれこれのことをしなさい」という神の声を聴いたと信じている。その与えられた使命を全うして神の国に凱旋したいものだと切に願って、日々の生活を大切に生きている。
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東京医大では、医学部医学科の一般入試で、女子の得点に一定割合の係数をかけて一律に減点し、女子の合格者数を抑えていたことが判明した。点数操作は2010年頃から続いていたと見られるという。募集要項には記されていなかった。記されていなかったことが問題だと考えている人々が大勢いるようであるが、それが問題なのではない。差別が問題なのである。
文科省見解:点数操作を明記すれば認める
入試の募集要項に男女比の調整を明記していれば、大学の責任で特定の受験者を優先して合格させることはできるという。
問題は、説明しないで調整をしていたことが問題だという。
本当の問題点は、このように差別することであって、募集要項に差別を明記するかしないかの問題ではない。
女性医師は、妊娠、出産などで稼働率が低くなることが問題だと、訳の分からない理由付けをしている。子どもを生み、育てる責任は男女で、社会で担っていくのだという認識すらない遅れた日本の社会である。
日本の社会に渦巻く様々な差別
女性に対する差別でも、このように本質がずれたところで論じられる。そして、差別されている本人たちがそれを認識しないという問題もある。社会の様々な差別をまず認識し、一つ一つの差別を、差別の芽を潰していかなければならない。
日本の民主主義のレベルが非常に低いと世界で批判されていることを受けとめる必要がある。
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著名なキリスト者である植村正久氏が美しい翻訳をする前は、原作もほとんど知られていなかったらしい。それがこのように見事に翻訳されて、日本のみならず世界に知られることになったという。
筆者がこの詩を知ったのは、長野キリスト集会の尾崎富雄先生の「地上の星」シリーズの講演の第54回「植村環」の話の中で紹介されて大きな感激を覚えたことによる。
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「聖書を読む会」特別企画
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
第1回 2011年10月7日(金)
第48回 2016年2月19日
各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
TEL・FAX026-295-6705
「地 上の星」リスト・2016年3月
長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。
興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。
「天に一人を増しぬ」
セラ・ゲラルデナ・ストック作 植村正久訳
家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり
愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき
さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ
全うせられしもの一人を
家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ
行くを送る言葉 一つ消え失せぬ
別るることの絶えてなき浜辺に
一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず
内に入れば空きし席を見るも涙なり
さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ
天に一人を増しぬ
家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて
歩みもしどろに 目も暗し
さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ
天に一人を増しぬ
げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて
キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること
いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん
かしここそ家なれ また天なれ
地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり
旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり
さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を
天の家に増しぬ
天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん
感謝 讃美の題目 更に加はり
吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環
さらに一つの環を加へられしなり
家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に
一人も失はるることなかるべき家に
主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を
我らすべてにも与えたまえ
]]>日本にはサッカーしか、他には何も無いかの如き様相である。確かに、サッカーしか何も目に入らない人々もいるのは確かだろう。しかし、日本人の何パーセントの人々がこのようにサッカーに夢中なのだろう?
このように日本中が、まるで一つであるかの如き狂乱状態を呈すると、映像でしか知らないヒットラーを取り巻いた当時のドイツの姿を思い起こす。その頃、日本も軍国主義一色であった。アメリカも参戦した後は、「パールハーバーを忘れるな!」のその一点で、一致団結させられた。そして、その後にはソ連のスターリンの独裁、そして何回も様々な局面での中国の「一致団結」。そして北朝鮮の独裁制の狂乱はいつまで続くのだろう。一体何がどうなっているのか外部の人間には一切分からない。
このように国全体が、あるいは地方全体が、あるいは何かのグループ、それが例え数人のグループであっても、全体が一致団結すると人は理性を失って、「何でも出来てしまう」みたいな状況を醸し出す。グループが小さくて、別の逃げ道があればそこから抜け出すことは可能であるが、抜け出すことの出来ないグループにはまってしまうと狂乱の生活の中でどんどん人間であることを忘れてしまう。もう、昔のことになってしまった感のある「オウム事件」は、そのような「一致団結」の恐ろしさを日本人に改めて思い出させたのである。ただ、このような全体主義思想は自分とは無縁だと思い込んでいることこそ、全体主義思想を助長する温床なのであり、実は、多くの人がその中で生きている。そして、日本中はしばらく、「オウム事件」一色で塗りつぶされた。
全体主義的思想は、人から理性を奪い、全体の中に巻き込まれていると、とにかくも安全である。「個」を主張すること、他の人とは異なる「独自の考え」を述べること、他の人とは「異なった行動をする」ことは、恐ろしい危険に曝される。実態は色々であるが、「みんな」という訳の分からない言葉で、人は簡単に踊らされる生き物である。
スポーツは、しばしば人間の理性を奪い、狂乱の踊りを踊らせる。このような大騒ぎが起こると、筆者が体験した昔々の小さな事件を思い出す。筆者が高校生の時のことであるが、国民体育大会(国体)が県で開催されることになり、当然のことながら学校は上げて参加し、応援した。どの競技に学校が参画したか覚えていないが、当時、その高校はサッカーが強かったからサッカーは多分参加したのであろう。それ以外に、どの競技に出たのかは全く覚えていない。ただ、学校は応援に行くようにと生徒たちを鼓舞し、奨励した。
それは自然なことであり、それ自体は悪くない。その高校は、当時の他の高校に比較すると、非常に自由を大切にし、生徒一人一人の個性を育てることに心を用いた高校であったと思う。そろそろ受験戦争の嵐が荒れ始めた時代であったが、その高校は「全人教育」を目指していた学校で、大学受験のためだけの「机にしがみついた勉強」を評価しない教育が行われていた。従って、生徒たちもいわゆる「ガリ勉」を軽蔑し、勉強もクラブ活動もきちんとこなす生徒が尊敬されていた。
その高校の生徒の大多数は、当時としては珍しくそのようなバランスの取れた高校生活を、何とか曲がりなりにも楽しんでいたように思う。「ところが」である。勉強だけではなく、クラブ活動も運動も大切であるという考えを歪んで解釈した教師がいた。勉強も、クラブ活動も、運動もというこの「も」を曲がって考えたのである。国体があったら、「運動が」唯一大切であると決めつけ、教職員も生徒たちも一人残らず、国体に夢中になり、応援に全力投球すべきであるという全体思想を生徒たちに押しつけたのである。
国体終了後、その教師の授業の第一時間目、「国体の応援に行かなかった者は手を上げなさい」と、手を上げさせたのである。この教師の国体に対するこれまでの考えを生徒たちは知っていたので、手を上げたらクラス全体の中で叱責されることは分かっていた。それで、知らん顔をして無視した生徒がかなりいた。しかし、数名は手を上げた。予想通り、彼は「大学受験だけが大切ではない。このようなスポーツ大会に応援にも行かないで、机にしがみついて勉強ばかりしているようでは、ろくな大人にならない、云々・・・」の叱責を加えた。
国体の応援に行かないということが、すなわちガリ勉であると決めつけた教師に、筆者は猛然たる反感を覚えた。小さい頃から運動に関しては人並みのことが出来ないために、教師に痛めつけられ続けていた筆者は、当然のこととして運動嫌いで、激しい劣等感を持っていた。ガリ勉だから国体の応援に行かなかったのではない。勉強は一生懸命したが、さりとて、大学受験につながることばかりしていた訳ではない。ただ、単純に運動が嫌いだったのである。ただ、問われて手を上げないという振る舞いは筆者には出来なかった。何を言われるかが分かっていても手を上げた。彼の非難を黙って聞いていた。それに反論するすべはなかった。心の中に彼への反発心が沸き上がっていた。
運動が好きな人は、自分が一番出来る種目だけではなく、どの運動をしてもある程度はスマートにこなす。いわゆる運動神経が発達しているのだろう。逆も真である。運動が出来ない人は、何をやっても人並みに出来ない。
人の好みも様々である。運動の好きな人、嫌いな人、勉強が好きな人でも、数学が好きな人、物理が好きな人、生物に関心を持つ人、音楽が好きな人、絵画が好きな人、文学が好きな人・・・・・実に、人様々である。この多様性を認めない、全体主義思想は人間をダメにする。空恐ろしい思想である。
日本は、あるいは世界中、このような全体主義思想でうごめいているのかも知れない。
まだ、決着を見ていないレスリング界の騒動も、その一つである。あのようなとんでもない監督がパワハラをし続けて、・・・通用したような群れは恐ろしい。そして、その彼を支持して、まるでドラマの悪役がほざくような台詞を平気でマスコミの前で、パワハラの被害者である選手に更に追い打ちを掛けて非難の暴言を「吠えた」〜大学の「学長」。どのように贔屓めに見ても、彼女はまともな人間とは思えない。
そうかと思えば、アメフト騒動・・・・巨大な大学という閉鎖社会。この中で生き残るためには、口をつぐむしかないという恐ろしい群れが、大小様々、日本にどれ位あるのだろう?
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サイトを訪れて本文を読んでいただきたいと願うので、その「序文」をここで紹介する。
神のみ姿を映された尊い存在として人はこの世に命を頂いた。そして、地を治め、動物たちを治める任務を与えられた。しかし、神よりも自分の方が正しいと主張して、神に反逆し続けたなれの果ての人類の姿、世界中が憎しみと戦争で荒れ狂っている姿、ボロボロになった地球の姿を、人類は今、なすすべもなく呆然と見つめている。神のお姿がすっかり見えなくなり、頂いた美しい姿も分からなくなっている。
しかしながら、私たちが創られた見事に完全な、最初の姿がどのようなものであったかを再確認し、イエス・キリストを信じる信仰によって新天新地に新しい体を頂く約束に胸膨らませて、この「創造と福音」の連載を締めくくりたいと思う。
なお、2017年1月号から12月号までは、「キリスト信仰&聖書」対「学問&自然科学」との関係について、様々な角度から考えて書かせていただいた。そして、2018年1月号からは、「神の創造、そして慈愛と正義」という全体的な主題の元に、(中)高校生及び大学生を読者の中心において、読みやすいよう、親しみを持てるように工夫して創造の過程を描いている。興味のある方は、ハーザー誌を購読して下さい。ハーザー誌は多少堅いかも知れないが、内容の濃い、記事が山積みである。霊魂体の大きな養いになる月刊誌であるのでお薦めしたい。
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聖書と科学との関係については、様々な誤解が日本のみならず、多くの国で拡がってきたように思います。それは、聖書への誤解、そして科学への誤解と科学に対して、殆ど信仰になっているほどの過剰な期待や誤解が相俟って、聖書及びキリスト信仰の真の姿が伝わらず、様々な曲解の中で信仰者も、そうでない人々をも苦しめてきたように思います。
聖書を正しく読み、理解することと同時に、科学をも正しく理解する必要があると、両者の関係を機会があるごとに語らせていただいています。今回、鳳キリスト恵み教会で行ったセミナーをDVDにまとめたのでご紹介します。セミナーでは、いつもと同じく、内容を分かりやすく理解出来るための一助として様々なイラストを使用しており、楽しんでいただけると期待しています。
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DVDの内容(要約)
【DVD 1】 「聖書と科学との正しい関係」
恵みと愛と祝福に包まれて人類史は始まったが、神のようになりたいという誘惑の迷路に人類は突入した。人間の科学が絶対であり、聖書を科学で証明する必要があると思う科学信仰の闇が拡がってきた。
【DVD 2】 「科学は主に導かれて」
創造主は叛逆した人類が学ぶべきものとして、ご自身が定められた自然法則を学ぶ道を示された。優秀な科学者たちは、汲めども尽きない知識の泉に胸を躍らせ、自然の真の本質を人が知ることは永遠にないだろうという英知を授かったのである。
現在、オンラインストアでご購入いただけます。詳細・ご購入はこちらまで。
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一面のトップ記事は、横綱のしでかした暴力事件の相撲協会としての後始末の最後として、被害者側の親方、「貴乃花理事の解任」である。一時期、毎日、スポーツ紙でも何でもない、日本の良識みたいな表向きの顔をしている新聞の朝刊の一面にこの暴力事件が取り上げられ、あきれ果てていたら、遂に一面のトップ記事である!
相当な理由があっても、手で殴る暴力さえ許されることではない。まして、この加害者は手でかなり激しく殴った後、何かのリモコンか何かで殴り、被害者の頭を10針縫うほどの大けがを負わしているのである。
それは、まさしく刑事事件として取り扱われる事件であり、警察に届けたことを云々する事例ではない。
にもかかわらず、相撲協会はこのことを問題としたことを大きく取り上げたようである。
日本の社会は、悪事をなしても権力者は隠蔽する悪習がある。うやむやになりそうな安倍首相夫妻を取り巻く「もり・かけ問題」に代表されるような、日本の指導者が権力・人脈を思う存分に操って隠蔽してしまいそうな勢いである。
相撲協会はさらに古めかしい閉鎖社会であるから、これまでも横綱が暴力をふるってけがをさせても、弟子を殺しても、まともに刑事罰を受けないで覆い尽くしてしまった。今回も、警察などに報告しないで完全に覆い隠してしまおうとした。それに抵抗した「正しい判断」をした貴乃花親方に腹を立てた理事長一派は、集団でいじめを行なって理事解任を決議した。提案ということのようだが、評議員会はさらに強硬姿勢で、どの社会でもいつの時代でも、抵抗する勢力は排除される。
暴力事件はそっちのけである。本末転倒もはなはだしい。
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ユニセフの広告の台詞に驚いた!
そして、この父親の台詞を子供が非常に肯定的に、感激したかの如き感想がその後に続いて語られている。
食べ物がなかった時代、不味い脱脂粉乳でも食べるものがあるだけでも幸せだったという父親の思い出が語られていて、食べ物のない世界の子供に遺産を贈りたいということである。
遺産を誰に、どのように分けるかは、法律の許す範囲内に於いて、死ぬ者の自由であるだろう。だから、自分がこの世にいなくなる時点で、「善行」をして好い気分になろうというのは自己中心で、高く評価される筋合いのものではないと思うのだが、不思議に世の中はこういう行為を歓迎する。
社会の弱者、政治紛争の犠牲になっている子供たちへの思いやりが本当にあるのなら、遺産ではなく現在の自分が享受している様々な恩恵をこそ分かち与えるべきだろう。自分も大きな犠牲を払ってこそ、意味がある行為である。余ったから与える、自分が死んでいくのでもう要らないから分かち与えるという不遜な態度には、申し訳ないが眉をしかめたくなる。
このような人物たちの「寄付」は、数字の上では経済的潤いをもたらしてユニセフの働きに貢献しているのだろう。でも、それが日本人の思いやりの心であるとは思いたくない。
自分が下車する時、次に座る人を決めようとした人!
ユニセフのこの広告で、列車内で体験した一コマを思い出した。
筆者がもう少しだけ若くて、1時間くらいなら立っていても我慢の範囲であった頃、京都から東京まで出かけた時のことである。新幹線がかなり混んでいて、当然指定席は手に入らず、自由席で筆者は立っていた。大抵は、名古屋で席が空くので一時間我慢すれば良かったのだが、その時の混み具合はそれを期待できるような状態ではなかったので、東京まで仕方がないと諦めていた。
さて、名古屋到着のお知らせ。
降りる準備をする人々がもぞもぞと動き始める見馴れた風景である。そして、予想通り、通路に立っていた人々が席を確保できるほど下車する人はいない気配であった。
と、その時、遠くから筆者の袖を引っ張る人がいた! 振り返ると、「自分は降りるので、どうぞ」と言う。勧められた座席と筆者との間には立っている人が二人ほどいた。その人々を押しのけて「善意に溢れている」という笑顔を作って、「私の席」を譲って上げるというわけである。
もちろん、その席は、もはやその人が坐る権利を持っている「私の席」ではない。強いて言うなら、一番側に立っていた人が次にその席に座る権利を獲得したのである。したがって、自分が権利を持っていない他人のものである席を「盗んで」、他の人に譲り渡そうとする行為である。
筆者は、「そのような行為はいけないことだ」と一言、注意したい思いはあったのだが、それはしなかった。ただ、その座席から遠ざかって拒絶の意思表示をするに留まった。
ちなみに、この広告はいつからしていたのだろう?と、ふっと思った。随分以前からしていたのかも知れないな。日本人の思いやりの心をこのように安っぽい理解しか出来ないユニセフなのか、このような行為が弱者への思いやりだという誤解が日本には実際広がっているのだろうか?
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女性医師の活躍を取材した番組を見た。
優秀な医師たちである。男性の場合には決して起こらない数々のハードル、社会的邪魔だて、妨害、そんなものを一つずつ乗り越えて彼女たちは優秀な外科医として成長し、活躍している。同じ成果を得るためには、男性の何倍もの苦労がある。
「女は外科にいらない」と平気で言えてしまえる社会だったと、現在47歳のこの女性医師は言う。このような攻撃を受けた出来事を過去のこととして語る。確かに、立場も地位も評判も手に入れた彼女に対しては、そのような攻撃は今はないだろう。しかし、今から伸びようとしている若手には、多分、今もそうではあるまいか?
筆者は医者ではなく科学者であるが、長い長い間、迫害に耐えてきた。「女は大学教育など受ける能力はない」「女は家庭で主婦になればいいのだ」「女は教えられて学び、試験で良い点を取ることは出来るが、研究は出来ない」「女は、受け身で教えられた事しか出来ない」「女は考えることは出来ない」「研究に女は要らない」「研究室には女はお断り」・・・こんな恐ろしい言葉を、折に触れては浴びせられて、とんでもない迫害の中を生き延びてきたのである。
社会の女性に対するこのような攻撃は、確かに少しずつ減ってはいるが、筆者が大昔、期待したのとはほど遠い。女性であるが故の迫害に辛い思いをしたときに、2−30年も経てば良くなって、後輩たちはきっとこのような苦労をしないだろうと期待したのであった。すなわち、この女性外科医の世代は、女だからと差別されることはなくなるだろうと思ったのであった。しかし、この女性医師自身は、やはり、女性に対する迫害と闘って、今やっと力一杯働けている。
しかし、この女性は独身であり、今回の番組で出てきた女性医師たちは、独身か、離婚体験者で、家庭生活を楽しむという側面がなく、男性医師とは異なる。家庭生活を楽しみ、子供を持つということを「女の幸せ」という言葉で置き換えるのは間違っているが、家庭を持ち、子供を育て、社会でも働くというすべてが満たされて、人間生活だと言えるのかな?とは思う。
日本人初の女性医師、荻野吟子
日本人女性初の国家資格を持った医師、荻野吟子は、明治18年、1885年に女医第一号になった。
長い長い人類史に於いていつ始まったのか、女性の人権を否定するような社会に転落し、女性自身がそれが正しいことだと思い込まされるところまで人類は堕落した。
そして、そんな長い堕落した社会から抜け出そうとする女性も僅かながら顔をもたげる人々が出てきて、その中で艱難辛苦を耐え忍んで、医者の世界で最初に医師の資格を得た人物として荻野吟子は大々的に報道されたようである。
このクリスチャン女性医師については、長野キリスト集会の「地上の星」シリーズの講演会で、尾崎富雄先生が詳細に講演しておられるので、興味のある人はCDを取り寄せて聴いてみて下さい。
先人たちの努力の結晶として、今の若い女性たちが何とか社会に進出しているが、それにつけてもその歩みの緩慢であることが残念に思われる。
政治の世界でも、このところ有名になりすぎた小池東京都知事、確かに有能な人だと思うが傲慢になりすぎた。所詮それだけの人物だったのだろう。
他にも、国会議員になった途端に不倫騒ぎを起こしたり、まるでやくざのような物言いをして秘書を侮辱するような、まともな人間以下の振る舞いをする「国会議員」というバッジを付けた女性など恥ずかしくてしょうが無い。伸びようとしている真面目な女性の将来に暗雲を立ちこめさせるこれら馬鹿者、女性たちには、がっかりさせられる以上で、唾棄すべき存在に思われる。
荻野吟子のような優れた先輩たちの爪の垢でも煎じて飲めばいい。
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10月16日、朝刊の一面に踊っていた文字に、「またか! この頃の子供は命を粗末にするなぁ! 子供たちが叱責されないで育つために弱くなっている」。こんな第一印象を与えるような見出しであった。
記事を読んでみたら、見出しとは異なっていた。見出しは記者の偏見に基づいて付けられたものだろう。
担任と副担任の行動は教師としてのまともな叱責などというものではなく、「指導」という建前を振りかざして「叱責」という名前を与えたに過ぎない、実は教師による陰険ないじめであることがおぼろげに読み取れた。権威と権力を振りかざす教師に対して、弱い立場の生徒は抵抗できない。
子供のちょっとした失敗を、どうやら長期間に亘って「指導」という名目で、繰り返していじめていたようである。
その後、様々な情報が出てきて、教師の行動が不当であり、又学校の対応も理不尽であったことが明らかになってきた。校長は辞表を提出して、自宅待機の状態になっているようである。一体どれ位の人数の「教師」が、教師という重要な任務を誤解して、教師としての給料をもらっているのであろうか?
理不尽な教師たちや学校に一撃を加えることが出来てよかったが、しかし、そのために幼い命が犠牲になってしまったのは余りにも無残な事件である。
昔の教師も理不尽な怒りを生徒に爆発させた!
筆者が小学校へ入学したのは、第二次世界大戦敗戦後、国も人々もボロボロになった直後であった。恐ろしいB29から雨あられと降ってくる爆弾と焼夷弾で国は焦土と化した。もちろん、二発の原爆がだめ押しをしたことは周知の事実である。日本の国土も人々もアメリカの爆弾攻撃によってボロボロになった。
若い男が全部戦争に駆り出されたため、老人と病人以外は体力の衰え始めた壮年も男という男は、すべて戦争に駆り出されることになってしまった。これらの人々は死に、生き残っても体も心もズタズタに引き裂かれて帰ってきた。戦争に行かなかった人々も、爆弾で、焼夷弾で、大勢が殺された。
そんな中で戦争が終わり、学校は曲りなりにも残っていたが教師がいなかった。戦時中、教師の免状はおろか、まともな高等教育を受けていない人が代用教員として教師になった。そして、戦後、代用教員として働いた実績が教員であるという資格として採用され、教員免状を手に入れてしまったのである。
教員免状がないということ以上に問題だったのは、知識不足の問題、教育者としての自覚の問題、人格的な問題など、問題の多すぎる人々が「教師」になってしまっていたのである。そして、実力がないという劣等感のゆえにさらに、悪循環へとはまり込んでいったようである。
筆者もこうした教師たちが勤めていた小学校で、この時代の子供たちの一人として最初の学校教育を受けたのである。その頃には、学校では次々と困った問題が発生していた。今の時代であったら、新聞紙上を毎日賑わすであろうような事件である。ただ、今の子供たちと決定的に異なっていたのは、子供たちは権力に対して唯々諾々として従い、親にも話さなかったという大きな相違があり、又今の子供たちとは比較にならないほど我慢強かったので、問題は表に出てこなかった。そして、自殺もしなかった。
そのような出来事の一つを紹介する。
四年生であったある日のこと、教師が「触ってはいけない」と命令しておいたものを、生徒が触ったという出来事があった。触っても実害は無かったのであるが、生徒が命令に従わなかったということだけで、この教師はカンカンに怒った!そして、14,5名の生徒を後ろに立たせるという罰を与えた。所が、この中の半分以上がえん罪であった。そして、触った生徒の内、数名は罰を逃れて席に座っていた。しかし、それを言って抗議をするという恐ろしいことは生徒には出来なかった!
えん罪である生徒は、当然教師の理不尽な罰に納得しがたい。えん罪でなかった生徒も、そんなに悪いことをしていないのに、教師の怒りを不当だと思い、後ろに立たされるというような罰を受けなければならないとは思わなかった。こうして教師に対する怒り、不信感、不平が子供たちの心に渦巻いたので、謝る気にはならなかったのである。
「謝れ! 謝るまでいつまでも立たせておく!」教師は怒り狂った!この教師は、戦時中のドサクサに紛れて教員免状を与えられた人の一人で、まともな知識も持っていなかった人であった。そして、感情的にも人格的にも問題の多い人で、劣等感の塊であったので、怒る理由もないのに自分の命令に従わなかったということだけで、事実確認もしないで怒り狂ったのであった。
そして、大人の対応をしたのは、立たされていた生徒の一人だった。彼女は間違いなくえん罪であったのだが、誰かが謝らないと解決しないので、代表して謝ったのであった。みんなのために形だけ「謝ってあげましょう」という振る舞いをしたのであった。
昔の教師も、権力を笠に着て生徒をいじめた
上の事件から2〜3年後、筆者が中学校、多分一年か二年生だったときのことである。当時学年主任で、理科の教師であった年配の教師が、クラスの一人の男子生徒の行動の一体何が気に入らなかったのか全然分からなかったのだが、突如怒り始めて、「前に出てこい」である。そして、くどくどと「説教」をし、その生徒の人格にまで及ぶ「悪口」を言って、そして、床に正座させてしまった。
当時、教室の木の床には油が引いてあった。床になど正座させられては、ズボンが油でベトベトになってしまう。しかし、その床に正座させたのである。普段から悪いことばかりする生徒ではなく、むしろ成績も、クラスで2〜3番で真面目でおとなしい生徒で、生徒間でも人望があった。何を悪いことをしたのか当人も、クラスメートも理解しない理由で、多分教師の虫の居所が悪かったのか怒りを生徒にぶつけたのである。今の子供だったら、もしかすると自殺するかも知れないな、とふと思う。
あの教師で忘れられないことが、まだある。理科の生物の授業で生殖のことを教えたときに、信じられないようなみだらな表現をしたことである。「犬が『さかっとる、さかっとる』と言うやろ。」云々である。全く卑猥な表現で、子孫が出来る機構の説明をしたのである。
ちなみに彼は、正規の教員免状を持っていたと思う。
教師であること
今の教師たちが、質が下がっているのかどうか知らないが、教師によるこのようないじめや、質の悪い行動は昔もあった。もっとも、筆者が学校教育を受けたのは敗戦後の最悪の時代であり、また通った学校は少したちの悪い、地域では馬鹿にされていた学校であったことも事実ではある。
日本が教育をなおざりにし始めたのはいつからであろうか。少なくとも戦時中は、教育のみならず日本国民が全て使い捨て思想でゴミのように扱われた時代であった。戦後も、教育は決して重要視されてこなかった。常に、支配層の都合のいいようにしか政治は行われてこなかった。そのようなマイナスの「教育」を受けた子供たちが今の大人の姿になったのである。日本国としては自業自得とも言うべきか。
折しも、本日は10月22日、今頃大型台風が日本列島を襲う中、衆院議員選挙である。安倍首相が自分たちの失態を隠すために、首相の不当な特権を行使して衆院を解散してしまった大義なき選挙である。人間として人々を思いやる心を養わなかった国の首相の下で、自分自身の欲得でしか動かない国会議員が現れてくる日本国である。弱い者をいじめる首相の治める国では、学校が乱れきるのも当然かも知れない。
安心して我が子を学校に託せないので、自分で教育する、いわゆるホームスクーリングをする家庭、あるいは文科省の支配下に敢えて入らない「本当の学校」に通わせる学校が増えている現状を、政治家たちは何と思っているのだろう。
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赤ちゃんや子どもを連れている保護者の対応は、いくら泣こうとわめこうと騒ごうと気にもしない人、子どもをやたらと叱りつける人、脅す人、周囲の人の目を気にしておろおろする人等々、様々である。
それで、赤ちゃんが泣いておろおろする保護者のために、「赤ちゃん 泣いてもいいよ」という心優しいステッカーを考え出した人がいる。
確かに、時には赤ちゃんが何故泣くのか分からないこともあるだろう。だが、この世の悪知恵を無意識下に注ぎ込まれてしまった子どもたちはともかくとして、赤ちゃんは単純に泣く理由があるから泣くのである。「お腹が空いている」「おしっこやウンチが出て気持ちが悪い」「車内の空気が悪くて気分が悪い」「暑い、寒い、居心地が悪い」等々、自分で改善できず、また言葉で訴えることが出来ない等、赤ちゃんの側からの主張として「赤ちゃんは泣くのは当然」である。
電車の中は、今でも快適な環境ではないが、昔々、筆者がまだ舌が回らなかった頃、「でんちゃ、きらい。くちゃい!(電車、嫌い、臭い)」と訴えたそうである。臭いといって訴えた電車は地下鉄である。大昔の地下鉄は、今の地下鉄とは比較にならないくらい空気が澱んでおり、臭くて、頭痛を催し、吐き気に襲われたことだけは明確に覚えていて、大人になるまで地下鉄は大嫌いであった。赤ちゃんがこれを訴える唯一の手段は、「泣く」ことである。
はじめから、赤ちゃんが泣かなくてもいいような状況をできる限り整備し、また泣いた場合は泣く原因を探り当て、解決するのが保護者の責務である。今の時代、現実的には難しい問題は数多くあるとは思うが、夜10時、11時、時には真夜中近くに赤ちゃんや幼い子どもを連れて電車に乗り込んでくる親がそんなにまれではない。赤ちゃんの頃から、大変な生活環境に曝されているようであるから、泣きたい状況は一筋縄ではいかないのかも知れない。
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こんなことを真正面を向いて堂々と言うので恐ろしくなる。
次から次へと言葉を探して、大きな顔をして逃げて回る国の代表。
何故こんなにも自信を持つことが出来るのか?
何が何でも、保守の自分が総理である間に憲法を変えて・・・・戦前の日本に戻りたい?
日本はどこへ行く?世界はどこへ行く?
互いに「やくざ」の恐喝を繰り返す世界、日本!
人間としての尊厳を取り戻したいものである。
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ニュースキャスターだった小林麻央さんが、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと結婚して世の中の話題になったのは多分大分昔のことなのだろう。芸能界の情報には疎いので、今回の乳がん闘病日誌の社会的反響が話題になって、関連する過去の芸能界のニュースを遡って知った次第である。
ともあれ、「乳がん」になってブログに闘病記を書いて、そのブログはどうやら素晴らしいものだったらしく、日本のみならず世界的に大反響をもたらしたようである。
このブログが乳がんで苦しむ病人に勇気を与えたとか共感を呼んだとか、色々影響があったらしい。歌舞伎俳優の妻ということで多数の読者が得られ、ネット上でどんどん広がった。真摯な闘病記を公開すること、それ自体はまことに結構なことである。そして、遂に闘病の甲斐なく病に倒れてしまったのは大変残念なことであった。
乳がんは怖いという印象をばらまくことになったブログ!
ただ、当然のことながら非常に否定的効果「乳がんは怖い」という恐怖感を煽ることになった・・・当人はよもやそれを意図した筈はないが。
ガンがとことん恐れられた時代は通り過ぎたという一般認識が、日本では固まり始めているところである。膵臓ガンなどはまだ発見しにくく、発見されたときには手遅れという事態も少なくない。しかし、乳がん、前立腺ガンは初期に発見されやすく、そして初期に発見されればもう恐れなくてもよくなっている。胃がんも大腸ガンも同様に、発見が遅れなければガンは命を奪うものと恐れなくてもよくなっている。
それなのに!まことにもって遺憾である!彼女の闘病記が興味深いものであればあるほど、その否定的効果は大きい。医師は乳がんはしっかり治療すれば完治しますと、彼女のブログ効果を打ち消すことに努力しなければならなくなっているのである。患者はただでさえ不安を抱えているのである。あんなものが出てしまうと、その不安を掻き立てられてしまうのである。
乳がんとの闘いが真の勇気を人々に与える働き
おりしも、今朝6月25日(日)の朝刊に出ていた芸能界の別の女優の証、「喜びを見つけて、気持ちが沈んだら笑う」は美しく力強く、本当の意味で人を励ます。この女優、樹木希林さん(74歳)は、60歳を過ぎて乳がんが発見され、そして彼女の場合にもガンは全身に広がっていたが、闘病しながら映画などに出続けた。2015年に公開された映画「あん」では、ハンセン病を病んだ主人公を演じたという。実はその縁で、ハンセン病療養所の入所者等を迎えて大阪市内で開かれた「いのちや人生の最後を考えるフォーラム」に招かれて、前記「喜びを見つけて、気持ちが沈んだら笑う」の発言になった。
乳がんが発見されて10年以上、全身にガンが広がって闘病は続いているが、しかし、彼女の行動や発言には死の臭いはしない。もとより、病状は違うだろうが、しかし、彼女の証は間違いもなく病人を勇気づけ、又将来に向けての力強い証言になっている。乳がんは恐ろしいという悲しいメッセージを伝えてはいない。
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「死ねば。生きる価値がない」などとの暴言を録音したテープの存在も明らかにしている。
普通の、ごく普通の日本人であれば、誰に向かっても、いや例えペットのイヌに向かってでも使わない言葉、語調をテレビから聞いて呆れるという以上の衝撃を受けた。あのような表現を「知っていた」、あのような語調を発することを「知っていた」、思わず口をついて出たという、このありえない出来事に日本中が大騒ぎをするかと思ったらそれほどでもない。大騒ぎをするべき一大事が山ほどあるからだろうか? 結構日常茶飯に行っていたというから、言語道断!こんなことをしでかしたら普通なら、恥ずかしくて外に出られない、まともに顔を上げられない状況である・・・暴力団員ででもなければ。
それが、例によって病院という隠れ家に逃げ込み、離党届を出して、それでお終いにするのか?
これは刑事事件として追求するべき事案であるが、このような「暴力団員もどき」をあろうことか、国会議員にしてしまったのである。まことに恥ずかしい日本の姿である。安倍政権の真実の姿を、一般国民にも目に見える形で見せただけなのだろうか。
身内をかばい合い、そして外には恫喝的な安倍政権は聞きしに勝るおぞましい姿、まさしく「マフィア」そのものである。
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ミケランジェロは「大理石の中に眠っている像を掘り出す」ために、大理石の山に8ヶ月間籠もったという。
中井貴一は表現者としての自分を重ねてこう言う。
「人間を疑っているし、自分を疑っているし、表現するということを疑っている。だから準備をしたいのであり、俳優として提供する前にセリフを覚えて準備をする。まず、セリフを覚えて、それからいったん忘れて、本番で、あたかも初めて声を発するごとく言う。二段階を経る必要があるのであって・・・覚えたという一段階だけだったら時間は要らない。
忘れるという段階を経るので、凄く長い時間がかかる。」
中井貴一は、ミケランジェロが山に籠もった8ヶ月は準備だったのではないかと言う。石の声を聞き続けた8ヶ月だったのではないか、と。彼は俳優「アーティスト」としての職業故に、このような表現をするのだろう。科学者がこのような視点を語ったのを聞いた記憶はないが、実はある意味で同じ過程を、スケールの大きさはそれぞれであるが、それでも大なり小なり体験していると思う。
学んで、それからいったん忘れて、すなわち距離を置いて・離れて、自分のものとして熟成したときに全体像が迫ってくるのである。一流の科学者であろうと、それ以外の小粒の科学者であろうと、それにしがみついて、近視眼的視点で見つめている間は決して何も分からない。
学生が試験のための準備として行ういわゆる「一夜漬け」が、仮にその場の点数稼ぎにつながっても、決して実力は付かないという点において、同じようなことである。ついでのことに、筆者が生物学や化学の領域に於いて学生たちを教育するに当たり、細部の知識に囚われず全体像を見つめる視点を養わせようと、四苦八苦するのも似たようなことである。学生たちは細かい知識にこだわりを見せて、色々暗記しようとするがそのようなことをしても、「生き物」の姿を捉えることが出来ないし、化学を理解することは出来ないのである。
有名なサンピエトロ礼拝堂のピエタ以外に、ミケランジェロは生涯に4つのピエタを造ったという。このことは、これ以上に大きなテーマであるので、別に稿を起こして書きたいと思う。
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:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ (50)
「私にはまだ三本も指がある」 死の淵から生還して 田原米子物語
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長野キリスト集会で出された案内を右に示す。解像度の問題で読めるほど大きく出来ないので、その文章をコピーして下に示す。
いつも思うことであるが、尾崎富雄先生は信仰と熱意と、そして使命を主に与えられて、次々と信仰深いキリスト者の資料を集め、焦点を定めてまとめ、そして見事に紹介しておられる。ぜひ、CDを直接聴いて頂きたいと思う。間違いなく、大きな励ましと勇気を与えられるだろう。現在(59)森本春子物語(2017年5月12日)まで進めておられ、その中には、かの有名な三浦綾子さんの物語もある。(1)から(58)までのリストを次のファイルに掲載する。
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昭和12 年に八王子市に生まれ、何不自由なく中学を卒業したものの、16 歳の時、最愛の母が急死。その衝撃はあまりに大きく、孤独と不安から非行に走り、やがて生きる意義を見失い、高校3 年生の時に小田急線の新宿駅で深夜、飛び込み自殺を図る。
奇跡的に一命をとりとめたが、両足切断、左腕切断、残されたのは右手とその指3 本だけだった。「これからは一生、だれかに面倒を見てもらわなければならないのか」と、死に損ねたことを恨み、再び自殺を図ろうと睡眠薬を致死量までこっそりとため込んだ。
そのような彼女の病室を何度も訪れる二人がいた。アメリカ人宣教師と牧師を目指して勉強していた日本人青年(後に夫となる田原昭肥氏)であった。二人は讃美歌を歌い、聖書のことばを読んで励まし続けた。
ある日、二人が置いていったカセットテープを聞いたことがきっかけとなり、生まれて初めて、渾身の力をふりしぼるようにして祈った。「神さま、助けてください」涙がとめどなく流れた。その夜は入院後、初めてぐっすり眠ることができた。翌朝、目が覚めると、窓から射しこむ朝日がまぶしく、見慣れた風景のどれもが輝いて見えた。
そして、ふと自分の右手を見ると、それまでは指三本しかないと思って絶望していたのに、三本も残っていることに気づいた。嬉しくてならなかった。枕元にあった聖書を何気なくめくってみると、次の言葉が目に飛び込んできた。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
今回は、神に生かされている喜びを発見し、「生きるってすばらしい」(自伝のタイトル)と、全国各地を訪れて多くの人々に生きる勇気を与え、その人生を描いた映画で国内外に大きな驚きと感動を与えた田原米子さんの生涯から学びます。
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その様な目的で多くの本が書かれるが、それが必要な人々に届かないのが残念である。ともあれ、今、悩んでいる人々に光と勇気と慰めを与える本を一冊紹介したいと思う。
この間、東京で開かれたセミナーで久しぶりに著者今中先生にお会いして、標題の近刊エッセー(いのちのことば社)を頂いた。「つらいとき 不安なとき立ち上がる力」「健康より大切なものがある」そして、帯封に「健康の課題に直面している方、何を食べようか何を飲もうかと思い悩む方に知ってほしい!」と訴えている。本の見開きの裏に、素晴らしい一言が添えられていた。
多くのことを教えてくれた 忘れえぬ患者さんたちへ
医者としての彼の優しさが滲み出ている一言だと思う。
著者、今中和人医学博士は、現役の心臓外科医である。臨床医であるから体が傷ついている患者の手当をしているのであるが、体の健康を損ねると大概の場合、心も病むことが多い。その時に、手当をしてくれている医者をどの程度信頼して良いのか、大抵分からない。心から信頼できる医者を探し当てた幸せな人は少ない。医学的な知識、知恵は確かか、腕は確かか、まともな人間性を持っていて医療行為を行っているかどうか・・・・今の時代、病気になったら一般庶民は不安だらけである。
帰りの新幹線で読み始めて、時間の経つのを忘れるほど引き込まれた。
「3時間待って、3分診療」と悪口を言われるほど、実は医療現場自身が、そして医者や看護師たちなど医療に携わる人々が病んでいる。医者は患者の顔を滅多に見ないでパソコンばかり眺め、カルテに記入することに精力を注ぐ。たまに患者と会話すると、患者の言うことを聞かないで自分の意見を押しつける。だから、多少体調が悪くても、素人判断以上のことを医者がしてくれる期待が薄く、ついつい病院から足が遠ざかる。そして、怪しげな民間療法が世の中でもてはやされ、サプリメント信仰が大流行で、それで大儲けをする企業がのさばっている。
さて、この書物、読み進むうちに、自分が病気をしたら彼に頼りたいと思った・・・とは言っても、彼は心臓外科医であり、手術を受けなければならないほどの心臓病にはなりたくはないが・・・・。患者を医者である自分と同じ赤い血の通う人間であり、上から目線ではなく生きた人間として対峙してくれる彼のような医者に自分の病を任せることが出来たらどんなに幸せだろう。
医者の視点から、まさしく標題の通り、体の治療ではなく、体の健康を損ねると心も弱くなっていることを本当に理解して、体と心を一体として、人間として付き合って手を差し伸べようとする医者の本音がじわじわと伝わってくる本である。
今健康を損ねている人も、今は健康である人も、心ある一人の医者の温かい心に触れてほしいと思う。
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そのことが報じられて、日本の或る「ペンキ屋集団」が立ち上がった。この9月に、壁を直しにボランティアでリトアニアに行くという。・・・朝日新聞、2017年2月8日05時00分配信。確かにボロボロになった旧領事館の写真が添えられている。
その集団は「塗魂(とうこん)ペインターズ」と名乗る集団で、現在全国に150のペンキ屋たちからなり、2009年に結成されて以来、全国80カ所でボランティアとして奉仕してきている。彼らは、下請けいじめや職業差別などに苦しめられた人々であるが、「自分たちにしか出来ない社会貢献を、魂を込めて行おう」と考えて結成されたという。経済的に塗り替えが出来ない場所、災害の被災地などで塗装をする奉仕である。
戦後70年の2015年には、原爆が落とされた広島、長崎で、そして真珠湾攻撃があったハワイでボランティア活動をした。
「『杉原記念館』として運営されている旧領事館の老朽化が激しく、修繕のめどが立っていない」という、2016年1月の朝日新聞の記事を見てリトアニア行きを計画したという。現地や日本で交渉を重ねた結果、旧領事館があるカウナス市の副市長が来日し、最終決定になった。ボランティアには50人以上が参加するという。
ここでついでに、ユダヤ人6000人に命のビザを書き続けた杉原千畝の偉業は、彼一人で成し遂げられた訳ではない。もちろん彼は免職を覚悟の上で大きな犠牲を払い、帰国後、日本ではさんざんな目にあい、冷や飯を食わされてしまった。しかし、日本でこの6000人の人々に手を差し伸べて助ける人々がもしいなかったなら、杉原千畝の血のにじむような働きは空中分解したことだろう。
助けた人々の中には、ハルビン学院で千畝の二期後輩であったウラジオストク総領事代理、根井三郎や、難民たちの対応に奔走していたユダヤ学者の小辻節三、そして驚くべきことにドイツとの同盟の立役者であり、国連脱退に際しても良い記録が残っていない松岡洋右外務大臣が、非合法ではないが、ある便法(今はやりの言葉で言うと裏技)を、この小辻に教えたという。
その他多くの人々の協力によって、6000人の命が救われたのであった。
このことは後に、もう少し詳しく書きたいと思っている。
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誰でも一度は、小学校か中学で教えられた三権分立。
国の様々な法律を決める立法権は国民で選んだ国会議員からなる国会にあり、それを実行する行政権は内閣総理大臣をトップとする内閣・政府にあり、定められた法律が守られているかどうかを決定する司法権は裁判所にある。この重要な国家権力は相互に独立していて、互いに干渉してはならないという建前である。しかし、建前は建前にしか過ぎず、本音が別にあるのが普通のようである。
日本でも、この建前がしばしば揺らいでいる。この国家権力の中で一番権力が強いのは、実力行使する行政権で、内閣・政府は今でもしばしば国会のありように干渉し、国会を牛耳り、又裁判所に圧力を掛ける。地裁より高裁の方が政府の圧力というくさい臭いが漂って来るが、最高裁となると政府の意向が前面に出てくることが頻々である。そもそも、いわゆる御用学者がずらりと最高裁判事に任命されている。最高裁判事の適否を決める権利は国民にあっても、実際問題として機能していない。
とは言っても、かつて総理大臣であった人を日本の司法は汚職の罪でしっかり裁こうとした。田中角栄である。・・・ちなみに田中角栄という人物は、何かが出来るかという点では極めて有能であったことは間違いないだろう。ただ、その能力を間違った使い方をしたことは処罰されなければならない。同じ意味で、前任都知事の桝添さんも有能な人物であるとは見ていたが、権力を手にするやいなや悪いことをしでかして、任期途中、極めて短期間でクビになった・・・刑務所送りにはならなかったが。その前の東京都知事の石原さんも、やっぱりクビになった。
この三権分立を支える
民主主義は、日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、アメリカから押しつけられた?頂いた?ものであるから、しっかり根が生えないまま70年を経て、今に至っている。都会には大きなマンションが建ち並び、核家族化が進み、良かれ悪しかれ一見新しくなったように見えるが、一方で相も変わらず檀家制度が生き残っており、寺や神社は人々を引き留めるためにあの手この手である。昔ながらの様々なしきたりや、偏見、差別など、その意識はあまり変わっていない。・・・今回、オリンピック会場として決めようとしたゴルフ場が、女性を会員にしないという差別制度を敷いていることにクレームが付いたのはほんの一例である。
民主主義国の代表、アメリカ合衆国
今、人民の国、民主主義の国を標榜してきたアメリカが三権分立の危機に立っている。トランプ大統領は就任早々、矢継ぎ早に「大統領令」を出して、今までのアメリカの有りようをひっくり返している。就任演説で前大統領への通常の礼儀を欠いたのは、オバマ前大統領のしたことを、今まで全部否定してきたからだろうか?
簡単に最高裁判事を罷免できて自分の息のかかった人材を行政府のみならず、判事にも据えることが出来るとは恐ろしいことである。大統領は日本の首相とは比較にならない大きな権力を一手に握りしめている。なるほど国家元首は違うんだと変な感心をしている。その気になれば、簡単に独裁者としてヒットラーの歩いた道を歩くことができるようである。そして、トランプは手に入れた権力を楽しんで独裁者になろうとしているかのごとく見えてしまう。
「入国拒否」の大統領令が辛うじて「一時保留」になったのが、アメリカの民主主義が死んでいないことの証として慰めである。しかし、「アメリカ第一」と声高らかに叫ぶトランプとそれを支える国民の姿は、アメリカという国の本音なのだろう。アメリカ合衆国は、本来のアメリカ人(インディアンと呼んで、いつの間にか本来のアメリカ人であるという認識を消し去った)を駆逐して、暴力で勝ち取った人々である。銃を規制することが出来ないのがアメリカ人の本音なのだろう。
自由で、奔放で、我が儘で、束縛が少なくて、国土が広いように包容力に富んだアメリカを好きだった。日本では享受できない解放感を胸一杯に吸い込める、そういう国だと思っていた。あのアメリカはどこへ行ってしまったのか?大金持ちだけが、好き勝手をするのだろうか?
一党独裁国家、中国
民主主義国ではない中国は、さらに悪い方向に向かっているようである。そもそも、最初の最初から今に至るまで、三権分立は存在したことのない国である。全ての権力は共産党に集中しており、形ばかりの三権を整えていても、それは形だけであり、いったん共産党に疑われたら、どんな恐ろしいことが起こるかと思われる。
その事例が、報道された。
2015年夏に、中国で人権派弁護士たちが一斉に拘束された事件で、逮捕された弁護士の一人が取調中、当局から拷問を受けていたと面会した弁護士が明らかにした。その拷問は筆舌に尽くせない、残酷なものであったという。
40時間以上休み無く、眠らせない取り調べ、その後も1週間はほぼ連日20時間ほど取り調べられ、睡眠は2時間ほどしか取らせなかったという。次のような、肉体的・精神的な拷問を繰り返した。
?吊り椅子・・・プラスチックの椅子を4,5脚重ねた上に座らせ、足が地面に付かない不安定な状態で連日20時間の取り調べで、下半身が腫れ、感覚が無い状態になった。
?寝かせない、休ませない。毎日睡眠は2時間ほど。
?取調室のカメラの死角で、殴る蹴るの暴行。
?目の前で数人が同時にたばこを吸って煙を吹きつける。
?同房人との会話を禁止して孤立させる。
?食事や水を目の前に置いて、飲食させない。
?脅迫「妻子が車に乗るときは安全に注意した方が良い。今は交通事故が多いから」等と言って脅迫。
このような弾圧・迫害は中央政府の意志であるという。
この一斉検挙事件の背後には、人権運動が盛り上がって民衆の共感を呼べば、体制を揺るがしかねないとの習近平指導部の危機感があると見られている。国内外の批判をよそに、当局は締め付けを強めているらしい。
「事件について海外メディアの取材を受けたことが騒動挑発罪に当たる。これは北京からの指令だ」と公安警察は言った。「今後はコメントするな」と言われて了承したが、その旨を書けと言われて断ると、重罪の国家政権転覆煽動容疑に切り替えられたという。何かあると、すぐにこの重罪容疑で逮捕されてしまう、恐ろしい国で法治国家とは言えない。
かつて畏敬の念を持って「眠れる獅子」と言われていた大きな中国はどこへ行ってしまったのだろう?
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国内に渦巻く諸々の大問題を片付け、整理し、又、国家統合を成し遂げようと大きな志を持っていたけれども、諦めるという。
その理由たるや、申し訳ないが、実に韓国らしいと直感的に思った。
「弟とおいが不動産取引で不正を働いたという疑惑」で追求されて支持率が下がったらしい。
韓国の大統領が独裁的な権力を持っているせいだけではないと思うが、本人も親族も、そしてパククネさんの場合は友人たち、要は取り巻き連中を含めて、その絶大な権力を縦横無尽に駆使して、国民を裏切る。そんなにお金が欲しいか?見苦しい限りである。
日本の政治家たちは、国のシステムが異なるせいもあるだろうが、国民の信頼に応えてしっかりと働いている人々はそんなに多くはないし、結構がりがり亡者のようではあるけれども、法律のすれすれをくぐり抜けるのが上手なのか、本当に悪いことをしていないのか?韓国のような最低な状況が露呈しないようである。
そして、大統領の権力を失った途端に、司直の手が入り、逮捕・牢獄入りという例が後を絶たないのが韓国であるように思われる。
そして、あの忌まわしい、慰安婦問題である。韓国民はどうやら不幸せらしい。そしてその憤懣やるかたない思いを手近な隣国にぶつけることによって欲求不満を解消しようとしている気がする。そして、権力者たちは、この国民をまともに指導できないので、荒々しい感情を一緒に焚き付けて国民の怒りが自分たち指導層に向かないように手練手管を駆使する。パンギムン氏は、事務総長時代に慰安婦問題について国民の気に入らないことを言った付けが来たようである。
かくて、権力をせしめる前に親族のドロドロが発覚して、一時、本命と思われたのに、支持者を失ったようである。
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対局中にしばしば席を離れた三浦九段を出場停止処分にした日本将棋連盟は、結局、不正をした証拠が見つからず、谷川会長の辞任というお粗末な幕引きを発表した。
事件が起こったのは昨年秋、その時の三浦九段の行動の説明や、申し開きが・・・・テレビ会見では今ひとつ明快ではなかったような気がしている。
電子頭脳は、まず、西欧のチェスには勝っていたし、碁も人が負けるようになっていた。そして、将棋も上位の人々が負け始めていたのである。そういう時代であるから、電子機器は対局前にロッカーに預け、対局中の使用は禁止されていた。それなのに対局中に人に注目されるほど座を離れたということは、疑念を持たれても仕方がない。
しかも、納得のいく説明がなかったための処分を連盟が下したのだろうと思っていた。
この件を書いたときに上げたことわざをもう一度以下にコピーする。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という麗しいことわざがある。ちなみにこれは「かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず」と読み、瓜の畑で膝を屈めて靴を履き直すと、瓜を盗むのではないかと疑われる。また李(すもも)の木の下で冠を被り直すと、すももを盗むのではないかと疑われる。だから、疑われるような行動をするなという戒めである。
不正を働いた証拠など見つかるはずはない。
お粗末な顛末となった。谷川会長の記者会見は、まことに歯切れの悪い発言であったし、顔を上げないで語っていたのは、「本当は・・・」という思いがあったのか、なかったのか? あるいはいつも顔をちゃんと上げない人なのか? 昔、羽生善治がすべてのタイトルを獲得して七冠王になったときに、「来年もこのままでは、我々がだらしがなさ過ぎる」みたいな発言をしたが、谷川氏は前を向いていたような記憶があるが・・・・
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ナチ・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人に、日本への渡航ビザを時間ぎりぎりまで書き続けた杉原千畝(写真 Wikipedia) について、今は日本人にも広く知られるようになったが、それはそんなに昔のことではない。本省の訓令に逆らって、人道的な視点から、領事館に押し寄せるユダヤ難民にビザを発給し続けた「英雄」であるにもかかわらず、政府は彼の振る舞いを認めず、国の命令に逆らったということで事実上の免職にした。
1939年1月:リトアニアの在カウナス領事館・領事代理に任命される。8月28日にカウナスに着任。9月1日、ナチス・ドイツがポーランド西部に侵攻し、第二次世界大戦が始まる。独ソ不可侵条約付属秘密議定書に基づき、9月17日にソ連がポーランド東部への侵攻を開始する。(地図、Wikipediaより:赤く塗りつぶしてあるのが杉原が勤務したリトアニア。隣国ポーランドからリトアニアに大勢のユダヤ人がナチス・ドイツの迫害を逃れて来た。)
1940年6月:ソ連軍がリトアニアに進駐する。
この頃、本国政府からは、以下のような通達が届いていた。
陸海軍及び内務各省と協議の結果、「ドイツ及びイタリアにおいて排斥を受け,外国に避難する者を我が国に受け入れることは、大局上よろしくないのみならず、現在事変(日中戦争)下にある我が国では、これらの避難民を収容する余地は無いのが実情なので,今後はこの種の避難民(外部に対しては単に『避難民』の名義とすること。実際はユダヤ人避難民を意味する)のわが国内地(本土)ならびに各植民地への入国は好ましくない。(但し、通過はこの限りでない。)」とすることで意見が一致した。
ドイツ占領下のポーランドから逃げてきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館からビザを取得しようとした。リトアニアを占領したソ連は、各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に通過ビザを求めて殺到した。
杉原千畝の回想
「忘れもしない1940年7月18日の早朝のことであった。6時少し前、表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外を窺うと、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った。」
7月:こういうヨーロッパ情勢下に,杉原千畝のいのちのビザの発給が行われたのである。まさに命がけの行動であり,このために杉原は日本の権力から様々な迫害を受けた。実は戦後も彼らは執拗に杉原の行動を非難し続けたことが記録に残っており、記憶されている。杉原がいのちを賭してユダヤ人6000人に書き続けた通過ビザ(TRANSIT VISA、Wikipedia)は、写真に見るとおり手書きである。
領事館に救いを求めてやってきたユダヤ避難民に同情し、本省の命令に反して通過ビザを発給。
外務省より領事館退去命令。
8月29日領事館閉鎖。
9月5日、カウナス駅より国際列車で退去。ベルリン経由でチェコスロバキアの在プラハ総領事館に着任。
彼と妻との信仰に基づく勇気ある愛の行動の詳細に関しては,別に稿を起こして書く予定である。
日本国政府による公式の名誉回復:2000年10月10日
イスラエルはもとよりのこと、諸外国で勇気ある行動が高く評価され、1985年、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で、日本人では初めての「諸国民の中の正義の人」として認定された。彼の名前が世に知られるにつれて、賞賛と共に、政府の訓令に違反したことに関して「国賊だ、赦せない」など中傷の手紙も送られるようになった。これが、戦争が終わって40年も経っていることを考えると、信じられない日本人の反応である。どれ位の人々が杉原千畝の行動に対してこのような思いを抱いたかは分からないが、日本は軍部によってかき乱され、一般国民は多少とも軍の犠牲になった歴史を知っているなら、このような反応は出てこないはずである。
外国も含め、各方面の様々な活動、働きかけがあり、日本国政府として公式に杉原千畝の名誉回復を行ったのは、実に、2000年10月になってから、ついこの間のことであるとは、何という恥ずかしいことだろう。杉原の生誕100周年に当たり、杉原の業績を称える顕彰プレートが外務省外交史料館に設置される。顕彰プレートには「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」などの文言が記載されている。除幕式に於いて、外務大臣河野洋平が、以下のように述べて、政府として正式に詫びを入れ、杉原千畝の行為を高く評価した旨を演説した。
「これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。
— 2000年10月10日の顕彰プレート除幕式での外務大臣河野洋平の演説」(Wikipediaより転載)
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戦争責任を問われて巣鴨拘置所に呼び出され、裁かれる前に自分で裁いて、服毒自殺してしまった元首相、近衛文麿(写真、Wikipedia)のことを覚えているのは、筆者の世代が最後だろうか? 今の若い人々は歴史で教えられても、戦争責任を問われて絞首刑にされてしまった東条英機の名前は覚えていても、自殺して逃げてしまった当時の近衛家の当主、近衛文麿の名前は忘れられているかも知れない。そして、若しかしたら異母弟の近衛秀麿の方が知られているのかも知れない。
近衛文麿の肩書きを書き連ねると、「輝くばかり」の「栄誉」に包まれ、今の人々には何のことやらと思われるような、仰々しい肩書きである。生まれは、五摂家(公家の家格の頂点に立った五家・・・近衛家・九条家・二条家・一条家・高司家・・・)の近衛家の第30代目当主で、生まれながらに栄達を約束された家系に生を受けた、後陽成天皇の12世孫にあたる。
勲一等旭日大綬章、公爵、貴族院議員、貴族院副議長・議長、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、農林大臣、司法大臣、国務大臣、大政翼賛会総裁等を歴任した。第一次近衛内閣では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争が発生し、戦時体制に向けた国家総動員法の施行などを行った。国内の全体主義化と独裁政党の確立を目指して、大政翼賛会を設立し総裁となった。
もっとも、表向きにはこのように栄誉を得ていても、彼の人生をサラッと見てみると、仰々しい家柄に生まれてからの子ども時代から、どうやら幸せではなかったようであるが、それはこの小文とは関係が無いので省略する。
外交政策では、八紘一宇と大東亜共栄圏建設を掲げて、日独伊三国軍事同盟や、日ソ中立条約を締結した。言うならありとあらゆる栄誉と権力を手中に収めたのである。 注:八紘一宇とは「天地四方八方の果てに至るまで、この地上に生存する全ての民族が、まるで一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である。
A級戦犯となり、青酸カリ自殺した近衛文麿
敗色が濃くなると、昭和天皇に「近衛上奏文」などを出して、戦争早期終結を唱えたりした。戦争責任から逃げだそうとしたのであろうか?
戦争終結後、東久邇宮内閣で国務大臣として入閣し、大日本帝国憲法改正に参画しようと意欲を燃やしたのは、よもや戦争責任を問われるとは予想していなかったのであろうか? 開戦前の日米交渉に自身が果たした役割が書かれた手記が朝日新聞に掲載されたが、これを読んだ昭和天皇は「近衛は自分にだけ都合の良いことを言っている」と呆れ気味に語った。
近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判された。
近衞は『世界文化』に「手記〜平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張した。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。
福田和也(評論家、学者)は、伊藤博文(1885.12~)から小泉純一郎(~2006.9)までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、近衛(1937.6.4~1939.1.5 & 1940.7.22~1941.10.18, 在任期間、合計2年10ヶ月)のあまりの無責任さの故に、最低の評価点を与えている。
筆者は近衛文麿よりむしろ、もっと無責任で非常に短命であった総理大臣を上げたい気がするが、最低だと評価する対象は故人から選ぶ方が差し障りが無いということだったのであろうか?
ともあれ、巣鴨拘置所に出頭を命じられた日の未明に、近衛文麿は青酸カリを服毒して自殺した。
異母弟の近衛秀麿(写真、1939年、Wikipedia)
音楽家の秀麿は兄と違って気の強い人物であった。秀麿は1936年以降、終戦まで政府音楽大使としてヨーロッパで指揮者として活動した。当時ナチスが政権を握っていたが、秀麿はナチスを嫌っており、たびたび彼らの意向を無視したことで嫌がらせを受けながら公演を続けていた。日本のオーケストラにとってパイオニア的存在であったが、様々なことが相俟って音楽家としての評価は必ずしも良くない。・・・がそのことは、本稿の主題ではないので触れない。
ある日、総理となった文麿から国際電話があり「ドイツ大使館からお前のことで文句を言われている。総理の面子を保つため、ナチスの言うことを聞いてくれないか」と言ってきた。秀麿は兄の弱気ぶりに憤慨して「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返した。
以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通になってしまった。
戦後、兄弟が再会を果たしたときに、文麿は「お前は自分の気持ちを貫いて立派だったよ。お前に比べたら自分は何も残せなかった」と、かつてのことを繰り返し詫びたという。また、「お前は音楽家になって良かったなぁ」というようなことも言ったようである。
文麿の悟りきったような態度に、秀麿は兄の死を予感して、毒薬を隠し持っているのではと探し回ったそうであるが、文麿は入浴の際にも肌身離さず持っていたので家族にも見つけることが出来なかったという。
ユダヤ人音楽家との交流・逃亡を援助
日本のオーケストラの礎を築いた後、再びドイツへ渡り、ベルリン・フィルをはじめ、数多くの交響楽団の指揮をした。ところが、ヒトラーの率いるナチス・ドイツによる動乱の時代に突入したが、近衛文麿の弟として日独親善の先頭に立っていた秀麿は、身に危険が及ぶことも顧みずユダヤ人音楽家の国外亡命を援助した。秀麿はユダヤ人音楽家たちの希望の光となった。
第二次世界大戦が勃発した後も、秀麿はドイツに留まって、戦乱に傷つく欧州各地で指揮棒を振り続け、窮地に陥ったユダヤ人音楽家の逃亡を陰で手助けした。
ユダヤ人を助けたことでは、「6000人のビザ」で杉原千畝が最も有名であるが、それ以外にも様々な民間人がこのように、大小様々な援助の手を差し伸べている。人の歴史には語られなくても、神様の記録にはしっかり留められている。
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先に、日本初の心臓移植について少し紹介した。
1968年、今から48年昔のことであるが、明らかに人体実験以上の悪意が感じられる事件であったが、医療関係の事件は罰せられることが非常に少ない。専門知識が必要であり、しかも隠蔽体質の濃厚な医者仲間であり、互いに護り合うので、外の人間が入り込めない体質である。かくて、あの事件も不起訴になった。
筆者は、臓器移植に関してかなり関心を持っていたので、何冊か本を読んで多少はこの事件のことを知っていたが、こうして特別スクープとして取り上げられたのは、半世紀という時間が経ったからだろうか? 関係者は殆ど故人になってしまっているのだろう。
今回、幸いにしてこの番組を録画しておいたので、番組の内容を詳細にここで紹介したいと思う。
筆者は、「医療・医学」は「科学」ではなく、「医者は科学者ではない、あるいは科学者であってはならない」としばしば言及する。このように言うと、殆どの医師は嫌な顔をする。人の命を預かる医者が、何故科学者でありたがるのであろうか? 筆者には到底理解しがたい感情である。医者は人の命、一つしかないかけがえのない命を預かっているのであり、本来は失敗は絶対赦されない職業である。人の命は、何にも替え難い尊いものである。科学とは異なり、試行錯誤をしてはならないのである! 実験材料にするなど言語道断である。
医者と科学者は、似て非なる別の職種である。
激動!世紀の大事件・特別スクープ番組・・・日本初の心臓移植
番組は、移植を受けた患者と、生きていると思われた間に心臓を奪われた青年二人は仮名で、又一人の医師も仮名であったが、それ以外の登場人物は全て実名であった。そして、証言したかつての関係者である医師は、顔を出して自分の言葉でメディアの前で語った。この部分は「 」で囲んで示し、その人々の語るのを聞いて、その通りをここに書き写した。
今回の番組を、出来るだけ番組に添って、放送された順番に、放送された通りにここに再現することにする。もとより画像はない。ネット上に写真や、画像が公開されているものがあり、ここに示した方が状況をよく説明できると思われるものが見つかったら、それはネットから拝借することにする。
総括:天才外科医「奇跡の手術」の光と影
誰も触れようとしなかったタブーがある。それは48年前の心臓移植手術だった。
1968年、札幌医科大学付属病院。46歳の和田壽郎 天才胸部外科医
和田の発言「家族の一人が心臓を提供したと、ここに私は喜んで嬉しくて皆様にこのことを、真面目に心からご報告申し上げます。」
心臓を取り替えて生きている。その姿に日本中が熱狂し、新たな医療の期待を抱き、未来を見た。
ところが、患者が死亡すると、・・・・新聞の論調は手のひらを返したように変った。
新聞の大見出し
和田心臓移植の疑問点
脳死の証明、記録無し
生きた人間から心臓を取り出したのではないか
心臓提供者の死亡時刻に疑問視
そして
殺人容疑で刑事告発される・結果は嫌疑不十分で不起訴
心臓提供者を診た医師
「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった。」
記者の質問: (蘇生をしたら)どこまで回復したか?
「かなりの確率で、社会復帰できたのではないかと思う。」
奇跡の手術と言われた和田心臓移植、封印されてきた・・・今光が当たる
和田医師の受けた教育と才能
和田は28歳で渡米し、4年間心臓外科の技術を学ぶ
最先端の心臓外科医療を学び、帰国後まもなく35歳で札幌医大・胸部外科の教授に就任。驚異的な若さだ。
和田医師の部下だった小松作蔵さん(85)
「非常に優秀な人で、アイデアマンで、思いついたことをすぐ実行に移すというところが、我々とは違うなと感じてました。」
*実際、医療史にに残る数々の発明を残している。
一人用高気圧酸素タンク、和田式人工肺、彼が開発した心臓の人工弁
ワダ・カッター弁(心臓の人工弁)は、世界初の人工心臓に使われた、臨床に応用された完全埋め込み式
*毎日二つの手術を行う集中力、10年間の手術数は約7000件に及ぶ
小松作蔵さん(85)「手術の腕は最高でしたね。カリスマ的というか・・・」
移植手術の1ヶ月前
そのようなカリスマのもとに、ある患者が入院してくる。心臓の弁に障害を持つ市川さん(仮名)、当時18歳
後に、日本初の心臓移植の手術を受け、83日間生きた人物だ。
当初は、障害のある弁を、人工弁に換える手術を受ける予定だった。
・・・・が、あるとき、和田(当時46)がそそのかしに行く
市川(仮名)「心臓移植・・・ですか?」
筆者の見解・感想・・・当時、心臓移植などということは日本人だけではなく、人間の概念の中にはなかっただろうから、そのようなことを聞いても、何のことだかよく分からなかったことだろう。
和田がアメリカで共に勉強した人が 世界で初めて心臓移植
僅か7ヶ月前に、世界で初めて、南アフリカで心臓移植手術に成功している。
世界の最先端医療である
執刀医:クリスチャン・バーナード、和田がアメリカ留学で、机を並べた仲だった
1967年12月3日、交通事故により脳死状態になった24歳の女性から55歳の男性に移植
術後18日目に肺炎で死亡
1968年に二回目、術後19ヶ月間生存
1983年に医師を引退するまでに、49例の心臓移植
そのニュースを知った和田は、すぐさま南アフリカまで執刀医を訪ね、心臓移植手術について議論した。
小松作蔵:「あいつもとうとうやったか。我々もやらなければ、という気に(和田は)なったと思う。」
自伝「神から与えられたメス」に、和田は次のように綴った
「世界の心臓胸部外科から取り残されまいと努力を続けてきた。」
心臓提供者現れる・・・救急車内で息を吹き返す
そんな中で出会ったのが市川さん(仮名)だった。こうして、日本初の心臓移植へと準備は整っていった。
そんなある日、8月7日(手術前日)札幌から約50km離れている小樽市・蘭島海岸で海水浴客が溺れる事故
夏休みで帰省中だった大学生吉村さん(仮名、21歳)、後に心臓を提供することになる人物である
駆けつけた日赤奉仕団員が救護所にいた・・・当時医大生(22歳)だった林 雄三さん(70歳)である
彼の記憶は生々しい。
「呼吸はしてない、意識もない、脈は触れない。放置すれば(死亡してしまう)という状況」
救助された吉村さん(仮名、当時21歳)は、生死の境をさまよっていた。
その時、救急車が揺れた、その直後、脈を回復・・・
「頸動脈の脈拍が、先に触れました」と林 雄三さん
「状態が完全な心停止ではなく、心室細動という状態だったのが、呼吸路が出来たために、改善してきたのだと思う。」
吉村さんは息を吹き返したのか?
搬送先の病院で
搬送先の病院で治療した医師、上野冬生さん(80)(当時32歳)は、その決定的な場面に立ち会った。
「自発呼吸がありましたしね。血圧なんか計っても、130くらいあったし、だから(容体が)悪くなるということはあまり考えていなかった。」
治療開始4時間後には、瞳孔の対光反射があり、容体は安定
「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった」
筆者見解・感想・・・関係者であり、又、半世紀も経過しているということがあり、表現は柔らかくなっているが、彼らが診察した結果は、まさしく生きていることの証拠である。医者が脈を取るのは、心臓が動いているかどうかを診るのであり、心臓が動いているのは生きているということである。さらに、自発呼吸があった、すなわち自分で呼吸していたのである。
上野医師は治療を院長に引き継ぎ帰宅
当時の新聞記事は大きく取り上げた
「懸命の人工呼吸40分、心臓が動き出した 一度は死んだ水難大学生」
人の死の定義・脳死定義
ここで、人の死の定義と、現在の日本における脳死の判定基準を示す。
*人の死の判定基準:「死の三兆候」
呼吸停止
心拍停止
瞳孔散大・対光反射消失
これが、人が死んだと医者が「臨終」を宣告する時の絶対的な基準であったし、今も基本的にはこれである。すなわち、呼吸している人、心臓が動いている人、対光反射を示す人を死んだとは言わないのである。
現在、臓器移植を進めるために「脳死」の定義は以下のように定められている。
「脳死」の定義:脳が永久に機能を失った状態
脳死判定基準
?刺激に対する無反応性
?呼吸停止
?反射の消失
?脳波の平坦化
和田医師の所へ転送された密室ミステリー
上野冬生さん
「次の日の朝(病院へ)行きましたね
昨日の方はどうなりましたかと聞いたら、(和田医師がいる)札幌医大に送られたと」
二人の医師が「息を吹き返した」と証言した患者を、である。
「一度は息を吹き返した吉村さん」は、和田がいる札幌医大付属病院に送られていた。溺れたその日のうちに、午後8時5分、札幌医科大学付属病院へ搬送されていたのである。
札幌医大病院の闇のミステリー
札幌医大の治療室で待ち構えていたのは、和田を筆頭とした10人以上の胸部外科医たちだった。
ところが、わずか10分ほどで手術室へ
その状況を聞いた麻酔科の医師たちは・・・蘇生が必要な患者が運ばれれば、必ず呼ばれるはずだった麻酔科医の内藤裕史さん(当時、36歳)は、呼ばれなかったのである。
内藤さん(84)
「溺れた患者さんが入ったら、まず麻酔科の医者に話が来るはずで、私たちに何の連絡もなくて、手術室に溺れた患者さんが入っているのは、異常な状況だから、どうしたんだろうと思って(手術室へ)行ったんです。」
溺れた患者の蘇生措置は、最初に麻酔科医の気道の確保から始まる。
・・・筆者注:気道を確保するのは一つの技術で麻酔医が行うので、溺れた患者の蘇生措置は、当然最初に気道を確保することであるから、麻酔医が呼ばれなければならない。なのに、この時には、気道確保の措置をしなかった、つまり、助ける意志がなかったと理解されても仕方がない。大体転送する必要のない患者を札幌医大に転送したさこと自体が変であり、悪意さえ感じられる。
ところが、そこで麻酔科医の内藤さんが見たものは、手術の準備が進められていたことである。蘇生には本来使わないはずの免疫抑制剤などの大量の薬だった。
内藤「溺れた患者さんの蘇生をするときには、海水で溺れたか、真水で溺れたかで治療が変わるわけですよ。
(それを)知らなくて溺れた患者さんの蘇生が出来るのか」
患者である吉村さん(仮名)の胸に聴診器を当てた
「普通、溺れた患者さんだと プズプズ プズプズという音がするんだけれども 肺の音はきれいだった。」
Q 心臓の音は?
「心臓はもう聞く必要なかった。
肌はピンク色で 意識が無いというだけで・・」
Q (蘇生をしたら)どこまで回復したか?
「かなりの確率で社会復帰できたのではないかと思う。」
筆者見解:肺の音がきれいで、すでに溺れた患者の肺の状態ではなかったのである。そして、心音を聴く必要がないと医者が判断する状態で、肌がピンク色だった。これは、やがて意識を回復するだろうと予測できる状態だったのではないか? 少なくとも、「死」とはほど遠い状態だったことは議論の余地はないだろう。
功名心にはやる和田の人体実験か?
何が始まろうとしているのか理解できないままに手術室を出ると、和田から告げられたのは
「実は心臓移植をやろうと思う」午後、8時半頃
和田医師の主張
吉村さんの蘇生をしたが、その後容体が悪化し、午後10時10分に死亡判定したと答えている。
脳波平坦 心拍停止などを確認したことから死亡と判定した
そして遂に、深夜、午前2時5分 心臓移植手術を開始
術後順調に回復していく市川さんの姿に、メディアは殺到
和田は一躍、時の人となった。
偽りの光の世界から闇へ転落
しかし、その後容体は急変 83日目に市川さんは亡くなった。
すると一転
新聞記事 「和田心臓移植の疑問点」「脳死の証明、記録無し」「死亡時刻に疑惑」
和田医師は殺人容疑で刑事告発される
一番の争点は「正しい死亡判定は行われたか」
和田医師の主張
「瞳孔に対光反射なし 自発呼吸無し 心拍停止 脳波平坦などを確認して死亡と判定した」
死亡判定に一人の医師が大きく関わっていた
その人物は部下の胸部外科の高橋医師(仮名)
高橋医師が蘇生中に、吉村さんの容体は悪化、心電図で心停止したことを確認
脳波が平坦になったことも調べた。
それらの報告を聞き、和田は死亡判定した、と言う。
筆者見解:他の医師の証言とは、正反対の食い違う証言である。
警察は高橋医師に話を聞こうとしたが、捜査が始まる4ヶ月前にガンで亡くなっていた。
心臓移植は必要だったのか?
和田の主張
市川さんの心臓は、複数の弁が悪化していたため、一度に人工弁に換えるのは危険性が高いと判断、移植手術を勧めた。
筆者見解:仮に弁が悪くても、一つずつ対応する方法はあっただろう。市川さんの命を救うことを考えるなら、初めての心臓移植の危険を冒す必要はなかった。実際、オーストラリアの移植は18日で死んでおり、失敗であったと言わざるを得ないのに。
そこで検察は、市川さんから摘出された心臓で、どれほど弁が悪かったか確かめようとした。
すると弁は全て切り離されてしまっており、病状を詳しく調べられない状態になっていた。
これについて和田は、こう説明している。亡くなった高橋医師らが、研究のために弁をくり抜いたと証言。・・・筆者感想:「死者に口なし」である。
捜査はおよそ1年7ヶ月にも及んだが、捜査項目全てについて、殺人と認める十分な証拠がないとして、嫌疑不十分で、不起訴処分となった
和田の記者会見
「私は非常に良いことをした。出来るだけした。
人間でこれ以上のことが出来るか。これからこの手術をもっともっと
これだけプレスの人が集まらなくても 皆 拍手するように我々は努力をしていこうというふうに、何度も自分に言い聞かせております。それが その後考えていることであります。これはずっと変わっておりません」
その後和田が心臓移植手術をすることはなかったが、長年に亘る胸部外科医療への貢献は高く評価された。
名誉会長:日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会
名誉会員:日本呼吸器外科学会・日本人工臓器学会など
日本初の心臓移植
あの時和田は何を思っていたのか?
内藤裕史さん「野心と、もう一つは医学の進歩のため」
「若しかしたら助かったのかも知れないけれど、一人が犠牲になっても心臓移植の第一歩を踏み出して、その後に心臓移植がたくさんあれば、医学の進歩になるだろうと(和田は考えたと思う)」
その後、1997年、日本で臓器移植法が施行
1999年 国内二例目の心臓移植手術 31年が経っていた。
筆者追記: 世間では、「助かる方法は臓器移植しかない、心臓移植しかない」と、まるで臓器移植をすれば助かるかの如き宣伝がされており、人々の同情により1億円以上の募金を募り、海外に出かけて移植を受けている。手術後の生存期間が、例え1年であっても、助かったと意気揚々と帰国した姿だけがマスコミに流れるので、多くの人々はだまされている。しかし、組織適合をしっかり行って、万全の準備をして移植を受けても、助かるとは限らない。もちろん、48年前の殺人のような無謀な手術とは異なり、術後の生存率は上がってはいるが、それでも、「それしか助かる方法はない」というような状況ではない。
筆者心臓移植適応患者の生存率について、以下の論文のデーターをご紹介する。
以下のデータをどのように考えるかは個人差があるだろう。手術しなければ、10人中3人が助からないが、他の人の心臓をもらって手術を受けても、10人中2人は助からない。
国際心臓・肺移植学会統計(1997年4月〜2008年10月)
40,755人の心臓移植者 未移植患者293人
1年生存:78〜79% 70%
5年生存:64% 32%
10年生存:45% 20%
http://plaza.umin.ac.jp/~hearttp/PDF/2008yogo.pdf
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph108.html
心臓を上げるドナーについては、「人にあげるために役に立つかどうか」という視点でしか論じられないことが多いが、実は、和田氏のようなひどいことをしなくても、臓器を取り出しても良いという「脳死判定」には大きな問題がある。
単純には、脳死判定が正しく行われても、?脳死判定の手順から考えて、判定のためにこの患者を死の淵にたたせることになる。?臓器を取り出されているドナーは、どうやら断末魔の苦しみを味わわされるらしい。
詳細は以下の書籍を読んでください。
小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」
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首脳会談に二時間四〇分も遅刻されても、日本の首相はにこやかに出迎えるしかなかった!いい面の顔である。相手を大切に思うなら、決して遅刻などしないものである。安倍首相を、それはとりもなおさず日本を、軽く見て自分が優位に立とうとする悪意は見え見えである。
「遅いぞ! 武蔵!」と怒って刀のさやを捨てて武蔵に侮られ、負けた佐々木小次郎・・・。多分、作り話だろうが、人間心理をついている。相手を大切に思い、友好的な心を持っている場合は遅刻などしない。プーチンそしてロシアは、日本を大切になど思っていないし、四島を返還する気など毛頭無いのは、この71年間、彼らがしでかしてきた行動を見れば明らかである。順次、自国の領土であると主張するための事実を積み上げるための様々な策を練って実行してきた。71年間である!
中曽根元首相が、レーガン元米国大統領と「ロン・ヤス」とファーストネームでおつきあいする関係だと、「愚かな」ことを言い始め、華々しく宣伝した。彼らがその任務から離れた後も、「ロン・ヤス」の個人的な付き合いが続いたのだろうか? が、とにかくも、それ以降、「ファーストネームのつきあい」という形だけの宣伝をしたがるバカな首相たちが後を絶たない。元々、子どもは別として家族・親戚以外の人々とファーストネームで呼び合う文化を日本人は持っていない。ファーストネームで呼んだり、べたべたと体を触ったり、挙げ句の果てには抱き合ったり、自分の身についていない欧米の習慣をむやみやたらに「猿まね」をしている日本人の振る舞いをあざ笑われているのが分からないのだろうか? 安倍首相も、プーチンとファーストネームで呼び合う仲だとバカなことを言っているらしいが、プーチンは知らん顔をして「アベ」と呼んでいるらしく、「アベ」は愚かな独り相撲・道化師を演じているに過ぎない。
そして、今回の会談は、安倍さんや政府がどのように取り繕おうとしても、もはやそれは不可能であり、残念ながらどんな実も結ばなかった! 外国での評価もそのようであり、安倍は敗北したと報じられている。
旧ソ連の参戦は、そもそも国際法違反
そもそも、当時日ソ不可侵条約を結んでいたのであり、しかも、日本はすでにポツダム宣言受諾を決定していた。その時になって、戦場のドサクサに紛れて宣戦布告をして参戦し、すでに戦いが終わった後で、戦場泥棒を働いたソ連である。そして、北方四島を無理矢理に占領してしまった。そして、ロシア(旧ソ連)とは地続きであるので絶対返さない、自分のものだと既成事実を造ろうとしている。現在、中国がしている陣取り合戦と同じ振る舞いである。
なぜ、アメリカは沖縄および小笠原諸島を返還したのか?
沖縄の基地は治外法権地域であり、米兵は沖縄で無法な振る舞いのし放題である。そして、折しもオスプレイの事件。事故後のアメリカの対応は、日本をやはり植民地まがいの何かだと思っているとしか受け取れない。これだけ様々なことをされても日本は、喜んでしっぽを振っているのか?沖縄の住民が怒るのは当然であるのに、沖縄の問題・怒りを本土の人間は理解せず、まして政府はどこ吹く風である。沖縄がアメリカのものか、日本国であるのかが曖昧である間は、日本は真の独立国とは言えない。
なぜ、ロシアは北方四島を占領し続け、なぜアメリカは日本に返還したのか? アメリカが日本に友好的であるからではない。ロシアにとって四島は極めて重要であり、一方、アメリカにとって、沖縄は日本に形だけの主権を与えておいて、基地として使う方が有益であるからである。ロシアは地続きである北方四島を、日本には返還したくない。北方四島にアメリカが基地など設けたら大変なことになる。一方、アメリカは沖縄も小笠原諸島も、アメリカ本土と遠く離れているので、管理するのは大変である。そういう大変なことは日本にさせた方が便利である。そして、沖縄の最良の場所を基地として占領し続けて、日本に守らせ、ロシアや中国など仮想敵国に対応できるようにした方が自国にとって有効だからである。アメリカが日本に友好的であるなどと錯覚しているから、いつまで経っても米兵の無法な振る舞い一つ制することが出来す、沖縄県民が痛めつけられているのである。そのような状況下に今回のオスプレイの事故が起こり、それに対するアメリカの対応は、まさしく彼らの本音をもろにさらけ出したものであり、許容範囲を逸脱している。
世界の三大勢力が、様々な形で小国を利用し、思い通りに蹂躙している。そして、日本は好都合な、利用価値の高い小国なのである。世界情勢が険しくなってきた昨今、日本はロシア、中国、そしてアメリカから目をつけられて、三すくみになっている事実が一挙に明らかになった感じである。
日本人は、敗戦により背骨まで抜かれてふぬけになってしまったのであろうか? 戦後、71年、そろそろ日本人としての自覚・誇りを取り戻すべき時期が来ているのではないだろうか?
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毎年、年末になると一年を総括する様々な出来事が放映される。その一つかと思ったら、実は、世紀の大事件という特別スクープ番組の一つで、第4弾だったようであり、録画しておいた。羽田沖のJALの墜落事件、ニューヨークの9.11事件、信楽高原鉄道の満員電車の正面衝突事故等々、多くの人々が覚えている驚くほどに悲惨な大事件が次々と起こっている。その中には筆者が多少の「体験?」をした東大安田講堂事件も記録されていた。筆者は当事者というほどではなかったけれども、当時大学は荒れに荒れており、研究には大幅に邪魔が入り、そしてよもやと思った暴力事件の果てに大学は機動隊を大学に招き入れるという愚かな決断をしてしまったのであった。機動隊導入の当日、大学関係者は入れてもらえず、喫茶店で友人たちと共に安田講堂でのおぞましい「戦争」をテレビでを眺めるという情けない無力さであった。
日本初の心臓移植事件
その中に日本初の心臓移植という大事件が取り上げられていた。臓器移植に大きな関心を持っている筆者は、書物を読み、また学生たちに講義の課題の一端として臓器移植に関する人々の意識調査をさせたりして臓器移植の実態や、生と死の問題として何度も講演をしている。
「臓器移植」講演のレジュメに、今回報道されている日本初の心臓移植について簡単に紹介しているものを下に紹介する。
序:日本最初の心臓移植 札幌医大の和田の心臓移植
1968年
8月7日 12:45 大学生溺れ病院へ搬送 自発呼吸あり、心拍もしっかりしていた。
16:10 対光反射回復、顔色赤み、血圧130ー80、呼吸・心拍確実
19:37 札幌医大へ。
8月8日 午前2:30 心臓摘出・移植
疑念:?心臓摘出時、ドナーは生きていたのか?
?ドナーの救命医療は適切に行われたのか?
?レシピエントは心臓移植が本当に必要だったのか?
10月29日 レシピエント死去(移植後 83日) 殺人罪で刑事告訴
1972年8月14日 不起訴決定 当時脳死の概念はなかった。
小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」(PHP新書)
番組に紹介された事件の詳細は、次回紹介する。
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「地球を中枢に据えて創造された宇宙」(創造と福音シリーズ 第23回)
「ハーザー」に連載記事(2014年-)を公式サイトに公開しました。
1949年、世界大戦敗戦後間もない日本は占領下にあって「進駐軍」がおり・・・町に銃を持った兵士がいたということではないが・・・、敗戦による痛手から、経済的に文化的に、そして精神的にも立ち直っていなかった。日本人はあらゆることで負け犬であり、武力闘争に負けただけであるのに、そのように受け取ることが出来なかったのである。
それは、日本の歴史に深く関わっているが、簡単に言ってしまえば、日本の歴史に於いて常に独立を維持してきており、外国に侵略されたことが、それまで一度もなかったということである。常に、「勝てば官軍」「武力で勝てばそれが正義」という認識が植え付けられていた国民だったのだろう。したがって、武力に負けただけと思うことが出来ず、しかも、アメリカの進駐軍の一兵士に過ぎないマッカーサーが・・・という感覚が日本人にはあったのだが・・・日本人にとって「神」であり、尊敬の的であった天皇を見下しているかの如き写真が公表されたのである。正装し威儀を正して直立不動している天皇と、でれっとした”軍服”を着て、両足を揃えず休めの姿勢でズボンのポケットに手を入れて突っ立っている体のばかでかいマッカーサーが並んでいる写真・・・は、どうひいき目に見てもマッカーサーの態度は傲慢、傍若無人、無礼千万な態度であり、日本全体が愚弄されたように思え、口に出して言うことが出来ないだけに日本人は腹立たしい思いをしたのであろう。
まだ学齢前の私は余り理解してはいなかったが、それでも祖母や両親がこの写真に痛く心を痛めていたことを覚えている。我が家は特別に天皇崇拝をしていたわけではないが、それでも、この写真の意味することを深く考え、こんなことになってしまった日本や日本人の将来を危ぶんでいたのである。
そして、事実起こったことは、進駐軍が行政、司法、立法全てに亘って日本を統治したのであり、その結果、東京裁判によって軍部のみならず民間人の日本の指導者であった人々が、「裁判」・「正義」という仮面のもとに絞首刑に処せられてしまったのである。
敗戦後4年、1949年は、国民はまだまだ飢えに苦しみ、爆弾や焼夷弾で破壊された町に住み、社会が混乱し、自信を失い、日本国は、日本人はまだ右往左往していた時代であった。
ノーベル賞・・・学問の最高の賞
1949年、そんな社会に、湯川秀樹(写真・Wikipedia)のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。日本人最初のノーベル賞である。今でさえ、ノーベル賞受賞のニュースは結構明るく大騒ぎされるニュースであるが、その比ではない。全てのことにうちひしがれ、劣等感の虜になり、少なくとも心のありように関しては何をする気力もないかに見えた日本人をわき上がらせてくれたニュースであった。
受賞の対象となった業績は、理論物理学者が「寝床の中で考えついた」という受賞決定直後の会見で言われたことも、何もない日本人の学者としてはなるほどとうなずかせるものであった。実験科学研究は、今ほどでなくても、実験器具を備えた実験室が必要であり、ほどほどの経済的支えが必要である。理論科学は・・・今は、コンピューターが必要であるが大きく価なコンピューターはネットでつながっていて共用できるので、やはり実験科学ほどは金食い虫ではない。
湯川秀樹のノーベル賞が決定したときに、母が言った。「(世界的な賞を与えられる前に、日本がきちんと評価して)文化勲章をすでに受けていて、本当に良かった」。アメリカ追従の日本のありようにうんざりしていた日本人の一人として、自分の目で優れたものを見つける目を日本人が失っていなかったことに、母は安堵したのであった。
大隅良典さんのノーベル賞受賞
日本では、昔と異なり毎年のようにノーベル賞受賞のニュースで賑わうようになったが、学問の内容は一般人にはわかりにくい。大隅良典さんが(写真、Wikipedia)「オートファジーの仕組みの解明」の業績によりノーベル賞を受賞されたが、一般には聞き慣れないであろう「オートファジー」を易しく紹介するつもりであったのに、余りにも前置きが長すぎた。それで、オートファジーの話は次回に後回しにして、大隅さんの挨拶にあった言葉を、改めて紹介するに留める。
「科学研究に於いて、現在余りにも目先の結果を社会は要求しすぎる、追いすぎる。すぐに応用に、経済的なことに結びつかないと評価されないので、研究費が出ないし、優れた人材が集まらない。日本の今後の科学研究を憂う」というような趣旨であった。全く同感である。
昔々、私が実験科学研究の分野を志したとき、「社会のお役に立つ」という若さ故の気負い、自負、意気込みがあった。それに冷水をぶっかけた先輩がいた。「科学研究は、いつの日か人類の役に立つだろうという希望を抱くことだけで良い。それを自分で確かめる日が来ると思うな。究極は、生物がどうなっているかに興味があるから、研究が面白いから一生懸命やるんだ。」
大隅さんも、このオートファジー現象が、ガン研究などになにがしかのつながりがあるとは予想もしなかったはずである。ただ、面白いから、生命現象を研究してきたら今に至ったということだろう。
その一方で、iPS細胞の研究は、その生物学的な意味や詳細は分からなくても、とにかくも応用に直結した研究であったので、一般人にも解りやすかったのだろう。ちなみに、この研究に関して、山中教授は一般人を対象に何回かセミナーを開催されたので、京都、神戸のセミナーには必ず参加させていただいた。参加者は、殆どが生物学とは無縁の人々であったようだが、実に盛況であった。研究の進展などについて、またセミナーが開催されるのを心待ちにしているのだが・・・
折しもこの秋学期に、生物の特徴全般や、生物を正常に維持する働き・ホメオスタシス機能、細胞の自食作用、オートファジー、貪食細胞、免疫などを学生たちに講義をした。生物に組み込まれているリサイクル機能が、どんなに精巧であるか、エネルギー効率がどんなに良好であるかなどを、生物の驚異の一端を若い学生が納得してくれることを期待しつつ、教師自身が改めて驚嘆し、感動を覚えた次第である。
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韓国の民主主義は形だけと批判する資格は日本人にはない。オリンピックのモタモタを見たら、一目瞭然である。日本の民主主義が形だけであると言われ続けているが、オリンピック問題でそれが少しだけ表に出てきた。
アスリートファーストという見解が関係者には当たり前みたいに受け入れられているようであるが、一般国民が容認できる概念だろうか? だが、だが・・・・今まで「立派な」成績を上げた選手たちの意見が大きく採り上げられるのである!
リオ五輪カヌー銅メダルを獲得した選手が、「カヌースラロームが東京ではなく違う県で行われることになったら、本当にさみしくて絶対に嫌だと思うので、・・・・ぜひ東京でやれるように調整してもらいたい」と言った。銅メダルは大きなことかも知れないが、しかし、一選手の単なる「好み」が、東京都・国の行事に口出しをしても良いのか!
また、日本ボート協会の新理事長は「アスリートファーストという観点からも海の森(水上競技場)でやってもらいたい」と言った。アスリートファーストなどという概念が、どうしてまかり通るのであろうか?様々な運動競技で何かの良い成績を上げた選手を甘やかし、優遇して、一般国民、特に苦しんでいる庶民には目をつむってしまっている国家である。北朝鮮ほどではなくても、日本も大きく歪んでいる。
新しいことをするのは大変な日本
小池東京都知事は、前任知事たちのしでかした様々を修正しようとしているので、旧勢力は手をつないで抵抗している。昔々、ぶざまなことをしでかして、あっという間に首相としての首を切られた見苦しいことで有名なあの人が、生き残ってオリンピックの何とか委員長になっており、既得権を守り通そうとする人々を味方につけて新しい動きに抵抗している。この人は、本当にろくなことをしない。
日本は、一度何かの「権力」を手に入れると、それがいつまでも持続する悪い風習がある。いわゆる「院政」である。昔、天皇が政治権力を持っていた時代、天皇が退位して「〜〜院」になって、その〜〜院が隠然たる権力を持ち続けて、政治の混乱を招いた時代があった。その悪弊が、天皇だけではなく方々に及んでおり、現在、「元首相」「元何とか大臣」「元国会議員」等々が、それぞれに権力を持ち続けている。特に、大勢の元首相が、現首相や現大臣などを陰に陽に支配しているのは、余りにも嘆かわしい。
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彼女を取り巻く大勢の「悪者たち」は、大統領という権力に取り付き骨の髄までしゃぶり尽した。しゃぶり尽される方も悪いが、しゃぶり尽した方の隠然たる勢力は目に余るものがある。
日が経つにつれて、次々と絶大なる権力構造とそれを取り巻く陰の力が明らかになり、彼らのしでかした数々の悪行が表に出てきた。韓国民の怒りは凄まじい。そして、大統領の弾劾が国会で決議されることが必至になった。
予定の前日になって、間髪を入れず「任期前に辞任します」と言ったのは良いが、条件付きである。また、いつ辞任するとも言わないで、言うなら弾劾を阻止するための時間稼ぎをして、そのうちずるずると人気いっぱいまで辞めなくても済む方策を講じたということだろう。いくらでも悪知恵は出てくるらしい。
そして、案の定、弾劾は延期になった。
権力を手に入れた人間の醜さ・弱さ
韓国大統領の絶対的に強い権限は、事件が起こるたびに驚かされる。その裏舞台が明らかになるのは、大統領を辞任した後である。大統領になった途端にどんな審査も潜らないで、全てしたい放題のようである。そして、権力を持ち続けている間は、恐ろしい悪行に明け暮れる。そのために、大統領を辞任した途端に、今度は刑事被告人である。今回も、大統領を辞任すれば、警察の取り調べに直行であることは間違いないだろう。
だが、弾劾を免れ、辞任の時期を延ばして権力を持ち続けて時間稼ぎをして、権力によって自分がしでかした悪事を粉飾してしまおうということなのか?
人間は、苦労をして坂道を登っているときの姿は、その人の人間として一番美しい姿を見せるようである。ところが、その人が目標にしていた段階に達した途端に、人間の醜い本性をさらけ出す。その顕著な例が、隣国韓国の大統領であろう。
話は変わるが、NHKの大河ドラマ、実力のある俳優や演出家、監督を動員し、大金を投入して、主人公が成功するまでは面白い.所が、しかるべき地位に達した途端に、主人公は堕落する。通年のドラマであるが、大抵半年以内に面白くなくなる。これを工夫しないと最後まで面白いドラマに仕上がらないだろう。とは言っても、歴史上の人物を取り扱っているから、仕方のないことかも知れない。
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長期間に亘り高視聴率を稼ぎ続けているテレビ番組「相棒」の人気の原因は様々だろうが、筆者は静かなファンである。「静かな」というのは、劇場版がでても映画館に赴くことはなく、テレビで公開されても一生懸命見るわけではなく「ながら族的」に横目で見ていたり、他のことをしながら聞くともなく聞いていたりという程度であるということである。それでも、再放送が何度もされるので相当のことは知っているというか、記憶の底にうっすらと留まっている。
そして、面白いと思っている。
どこまで警察・警視庁の実態を映し出しているか、どこまでありえない状況かは分からないが、とことん極端な舞台設計である。
舞台設計の大枠
超が付く頭脳明晰な杉下右京という警部が組織の支配を嫌い、彼の定義による「真実・事実」だけを絶対視して、事件解決にだけ力を注ぐ。ただ余りにも優秀であることが嫌われ、上司の間違いを見逃すことが出来ず自分の意見を押し通す一匹狼である。一般社会でも流れをかき乱す人間は、それがどれだけ正しくても「いじめられる」。いや、正しければ正しいほど「いじめられる」。右京は窓際に追いやられ独りぼっちであるが、そこへ送り込まれてくるのは「首切りの代わり」というあぶれ者である。それが、「相棒」である。
警察組織のことはよく知らないが、警視庁というのは東京都の警察本部で、その頂点にのさばっている警視庁の刑事部長の保身は尋常のレベルではない。ただ「威張りたい」だけの見苦しさ極まる馬鹿者である。そして、その側で揉み手をして「へいこらする」別の見苦しい馬鹿者も、言うなら別の、陰に存在する情けない相棒である・・・。この二人は、現在社会問題になっている子供たちのいじめなど顔負けのいじめをしでかして、優秀な杉下警部をことあるごとに「合法的に」いじめを実行する。
警察の部署で強盗や殺人という凶悪犯罪を取り扱う現場の刑事は、一番威勢が良く、一番威張っている部署のようである。その部署の刑事3人組、特に嫌みたっぷりの一人がまた面白い。先を見通すことが出来る優秀な右京を当てにしては寄り掛かっていながら、様々な嫌みを言ったり邪魔立てをして、手柄を丸ごと貰ってしまう。しかし、右京は手柄を横取りされても、そうとさえ認識せず、どこ吹く風である。
そして、鑑識課の一人が右京を陰で支えている。
何が面白い?
面白いと感じる点は様々だろう。
右京がその優れた頭脳を駆使して、難解な事件を暴力を使わず論理的に次々と解決する点が小気味よい。右京には好意を持ちながら、組織の人間なのでおおやけに支持できない鑑識課員のとぼけも面白い。島流しとして送られてくる人物が、次々と面白く全く良い相棒である。
組織に働く権力層と、権力の下で喘ぎながら組織の階段を上に登りたい野心を抱く下の層、「出世」はしたいが、しかし見苦しく揉み手をして唯々諾々と従う無様な真似はしたくない、多少は骨はあるものの、しかし、右京のように窓際族にはなりたくない・・・そういう人間の心の葛藤を、真面目でもなく、コメディでもなく描いている。
組織からはじき飛ばされ、いじめ抜かれている一人の警部が、そのいじめを肩すかしして、苦痛と感じているかいないのかさえ解らない。そもそも、出世には興味が無いらしい。しかし、威張り散らしている上層部の鼻を明かして事件を解決してしまうが、彼は、上層部の鼻を明かすつもりすらない。そういう所が人気の原点かも知れない。
相棒と言えば、この間、この相棒の番組に出演していた女優が麻薬関連で逮捕された。番組の中では、右京の前の妻という設定で、小さな、一膳飯屋と言うには格好良すぎる店の女将さん?である。奇妙な元夫婦で、離婚していながら、右京はそこで夕食を摂る。この元妻は、奇妙な論理を振りかざして右京を非難しまくり、何もかも右京が悪いという風情であるが、右京はどこ吹く風である。
このドラマの元妻が逮捕されたのである。
俳優たちの演技が面白いのか? ストーリーが面白いのか?
筆者は、神戸尊(作中人物、俳優の名前は知らない)という相棒の、人を食ったようなクールな役柄を面白いと思った。
ちなみに、新シリーズが始まっているようで、一回目か、二回目かを見たが、どうも面白くなかった。そろそろ、ネタ切れかも知れないな?
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電子絵本「ノアのだいこうずい」
〜かつて地球は、水ですっぽりとおおわれた〜
タブレット、スマホ、パソコンで見ることが可能な電子絵本、「ノアのだいこうずい」ができました。
安藤が編集を担当し、雑誌・講演等の資料にイラストを提供してくださっている坂井陽子さんが絵を描いてくださいました。
聖書の記述を忠実に伝える絵本として、また各種のデバイスで読むことができる新しいタイプの読み物として、広く活用されることを願っています。購入方法、内容のご案内、クリエーション・リサーチ・ジャパン会長の推薦文など、下のチラシに詳細にご案内しています。
この絵本は、スマホ、タブレット、パソコンで読むことのできる電子書籍(Kindle版)です。
下記よりご購入いただけます。税込み313円
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え?! 10月下旬になってキンモクセイ? 見回したがどこにもキンモクセイは、暗いせいだろうか見えない。
誰かキンモクセイの香りの香水でも付けている人が歩いたのか? しかし、人工のキンモクセイの押しつけがましい香りとは異なって、さわやかな天然の香りである。
翌朝、我が家のキンモクセイが一斉に花開いて、かぐわしい香りを放った。
例年は、つぼみが出来て、2〜3割花が開いて、そしてやがて半分くらい、8割になりと一日ごとに進行して満開になる。花の開き具合によって香りも順次強くなり、8割も開くとかなり離れていてもスッと通るだけで、かぐわしい香りが漂ってくる。
今年は、前触れもなくいきなり満開であった。
例年は、キンモクセイが散った後で、植木の剪定をして貰うのだが、今年は植木の剪定が済んでからキンモクセイが花開いた。
いつまでも暑い夏に、キンモクセイも驚いたのだろうか? いきなり満開であった。
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だが、彼の個人的なことを知っている人の数はそれよりは少ないだろうし、ましてユダヤ人の亡命を手助けしたためにゲシュタポに逮捕され、拷問を堪え忍んだことなどを知っている人はほとんど居ないだろう。と言うよりは、実はその事実が明らかになったのは、つい2〜3年前だそうである。
近衛秀麿の兄は日独伊三国同盟を結んだときの首相、近衛文麿である。この近衛文麿は、日本が敗戦した直後、逮捕される前に服毒自殺をして、東京裁判にかけられる不名誉から逃れた人である。ともあれ、この近衛文麿の弟であるので、ドイツでユダヤ人の亡命に手を差し伸べていたことが分かったときにも、一日拘留されただけで解放されたようである。また、戦後は、そのためにスパイであったのではないかと、疑いの目で眺められた。
リトアニアの領事であって、ぎりぎりまでユダヤ人に日本の通過ビザを署名し続けて、6000人に及ぶユダヤ人を助けた杉原千畝のことを知っている人は大勢居る。しかし、近衛秀麿のような民間人のささやかでも、民間人であるが故に命がけで理不尽な迫害を受けていたユダヤ人を助けた人がいたことは余り知られていない。
彼のこの勇気ある行動をNHKが伝えていたが、どこまでも美しい勇気ある行動の部分だけをまとめていた。それで、近衛文麿の知られていないプロファイルを調べてみたところ、どうも色々と美しくない人間像が出てきてしまった。
秀麿は結婚を2回しており、それ以外に何人もの女性と幾人もの子をなしており、派手な女性遍歴をしたようである。そして、戦後、アメリカ軍に抑留された時の尋問で子供の数を聞かれ、暫く沈黙した後に「子供が何人居るか数えているところだ」と言い放って取締官は唖然としたそうである。
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ともあれ、都知事選で小池氏を応援したために自民党から離党勧告を受けた本橋豊島区議は自民党候補を応援している。その応援演説で「汚名挽回」するらしい。もっと、もっと汚名を築き上げるのか?まぁ、議員とか官僚とかは、泥まみれだから、更に、この泥を積み上げることばかりしているのかも?
この区議曰く「汚名挽回じゃないが、有権者と向き合って、(自民党候補の)若狭氏の信念と政策を粛々と力強く訴える」と、実に奇妙な日本語である。「粛々と」「力強く」って、どういうことだろう?
言いたいことは「想像」出来るけれども、何という貧弱な日本語を使う情けない公僕だろう!これくらいの日本語は知っていて欲しい。このような間違い日本語を使う人々が税金から高給を貰って、人々の生活を左右する規則を決めたり、その中から金銭をちょろまかしたりしているのかだろうか?
ちなみに正しくは、「汚名返上」であり、何か悪いことをして悪い印象、名前を貰ったら、それを払拭するために良いことをして、その汚名を消し去るということである。
挽回すべきは、名誉である。
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将棋ソフトは近年めざましい進歩を遂げており、電王戦ではソフトが棋士に勝ち越すという事態になっている。そのため、ソフト使用が疑われるので、対局中においては電子機器の利用に制限が必要だという声が強まっていたらしい。将棋連盟では、電子機器は対局前にロッカーに預け、対局中の使用を禁止する、また対局中の外出禁止という2点を規則に追加したという。そして、使用が分かった場合には、除名を含めた処分を検討するとしていた。
そのような状況の中で、三浦九段が敢えて対局中に外出したということで、今回の処分に至ったらしい。当人は「濡れ衣」だと抗議しているが、疑わしげな行動をしたこと自体が問題である。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という麗しいことわざがある。ちなみにこれは「かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず」と読み、瓜の畑で膝を屈めて靴を履き直すと、瓜を盗むのではないかと疑われる。また李(すもも)の木の下で冠を被り直すと、すももを盗むのではないかと疑われる。だから、疑われるような行動をするなという戒めである。
今や、将棋ソフトが人間のプロ棋士を負かす時代である。席を離れてはならないのは言われなくても常識である。しかも、連盟ではすでに警告を発し、上記のような規則を定めていた。ソフトを調べていないという証拠は得にくい。彼がIT音痴であればいざ知らず、そうでなければ、証拠を残さずにソフトを使用することはそんなに難しいことではないので申し開きは出来ないだろう。
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イタリアは脱税王国で、昔、商店ではレジに打ち込まず、すなわち売り上げをごまかすためにレシートを出さないという方法で脱税をする人が大勢いた。それで、レシートを必ず発行しなければならない、また買い物をした人も、レシートを捨ててはならないという法律を定めた。レシートを捨てたら脱税を助けたことになって、罰金を科せられるという。
ちなみに、日本も相当の脱税大国でイタリアを笑っておれない。お金持ちほど、また、高い地位に就いている人たちほど、一般的にはお金に汚く、不正をしてでもお金が欲しいらしい。国会議員、地方議会議員の公費の「ちょろまかし」は昨今問題になっているが、あぁ、またかと思わせられるほど彼らは汚いお金を手に入れている。そして、庶民レベルでは、スーパーなどでは機械的にレシートを出すようであるが、個人商店ではレジを打たないで売り上げをごまかすことが行われている。どういう基準で、レシートを出したり出さなかったりするのかな?と思うものの、レシートを下さいと頼むことを忘れて帰ってしまうことがしばしばである。何となく、レシートを請求しにくい雰囲気を漂わす商店が多いのである。
ゴミの捨て場所
昔、数多くの国々に出かけていたときに、出かける前にそれぞれの国事情を学んで出かけたが、驚くことが一杯あった。
花の都パリでは、観光バスに乗ったときゴミをどこに捨てるのかと聞いたら、窓の外を指さされて何のことか分からなかったが、窓から道路に投げ捨てろということであったと知ったときの驚きは! ゴミは道の端に設けられた溝に集められ、それを、所々に設けてある穴に水で流し込み「掃除」するのだという。今も、そんなことをしているのだろうか?
それと対照的なのは、シンガポールであった。うっかり小さな紙くずが手から滑り落ちたら、罰金を科せられるのである。おかげで町には塵一つ落ちていない。息が詰まるほど規則ずくめの国である。昔、アメリカから帰国したときに、しなければならないこと、してはいけないことと規則ずくめで窒息しそうな思いをした・・・・今は、すっかり慣れたが、日本も規則の多い国である。しかし、シンガポールは、日本の比ではない、規則ずくめである。
諸外国、それぞれ旅人として訪れるのは楽しい。しかし、旅を楽しんだのは事実ではあるが、それでも息の詰まる思いをさせられたのは旧ソ連と中国とそしてシンガポールであった。シンガポールは変わっているかも知れないが、ロシアや中国は20年前より悪くなっているのではないだろうかと思わせられる。
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生命を健全に維持するために静かに行われている生理学的反応・オートファジーが、「ノーベル賞」という華々しい形でいきなり世の人々の知ることになった。
「生命とは?」という途轍もない難しく、そして魅力的な課題に、多くの生物学者は夢中になって取り組んできている。このような基礎研究に携わるほとんどの学者には日の光は当たらない。多くの人々は、やむなく基礎研究を諦める。どうしても諦めきれない人々は、研究環境においても、個人的な経済生活においても、様々な厳しい現実に直面することになる。
そして、ある幸運なチャンスが訪れた数少ない学者には、様々な「ご褒美」が授けられる。
ともあれ、基礎研究がこのように報われることは、まことに嬉しい限りである。
基礎研究がなおざりにされる日本
ノーベル賞を受けた大隅氏を始め、それ以前にノーベル賞を受けた他の学者も口を揃えて、「基礎研究が軽視されている」ことに憂いを述べている。彼らは「近頃」という表現をしているが、日本では基礎研究は昔から軽視されし続けている。基礎研究にも目が向けられた時があったが、それは一時期であって、その後は、むしろ悪化の一途を辿り応用に直結する研究でなければ研究費が得られない状況になってきている。
その歪みの一つが、かのSTAP細胞事件であるだろう。幼い研究者が踊らされてしまったのであった。世の中の風潮は学問の世界のみならず、様々な分野で結果がすぐに見えなければ評価されない。人々は「考える」「熟考する」「立ち止まって考え直す」などという時間の掛かることはなろうことなら回避したいという世の中になっている。早押しクイズ、大流行である。まるで戦争の時のスパイの合い言葉のように、一つの問いに対して一つの答えしかない、短絡的思考回路しか育成されない世の中である。そして、その答えの内容を聞いても、大抵はその一言しか何も知らない人々が支配する嘆かわしい世の中になっている。
オートファジーとは?
ニュース番組や、その他の番組で「オートファジー」について短い解説がされているが、一般の人々にはなかなか理解が届かないかも知れない。そして、不思議なことに多くの人々は、その内容を知らないままにこの専門用語を覚えてしまうようである。インスタントばやりの世の中である。
時間が取れたときに少し初歩的な所まで掘り下げて、オートファジーについてこの欄で説明をしたいと思うので、楽しみにして待っていて下さい。
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「東大の医学系4研究室が報告した論文、11本にねつ造や改ざんがある、研究不正の疑いがある」と、匿名の告発文が、大学本部や文部科学省、関連学会に届いているという。
論文は、生活習慣病関連の基礎研究だという。
論文のグラフなどが不自然すぎて、基になったデーターがあるかどうか疑わしいという。
天下の東大がねぇ!?
かつて、安田講堂落城事件を身を以て経験した筆者は、様々な思いが交錯して感無量である。
と言っても、別に実際に闘争に関わったわけではなく、大学に入れてもらえず、喫茶店でテレビで落城を眺めていたのであるが。
安田講堂に立て籠もった学生たちと学生たちをあそこまで怒らせた大学幹部が教育者の任務を放棄して機動隊の出動を要請したので、遂に自分の大学が叩きつぶされるのを、なすすべもなく見ていたのである。
だが、あれによって東大は変わると大いに期待した。教授たちは、天下の東大というおぞましい思想を脱ぎ捨ててくれるだろうと期待した。何年も経って、期待した私たちがバカだったと思い知らされた。
今、世界での東大のランキング順位は43位だそうである。
もっとも、この順位付け、何を基準にして査定しているのか、極めて疑わしいので、あまり信じるわけにはいかないが、ただ、東大の値打ちは、昔からそんなに高くはなかったのである。ただ、日本人が勝手に東大は「すごい大学だ」と、誰かに思い込まされて受験戦争に拍車をかけられて、若者たちの青春が泥まみれにされただけかも知れない。
現在、受験戦争で血道を上げているのは、韓国と北朝鮮かも知れない。
さて、実際に論文を見たわけではないので、申し訳ないが、「さもありなん」というのが直感的感想である。
何故? メディアに顔を売っている生活習慣病関連の「自称専門家」先生方が、テレビで数々の意見を述べているからである。
あれこれを、1日〜〜グラム食べろ、このサプリメントを摂れ、このように運動しろ等々、好い加減な指南をして、健康不安を抱えている中年層の人々を迷わせているのを、苦々しい思いでいるからである。
生活習慣病・サプリメント花盛り
生物的寿命と健康寿命との間に数年以上の差があり、それが今の日本の大問題である。年を取ると体のあちこちが痛んできて、なかなか健康に生きることができない。健康不安を抱えている中年以降の人々は、健康に良いというウソと真の入り交じった噂話に飛びついて、様々なことを試みる。このような大勢の人々は、テレビの健康番組の餌食、数々のサプリメントを売り出している各種会社の餌食、そして、それらにテレビや会社にえさを与える「えせ学者たち」の餌食になっている。
マスコミに出てくる「研究者・学者」たちが全部「えせ」だと言うつもりはないが、しかしながら、サプリメントを売り込んでいる人々は問題である。また、食生活をねじ曲げて、ニンニクを幾つ食べれば健康になるとか、そういうたぐいの宣伝をする人々は、生物、生命科学を知らない人々、えせ科学者である。一人、二人の例を取り上げて、〜十万人に当てはめようとする思想は、科学とは無縁の代物である。
そのような領域において、ウソのデーターをでっち上げて、それに踊らされる一般の人々こそ、いい面の皮である。このようなことを徹底的に調べて、厳しく対処して貰いたいものである。
生物医学系の学術論文・ほぼすべてに再現性が認められない?
米スタンフォード大学の研究チームによると、世界で2000〜14年に発表された生物医学系の論文から無作為に抽出した441本中、実験データを伴う268本について精査したところ、再現実験に必要なすべての手順や条件を公表している論文は、実にたった1本だけだったという。
生データを紹介している論文はゼロ、生データの取り寄せ方法を示した論文もたった1本、研究資金の出処の記録が51.7%だけ、等、科学研究論文とは言えない論文ばかりだったという。
科学者の端くれとして、筆者はこの調査結果には疑義を感じざるを得ない。
本当に、無作為に抽出したのか? 研究論文を掲載する科学雑誌もピンキリである。ろくでもない雑誌をマゼコゼニしたのではないのか。まともな科学雑誌に関して調査したら、どうなるのだろうか?調査をしたのがスタンフォードだからと言って、信頼するわけにはいかないのである。このような調査の難しさを周知している人々が行ったのであろうか?
いずれまた、諸方面から調査結果が出てくるだろうから、それを待ちたい。
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随分長い間、ブログにご無沙汰した。執筆や講演や講義の準備で頭が疲れ果てたとき、ほっと一息ついてブログを書くが、その時間さえ取れなかった。思うことや、心に去来することで、書き留めてひとときを楽しみたいことは山とあるが、ただ忙しかった。
近くにいる人は、「よほど忙しいのね」と察してくれる。遠くにいる人は、病気ではないかと気遣ってくれる。ありがたいことである。
それで、一息つくことにした。
新しい惑星発見
新しい惑星が発見され、惑星プロキシマbと命名されたようである。太陽系から約4光年先にあるという。4光年と言われると、つい鼻の先のような気がするから奇妙である。ちなみに「光年」という単位は時間の単位ではなく、距離の単位であるからご用心。1光年は地球の円周(4万キロメートル)の実に2億5千倍である。すなわち、10の13乗キロメートル、40兆キロメートルである。ともあれ、遙か彼方である。
この惑星、恒星プロキシマ・ケンタウリを約11日で公転しており、重さは地球の1.3倍以上で、地球に似た惑星であるとのことまでは観測結果らしい。そして、恒星からの距離が近く、X線が地球の400倍に当たるということも、現時点での観測結果らしい。
だが、ニュースのその後の記述は、すべて、ある特別な思想・哲学に基づいて構築した「かも知れない」話で、すべて根拠のない推測、ある期待を込めた夢物語である。
「かも知れない」夢物語
1.惑星プロキシマbがプロキシマ・ケンタウリを周回しているイメージ図が描かれている。
2.惑星プロキシマb、岩石で覆われ、実に美しい地表イメージ図。
3.この星では水分が生まれ、現在も残っているかも知れない。水があるということは、即、生命に繋がるという錯覚である。
4.地表温度は、液体の水が存在できる範囲だろう。
5.この惑星に大気があるか、生命が存在するかの調査をするという。
この広い宇宙のどこかに、地球外生命体、希望的には知的生命体が存在するはずであるという、根拠のない空想を人類は膨らませてきた。かの有名なカール・セーガン(天文学者)は、地球外の知的生命体、すなわち宇宙人の存在を信じて、宇宙に向けてメッセージを発信した。
研究者の夢は素晴らしい。しかし、この「かも」が、いつの間にか「である」に見事に変身してしまう例を、人々はあまりにも数多く見せられてきた。SFと現実が交錯して、しっかり事実を見ることができない人々、特に若者を迷路に入り込ませているのではないだろうか。ポケモンGOに夢中になって、人にぶつかったり、車にひかれたり、プラットホームから転落したり、挙げ句の果てには人を轢き殺してしまったりしているのも、延長線上の出来事である。
おとぎ話も良い、SFも楽しい。しかし、目が覚めているはずの研究者は、一般大衆を迷わせないで貰いたいものだと思う。
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彼女が英語でホームページを作成したのは、当然のことだと思う。彼女は、この領域の科学者を読者として期待しているのである。そして、希望的には彼女のプロトコールを精査して、追試をしっかりして欲しいと思っているのである。
日本語で書けば、この分野の専門家は読まないだろう。言葉は悪いが、野次馬が読むだけになるだろう。彼女はそのような人々を読者として期待しているわけではないと、・・・少なくとも文面からはそのように理解できる。
彼女はやっぱり、STAP細胞の存在を信じている。
とすれば、何故、論文引き下げに同意したのだろう?
ホームページの序文では、まずSTAP細胞論文で引き起こしたことに関して、謝罪している。続けて不注意な間違いのために起こしたことに関して、「科学者として」恥ずかしいと思うと書いている。
そして、このホームページを開く理由を、次のように記述している。
科学者の世界に情報を提供して、STAP細胞を生成できるという証拠を確かめてほしいこと。従って、他の研究者がSTAP細胞を造ることが出来ると思っているので、自分のプロトコールを隠さず、そのまま提供する。
彼女は今以て、この出来事のために精神的にも肉体的にも治療を受けているが、情報提供は少しずつ出来ると思うということ。
STAP細胞の研究が進んで、科学研究の最先端において正しい評価を受ける日が来ることを願い、その時には大きな益がもたらされると、肯定的に文を結んでいる。
このホームページは以下のアドレスで開ける。
「STAPー望みのページ」という名称である。
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庭のあちこちにポコポコと穴があき、セミが長い地中生活を終えて地上に出てきて、ささやかに夏の訪れを告げる。地中から出てきて、旅立ちの最後の段階、羽化の場を木の幹や木の葉に定めて静かに待つ。夜遅く、あるいは朝、羽化が完了して飛び立った後の抜け殻がいっぱい幹に取り付き、木の葉にぶら下がっている。写真は木の幹に逆さまにしがみついている抜け殻であるが、この接着力は相当強く、ちょっと払ったくらいではびくともしない。
驚いたことに、土から離れている石の門柱を羽化の場に定める個体がいるということで、それも風変わりな個体や、道に迷った個体ということではないらしく、かなり数が多い。地中から出てきて、地面を這ってわざわざ石の門柱まで辿り着いて、そして、今度は石の門柱を這って上っていくのは、かなり大変な労働である。しかし、相当多くの個体が敢えてこの行動を取るのはどういうことだろう?
筆者が今の家に居を定めてから四半世紀、その頃、セミが羽化する時期に庭の穴は無数にあいた。そして、セミの声は「セミ時雨」などという生やさしい言葉で表現できるようなものではなかった。耳をつんざく勢いで「これはたまらん」と、思ったくらいであった。
そして、8月中旬を過ぎると、柔らかな「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」と秋の訪れの近いことを、さわやかに伝えてくれる。これが夏の風物詩の一つであった。
ところが、自然破壊の進んでいることの象徴のように、年を経るに従って穴の数が減ってきて、セミの鳴き声も耳をつんざくほどの勢いが年々なくなってきている(写真はアブラゼミ)。また、ツクツクボウシが我が家の樹に来なくなり、家の周辺で聴かなくなって数年になるが、都市部からいなくなったのか、筆者の住まいの近辺でだけいなくなったのかわからない。
創造主の叡智がきらめく生物
このような小さな生き物にも創造主が祝福を与えて、それぞれに特別な姿と形、そして絶妙な機能を与えて創造されたことを紹介し考察する原稿を数日前に書き終えた。マルコーシュ出版発行の「ハーザー」誌に、「創造と福音」という全体の構想の下に、3年近く続けて書かせて頂いている。天地万物の創造に始まり、2016年9月号にはセミのような小さな動物の精巧な造りを通常の教科書の視点ではなく、偉大な企画の下に創造された生き物として紹介している。
セミはセミとして、蝶は蝶として、トンボはトンボとして、それぞれが特別に企画して創造されたこと、いのちのすばらしさを伝えている。ハーザー誌は、1年遅れくらいで筆者のウェブサイトに公開しているので、それを参照して頂くと万物の創造に関して詳細に紹介している。
羽化の成功と失敗
昨夜、犬を散歩に連れて行こうとしたところ、例によって門柱に止って羽化が始まっている個体を発見した。すでに白い羽が出始めていて、じっと見つめていると動いている。少しずつ、少しずつ羽が広がって行っている。その速度は意外に速い。ふと、そばのキンモクセイの木を見ると、その葉でも別のいのちが羽化の終了間近の個体がいた。すでに羽は茶色に色が変化している。それをじっと見つめていたが、こちらの個体は、どうも動きがなく、いのちの息吹が感じられない。
それをそのままおいて、取り敢えず犬を散歩に連れ出した。
帰ってきて二匹のセミがどうなっているのか見てみると、僅かの時間に白い羽はさらに長くなり、そして、まだ少しずつ伸びて行っている。それからまだ暫く見ていると、羽は九分通り伸びたのかなと思われるまで伸びてきたが、それでも羽の色は白いままであったので、成虫として飛び立つにはまだ時間が必要だと思われた。写真は羽化が完了して、抜け殻を残して飛び立つ寸前のセミである。
一方、完全に羽が出てしまい、色も成体の茶色に変わっていた方の個体は、まだ何の変化も見られない。暗い中ではあるが、じっと見続けていても一向に動いている気配がない。どうも、羽化に失敗してしまったのかな、という気配であった。
セミの羽化の過程など滅多に見ることが出来ないので、それから30分ほども観察し続けたが、この個体には変化が見られなかった。
翌朝、つまり今朝、もう一度この2匹の行く末を確認した。
白い羽が出つつあった個体は、抜け殻が残されていて、羽化が無事に完了して飛び立ったと思われる。今聞こえるセミの声は、そのうちの1匹かな?
一方、もう一つの個体は、ほとんど羽化が終了し、飛び立つ寸前に何かが起こって、結局、羽化に失敗したのであろう。死んだセミが抜け殻にくっついた形で残っていた。
セミの一生は長いか、短いか?
セミは地中で長い年月を過ごした後で、羽化した後、楽しそうに鳴くのは1ヶ月足らず。ということで、セミの一生はこの1ヶ月に過ぎず、長い年月を地中で堪え忍んだのに、やっと地上に出てきたと思ったらすぐ死んでしまうような哀れないのちだと一般には思われている。しかし、セミの一生は、果たして僅か1ヶ月足らずなのであろうか? セミはその種に拠るが、数年から十数年間、地中で生きている。その長い年月をどのように考えるのか?
外へ出てきて生きている期間だけがセミの生涯だと考えるから、地中での年月を考えの中に入れないから、哀れを催すのではないだろうか? しかし、セミの生涯は、地中で始まり延々と生き続けた後に外に出てきて、生涯の最後を鳴いて過ごして、そして次世代を残すのである。
セミの生涯に哀れを催すことはなく、このような祝福されたいのちを創造主に頂いたのである。
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泥沼化したベトナム戦争にアメリカで反対運動が起こり、フランスでも学生たちが蜂起(5月革命)した。このベトナム戦争に駆り出されるアメリカの若者たちにとって、ベトナム戦争は自分たちの問題であった。実際、ベトナムからの帰還兵の多くが、精神に異常を来したほどの異常な戦争であったようである。
日本でも、ベトナム戦争反対、安保条約反対といういわゆる政治的な学生運動が激しくなったが、一方でその域を抜け出し、自分たちの生活の問題、大学の自治の問題で立ち上がったので、一部の学生の運動ではなくなり、大勢の学生全体の問題になった。こうして学生たちの大人に対する不信感、怒りが日本中の大学で爆発した。その究極に安田講堂事件が起こった。
安田講堂事件に至るまで
医学部の学生は、卒業後1年間は研修医として無給で奴隷のように働かなければならず、その後の学生たちの将来を教授たちが握っており、教授に逆らうことは生活を失うことであった。大学という城は、特に医学部は、「白い巨塔」以上の魔物であったのである。
よく考えたら、筆者が所属していた理学部も、基本的には同じだったのであるが、理学部学生にはその自覚はあまりなかったという気がする。大学院生は、無給どころか授業料を支払って労働者として働いていたのである。ただ、「論文の著者にして上げるよ」、やり通せば「修士号」、そして究極の「博士号」というニンジンを鼻先にぶら下げられていたという客観的な状況を把握していなかったのかも知れない。もっとも、話にきく医学部のように組織や教授による峻烈な締め付けはなかった。
権力者たちは、学生たちが命令に従わないことに怒った。政府は弱者を締め付ける権力であるということは大勢が知っている。しかし、学生を教え、導く立場の総長が、さっさと警察力を導入したことに学生たちは怒った。当時の大河内東大総長が機動隊を導入して大学を武力制圧しようとした。このけしからん行動は、学生たちの怒りに油を注ぐことになった。安田講堂の占拠は、話し合いの場から総長が逃げ出してしまったことに始まったのであり、学生たちが理不尽にも安田講堂を占拠したのではなく、総長が話し合いを拒んだことに拠るのである。数々の理不尽は、大学側の行動にあるのである。
安田講堂事件
安田講堂事件全体は、医学部がそもそもの始まりであったし、理系の学生は、このような運動の先頭を切るだけの能力がないので、他学部の力ある学生たちの後ろをついていくだけである。まして、当時大学院博士課程の筆者たちは、ただ、「あれよ!あれよ!」と見ていた無力な立場であった。そして、最後に大量の機動隊が入ってきて、東大の安田講堂が戦場と化した日、筆者たちは大学に入れてもらえなかった。貧乏な大学院生は、洗濯機やテレビなどという結構なものを下宿に持ってはいない。夜中まで営業している喫茶店に居座って、自分たちの大学が戦場と化していく姿をただ呆然と見ているしかなかった。
その年、入学試験は中止になった。高校3年生や予備校生や、その親たちは、「自分たちはすでに東大に入って、将来はエリートとして生きる道を与えられているから、こうして暴れ回って後輩の行く手を阻むのはけしからん」と言った。しかし、この運動の指揮者は、実は東大生ではなかったと聞いている。このような運動の指揮を執るにはエリートはあまり役に立たないので、近隣の大学の運動家が指導者としてやってきて東大生はむしろそれに従った形で、一緒に主力部隊として安田講堂に立てこもったようである。
物理的には、多くの校舎がボロボロになった。分けても安田講堂は見る影もなく破壊され尽くした。しかし、破壊されたのはこのような物理的な構造体だけである。本部機能も失った。多くの情報も失った。しかし!
安田講堂事件で失ったもの
「東大でなければ大学ではない」と心の中でうそぶいていた人々、「東大を出て、大学教授への道を突っ走り、あるいは官僚になり、あるいは一流企業に入り、出世街道まっしぐら」という東大流の世界観、権力を振りかざして弱い者いじめをしていた人々の世界観は大きく変わるだろうと淡い期待をしていたが、完全に裏切られた。
東大のエリートは頭が固い。そもそも頭が固いからこの事件が起こったのである。
運動に全力投入し、国家権力によって逮捕されたのは、安田講堂だけでも377人だという。それ以外の建物に立てこもった学生たちを加えれば、400人を越えるだろう大量の逮捕者が出た。その人々の人生は変わっただろうし、実は、どうやら悪くはならず、吹っ切れて豊かな人生を歩いてきた人々も大勢いるようである。
このような運動に積極的に携わった人々を筆者は知らないが、当時、理学部と言えども大学の制度改革には頭を悩ませていたのである。そんな小波の中にいた人々も大なり小なり、その人生観は影響を受けた。そして、予定していた道を大幅に変更した人々もいたのである。
あの後、連合赤軍による旅客機ハイジャック事件が起こったり、様々な暴力的な運動が起こったりして、安田講堂事件に集約されたかつての若者の「目的意識、夢」は、どうやら雲散霧消してしまったのだろうか?
そして、あれから47年。北朝鮮に逃れ出た連合赤軍の人々も、人生の終わり近くになって、望郷の念ひとしきりだそうである。北朝鮮でどのような生活を送っているかについてちらほらと伝わってくるが、彼らは、自分たちのしでかした若い日の過ちに歯ぎしりしているのだろう。
大学改革を目指して全力を尽くして闘争したが、結果的に実を結ばなかった。勝利者のいない闘いであった。
運動が実を結ばなかった結果として世の中にもたらしたもの、それは、今の若者が現状に妥協するようになっていないかということである。なるようにしかならない、一生懸命に闘っても何も得ることがないのなら、「長いものに巻かれた方がまし」と思っていないだろうか?
選挙権の年齢が引き下げられたが、若者の投票率の低さは目を覆うばかりである。選挙に行っても「得することは何もない」みたいなあきらめムードを持って、現実に流される生き様は、若者ではない。
安田講堂事件にまで至った当時の若者たちは、現状に飽き足らず、常に上を向いて改善しようと喘いでいたのではないだろうか。それこそが若者の生き様である。昔の若者である筆者は、今の若者に若さを持って欲しいと思う。肉体は若いだろうけれど、若さは肉体ではない。精神の若さを獲得して欲しいと切に願う。
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*バス会社の信じられないいじめによって、一人の運転手が「殺された」(公的には自殺であるが)事件が報じられた。そのエッセンスを紹介したので、上の「いじめ」をクリックして読んで頂けたらと思う。
*理研は組織を護り、理研の幹部を護るためにスケープゴートを設定して、徹底的にいじめ抜いたらしいことがどうやら事実だったらしい。バスの運転手を殺したと同じような陰湿ないじめが、理研にあったようである。公に発表される報道では決して分からない裏話が、笹井氏を殺し(自殺であるが)、小保方氏を今以て鬱状態に押し込めている原因であるらしい。
*学校での子どもたちのいじめ問題を、子どもの問題としてしたり顔で論じている「知識人たち」は、子どもは大人の背中を見て真似をしているに過ぎないことを自覚しているのだろうか?
*一段落したのだろうと思っていたSTAP細胞であるが、新しい展開が次々公になってきたので、又継続して書き続けなければならないと思わせられている。
*小保方氏が自身で再現実験をしたが、STAP細胞が出来なかったという一件、そして、論文引き下げに小保方氏も不承不承であっても賛成したという一件、にはとんでもない裏話があったようである。
*小保方氏を護るための組織があるらしいことを筆者は最近初めて知って、自分の不明を恥じ入っている。どういう組織かは分からないが、その人々が発表していることをじっくり読んでみようと思っている。
理研の組織
*あれだけ大変な事態を経験していながら、理研は本格的な組織変革が行われなかったようである。空恐ろしい巨大な組織で、どうも自浄作用を持っていないらしい。
*STAP細胞は無い、小保方氏がねつ造したと決めつけた理研。イギリスで、アメリカで、STAP細胞の存在を肯定する論文や特許が発表された今、彼らは何を考えているだろうか? 今のところ何の反応もしていないようである。
改めて笹井氏を悼む
*どのような苦しみを与えられたかは分からないが、それでも、笹井氏が「あの苦難をじっと耐え忍んでいたら・・・」「もう一度、STAP細胞に関して、深く考える機会を与えられたであろうに・・・」と、優秀な一人の科学者の死を改めて悼む。
*何故、耐えられなかったのだろう? 遺書も、公表されていること以上は知る由も無い。
小保方氏のHP
*小保方氏がHPを日本語ではなく、英語で書いたことを批判する人がいるようであるが、それはピント外れというものだろう。彼女は、主として科学者、特に生物学の分野の人々に語りかけたいのであって、科学者は当然どの国の人であっても、英語は読めるはずだからであって、英語で書いたのは当然のことであろう。ワイドショウを賑わすためのものではないだろうからである。
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次回以降に、イギリスとアメリカの論文について、入手可能な範囲、簡単に紹介する。
また、小保方氏のHPについて、また小保方氏を護るための組織の主張、等を紹介する。
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31回に亘ってSTAP細胞の経緯を追跡してブログに書き続けて、31回の最後を次のように締めくくっている。「やっと第一幕が終わった」と書き、「この事件の本当の意味の主犯は、理研という化け物」ども、弾劾している。今、起こっていることをあたかも予想していたかの如き記述である。
さて、31回の結語を、下記にコピーする。
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日本中を、いや世界中を引っ掻き回し、日本の恥まみれ・泥まみれにしたSTAP細胞事件は、やっと第一幕が終わった。さて、理研は本当の幕を閉じることが出来るだろうか?
小保方が悪い、笹井が悪いと思っていたら、日本は汚辱にまみれたままになってしまう。この事件の本当の意味の主犯は、理研という化け物であり、そこに蠢く幹部の「エライ」人々である。彼らに踊らされた小保方、笹井両氏は共犯者であると同時に、被害者でさえある。
あなたは自分の悪に拠り頼み、「私を見る者はない」と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。「私だけは特別だ。」(イザヤ書47:10)
人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりことだけが成る。(箴言19:21)
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STAP細胞、記録のタイトルと要約
第1回・2月1日:細胞生物学の歴史を愚弄?
第2回・3月15日:関係者たちの理解しがたい対応・著者たち、他施設の専門家たち
*科学界、理研のゴミを掃除して欲しい。共同研究者たちは小保方氏をスケープゴートにして自分は逃げてしまいたいのが本音か?
第3回・3月20日:著者 / 共同研究者たちの責任・他施設の専門家たち
*STAP細胞が本物なら堂々と主張すべし。
*小保方氏の対応の不適切さ。あまりに幼い。
*共同研究者の無責任・理研という組織の責任
*STAP細胞は存在するのか?
第4回・4月2日:「発見は間違いない」と小保方氏:訂正論文を提出済み!
第5回・4月4日:実験ノートが3年に2冊? 論文の元の膨大なデーターはどこに?
第6回・4月9日:関係する記事を公式ホームページに公開
第7回・4月11日:存在するのならすべての記録を提出して護る責任がある!
第8回・4月14日:第三者による作製の成功。理研も認識していた!
第9回・4月19日:後出しジャンケンで「グー・チョキ・パー」全部を出した指導者
*笹井氏の会見での主張・・・無責任・安全圏への逃走
1)論文の不正を見抜ける立場になかった
2)STAP細胞は仮説、しかし本物とする・・・「君子豹変す」
3)論文は撤回すべき:上述の見解にも関わらず、論文撤回を支持
*理研が姿勢を正して、まともな研究機関になるよう祈る
第10回・5月29日:本当にあるのか? 200回作製に成功したと断言。そのデーターを社会に示す責任
第11回・6月5日:論文撤回に同意した小保方氏! STAP細胞は「無い」と告白したのか?
第12回・6月5日:「オネストエラー」と「悪意のない間違い」・バベルの塔で築かれた聳える言語の壁
第13回・7月7日:論文二報を撤回・STAP細胞の存在確認実験に小保方氏参画
*言われても、言われても、実験ノートを一切公開できなかった小保方氏・・・あの数枚の紙切れを筆者は実験ノートとは見なさない・・・実験ノートはないのだろうと結論せざるを得ない。となると、今彼女が実験に加わってどうなるのだろう?
第14回・7月26日:「論文撤回・仕方なかった」が「存在は事実」・小保方氏の発言の本当の意味は?
*「自分の実験結果に自信があるならば撤回してはならない」と筆者は書いた。「STAP細胞が存在しているという実験結果に自信があるならば・・・」が極めて大きな前提条件であることを何度も強調した。
*実験科学は、実験結果が正しいという大前提に立って考えるのであって、その前提が崩れたときにはすべてが崩れるのである。時間の経過と共に論文があまりにも好い加減で、もはや科学論文という定義に当てはまり得ないことまで露呈してしまったように見えてしまう。
第15回・7月30日:騒動は最悪の幕引きに? 弁護団は科学を軽視しすぎているのではないだろうか?
*坂道を転げ落ちるように
・主要な共同著者たち、すなわち、笹井芳樹氏、若山輝彦氏、チャールズ・バカンティ氏は、最終的には論文の内容をほぼ否定した。
・撤回に対して科学的に反論できるデーターや、実験ノートは存在していないようである。
・そのために、当然の帰結として論文は信用できないだろう。
・理研は小保方氏を見捨て、STAP細胞を見捨てた。
・何とか理研の組織を護りたいという思いが強いようである。
・学術会議もSTAP細胞の存在をほぼ否定した。
*弁護士団による弁護方針の決定的な間違い
・経済力のある方が勝つ。人数の多い方が勝つ。全く力づくで勝ちをもぎ取る世の中のようである。
・小保方氏の弁護団は、同じ手法で科学の是非を問う弁護をするつもりだったのではないだろうか? 専門領域に対する尊敬を払わない弁護士であるようである。口先だけで専門性の高い論争を勝ち抜こうとするのは、傲慢であり、無謀にもほどがある。
*小保方氏が、実験記録をろくに取りもしないで勝手に論文を書いたりしたのなら、あるいは万が一にも積極的に本当にデーターをねつ造していたのなら、・・・・科学者ならば、彼女の所に行って彼女が持っている資料を見れば、その実態を見抜くのに大した時間は要らない。あの厖大な論文を書くだけのデーターがあるのかないのか、実験結果が、実験記録があるのか無いのかなど、一目瞭然である。
第16回・8月5日:笹井芳樹理研副センター長自殺! 自分自身を赦せなかったのだろうか?
第17回・8月8日:笹井氏の死を悼む。読者のコメント、その1・退避していれば嵐は通り過ぎたのに?
第18回・8月8日:笹井氏の死を悼む・・読者のコメント、その2・小保方氏を気遣う 親ならどうする?
第19回・8月16日:小保方氏を気遣って。読者のコメントに応答。その3・筆者が親なら(1)
第20回・8月28日:検証実験でSTAP細胞を作製できず。実験条件を変更して実験する?
*問題が発覚して以来、実験ノートを開示していないという重大な一件がある。200回も作製したのであれば、200回の実験ノートと、生データーがなければならない。それを開示できないということは、そもそも実験ノートも生データーも無いのではないか、と書いた。
第21回・10月11日:博士号の取り消し? 筆者が小保方氏の親ならどうしたか、続編
*政治家や弁護士の世界は、経済力、何かのコネの力、弁舌が立つかどうか、など本質とは何の関係も無いところで、勝敗が決まることがしばしばあるようである。警察や司法の世界も本来あってはならないことであるが、本質とは無関係なところで白黒の決着がつくことも珍しくないようである。
*しかし、科学の世界はそれでは通用しないのである。原則、黒は黒、白は白、赤は赤であるのが科学の世界である。弁護団に科学者が加わっていないことが決定的だと何度も書いたが、筆者が親ならば自身の仕事をすべて捨てて彼女を「本当に」助けるために弁護団の一員として努めただろう。彼女を助けるとは、黒を白と言いくるめることではなく、間違いは間違いとして認め、改めること。もし、とんでもないことをしたのなら、それも白日の下に曝すこと。そして、彼女が悔い改めて、新しく出発することである。そうしてこそ、彼女は本当の意味で立ち直ることが出来るのである。
第22回・12月18日:遂に最悪の結末か? 200回以上成功したと宣言したのはウソだったのか?
第23回・12月21日:犯罪者扱いの実験・検証できず困惑・「大山鳴動して鼠一匹」・真相究明は?
第24回・12月25日:小保方氏も作製できなかった・人々に存在を信じさせ、社会を誤誘導した人々
*世界中に大恥をかいた日本の科学界
*STAP細胞の存在を人々に信じさせ、社会を誤誘導した科学者たち
・笹井芳樹・副センター長(故人)
彼が公に発言したこと、書いたことはすべて、STAP細胞の存在を信じているかの如き言動であった。
?「STAP現象そのものはリアルなものだと思っています(3月29日)
?一連の問題を謝罪した後、「(ES細胞の混入では)説明がつかない」と強調。説明資料を手に、STAP細胞が他の万能細胞では考えられない性質があると説明。(4月16日、記者会見)
?STAP細胞が存在しないと思ったら、共著者にはならなかった。(記者会見)
?小保方氏に宛てた遺書、STAP「実験成功させ、新しい人生を」
末尾には「絶対にSTAP細胞を再現してください」と、STAP細胞の存在を確信した記述があった。
*研究費をもぎ取らなければならない研究体制のガン
理研の幹部は、マスコミの前で何回か頭を下げてお終いにしてしまうのであろうか? しかも、彼らは本当の謝罪をしたとは思えないのであるが・・・。どこまでも、悪いのは小保方氏、みたいなニュアンスで形だけのわびに徹しているように思える。
*マスコミの前で他の人を糾弾したり、あるいは謝罪したりしていた理研の幹部たちこそ、今回の不祥事を招いた原因を作った人々であると思う。形ばかりの謝罪ではなく、本気でその罪を白状して自分の血を流さなければ決して改善されないだろう。功成り名遂げた幹部たちが、若い人々を正しい道に導くために、日本の科学の将来を危ういものにしないために、本気で取り組んで貰いたいと思う。
*調査委員会の最終報告書全般について
ある意味で冗長にも思える「丁寧さ」で記載されている。
*STAP細胞は存在しないと結論
第26回・1月6日:小保方氏も認めて論文不正確定・真の原因追及をするべし
*何回か書いたように一人の可愛い女性を「ヒロイン」にして祭り上げたあの雰囲気、そしてまるで芸能界のアイドルみたいな立ち居振る舞い、衣装・化粧のあり方には、理研というトップの研究所・科学研究の世界も、ここまで成り下がったかと思わされたものである。
*しかし、真面目に研究が行われ、正直に論文を書いて、世紀の発見であったのなら、当事者がどのような風貌であれ、アイドルであれ、あるいは逆にぐうたらに見えても、ちっとも構わなかった、少なくとも筆者の見解は。
*ただ、彼女の本気、あるいは周囲の先輩研究者たちの本気が、「科学研究」に打ち込まれていなかったからこそ、このような事態を招いてしまったのである。
*データー解析・結果公表に圧力をかけて阻んだ理研
遠藤氏、若山氏がこれらのデーターを公表することに理研は圧力をかけて、公表させなかったそうである。また、竹市雅俊センター長は、残存試料などの解析を拒む姿勢を譲らず、理研本部も論文全体の疑義の調査を拒み続けたという。理研は、情報を隠蔽するために全力を投入したようである。
*責任の取り方
理研が自浄作用を持っていないのなら、外からの力を以てでもきちんと整理し直し、責任を取らせるべきである。行われたと報じられていることでは手ぬるいと考える。本当の責任者が、きちんと責任を取るべきである。
第29回・2月6日: 捏造事件と指導者の自殺
第30回・2月13日: 理研の関係者処分・トカゲの尻尾切り
*小保方氏に対する処分は、「懲戒解雇相当」(すでに退職していたため)という処分であったが、それを「電子メール」で通知したのだそうだ。理研というのは、社会常識のない、礼儀を知らない組織のようである。
*本当の責任者は処分されず、トカゲのしっぽ切りの処分である。これで幕引きをするつもりらしい。
第31回・11月3日:騒動の副作用「博士論文の取り消し」
2016年6月末現在
*昨年、11月3日に、理研も早稲田大学もすべてを幕引きしたつもりだったのだろう。しかし、青天の霹靂の出来事が起こった。外国では継続して研究が行われていたという事実である。日本は、恥の上塗りをしたようである。
*改めて調べてみると、理研の化け物ぶりは、思っていたよりももっと悪質であったようである。一方は、黒いと言い、もう一方は白いと言うほどの言い分の相違は、片一方がウソをついているか、あるいは両方ともウソを言っているかである。
次回、この点に関して、混沌とした裏側を少し整理してご紹介したいと思う。
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STAP細胞について、このブログでは延々31回、様々に書き連ねてきた。2年5ヶ月前、その輝かしい発見の記者会見の直後、2014年2月1日付で、その発見について生物学者としての驚きを書いた。そのすぐ後、とんでもない疑義が持ち上がり、以後、笹井氏の自殺という痛ましい出来事、論文の取り下げ、小保方氏の博士号剥奪など、その時、その時に応答して、実に31回、昨年の11月3日まで書き連ねた。その時に、何とはなく、このままでは終わらないのではないかという漠然とした予感はあったが、彼女の将来を案じて、「しっかり立ち直って、自分が歩むべき道を見いだしてほしいと思う」という記述で稿を閉じている。
小保方氏はあまりにも有名になりすぎたので、金儲けをしたい人々が砂糖にたかる蟻の如く群がってきて、彼女を若しかしたら新たにもみくちゃにしているのではないだろうか? ともあれ、彼女は本を1冊出版したらしい。また、かの有名な寂聴氏と対談したらしい。彼女のこのような一つ一つの行動に、理研はピリピリしているようである。
日本が小保方氏一人を袋叩きしたのとは対照的に、米国ハーバード大学、ドイツハイデルベルク大学の対応は異なり、研究を続行していたらしい。そして、論文発表、特許申請を行ったことが明らかになった。
STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も
STAP現象の確認に成功、独有力大学が…責任逃れした理研と早稲田大学の責任、問われる
彼らの特許の内容、論文の内容を紹介する前に、この2年半ほどの間にSTAP細胞事件に関して、筆者が何を考え、何を書いたかを振り返ってみることにする。
STAP細胞事件の記事を振り返る
STAP細胞発見という輝かしい記者会見から1年後、2015年2月に、STAP細胞騒動のまとめを2回に亘って、やや詳細に記載した。また、この時点で、「STAP細胞への道」という内容で、筆者の公式Webサイトに掲載した。さらに、「STAP細胞・ねつ造事件と指導者の自殺」というタイトルでも、この事件を紹介した。
STAP細胞のブログのまとめをした後で、理研は関係者の処分を発表した。そして、極めつきに一度与えた博士号を剥奪するという、最後の強烈なパンチを小保方氏に食らわしたのである。
小保方氏が反撃を試みているという見方をしている人々もいるようであるが、マスコミでよってたかって、あることないことをでっち上げて、小保方氏一人を悪者にすることによって理研や権力者を守ろうとしたようである。
特に、NHKや大きな新聞社が猛然と彼女に襲いかかって餌食にしてしまったらしい。
風評に乗っかって検証もしないでニュースをばらまくのは、いつものことで、しかも、あたかも事実であるかのごとく正義の御旗を掲げてあくどいことを行うので、政府や権力者に媚びへつらうマスコミは始末に負えない。
時間を与えられたときに、この続きを書くことにして、今回はここで締めくくる。
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奨学金を受けて大学を卒業したエリート弁護士が、頭がどんなに切れるかということを売りにしてテレビで名前を売り、新しいタイプのアイドル・タレントになった。そして、タレント議員になってさらに名を売り、どんどん自分が「エライ」とうぬぼれるようになったのであろうか? 遂に、東京都知事という巨大な権力を手に入れたタレントは自分の思い通り、わがまま気ままにしても、都庁の職員はすべて自分の命令に従うはずだという恐ろしい錯覚に陥ってしまった。
かくて都の財布は自分の財布だと錯覚してしまった。エライ都知事がビジネスクラスでは恥ずかしいという感覚を身につけてしまった。一方、東京都民は厳しい経済生活を強いられており、ある人々は住む場所さえなく、ある人々は生活保護費を「貧困ビジネス」をする悪者に巻き上げられて、強者の餌食になっている。普通の生活をしている人々でさえ、毎日の生活に10円でも倹約しようとして苦労しているのである。それが、エライ都知事が支配しようとしていた一般の都民なのである。
ともあれ、都議会は桝添氏を辞めさせることを目的としてしまった。そして、参議院選挙に影響が及ぶことを恐れた自民・公明の両党は、かつて自分たちで彼を担ぎ出した責任を忘れ果ててしまった。間違ったことを目的にしたので、辞職を申し出た途端に、すべてをうやむやにして一目散に参議院選挙に突っ走ったのである。彼のしでかしたことをきちんと報告させる義務が都議会にはあるのであるが、そんなことはどうでも良いのか、あるいはあまり明白にして貰っては困る諸々があるのかも知れない。
日本にもいた忠実な公僕
つい先日、日本を訪れた大人物、世界一貧しい大統領として有名なウルグアイのムヒカ氏と同様に、公僕という名にふさわしく人々に仕えた村長が、この間退職した。和歌山県北山村、人口たった475人の小さな村の村長である。出張してもランチは学生食堂で1、210円、しかも、これは経費ではないと自腹でまかない、宿泊費の上限は、1泊1万3000円。村民の目線に立って物事に対処すると言う。ランチの1,210円、宿泊費13,000円は、まさしく筆者を含めて、庶民の生活水準である。
都民1300万人、何兆円もの予算を動かす首都の知事と、小さな村長を比べることには意味がないという意見がすぐに出てくるだろう。しかし、姿勢の問題、心構えの問題である。自治体の大小は関係ないと、この村長が言うとおりである。
言葉だけのきれい事は、桝添さんだけではなく、多くの人々が大声で怒鳴り上げて票を稼ぎ、議員になったり知事になったりしている。しかし、当選したら言ったこととは裏腹に、自分を楽しませることだけを行う。号令だけは誰にでも出来る。
しかし、この村長は、様々なことを実践して、村の発展のために、子どもたちの教育のために、村民の幸せのために身を粉にして働いたようである。
精神において、このような指導者をそれぞれの自治体に、国会に、そして総理大臣に選ぶためには、国民が自分の1票を賢く使う知識と知恵を用いなければならない。
そろそろ、アイドル・タレント議員、タレント知事には「サヨナラ」しなければならない。
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日本中のみならず、世界中が巻き込まれて、あれやこれやの議論が紛糾したこの事件。この少年は親の言いつけをきかず悪さをし続けたので、とうとう車から降ろして山の中に置き去りにしたという。
置き去りにして5分後に子供を下ろした場所に戻って見ると、そこにはいなくなっており探したが見つからなかった。こうして子供が迷子になって大騒ぎになったのであるが、警察には5分後と証言しているが、本当に5分だったのかどうか。親に置き去りにされて、子供は車を、すなわち親を追いかけなかったのだろうか? とすると、何故見つからなかったのだろう? また、この年齢の子どもなら親に置き去りにされれば、普通なら立ちすくんで、とても動けないだろう。そして、そこで待っていれば連れ戻しに来てくれると、親を信頼するか、親を追いかけなかった親子の関係に大きな疑問を抱かずにはおれない。
ともあれ、少年は行方不明になってしまって、大騒動になってしまった。
警察犬が反応せず。両親の証言が二転三転
両親は、初めは「山菜採りの途中ではぐれた」と警察に説明したが、車に山菜が全くないことを指摘されると、「人や車に石を投げつけたので、しつけのために車から降ろした。5分後に戻ったときには姿がなかった」と発言を変えたという。また、着ていた洋服も「Tシャツにジーパン」と言っていたのに、途中から「紺色のジャージー」に変わった。
はぐれた場所が事実と異なって申告されれば、警察犬が反応しなかったのは当然である。両親が嘘を申告していれば、見つかるわけがない。大々的な捜索活動が繰り広げられたが、全く見つからなかった。
6日ぶりに、5キロ離れた自衛隊の演習場で発見された
見つけられた少年はそこまで歩いて行ったと証言し、やや衰弱しているものの外傷はなく無事であった。両親の供述が二転三転した不可解な親の行動、捜索が難航した様々な経緯が相俟って色々と調べたのであろうが、事件はあまり明確にならないままに、子どもが無事であったことで事件性はないと警察は最終的に結論して、終止符を打った。
無事に保護されたからよかったけれど、もし何事か起こっていたら、社会全体や警察の対応は全く異なったものになっただろう。
山の中に置き去りにする「しつけ」・親を追わなかった親子関係
まず、日本の社会での反応は、賛否両論色々噴出したようである。子どもはなかなか言いつけをきかないから、置き去りにしてもしょうがないという見解もあれば、しつけにしてはやりすぎだという見解もある。
近頃の子どもは親の言うことなどきかないから、厳しすぎると思われるほどのしつけをしなければならないのだという親の意見も提出されている。確かに、昔のようにいかないのは事実であろうが、7歳の少年が親の手に負えない状況になるのは、親の責任こそが甚大である。
そのような、言うなら歪んだ親子関係にしてしまったのは100%親の責任である。たった7歳の子どもが親の手の指の間からポロポロとこぼれ落ちてしまったのである。親と子どもの間に心の絆が築かれないままに、親は子どもを守る責任を忘れ、子どもは親が守ってくれるという安心感を手に入れないままに7年の歳月が経ってしまったのだろう。
アメリカ人の一般的な反応は手厳しい。「子どもを置き去りにしても子どもに恐怖しか与えないので、親の責任を放棄することであり、虐待である。子どもの安全を第一に考えるべきである。」
フランスの反応は、一般的に置き去りを肯定する意見が多いようである。
その土地についてよく分かっている時には、「置き去り」という手段もありかなと思わないでもないが、未知の土地、ましてや山の中に7歳の子どもを置き去りにするのは、やはり責任放棄、虐待であると考えざるを得ない。子どもの姿を視界の中に留めて、子どもの安全を確保するのは親の最低限の責任である。
そんな親子関係であるから、置き去りにされた子どもは親を信頼できなかったのではないだろうか。
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アメリカの大統領選挙は、力で民主主義を勝ち取ってきたアメリカらしい選挙合戦を繰り広げる。その選挙合戦でびっくりするような人物が躍り出てきた。
恥ずかしいほどの大金持ち、バサバサと人の悪口を言い、驚くべき人種差別、宗教差別的発言を怒鳴り回す。特定の外国人、イスラム信者をアメリカに入れない。人を人とも思わない言動に眉をひそめる人も大勢いる中で、強烈で、押しの強い、豪放闊達な人物は、銃を持って自分を守ってきたアメリカ人の気風に合致したのだろうか? どんどん人々の人気を勝ち取ることに成功してきた。
そして、よもやと思っていた事が起こった。
大統領候補に選ばれてしまい、クリントン氏との闘いになった。
アメリカ人の心の奥に押し込められている差別意識
アメリカの歴史を思い起こして簡単に総括できることは「闘争」である。隣国との闘いに明け暮れたヨーロッパで闘争の素地が充分備わった人々が移住してきて、武力で原住民からあの大地をもぎ取った人々である。原住民を駆逐した精神は、まさしく、トランプ氏の思想である。そして、本国イギリスから独立するために闘い、西部まで全土を制圧するために「闘争」し、南北戦争の「闘争」に勝った人々である。
しかし、剥き出しの闘争心を暴れさせては国内でも国際関係でも生きてはいけないことを、アメリカ人は学んだ。
国内で原住民を駆逐してしまって、有無を言わさず口をつぐませてしまった。しかし、黒人はそうはいかなかった。人口が増えるにしたがって黒人を無視するわけにはいかなくなり、争わずに勝つすべを身につけたようである。表面だった差別をしないし、差別用語は使わないが、心の中に差別意識がなくなったわけではなく、決定的なところでは頭を押さえつけるすべを学び取った。
そして、このような「表面だけのお行儀」をアメリカ人が身につけて、そんなに時間が経ったわけではない。キング牧師が人種差別撤廃の訴えた有名な演説をしたのは、ついこの間、1963年である。そして、これらの一連の運動のために、その5年後に暗殺されている。
オバマさんが大統領に選ばれたときの一連の出来事を思い出すと明らかである。決して、すんなりとはいかなかったのである。しかし、遂に、黒人(彼らは有色人種と言い、この中に日本人も入る)の大統領が実現した。
ついでのことに、女性に対する差別に関しても、黒人と同様である。アメリカには女性差別はないと錯覚している人は結構多い。しかし、黒人差別と同様に、決定的なことでは厳しい差別をする。そして、それ以外は、徹底的に女性に優しくするのであり、差別を剥き出しにする日本の男性より遙かに賢い。女性の大統領など、青天霹靂の出来事なのに、若しかしたら、初の女性大統領が出現するという事態になってしまった。
こうして、本来の闘争心はオブラートを何枚も重ねて、押し込められ、隠されて・・・きた。
トランプ氏は、このようなアメリカ人のオブラートを次々と引っぺがし、隠されてきた差別意識の暗部をえぐり出した。それに共鳴する人々が多い事実に、アメリカ人は唖然としているのではないだろうか!
現実の生活に不満が充満し、将来に希望が見えないアメリカ人は、怒りを外に向けることでストレス発散を狙っているとしか見えない。
アメリカ人に正気を取り戻してほしいと、願わずにはおれない。
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そして、事実、記録を抜かれたアメリカのくだんの選手は「日本の野球のレベルが低いのだ。一緒にならない。俺が一番であることには変わらない。」と言って、怒りを発散させた。
脚光を浴びるまでの道のり
筆者はプロ野球のファンではないので、普通にニュースで語られる以上には知らないので、今回、ネットで調べてみた。
イチローの野球人生は、エリーとして出発したのではない。いつも脚光を浴びる立ち位置にいた松井秀喜とは違う。松井秀喜は、日本でもアメリカでのデビューも脚光を浴び、はじめから英雄として野球人生を始め、かっこよく振る舞い、いつも光の中を歩んでいたように思う。そして、長島茂雄とセットで国民栄誉賞まで貰ってしまった。
・・・・・松井秀喜の国民栄誉賞に納得のいかなかった人は、かなり大勢いたようである。
国民栄誉賞って何? 誰が決めるの? 国民のご機嫌を取って票を獲得しようという魂胆? さまざまな議論、憶測が乱れ飛んだ。 そもそも、彼はそんな大きな賞を受ける資格なんてないじゃないか。そして、松井秀喜は、何だって辞退しないんだ! そういうバッシングが相当あったようである。国民栄誉賞と言えば、オリンピックマラソンで金メダルを獲得した女性ランナーに、国民栄誉賞をが与えられた時にも、大きな疑問を抱いた。確かに、一つの功績ではあるが、一体、国民栄誉賞という大それた賞を与えるに値する業績なのか?・・・・・
イチローは、プロ入りの初めからトップではなく、ドラフト4位でオリックスに入団している。そして、誰もがびっくりする成績をバットで叩き出したが、ホームランバッターのような派手さはない。地道な努力を積み重ねた、しかしそれでも地味な栄光である。
そして、野手としては日本人初のメジャーリーガーとなった。しかし、ここでも、すんなりと受け入れられたわけではない。日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多く、あるマリナーズの番記者は日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球を叩くように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われた。その上、パワーもなさそうだった」と述べ、監督もイチローには大きな期待をしていなかった。
「背番号51」についても、当時のマリナーズではランディ・ジョンソン(1989 - 1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られていなかった。
東京在住のアメリカ人ジャーナリストの一人が「イチロー君大リーグは甘くないぞ」と題して、イチローがMLBでは通用しないことを断言し、「イチロー自身も『あーあ、アメリカに来なければ、今頃はまだ日本のスーパースターでいられたのに』と後悔しているかもしれない。来年の今頃、僕がこの誌面で平謝りに謝っているかどうか、忘れずにチェックしてほしい。」と執筆した。・・・多分、平謝りに謝ったのだろう、当然のことながら。
脚光を浴びて、大きな契約金を手にしてアメリカに迎え入れらた松井とは格段の差である。
前述の番記者は、シーズン開幕から1か月半後の「シアトル・タイムズ」紙に、「お詫び」のコラムを掲載している。
一歩、一歩の努力で光を放った才能
大リーグ記録の4256安打を上回った。日本プロ野球のオリックスに在籍した9年間で1278安打を放ち、2001年に大リーグ入りしてからの16年間に2979安打を積み上げた。
オリックスでは94年に当時のプロ野球記録となるシーズン通算210安打を記録。マリナーズ在籍時の04年に大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに塗り替える262安打を放った。09年には日米通算で張本勲(元ロッテなど)が持つ日本プロ野球最多の3085安打を上回った。過去29人が達成した大リーグ通算3000安打にもあと21本に迫っている。
輝かしい記録とクールな対応
イチローがマスコミに現れるようになった若い頃から、他の野球選手とは比較にならないほどクールすぎるほど世慣れた返答が返ってくることには驚かされた。それは、一つには人柄ということもあるだろうし、エリートとして出発しておらず、周囲の人々やマスコミに叩かれてきたことと無縁ではないかも知れない。
イチローはこんなことを述懐しているのも、彼らしいなと思う。
世界に出て再認識したことのひとつが、日本語を大切にすることであるという。きっかけに関して、「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。英語で苦労する以前に、僕は日本語で苦労している」と話している
国民栄誉賞の辞退
2001年、メジャーリーグで日本人選手史上初となる首位打者を獲得する活躍を見せた事により、小泉純一郎内閣から授与を打診されたが、「国民栄誉賞をいただくことは光栄だが、まだ現役で発展途上の選手なので、もし賞をいただけるのなら現役を引退した時にいただきたい」と固辞した。
2004年にも、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した事から授与を検討されたが、今の段階で国家から表彰を受けると、動機付けが低下すると再度固辞した。
実にイチローらしい清々しさを覚える。