杉原千畝が「命のビザ」を書いたリトアニアの旧領事館を日本のペンキ屋ボランティア集団が修復

ナチスの迫害を逃れようとするユダヤ人に、日本への通過ビザを杉原千畝が命がけで書き続けたことは、あまりにも有名で知らない人はいないだろう。杉原千畝は今に至ってもユダヤ人にとって大恩人として尊敬を集めている。リトアニア(地図の濃い緑色の部分・ポーランドに隣接、バルト海に接している)では、旧日本領事館は千畝記念館として保存されているが、外壁の色がくすんで壊れるなど老朽化が進んでいる。

 

そのことが報じられて、日本の或る「ペンキ屋集団」が立ち上がった。この9月に、壁を直しにボランティアでリトアニアに行くという。・・・朝日新聞、2017年2月8日05時00分配信。確かにボロボロになった旧領事館の写真が添えられている。

 

その集団は「塗魂(とうこん)ペインターズ」と名乗る集団で、現在全国に150のペンキ屋たちからなり、2009年に結成されて以来、全国80カ所でボランティアとして奉仕してきている。彼らは、下請けいじめや職業差別などに苦しめられた人々であるが、「自分たちにしか出来ない社会貢献を、魂を込めて行おう」と考えて結成されたという。経済的に塗り替えが出来ない場所、災害の被災地などで塗装をする奉仕である。

戦後70年の2015年には、原爆が落とされた広島、長崎で、そして真珠湾攻撃があったハワイでボランティア活動をした。

 

「『杉原記念館』として運営されている旧領事館の老朽化が激しく、修繕のめどが立っていない」という、2016年1月の朝日新聞の記事を見てリトアニア行きを計画したという。現地や日本で交渉を重ねた結果、旧領事館があるカウナス市の副市長が来日し、最終決定になった。ボランティアには50人以上が参加するという。

 

ここでついでに、ユダヤ人6000人に命のビザを書き続けた杉原千畝の偉業は、彼一人で成し遂げられた訳ではない。もちろん彼は免職を覚悟の上で大きな犠牲を払い、帰国後、日本ではさんざんな目にあい、冷や飯を食わされてしまった。しかし、日本でこの6000人の人々に手を差し伸べて助ける人々がもしいなかったなら、杉原千畝の血のにじむような働きは空中分解したことだろう。

 

助けた人々の中には、ハルビン学院で千畝の二期後輩であったウラジオストク総領事代理、根井三郎や、難民たちの対応に奔走していたユダヤ学者の小辻節三、そして驚くべきことにドイツとの同盟の立役者であり、国連脱退に際しても良い記録が残っていない松岡洋右外務大臣が、非合法ではないが、ある便法(今はやりの言葉で言うと裏技)を、この小辻に教えたという。

 

その他多くの人々の協力によって、6000人の命が救われたのであった。

このことは後に、もう少し詳しく書きたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

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世界の民主主義は後退か? アメリカは三権分立の危機か? 中国は人権派弁護士に非道な拷問 

三権分立、日本の民主主義

 

誰でも一度は、小学校か中学で教えられた三権分立。

国の様々な法律を決める立法権は国民で選んだ国会議員からなる国会にあり、それを実行する行政権は内閣総理大臣をトップとする内閣・政府にあり、定められた法律が守られているかどうかを決定する司法権は裁判所にある。この重要な国家権力は相互に独立していて、互いに干渉してはならないという建前である。しかし、建前は建前にしか過ぎず、本音が別にあるのが普通のようである。

 

日本でも、この建前がしばしば揺らいでいる。この国家権力の中で一番権力が強いのは、実力行使する行政権で、内閣・政府は今でもしばしば国会のありように干渉し、国会を牛耳り、又裁判所に圧力を掛ける。地裁より高裁の方が政府の圧力というくさい臭いが漂って来るが、最高裁となると政府の意向が前面に出てくることが頻々である。そもそも、いわゆる御用学者がずらりと最高裁判事に任命されている。最高裁判事の適否を決める権利は国民にあっても、実際問題として機能していない。

 

とは言っても、かつて総理大臣であった人を日本の司法は汚職の罪でしっかり裁こうとした。田中角栄である。・・・ちなみに田中角栄という人物は、何かが出来るかという点では極めて有能であったことは間違いないだろう。ただ、その能力を間違った使い方をしたことは処罰されなければならない。同じ意味で、前任都知事の桝添さんも有能な人物であるとは見ていたが、権力を手にするやいなや悪いことをしでかして、任期途中、極めて短期間でクビになった・・・刑務所送りにはならなかったが。その前の東京都知事の石原さんも、やっぱりクビになった。

 

この三権分立を支える 民主主義は、日本国民が自ら勝ち取ったものではなく、アメリカから押しつけられた?頂いた?ものであるから、しっかり根が生えないまま70年を経て、今に至っている。都会には大きなマンションが建ち並び、核家族化が進み、良かれ悪しかれ一見新しくなったように見えるが、一方で相も変わらず檀家制度が生き残っており、寺や神社は人々を引き留めるためにあの手この手である。昔ながらの様々なしきたりや、偏見、差別など、その意識はあまり変わっていない。・・・今回、オリンピック会場として決めようとしたゴルフ場が、女性を会員にしないという差別制度を敷いていることにクレームが付いたのはほんの一例である。

 

民主主義国の代表、アメリカ合衆国

 

今、人民の国、民主主義の国を標榜してきたアメリカが三権分立の危機に立っている。トランプ大統領は就任早々、矢継ぎ早に「大統領令」を出して、今までのアメリカの有りようをひっくり返している。就任演説で前大統領への通常の礼儀を欠いたのは、オバマ前大統領のしたことを、今まで全部否定してきたからだろうか?

 

簡単に最高裁判事を罷免できて自分の息のかかった人材を行政府のみならず、判事にも据えることが出来るとは恐ろしいことである。大統領は日本の首相とは比較にならない大きな権力を一手に握りしめている。なるほど国家元首は違うんだと変な感心をしている。その気になれば、簡単に独裁者としてヒットラーの歩いた道を歩くことができるようである。そして、トランプは手に入れた権力を楽しんで独裁者になろうとしているかのごとく見えてしまう。

 

「入国拒否」の大統領令が辛うじて「一時保留」になったのが、アメリカの民主主義が死んでいないことの証として慰めである。しかし、「アメリカ第一」と声高らかに叫ぶトランプとそれを支える国民の姿は、アメリカという国の本音なのだろう。アメリカ合衆国は、本来のアメリカ人(インディアンと呼んで、いつの間にか本来のアメリカ人であるという認識を消し去った)を駆逐して、暴力で勝ち取った人々である。銃を規制することが出来ないのがアメリカ人の本音なのだろう。

 

自由で、奔放で、我が儘で、束縛が少なくて、国土が広いように包容力に富んだアメリカを好きだった。日本では享受できない解放感を胸一杯に吸い込める、そういう国だと思っていた。あのアメリカはどこへ行ってしまったのか?大金持ちだけが、好き勝手をするのだろうか?

 

一党独裁国家、中国

 

民主主義国ではない中国は、さらに悪い方向に向かっているようである。そもそも、最初の最初から今に至るまで、三権分立は存在したことのない国である。全ての権力は共産党に集中しており、形ばかりの三権を整えていても、それは形だけであり、いったん共産党に疑われたら、どんな恐ろしいことが起こるかと思われる。

 

その事例が、報道された。

2015年夏に、中国で人権派弁護士たちが一斉に拘束された事件で、逮捕された弁護士の一人が取調中、当局から拷問を受けていたと面会した弁護士が明らかにした。その拷問は筆舌に尽くせない、残酷なものであったという。

 

40時間以上休み無く、眠らせない取り調べ、その後も1週間はほぼ連日20時間ほど取り調べられ、睡眠は2時間ほどしか取らせなかったという。次のような、肉体的・精神的な拷問を繰り返した。

…澆螳愡辧ΑΑΕ廛薀好船奪の椅子を4,5脚重ねた上に座らせ、足が地面に付かない不安定な状態で連日20時間の取り調べで、下半身が腫れ、感覚が無い状態になった。

⊃欧せない、休ませない。毎日睡眠は2時間ほど。

取調室のカメラの死角で、殴る蹴るの暴行。

ぬ椶料阿膿人が同時にたばこを吸って煙を吹きつける。

テ泳漆佑箸硫駭辰魘愡澆靴童瀕させる。

食事や水を目の前に置いて、飲食させない。

Ф芝「妻子が車に乗るときは安全に注意した方が良い。今は交通事故が多いから」等と言って脅迫。

 

このような弾圧・迫害は中央政府の意志であるという。

この一斉検挙事件の背後には、人権運動が盛り上がって民衆の共感を呼べば、体制を揺るがしかねないとの習近平指導部の危機感があると見られている。国内外の批判をよそに、当局は締め付けを強めているらしい。

 

「事件について海外メディアの取材を受けたことが騒動挑発罪に当たる。これは北京からの指令だ」と公安警察は言った。「今後はコメントするな」と言われて了承したが、その旨を書けと言われて断ると、重罪の国家政権転覆煽動容疑に切り替えられたという。何かあると、すぐにこの重罪容疑で逮捕されてしまう、恐ろしい国で法治国家とは言えない。

 

かつて畏敬の念を持って「眠れる獅子」と言われていた大きな中国はどこへ行ってしまったのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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韓国大統領選・人望の厚かった前国連事務総長が立候補断念・選挙の前に泥仕合か?

国連事務総長を10年も無事に勤めた潘基文(パンギムン)氏が、突然、次期大統領選への立候補を断念したという。生え抜きのエリーといういうわけではなく、苦労して上り詰め、非常に人望の厚かった人であるという。

 

国内に渦巻く諸々の大問題を片付け、整理し、又、国家統合を成し遂げようと大きな志を持っていたけれども、諦めるという。

 

その理由たるや、申し訳ないが、実に韓国らしいと直感的に思った。

「弟とおいが不動産取引で不正を働いたという疑惑」で追求されて支持率が下がったらしい。

韓国の大統領が独裁的な権力を持っているせいだけではないと思うが、本人も親族も、そしてパククネさんの場合は友人たち、要は取り巻き連中を含めて、その絶大な権力を縦横無尽に駆使して、国民を裏切る。そんなにお金が欲しいか?見苦しい限りである。

 

日本の政治家たちは、国のシステムが異なるせいもあるだろうが、国民の信頼に応えてしっかりと働いている人々はそんなに多くはないし、結構がりがり亡者のようではあるけれども、法律のすれすれをくぐり抜けるのが上手なのか、本当に悪いことをしていないのか?韓国のような最低な状況が露呈しないようである。

 

そして、大統領の権力を失った途端に、司直の手が入り、逮捕・牢獄入りという例が後を絶たないのが韓国であるように思われる。

 

そして、あの忌まわしい、慰安婦問題である。韓国民はどうやら不幸せらしい。そしてその憤懣やるかたない思いを手近な隣国にぶつけることによって欲求不満を解消しようとしている気がする。そして、権力者たちは、この国民をまともに指導できないので、荒々しい感情を一緒に焚き付けて国民の怒りが自分たち指導層に向かないように手練手管を駆使する。パンギムン氏は、事務総長時代に慰安婦問題について国民の気に入らないことを言った付けが来たようである。

 

かくて、権力をせしめる前に親族のドロドロが発覚して、一時、本命と思われたのに、支持者を失ったようである。

 

 

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将棋の勝負中、頻々と席を離れソフト不正使用疑惑騒動の顛末:お粗末な幕引き

将棋連盟会長が辞職

 

対局中にしばしば席を離れた三浦九段を出場停止処分にした日本将棋連盟は、結局、不正をした証拠が見つからず、谷川会長の辞任というお粗末な幕引きを発表した。

 

事件が起こったのは昨年秋、その時の三浦九段の行動の説明や、申し開きが・・・・テレビ会見では今ひとつ明快ではなかったような気がしている。

 

電子頭脳は、まず、西欧のチェスには勝っていたし、碁も人が負けるようになっていた。そして、将棋も上位の人々が負け始めていたのである。そういう時代であるから、電子機器は対局前にロッカーに預け、対局中の使用は禁止されていた。それなのに対局中に人に注目されるほど座を離れたということは、疑念を持たれても仕方がない。

 

しかも、納得のいく説明がなかったための処分を連盟が下したのだろうと思っていた。

 

この件を書いたときに上げたことわざをもう一度以下にコピーする。

「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」という麗しいことわざがある。ちなみにこれは「かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず」と読み、瓜の畑で膝を屈めて靴を履き直すと、瓜を盗むのではないかと疑われる。また李(すもも)の木の下で冠を被り直すと、すももを盗むのではないかと疑われる。だから、疑われるような行動をするなという戒めである。

 

不正を働いた証拠など見つかるはずはない。

お粗末な顛末となった。谷川会長の記者会見は、まことに歯切れの悪い発言であったし、顔を上げないで語っていたのは、「本当は・・・」という思いがあったのか、なかったのか? あるいはいつも顔をちゃんと上げない人なのか? 昔、羽生善治がすべてのタイトルを獲得して七冠王になったときに、「来年もこのままでは、我々がだらしがなさ過ぎる」みたいな発言をしたが、谷川氏は前を向いていたような記憶があるが・・・・

 

 

 

 

 

 

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いのちのビザ・6千人の命を救ったリレー(1)・・・杉本千畝、樋口季一郎、根井三郎、小辻節三等

ユダヤ人に渡航ビザを発給し続けたリトアニア領事代理・杉原千畝

 
ナチ・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人に、日本への渡航ビザを時間ぎりぎりまで書き続けた杉原千畝(写真 Wikipedia) について、今は日本人にも広く知られるようになったが、それはそんなに昔のことではない。本省の訓令に逆らって、人道的な視点から、領事館に押し寄せるユダヤ難民にビザを発給し続けた「英雄」であるにもかかわらず、政府は彼の振る舞いを認めず、国の命令に逆らったということで事実上の免職にした。

 

1939年1月:リトアニアの在カウナス領事館・領事代理に任命される。8月28日にカウナスに着任。9月1日、ナチス・ドイツがポーランド西部に侵攻し、第二次世界大戦が始まる。独ソ不可侵条約付属秘密議定書に基づき、9月17日にソ連がポーランド東部への侵攻を開始する。(地図、Wikipediaより:赤く塗りつぶしてあるのが杉原が勤務したリトアニア。隣国ポーランドからリトアニアに大勢のユダヤ人がナチス・ドイツの迫害を逃れて来た。)

1940年6月:ソ連軍がリトアニアに進駐する。

この頃、本国政府からは、以下のような通達が届いていた。

陸海軍及び内務各省と協議の結果、「ドイツ及びイタリアにおいて排斥を受け,外国に避難する者を我が国に受け入れることは、大局上よろしくないのみならず、現在事変(日中戦争)下にある我が国では、これらの避難民を収容する余地は無いのが実情なので,今後はこの種の避難民(外部に対しては単に『避難民』の名義とすること。実際はユダヤ人避難民を意味する)のわが国内地(本土)ならびに各植民地への入国は好ましくない。(但し、通過はこの限りでない。)」とすることで意見が一致した。

 

ドイツ占領下のポーランドから逃げてきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館からビザを取得しようとした。リトアニアを占領したソ連は、各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に通過ビザを求めて殺到した。

 

杉原千畝の回想

「忘れもしない1940年7月18日の早朝のことであった。6時少し前、表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外を窺うと、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った。」

 

7月:こういうヨーロッパ情勢下に,杉原千畝のいのちのビザの発給が行われたのである。まさに命がけの行動であり,このために杉原は日本の権力から様々な迫害を受けた。実は戦後も彼らは執拗に杉原の行動を非難し続けたことが記録に残っており、記憶されている。杉原がいのちを賭してユダヤ人6000人に書き続けた通過ビザ(TRANSIT VISA、Wikipedia)は、写真に見るとおり手書きである。

領事館に救いを求めてやってきたユダヤ避難民に同情し、本省の命令に反して通過ビザを発給。

 

外務省より領事館退去命令。

8月29日領事館閉鎖。

9月5日、カウナス駅より国際列車で退去。ベルリン経由でチェコスロバキアの在プラハ総領事館に着任。

 

彼と妻との信仰に基づく勇気ある愛の行動の詳細に関しては,別に稿を起こして書く予定である。

 

日本国政府による公式の名誉回復:2000年10月10日

 

イスラエルはもとよりのこと、諸外国で勇気ある行動が高く評価され、1985年、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で、日本人では初めての「諸国民の中の正義の人」として認定された。彼の名前が世に知られるにつれて、賞賛と共に、政府の訓令に違反したことに関して「国賊だ、赦せない」など中傷の手紙も送られるようになった。これが、戦争が終わって40年も経っていることを考えると、信じられない日本人の反応である。どれ位の人々が杉原千畝の行動に対してこのような思いを抱いたかは分からないが、日本は軍部によってかき乱され、一般国民は多少とも軍の犠牲になった歴史を知っているなら、このような反応は出てこないはずである。

 

外国も含め、各方面の様々な活動、働きかけがあり、日本国政府として公式に杉原千畝の名誉回復を行ったのは、実に、2000年10月になってから、ついこの間のことであるとは、何という恥ずかしいことだろう。杉原の生誕100周年に当たり、杉原の業績を称える顕彰プレートが外務省外交史料館に設置される。顕彰プレートには「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」などの文言が記載されている。除幕式に於いて、外務大臣河野洋平が、以下のように述べて、政府として正式に詫びを入れ、杉原千畝の行為を高く評価した旨を演説した。

 

「これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。

20001010日の顕彰プレート除幕式での外務大臣河野洋平の演説」(Wikipediaより転載)

 

 

 

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ユダヤ人を救った音楽家近衛秀麿と、A級戦犯となり服毒自殺した異母兄、近衛文麿

生まれながらに栄誉と権力に包まれていた近衛家

 

戦争責任を問われて巣鴨拘置所に呼び出され、裁かれる前に自分で裁いて、服毒自殺してしまった元首相、近衛文麿(写真、Wikipedia)のことを覚えているのは、筆者の世代が最後だろうか? 今の若い人々は歴史で教えられても、戦争責任を問われて絞首刑にされてしまった東条英機の名前は覚えていても、自殺して逃げてしまった当時の近衛家の当主、近衛文麿の名前は忘れられているかも知れない。そして、若しかしたら異母弟の近衛秀麿の方が知られているのかも知れない。

 

近衛文麿の肩書きを書き連ねると、「輝くばかり」の「栄誉」に包まれ、今の人々には何のことやらと思われるような、仰々しい肩書きである。生まれは、五摂家(公家の家格の頂点に立った五家・・・近衛家・九条家・二条家・一条家・高司家・・・)の近衛家の第30代目当主で、生まれながらに栄達を約束された家系に生を受けた、後陽成天皇の12世孫にあたる。

 

勲一等旭日大綬章、公爵、貴族院議員、貴族院副議長・議長、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、農林大臣、司法大臣、国務大臣、大政翼賛会総裁等を歴任した。第一次近衛内閣では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争が発生し、戦時体制に向けた国家総動員法の施行などを行った。国内の全体主義化と独裁政党の確立を目指して、大政翼賛会を設立し総裁となった。

もっとも、表向きにはこのように栄誉を得ていても、彼の人生をサラッと見てみると、仰々しい家柄に生まれてからの子ども時代から、どうやら幸せではなかったようであるが、それはこの小文とは関係が無いので省略する。 

 

外交政策では、八紘一宇と大東亜共栄圏建設を掲げて、日独伊三国軍事同盟や、日ソ中立条約を締結した。言うならありとあらゆる栄誉と権力を手中に収めたのである。                                                注:八紘一宇とは「天地四方八方の果てに至るまで、この地上に生存する全ての民族が、まるで一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である。

 

A級戦犯となり、青酸カリ自殺した近衛文麿

 

敗色が濃くなると、昭和天皇に「近衛上奏文」などを出して、戦争早期終結を唱えたりした。戦争責任から逃げだそうとしたのであろうか?

 

戦争終結後、東久邇宮内閣で国務大臣として入閣し、大日本帝国憲法改正に参画しようと意欲を燃やしたのは、よもや戦争責任を問われるとは予想していなかったのであろうか? 開戦前の日米交渉に自身が果たした役割が書かれた手記が朝日新聞に掲載されたが、これを読んだ昭和天皇は「近衛は自分にだけ都合の良いことを言っている」と呆れ気味に語った。

 

近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判された。

近衞は『世界文化』に「手記〜平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張した。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。

 

福田和也(評論家、学者)は、伊藤博文(1885.12~)から小泉純一郎(~2006.9)までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、近衛(1937.6.4~1939.1.5 & 1940.7.22~1941.10.18, 在任期間、合計2年10ヶ月)のあまりの無責任さの故に、最低の評価点を与えている。

筆者は近衛文麿よりむしろ、もっと無責任で非常に短命であった総理大臣を上げたい気がするが、最低だと評価する対象は故人から選ぶ方が差し障りが無いということだったのであろうか?


ともあれ、巣鴨拘置所に出頭を命じられた日の未明に、近衛文麿は青酸カリを服毒して自殺した。

 

異母弟の近衛秀麿(写真、1939年、Wikipedia)

 

音楽家の秀麿は兄と違って気の強い人物であった。秀麿は1936年以降、終戦まで政府音楽大使としてヨーロッパで指揮者として活動した。当時ナチスが政権を握っていたが、秀麿はナチスを嫌っており、たびたび彼らの意向を無視したことで嫌がらせを受けながら公演を続けていた。日本のオーケストラにとってパイオニア的存在であったが、様々なことが相俟って音楽家としての評価は必ずしも良くない。・・・がそのことは、本稿の主題ではないので触れない。

ある日、総理となった文麿から国際電話があり「ドイツ大使館からお前のことで文句を言われている。総理の面子を保つため、ナチスの言うことを聞いてくれないか」と言ってきた。秀麿は兄の弱気ぶりに憤慨して「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返した。

以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通になってしまった。

戦後、兄弟が再会を果たしたときに、文麿は「お前は自分の気持ちを貫いて立派だったよ。お前に比べたら自分は何も残せなかった」と、かつてのことを繰り返し詫びたという。また、「お前は音楽家になって良かったなぁ」というようなことも言ったようである。

文麿の悟りきったような態度に、秀麿は兄の死を予感して、毒薬を隠し持っているのではと探し回ったそうであるが、文麿は入浴の際にも肌身離さず持っていたので家族にも見つけることが出来なかったという。

 

ユダヤ人音楽家との交流・逃亡を援助

 

日本のオーケストラの礎を築いた後、再びドイツへ渡り、ベルリン・フィルをはじめ、数多くの交響楽団の指揮をした。ところが、ヒトラーの率いるナチス・ドイツによる動乱の時代に突入したが、近衛文麿の弟として日独親善の先頭に立っていた秀麿は、身に危険が及ぶことも顧みずユダヤ人音楽家の国外亡命を援助した。秀麿はユダヤ人音楽家たちの希望の光となった。

第二次世界大戦が勃発した後も、秀麿はドイツに留まって、戦乱に傷つく欧州各地で指揮棒を振り続け、窮地に陥ったユダヤ人音楽家の逃亡を陰で手助けした。

 

ユダヤ人を助けたことでは、「6000人のビザ」で杉原千畝が最も有名であるが、それ以外にも様々な民間人がこのように、大小様々な援助の手を差し伸べている。人の歴史には語られなくても、神様の記録にはしっかり留められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「野心と医学の進歩」のため「心臓移植実験」をして二人の青年を殺した「優秀な?」外科医ー2

日本初の心臓移植・・・序文

 

先に、日本初の心臓移植について少し紹介した

1968年、今から48年昔のことであるが、明らかに人体実験以上の悪意が感じられる事件であったが、医療関係の事件は罰せられることが非常に少ない。専門知識が必要であり、しかも隠蔽体質の濃厚な医者仲間であり、互いに護り合うので、外の人間が入り込めない体質である。かくて、あの事件も不起訴になった。

 

筆者は、臓器移植に関してかなり関心を持っていたので、何冊か本を読んで多少はこの事件のことを知っていたが、こうして特別スクープとして取り上げられたのは、半世紀という時間が経ったからだろうか? 関係者は殆ど故人になってしまっているのだろう。

今回、幸いにしてこの番組を録画しておいたので、番組の内容を詳細にここで紹介したいと思う。

 

筆者は、「医療・医学」は「科学」ではなく、「医者は科学者ではない、あるいは科学者であってはならない」としばしば言及する。このように言うと、殆どの医師は嫌な顔をする。人の命を預かる医者が、何故科学者でありたがるのであろうか? 筆者には到底理解しがたい感情である。医者は人の命、一つしかないかけがえのない命を預かっているのであり、本来は失敗は絶対赦されない職業である。人の命は、何にも替え難い尊いものである。科学とは異なり、試行錯誤をしてはならないのである! 実験材料にするなど言語道断である。

 

医者と科学者は、似て非なる別の職種である。

 

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組・・・日本初の心臓移植

 

番組は、移植を受けた患者と、生きていると思われた間に心臓を奪われた青年二人は仮名で、又一人の医師も仮名であったが、それ以外の登場人物は全て実名であった。そして、証言したかつての関係者である医師は、顔を出して自分の言葉でメディアの前で語った。この部分は  で囲んで示し、その人々の語るのを聞いて、その通りをここに書き写した。

 

今回の番組を、出来るだけ番組に添って、放送された順番に、放送された通りにここに再現することにする。もとより画像はない。ネット上に写真や、画像が公開されているものがあり、ここに示した方が状況をよく説明できると思われるものが見つかったら、それはネットから拝借することにする。

 

総括天才外科医「奇跡の手術」の光と影

 

誰も触れようとしなかったタブーがある。それは48年前の心臓移植手術だった。

1968年、札幌医科大学付属病院。46歳の和田壽郎 天才胸部外科医

 

和田の発言「家族の一人が心臓を提供したと、ここに私は喜んで嬉しくて皆様にこのことを、真面目に心からご報告申し上げます。」

 

心臓を取り替えて生きている。その姿に日本中が熱狂し、新たな医療の期待を抱き、未来を見た。

 

ところが、患者が死亡すると、・・・・新聞の論調は手のひらを返したように変った。

新聞の大見出し 

 和田心臓移植の疑問点

 脳死の証明、記録無し

 生きた人間から心臓を取り出したのではないか

 心臓提供者の死亡時刻に疑問視

そして

 殺人容疑で刑事告発される・結果は嫌疑不十分で不起訴

 

心臓提供者を診た医師

  「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった。」

 記者の質問: (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

 「かなりの確率で、社会復帰できたのではないかと思う。」

 

奇跡の手術と言われた和田心臓移植、封印されてきた・・・今光が当たる

 

和田医師の受けた教育と才能

 

和田は28歳で渡米し、4年間心臓外科の技術を学ぶ

最先端の心臓外科医療を学び、帰国後まもなく35歳で札幌医大・胸部外科の教授に就任。驚異的な若さだ。

 

和田医師の部下だった小松作蔵さん(85)

「非常に優秀な人で、アイデアマンで、思いついたことをすぐ実行に移すというところが、我々とは違うなと感じてました。」

 

*実際、医療史にに残る数々の発明を残している。

  一人用高気圧酸素タンク、和田式人工肺、彼が開発した心臓の人工弁

  ワダ・カッター弁(心臓の人工弁)は、世界初の人工心臓に使われた、臨床に応用された完全埋め込み式

 

*毎日二つの手術を行う集中力、10年間の手術数は約7000件に及ぶ

 

小松作蔵さん(85)「手術の腕は最高でしたね。カリスマ的というか・・・」

 

移植手術の1ヶ月前

 

そのようなカリスマのもとに、ある患者が入院してくる。心臓の弁に障害を持つ市川さん(仮名)、当時18歳

後に、日本初の心臓移植の手術を受け、83日間生きた人物だ。

当初は、障害のある弁を、人工弁に換える手術を受ける予定だった。

 

・・・・が、あるとき、和田(当時46)がそそのかしに行く

市川(仮名)「心臓移植・・・ですか?」

 

筆者の見解・感想・・・当時、心臓移植などということは日本人だけではなく、人間の概念の中にはなかっただろうから、そのようなことを聞いても、何のことだかよく分からなかったことだろう。

 

 和田がアメリカで共に勉強した人が 世界で初めて心臓移植

 

僅か7ヶ月前に、世界で初めて、南アフリカで心臓移植手術に成功している。

世界の最先端医療である

 

執刀医:クリスチャン・バーナード、和田がアメリカ留学で、机を並べた仲だった

  1967年12月3日、交通事故により脳死状態になった24歳の女性から55歳の男性に移植

  術後18日目に肺炎で死亡

  1968年に二回目、術後19ヶ月間生存

  1983年に医師を引退するまでに、49例の心臓移植

そのニュースを知った和田は、すぐさま南アフリカまで執刀医を訪ね、心臓移植手術について議論した。

 

小松作蔵:「あいつもとうとうやったか。我々もやらなければ、という気に(和田は)なったと思う。」

 

自伝「神から与えられたメス」に、和田は次のように綴った

「世界の心臓胸部外科から取り残されまいと努力を続けてきた。」

 

心臓提供者現れる・・・救急車内で息を吹き返す

 

そんな中で出会ったのが市川さん(仮名)だった。こうして、日本初の心臓移植へと準備は整っていった。

そんなある日、8月7日(手術前日)札幌から約50km離れている小樽市・蘭島海岸で海水浴客が溺れる事故

夏休みで帰省中だった大学生吉村さん(仮名、21歳)、後に心臓を提供することになる人物である

 

駆けつけた日赤奉仕団員が救護所にいた・・・当時医大生(22歳)だった林 雄三さん(70歳)である

彼の記憶は生々しい。

「呼吸はしてない、意識もない、脈は触れない。放置すれば(死亡してしまう)という状況」

 

救助された吉村さん(仮名、当時21歳)は、生死の境をさまよっていた。

その時、救急車が揺れた、その直後、脈を回復・・・

「頸動脈の脈拍が、先に触れました」と林 雄三さん 

「状態が完全な心停止ではなく、心室細動という状態だったのが、呼吸路が出来たために、改善してきたのだと思う。」

 

吉村さんは息を吹き返したのか?

 

搬送先の病院で

搬送先の病院で治療した医師、上野冬生さん(80)(当時32歳)は、その決定的な場面に立ち会った。

 

「自発呼吸がありましたしね。血圧なんか計っても、130くらいあったし、だから(容体が)悪くなるということはあまり考えていなかった。」

 

治療開始4時間後には、瞳孔の対光反射があり、容体は安定

「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった」

 

筆者見解・感想・・・関係者であり、又、半世紀も経過しているということがあり、表現は柔らかくなっているが、彼らが診察した結果は、まさしく生きていることの証拠である。医者が脈を取るのは、心臓が動いているかどうかを診るのであり、心臓が動いているのは生きているということである。さらに、自発呼吸があった、すなわち自分で呼吸していたのである。

 

上野医師は治療を院長に引き継ぎ帰宅

 

当時の新聞記事は大きく取り上げた

「懸命の人工呼吸40分、心臓が動き出した 一度は死んだ水難大学生」

 

人の死の定義・脳死定義

 

ここで、人の死の定義と、現在の日本における脳死の判定基準を示す。

*人の死の判定基準:「死の三兆候」

  呼吸停止

  心拍停止

  瞳孔散大・対光反射消失

これが、人が死んだと医者が「臨終」を宣告する時の絶対的な基準であったし、今も基本的にはこれである。すなわち、呼吸している人、心臓が動いている人、対光反射を示す人を死んだとは言わないのである。

 

現在、臓器移植を進めるために「脳死」の定義は以下のように定められている。

「脳死」の定義:脳が永久に機能を失った状態

脳死判定基準

〇彪磴紡个垢詭吉娠性

呼吸停止

H深佑両端

で焦箸諒臣害

 

和田医師の所へ転送された密室ミステリー

 

上野冬生さん

「次の日の朝(病院へ)行きましたね

昨日の方はどうなりましたかと聞いたら、(和田医師がいる)札幌医大に送られたと」

 

二人の医師が「息を吹き返した」と証言した患者を、である。

「一度は息を吹き返した吉村さん」は、和田がいる札幌医大付属病院に送られていた。溺れたその日のうちに、午後8時5分、札幌医科大学付属病院へ搬送されていたのである。

 

札幌医大病院の闇のミステリー

 

札幌医大の治療室で待ち構えていたのは、和田を筆頭とした10人以上の胸部外科医たちだった。

ところが、わずか10分ほどで手術室へ

 

その状況を聞いた麻酔科の医師たちは・・・蘇生が必要な患者が運ばれれば、必ず呼ばれるはずだった麻酔科医の内藤裕史さん(当時、36歳)は、呼ばれなかったのである。

内藤さん(84)

「溺れた患者さんが入ったら、まず麻酔科の医者に話が来るはずで、私たちに何の連絡もなくて、手術室に溺れた患者さんが入っているのは、異常な状況だから、どうしたんだろうと思って(手術室へ)行ったんです。」

 

溺れた患者の蘇生措置は、最初に麻酔科医の気道の確保から始まる。

 

・・・筆者注:気道を確保するのは一つの技術で麻酔医が行うので、溺れた患者の蘇生措置は、当然最初に気道を確保することであるから、麻酔医が呼ばれなければならない。なのに、この時には、気道確保の措置をしなかった、つまり、助ける意志がなかったと理解されても仕方がない。大体転送する必要のない患者を札幌医大に転送したさこと自体が変であり、悪意さえ感じられる。

 

ところが、そこで麻酔科医の内藤さんが見たものは、手術の準備が進められていたことである。蘇生には本来使わないはずの免疫抑制剤などの大量の薬だった。

 

内藤「溺れた患者さんの蘇生をするときには、海水で溺れたか、真水で溺れたかで治療が変わるわけですよ。

(それを)知らなくて溺れた患者さんの蘇生が出来るのか」

 

患者である吉村さん(仮名)の胸に聴診器を当てた

「普通、溺れた患者さんだと プズプズ プズプズという音がするんだけれども 肺の音はきれいだった。

Q 心臓の音は?

「心臓はもう聞く必要なかった。

肌はピンク色で 意識が無いというだけで・・」

Q (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

「かなりの確率で社会復帰できたのではないかと思う。」

 

筆者見解:肺の音がきれいで、すでに溺れた患者の肺の状態ではなかったのである。そして、心音を聴く必要がないと医者が判断する状態で、肌がピンク色だった。これは、やがて意識を回復するだろうと予測できる状態だったのではないか? 少なくとも、「死」とはほど遠い状態だったことは議論の余地はないだろう。

 

功名心にはやる和田の人体実験か?

 

何が始まろうとしているのか理解できないままに手術室を出ると、和田から告げられたのは

「実は心臓移植をやろうと思う」午後、8時半頃

 

和田医師の主張

吉村さんの蘇生をしたが、その後容体が悪化し、午後10時10分に死亡判定したと答えている。

脳波平坦 心拍停止などを確認したことから死亡と判定した

 

そして遂に、深夜、午前2時5分 心臓移植手術を開始

 

術後順調に回復していく市川さんの姿に、メディアは殺到

和田は一躍、時の人となった。

 

偽りの光の世界から闇へ転落

 

しかし、その後容体は急変 83日目に市川さんは亡くなった。

 

すると一転

新聞記事 「和田心臓移植の疑問点」「脳死の証明、記録無し」「死亡時刻に疑惑」

和田医師は殺人容疑で刑事告発される

 

一番の争点は「正しい死亡判定は行われたか」

和田医師の主張

「瞳孔に対光反射なし 自発呼吸無し 心拍停止 脳波平坦などを確認して死亡と判定した」

死亡判定に一人の医師が大きく関わっていた

その人物は部下の胸部外科の高橋医師(仮名)

高橋医師が蘇生中に、吉村さんの容体は悪化、心電図で心停止したことを確認

脳波が平坦になったことも調べた。

それらの報告を聞き、和田は死亡判定した、と言う。

 

筆者見解:他の医師の証言とは、正反対の食い違う証言である。

 

警察は高橋医師に話を聞こうとしたが、捜査が始まる4ヶ月前にガンで亡くなっていた。

 

心臓移植は必要だったのか?

 

和田の主張

市川さんの心臓は、複数の弁が悪化していたため、一度に人工弁に換えるのは危険性が高いと判断、移植手術を勧めた。

 

筆者見解:仮に弁が悪くても、一つずつ対応する方法はあっただろう。市川さんの命を救うことを考えるなら、初めての心臓移植の危険を冒す必要はなかった。実際、オーストラリアの移植は18日で死んでおり、失敗であったと言わざるを得ないのに。

 

そこで検察は、市川さんから摘出された心臓で、どれほど弁が悪かったか確かめようとした。

すると弁は全て切り離されてしまっており、病状を詳しく調べられない状態になっていた。

これについて和田は、こう説明している。亡くなった高橋医師らが、研究のために弁をくり抜いたと証言。・・・筆者感想:「死者に口なし」である。

 

捜査はおよそ1年7ヶ月にも及んだが、捜査項目全てについて、殺人と認める十分な証拠がないとして、嫌疑不十分で、不起訴処分となった

 

和田の記者会見

「私は非常に良いことをした。出来るだけした。

人間でこれ以上のことが出来るか。これからこの手術をもっともっと

これだけプレスの人が集まらなくても 皆 拍手するように我々は努力をしていこうというふうに、何度も自分に言い聞かせております。それが その後考えていることであります。これはずっと変わっておりません」

 

その後和田が心臓移植手術をすることはなかったが、長年に亘る胸部外科医療への貢献は高く評価された。

名誉会長:日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会

名誉会員:日本呼吸器外科学会・日本人工臓器学会など

 

日本初の心臓移植

あの時和田は何を思っていたのか?

内藤裕史さん「野心と、もう一つは医学の進歩のため」

「若しかしたら助かったのかも知れないけれど、一人が犠牲になっても心臓移植の第一歩を踏み出して、その後に心臓移植がたくさんあれば、医学の進歩になるだろうと(和田は考えたと思う)」

 

その後、1997年、日本で臓器移植法が施行 

1999年 国内二例目の心臓移植手術 31年が経っていた。

 

筆者追記: 世間では、「助かる方法は臓器移植しかない、心臓移植しかない」と、まるで臓器移植をすれば助かるかの如き宣伝がされており、人々の同情により1億円以上の募金を募り、海外に出かけて移植を受けている。手術後の生存期間が、例え1年であっても、助かったと意気揚々と帰国した姿だけがマスコミに流れるので、多くの人々はだまされている。しかし、組織適合をしっかり行って、万全の準備をして移植を受けても、助かるとは限らない。もちろん、48年前の殺人のような無謀な手術とは異なり、術後の生存率は上がってはいるが、それでも、「それしか助かる方法はない」というような状況ではない。

 

筆者心臓移植適応患者の生存率について、以下の論文のデーターをご紹介する。

以下のデータをどのように考えるかは個人差があるだろう。手術しなければ、10人中3人が助からないが、他の人の心臓をもらって手術を受けても、10人中2人は助からない。

 

国際心臓・肺移植学会統計(1997年4月〜2008年10月)

    40,755人の心臓移植者 未移植患者293人

1年生存:78〜79%      70%

5年生存:64%         32%

10年生存:45%        20%

 

http://plaza.umin.ac.jp/~hearttp/PDF/2008yogo.pdf

 

http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph108.html

 

心臓を上げるドナーについては、「人にあげるために役に立つかどうか」という視点でしか論じられないことが多いが、実は、和田氏のようなひどいことをしなくても、臓器を取り出しても良いという「脳死判定」には大きな問題がある。

単純には、脳死判定が正しく行われても、’昌猗縦蠅亮蟒腓ら考えて、判定のためにこの患者を死の淵にたたせることになる。臓器を取り出されているドナーは、どうやら断末魔の苦しみを味わわされるらしい。

詳細は以下の書籍を読んでください。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
日本敗戦の混乱に便乗し四島を略奪したロシアが返還を拒否し、米国はなぜ沖縄・小笠原を返還したのか?

遅刻常習犯のプーチン

 

首脳会談に二時間四〇分も遅刻されても、日本の首相はにこやかに出迎えるしかなかった!いい面の顔である。相手を大切に思うなら、決して遅刻などしないものである。安倍首相を、それはとりもなおさず日本を、軽く見て自分が優位に立とうとする悪意は見え見えである。

 

「遅いぞ! 武蔵!」と怒って刀のさやを捨てて武蔵に侮られ、負けた佐々木小次郎・・・。多分、作り話だろうが、人間心理をついている。相手を大切に思い、友好的な心を持っている場合は遅刻などしない。プーチンそしてロシアは、日本を大切になど思っていないし、四島を返還する気など毛頭無いのは、この71年間、彼らがしでかしてきた行動を見れば明らかである。順次、自国の領土であると主張するための事実を積み上げるための様々な策を練って実行してきた。71年間である!

 

中曽根元首相が、レーガン元米国大統領と「ロン・ヤス」とファーストネームでおつきあいする関係だと、「愚かな」ことを言い始め、華々しく宣伝した。彼らがその任務から離れた後も、「ロン・ヤス」の個人的な付き合いが続いたのだろうか? が、とにかくも、それ以降、「ファーストネームのつきあい」という形だけの宣伝をしたがるバカな首相たちが後を絶たない。元々、子どもは別として家族・親戚以外の人々とファーストネームで呼び合う文化を日本人は持っていない。ファーストネームで呼んだり、べたべたと体を触ったり、挙げ句の果てには抱き合ったり、自分の身についていない欧米の習慣をむやみやたらに「猿まね」をしている日本人の振る舞いをあざ笑われているのが分からないのだろうか? 安倍首相も、プーチンとファーストネームで呼び合う仲だとバカなことを言っているらしいが、プーチンは知らん顔をして「アベ」と呼んでいるらしく、「アベ」は愚かな独り相撲・道化師を演じているに過ぎない。

 

そして、今回の会談は、安倍さんや政府がどのように取り繕おうとしても、もはやそれは不可能であり、残念ながらどんな実も結ばなかった! 外国での評価もそのようであり、安倍は敗北したと報じられている。

 

旧ソ連の参戦は、そもそも国際法違反

 

そもそも、当時日ソ不可侵条約を結んでいたのであり、しかも、日本はすでにポツダム宣言受諾を決定していた。その時になって、戦場のドサクサに紛れて宣戦布告をして参戦し、すでに戦いが終わった後で、戦場泥棒を働いたソ連である。そして、北方四島を無理矢理に占領してしまった。そして、ロシア(旧ソ連)とは地続きであるので絶対返さない、自分のものだと既成事実を造ろうとしている。現在、中国がしている陣取り合戦と同じ振る舞いである。

 

なぜ、アメリカは沖縄および小笠原諸島を返還したのか?

 

沖縄の基地は治外法権地域であり、米兵は沖縄で無法な振る舞いのし放題である。そして、折しもオスプレイの事件。事故後のアメリカの対応は、日本をやはり植民地まがいの何かだと思っているとしか受け取れない。これだけ様々なことをされても日本は、喜んでしっぽを振っているのか?沖縄の住民が怒るのは当然であるのに、沖縄の問題・怒りを本土の人間は理解せず、まして政府はどこ吹く風である。沖縄がアメリカのものか、日本国であるのかが曖昧である間は、日本は真の独立国とは言えない。

 

なぜ、ロシアは北方四島を占領し続け、なぜアメリカは日本に返還したのか? アメリカが日本に友好的であるからではない。ロシアにとって四島は極めて重要であり、一方、アメリカにとって、沖縄は日本に形だけの主権を与えておいて、基地として使う方が有益であるからである。ロシアは地続きである北方四島を、日本には返還したくない。北方四島にアメリカが基地など設けたら大変なことになる。一方、アメリカは沖縄も小笠原諸島も、アメリカ本土と遠く離れているので、管理するのは大変である。そういう大変なことは日本にさせた方が便利である。そして、沖縄の最良の場所を基地として占領し続けて、日本に守らせ、ロシアや中国など仮想敵国に対応できるようにした方が自国にとって有効だからである。アメリカが日本に友好的であるなどと錯覚しているから、いつまで経っても米兵の無法な振る舞い一つ制することが出来す、沖縄県民が痛めつけられているのである。そのような状況下に今回のオスプレイの事故が起こり、それに対するアメリカの対応は、まさしく彼らの本音をもろにさらけ出したものであり、許容範囲を逸脱している。

 

世界の三大勢力が、様々な形で小国を利用し、思い通りに蹂躙している。そして、日本は好都合な、利用価値の高い小国なのである。世界情勢が険しくなってきた昨今、日本はロシア、中国、そしてアメリカから目をつけられて、三すくみになっている事実が一挙に明らかになった感じである。

 

日本人は、敗戦により背骨まで抜かれてふぬけになってしまったのであろうか? 戦後、71年、そろそろ日本人としての自覚・誇りを取り戻すべき時期が来ているのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

21:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
「野心と医学の進歩」のため二人の青年を心臓移植の「実験」材料にして殺した「優秀な?」外科医

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組


毎年、年末になると一年を総括する様々な出来事が放映される。その一つかと思ったら、実は、世紀の大事件という特別スクープ番組の一つで、第4弾だったようであり、録画しておいた。羽田沖のJALの墜落事件、ニューヨークの9.11事件、信楽高原鉄道の満員電車の正面衝突事故等々、多くの人々が覚えている驚くほどに悲惨な大事件が次々と起こっている。その中には筆者が多少の「体験?」をした東大安田講堂事件も記録されていた。筆者は当事者というほどではなかったけれども、当時大学は荒れに荒れており、研究には大幅に邪魔が入り、そしてよもやと思った暴力事件の果てに大学は機動隊を大学に招き入れるという愚かな決断をしてしまったのであった。機動隊導入の当日、大学関係者は入れてもらえず、喫茶店で友人たちと共に安田講堂でのおぞましい「戦争」をテレビでを眺めるという情けない無力さであった。

 

日本初の心臓移植事件

 

その中に日本初の心臓移植という大事件が取り上げられていた。臓器移植に大きな関心を持っている筆者は、書物を読み、また学生たちに講義の課題の一端として臓器移植に関する人々の意識調査をさせたりして臓器移植の実態や、生と死の問題として何度も講演をしている。

 

「脳死は人の死か?」 臓器移植:医学・生物学及び聖書的問題

 

「臓器移植」講演のレジュメに、今回報道されている日本初の心臓移植について簡単に紹介しているものを下に紹介する。

 

序:日本最初の心臓移植 札幌医大の和田の心臓移植

1968年

8月7日 12:45 大学生溺れ病院へ搬送 自発呼吸あり、心拍もしっかりしていた。

     16:10 対光反射回復、顔色赤み、血圧130ー80、呼吸・心拍確実

     19:37 札幌医大へ。

8月8日 午前2:30 心臓摘出・移植

 

疑念:/澗‥出時、ドナーは生きていたのか?

   ▲疋福爾竜潴唇緡鼎賄切に行われたのか?

   レシピエントは心臓移植が本当に必要だったのか?

 

10月29日 レシピエント死去(移植後 83日) 殺人罪で刑事告訴

1972年8月14日 不起訴決定 当時脳死の概念はなかった。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」(PHP新書)

 

番組に紹介された事件の詳細は、次回紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新しい記事(公式サイト):地球を中枢に据えて創造された宇宙

新しい記事(公式サイト)をアップしました。

 

「地球を中枢に据えて創造された宇宙」(創造と福音シリーズ 第23回)

「ハーザー」に連載記事(2014年-)を公式サイトに公開しました。

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