いのちのビザ・6千人の命を救ったリレー(1)・・・杉本千畝、樋口季一郎、根井三郎、小辻節三等

ユダヤ人に渡航ビザを発給し続けたリトアニア領事代理・杉原千畝

 
ナチ・ドイツの迫害から逃れようとするユダヤ人に、日本への渡航ビザを時間ぎりぎりまで書き続けた杉原千畝(写真 Wikipedia) について、今は日本人にも広く知られるようになったが、それはそんなに昔のことではない。本省の訓令に逆らって、人道的な視点から、領事館に押し寄せるユダヤ難民にビザを発給し続けた「英雄」であるにもかかわらず、政府は彼の振る舞いを認めず、国の命令に逆らったということで事実上の免職にした。

 

1939年1月:リトアニアの在カウナス領事館・領事代理に任命される。8月28日にカウナスに着任。9月1日、ナチス・ドイツがポーランド西部に侵攻し、第二次世界大戦が始まる。独ソ不可侵条約付属秘密議定書に基づき、9月17日にソ連がポーランド東部への侵攻を開始する。(地図、Wikipediaより:赤く塗りつぶしてあるのが杉原が勤務したリトアニア。隣国ポーランドからリトアニアに大勢のユダヤ人がナチス・ドイツの迫害を逃れて来た。)

1940年6月:ソ連軍がリトアニアに進駐する。

この頃、本国政府からは、以下のような通達が届いていた。

陸海軍及び内務各省と協議の結果、「ドイツ及びイタリアにおいて排斥を受け,外国に避難する者を我が国に受け入れることは、大局上よろしくないのみならず、現在事変(日中戦争)下にある我が国では、これらの避難民を収容する余地は無いのが実情なので,今後はこの種の避難民(外部に対しては単に『避難民』の名義とすること。実際はユダヤ人避難民を意味する)のわが国内地(本土)ならびに各植民地への入国は好ましくない。(但し、通過はこの限りでない。)」とすることで意見が一致した。

 

ドイツ占領下のポーランドから逃げてきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館からビザを取得しようとした。リトアニアを占領したソ連は、各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に通過ビザを求めて殺到した。

 

杉原千畝の回想

「忘れもしない1940年7月18日の早朝のことであった。6時少し前、表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外を窺うと、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った。」

 

7月:こういうヨーロッパ情勢下に,杉原千畝のいのちのビザの発給が行われたのである。まさに命がけの行動であり,このために杉原は日本の権力から様々な迫害を受けた。実は戦後も彼らは執拗に杉原の行動を非難し続けたことが記録に残っており、記憶されている。杉原がいのちを賭してユダヤ人6000人に書き続けた通過ビザ(TRANSIT VISA、Wikipedia)は、写真に見るとおり手書きである。

領事館に救いを求めてやってきたユダヤ避難民に同情し、本省の命令に反して通過ビザを発給。

 

外務省より領事館退去命令。

8月29日領事館閉鎖。

9月5日、カウナス駅より国際列車で退去。ベルリン経由でチェコスロバキアの在プラハ総領事館に着任。

 

彼と妻との信仰に基づく勇気ある愛の行動の詳細に関しては,別に稿を起こして書く予定である。

 

日本国政府による公式の名誉回復:2000年10月10日

 

イスラエルはもとよりのこと、諸外国で勇気ある行動が高く評価され、1985年、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で、日本人では初めての「諸国民の中の正義の人」として認定された。彼の名前が世に知られるにつれて、賞賛と共に、政府の訓令に違反したことに関して「国賊だ、赦せない」など中傷の手紙も送られるようになった。これが、戦争が終わって40年も経っていることを考えると、信じられない日本人の反応である。どれ位の人々が杉原千畝の行動に対してこのような思いを抱いたかは分からないが、日本は軍部によってかき乱され、一般国民は多少とも軍の犠牲になった歴史を知っているなら、このような反応は出てこないはずである。

 

外国も含め、各方面の様々な活動、働きかけがあり、日本国政府として公式に杉原千畝の名誉回復を行ったのは、実に、2000年10月になってから、ついこの間のことであるとは、何という恥ずかしいことだろう。杉原の生誕100周年に当たり、杉原の業績を称える顕彰プレートが外務省外交史料館に設置される。顕彰プレートには「勇気ある人道的行為を行った外交官杉原千畝氏を讃えて」などの文言が記載されている。除幕式に於いて、外務大臣河野洋平が、以下のように述べて、政府として正式に詫びを入れ、杉原千畝の行為を高く評価した旨を演説した。

 

「これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心からお詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、また最も重要なことであると常々私は感じております。故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、人道的考慮の大切さを示されました。私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。

20001010日の顕彰プレート除幕式での外務大臣河野洋平の演説」(Wikipediaより転載)

 

 

 

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ユダヤ人を救った音楽家近衛秀麿と、A級戦犯となり服毒自殺した異母兄、近衛文麿

生まれながらに栄誉と権力に包まれていた近衛家

 

戦争責任を問われて巣鴨拘置所に呼び出され、裁かれる前に自分で裁いて、服毒自殺してしまった元首相、近衛文麿(写真、Wikipedia)のことを覚えているのは、筆者の世代が最後だろうか? 今の若い人々は歴史で教えられても、戦争責任を問われて絞首刑にされてしまった東条英機の名前は覚えていても、自殺して逃げてしまった当時の近衛家の当主、近衛文麿の名前は忘れられているかも知れない。そして、若しかしたら異母弟の近衛秀麿の方が知られているのかも知れない。

 

近衛文麿の肩書きを書き連ねると、「輝くばかり」の「栄誉」に包まれ、今の人々には何のことやらと思われるような、仰々しい肩書きである。生まれは、五摂家(公家の家格の頂点に立った五家・・・近衛家・九条家・二条家・一条家・高司家・・・)の近衛家の第30代目当主で、生まれながらに栄達を約束された家系に生を受けた、後陽成天皇の12世孫にあたる。

 

勲一等旭日大綬章、公爵、貴族院議員、貴族院副議長・議長、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、農林大臣、司法大臣、国務大臣、大政翼賛会総裁等を歴任した。第一次近衛内閣では、盧溝橋事件に端を発した日中戦争が発生し、戦時体制に向けた国家総動員法の施行などを行った。国内の全体主義化と独裁政党の確立を目指して、大政翼賛会を設立し総裁となった。

もっとも、表向きにはこのように栄誉を得ていても、彼の人生をサラッと見てみると、仰々しい家柄に生まれてからの子ども時代から、どうやら幸せではなかったようであるが、それはこの小文とは関係が無いので省略する。 

 

外交政策では、八紘一宇と大東亜共栄圏建設を掲げて、日独伊三国軍事同盟や、日ソ中立条約を締結した。言うならありとあらゆる栄誉と権力を手中に収めたのである。                                                注:八紘一宇とは「天地四方八方の果てに至るまで、この地上に生存する全ての民族が、まるで一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である。

 

A級戦犯となり、青酸カリ自殺した近衛文麿

 

敗色が濃くなると、昭和天皇に「近衛上奏文」などを出して、戦争早期終結を唱えたりした。戦争責任から逃げだそうとしたのであろうか?

 

戦争終結後、東久邇宮内閣で国務大臣として入閣し、大日本帝国憲法改正に参画しようと意欲を燃やしたのは、よもや戦争責任を問われるとは予想していなかったのであろうか? 開戦前の日米交渉に自身が果たした役割が書かれた手記が朝日新聞に掲載されたが、これを読んだ昭和天皇は「近衛は自分にだけ都合の良いことを言っている」と呆れ気味に語った。

 

近衞の戦争責任に対する態度は、近衞自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであるとして当時から今日に至るまで、厳しく批判されている。親交のあった重光葵からも「戦争責任容疑者の態度はいずれも醜悪である。近衞公の如きは格別であるが…」と厳しく批判された。

近衞は『世界文化』に「手記〜平和への努力」を発表し、「支那事変の泥沼化と大東亜戦争の開戦の責任はいずれも軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかった」と主張した。あわせて自身が軍部の独走を阻止できなかったことは遺憾である、と釈明した。

 

福田和也(評論家、学者)は、伊藤博文(1885.12~)から小泉純一郎(~2006.9)までの明治・大正・昭和・平成の総理大臣を点数方式で論じた著書の中で、近衛(1937.6.4~1939.1.5 & 1940.7.22~1941.10.18, 在任期間、合計2年10ヶ月)のあまりの無責任さの故に、最低の評価点を与えている。

筆者は近衛文麿よりむしろ、もっと無責任で非常に短命であった総理大臣を上げたい気がするが、最低だと評価する対象は故人から選ぶ方が差し障りが無いということだったのであろうか?


ともあれ、巣鴨拘置所に出頭を命じられた日の未明に、近衛文麿は青酸カリを服毒して自殺した。

 

異母弟の近衛秀麿(写真、1939年、Wikipedia)

 

音楽家の秀麿は兄と違って気の強い人物であった。秀麿は1936年以降、終戦まで政府音楽大使としてヨーロッパで指揮者として活動した。当時ナチスが政権を握っていたが、秀麿はナチスを嫌っており、たびたび彼らの意向を無視したことで嫌がらせを受けながら公演を続けていた。日本のオーケストラにとってパイオニア的存在であったが、様々なことが相俟って音楽家としての評価は必ずしも良くない。・・・がそのことは、本稿の主題ではないので触れない。

ある日、総理となった文麿から国際電話があり「ドイツ大使館からお前のことで文句を言われている。総理の面子を保つため、ナチスの言うことを聞いてくれないか」と言ってきた。秀麿は兄の弱気ぶりに憤慨して「弟が自分の信念を貫くために苦しんでいるのに、そんな言い方はないだろう!」と言い返した。

以後、終戦になるまで文麿と秀麿は音信不通になってしまった。

戦後、兄弟が再会を果たしたときに、文麿は「お前は自分の気持ちを貫いて立派だったよ。お前に比べたら自分は何も残せなかった」と、かつてのことを繰り返し詫びたという。また、「お前は音楽家になって良かったなぁ」というようなことも言ったようである。

文麿の悟りきったような態度に、秀麿は兄の死を予感して、毒薬を隠し持っているのではと探し回ったそうであるが、文麿は入浴の際にも肌身離さず持っていたので家族にも見つけることが出来なかったという。

 

ユダヤ人音楽家との交流・逃亡を援助

 

日本のオーケストラの礎を築いた後、再びドイツへ渡り、ベルリン・フィルをはじめ、数多くの交響楽団の指揮をした。ところが、ヒトラーの率いるナチス・ドイツによる動乱の時代に突入したが、近衛文麿の弟として日独親善の先頭に立っていた秀麿は、身に危険が及ぶことも顧みずユダヤ人音楽家の国外亡命を援助した。秀麿はユダヤ人音楽家たちの希望の光となった。

第二次世界大戦が勃発した後も、秀麿はドイツに留まって、戦乱に傷つく欧州各地で指揮棒を振り続け、窮地に陥ったユダヤ人音楽家の逃亡を陰で手助けした。

 

ユダヤ人を助けたことでは、「6000人のビザ」で杉原千畝が最も有名であるが、それ以外にも様々な民間人がこのように、大小様々な援助の手を差し伸べている。人の歴史には語られなくても、神様の記録にはしっかり留められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「野心と医学の進歩」のため「心臓移植実験」をして二人の青年を殺した「優秀な?」外科医ー2

日本初の心臓移植・・・序文

 

先に、日本初の心臓移植について少し紹介した

1968年、今から48年昔のことであるが、明らかに人体実験以上の悪意が感じられる事件であったが、医療関係の事件は罰せられることが非常に少ない。専門知識が必要であり、しかも隠蔽体質の濃厚な医者仲間であり、互いに護り合うので、外の人間が入り込めない体質である。かくて、あの事件も不起訴になった。

 

筆者は、臓器移植に関してかなり関心を持っていたので、何冊か本を読んで多少はこの事件のことを知っていたが、こうして特別スクープとして取り上げられたのは、半世紀という時間が経ったからだろうか? 関係者は殆ど故人になってしまっているのだろう。

今回、幸いにしてこの番組を録画しておいたので、番組の内容を詳細にここで紹介したいと思う。

 

筆者は、「医療・医学」は「科学」ではなく、「医者は科学者ではない、あるいは科学者であってはならない」としばしば言及する。このように言うと、殆どの医師は嫌な顔をする。人の命を預かる医者が、何故科学者でありたがるのであろうか? 筆者には到底理解しがたい感情である。医者は人の命、一つしかないかけがえのない命を預かっているのであり、本来は失敗は絶対赦されない職業である。人の命は、何にも替え難い尊いものである。科学とは異なり、試行錯誤をしてはならないのである! 実験材料にするなど言語道断である。

 

医者と科学者は、似て非なる別の職種である。

 

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組・・・日本初の心臓移植

 

番組は、移植を受けた患者と、生きていると思われた間に心臓を奪われた青年二人は仮名で、又一人の医師も仮名であったが、それ以外の登場人物は全て実名であった。そして、証言したかつての関係者である医師は、顔を出して自分の言葉でメディアの前で語った。この部分は  で囲んで示し、その人々の語るのを聞いて、その通りをここに書き写した。

 

今回の番組を、出来るだけ番組に添って、放送された順番に、放送された通りにここに再現することにする。もとより画像はない。ネット上に写真や、画像が公開されているものがあり、ここに示した方が状況をよく説明できると思われるものが見つかったら、それはネットから拝借することにする。

 

総括天才外科医「奇跡の手術」の光と影

 

誰も触れようとしなかったタブーがある。それは48年前の心臓移植手術だった。

1968年、札幌医科大学付属病院。46歳の和田壽郎 天才胸部外科医

 

和田の発言「家族の一人が心臓を提供したと、ここに私は喜んで嬉しくて皆様にこのことを、真面目に心からご報告申し上げます。」

 

心臓を取り替えて生きている。その姿に日本中が熱狂し、新たな医療の期待を抱き、未来を見た。

 

ところが、患者が死亡すると、・・・・新聞の論調は手のひらを返したように変った。

新聞の大見出し 

 和田心臓移植の疑問点

 脳死の証明、記録無し

 生きた人間から心臓を取り出したのではないか

 心臓提供者の死亡時刻に疑問視

そして

 殺人容疑で刑事告発される・結果は嫌疑不十分で不起訴

 

心臓提供者を診た医師

  「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった。」

 記者の質問: (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

 「かなりの確率で、社会復帰できたのではないかと思う。」

 

奇跡の手術と言われた和田心臓移植、封印されてきた・・・今光が当たる

 

和田医師の受けた教育と才能

 

和田は28歳で渡米し、4年間心臓外科の技術を学ぶ

最先端の心臓外科医療を学び、帰国後まもなく35歳で札幌医大・胸部外科の教授に就任。驚異的な若さだ。

 

和田医師の部下だった小松作蔵さん(85)

「非常に優秀な人で、アイデアマンで、思いついたことをすぐ実行に移すというところが、我々とは違うなと感じてました。」

 

*実際、医療史にに残る数々の発明を残している。

  一人用高気圧酸素タンク、和田式人工肺、彼が開発した心臓の人工弁

  ワダ・カッター弁(心臓の人工弁)は、世界初の人工心臓に使われた、臨床に応用された完全埋め込み式

 

*毎日二つの手術を行う集中力、10年間の手術数は約7000件に及ぶ

 

小松作蔵さん(85)「手術の腕は最高でしたね。カリスマ的というか・・・」

 

移植手術の1ヶ月前

 

そのようなカリスマのもとに、ある患者が入院してくる。心臓の弁に障害を持つ市川さん(仮名)、当時18歳

後に、日本初の心臓移植の手術を受け、83日間生きた人物だ。

当初は、障害のある弁を、人工弁に換える手術を受ける予定だった。

 

・・・・が、あるとき、和田(当時46)がそそのかしに行く

市川(仮名)「心臓移植・・・ですか?」

 

筆者の見解・感想・・・当時、心臓移植などということは日本人だけではなく、人間の概念の中にはなかっただろうから、そのようなことを聞いても、何のことだかよく分からなかったことだろう。

 

 和田がアメリカで共に勉強した人が 世界で初めて心臓移植

 

僅か7ヶ月前に、世界で初めて、南アフリカで心臓移植手術に成功している。

世界の最先端医療である

 

執刀医:クリスチャン・バーナード、和田がアメリカ留学で、机を並べた仲だった

  1967年12月3日、交通事故により脳死状態になった24歳の女性から55歳の男性に移植

  術後18日目に肺炎で死亡

  1968年に二回目、術後19ヶ月間生存

  1983年に医師を引退するまでに、49例の心臓移植

そのニュースを知った和田は、すぐさま南アフリカまで執刀医を訪ね、心臓移植手術について議論した。

 

小松作蔵:「あいつもとうとうやったか。我々もやらなければ、という気に(和田は)なったと思う。」

 

自伝「神から与えられたメス」に、和田は次のように綴った

「世界の心臓胸部外科から取り残されまいと努力を続けてきた。」

 

心臓提供者現れる・・・救急車内で息を吹き返す

 

そんな中で出会ったのが市川さん(仮名)だった。こうして、日本初の心臓移植へと準備は整っていった。

そんなある日、8月7日(手術前日)札幌から約50km離れている小樽市・蘭島海岸で海水浴客が溺れる事故

夏休みで帰省中だった大学生吉村さん(仮名、21歳)、後に心臓を提供することになる人物である

 

駆けつけた日赤奉仕団員が救護所にいた・・・当時医大生(22歳)だった林 雄三さん(70歳)である

彼の記憶は生々しい。

「呼吸はしてない、意識もない、脈は触れない。放置すれば(死亡してしまう)という状況」

 

救助された吉村さん(仮名、当時21歳)は、生死の境をさまよっていた。

その時、救急車が揺れた、その直後、脈を回復・・・

「頸動脈の脈拍が、先に触れました」と林 雄三さん 

「状態が完全な心停止ではなく、心室細動という状態だったのが、呼吸路が出来たために、改善してきたのだと思う。」

 

吉村さんは息を吹き返したのか?

 

搬送先の病院で

搬送先の病院で治療した医師、上野冬生さん(80)(当時32歳)は、その決定的な場面に立ち会った。

 

「自発呼吸がありましたしね。血圧なんか計っても、130くらいあったし、だから(容体が)悪くなるということはあまり考えていなかった。」

 

治療開始4時間後には、瞳孔の対光反射があり、容体は安定

「今亡くなるとか、明日亡くなるとか、そういう感じでは捉えていなかった」

 

筆者見解・感想・・・関係者であり、又、半世紀も経過しているということがあり、表現は柔らかくなっているが、彼らが診察した結果は、まさしく生きていることの証拠である。医者が脈を取るのは、心臓が動いているかどうかを診るのであり、心臓が動いているのは生きているということである。さらに、自発呼吸があった、すなわち自分で呼吸していたのである。

 

上野医師は治療を院長に引き継ぎ帰宅

 

当時の新聞記事は大きく取り上げた

「懸命の人工呼吸40分、心臓が動き出した 一度は死んだ水難大学生」

 

人の死の定義・脳死定義

 

ここで、人の死の定義と、現在の日本における脳死の判定基準を示す。

*人の死の判定基準:「死の三兆候」

  呼吸停止

  心拍停止

  瞳孔散大・対光反射消失

これが、人が死んだと医者が「臨終」を宣告する時の絶対的な基準であったし、今も基本的にはこれである。すなわち、呼吸している人、心臓が動いている人、対光反射を示す人を死んだとは言わないのである。

 

現在、臓器移植を進めるために「脳死」の定義は以下のように定められている。

「脳死」の定義:脳が永久に機能を失った状態

脳死判定基準

〇彪磴紡个垢詭吉娠性

呼吸停止

H深佑両端

で焦箸諒臣害

 

和田医師の所へ転送された密室ミステリー

 

上野冬生さん

「次の日の朝(病院へ)行きましたね

昨日の方はどうなりましたかと聞いたら、(和田医師がいる)札幌医大に送られたと」

 

二人の医師が「息を吹き返した」と証言した患者を、である。

「一度は息を吹き返した吉村さん」は、和田がいる札幌医大付属病院に送られていた。溺れたその日のうちに、午後8時5分、札幌医科大学付属病院へ搬送されていたのである。

 

札幌医大病院の闇のミステリー

 

札幌医大の治療室で待ち構えていたのは、和田を筆頭とした10人以上の胸部外科医たちだった。

ところが、わずか10分ほどで手術室へ

 

その状況を聞いた麻酔科の医師たちは・・・蘇生が必要な患者が運ばれれば、必ず呼ばれるはずだった麻酔科医の内藤裕史さん(当時、36歳)は、呼ばれなかったのである。

内藤さん(84)

「溺れた患者さんが入ったら、まず麻酔科の医者に話が来るはずで、私たちに何の連絡もなくて、手術室に溺れた患者さんが入っているのは、異常な状況だから、どうしたんだろうと思って(手術室へ)行ったんです。」

 

溺れた患者の蘇生措置は、最初に麻酔科医の気道の確保から始まる。

 

・・・筆者注:気道を確保するのは一つの技術で麻酔医が行うので、溺れた患者の蘇生措置は、当然最初に気道を確保することであるから、麻酔医が呼ばれなければならない。なのに、この時には、気道確保の措置をしなかった、つまり、助ける意志がなかったと理解されても仕方がない。大体転送する必要のない患者を札幌医大に転送したさこと自体が変であり、悪意さえ感じられる。

 

ところが、そこで麻酔科医の内藤さんが見たものは、手術の準備が進められていたことである。蘇生には本来使わないはずの免疫抑制剤などの大量の薬だった。

 

内藤「溺れた患者さんの蘇生をするときには、海水で溺れたか、真水で溺れたかで治療が変わるわけですよ。

(それを)知らなくて溺れた患者さんの蘇生が出来るのか」

 

患者である吉村さん(仮名)の胸に聴診器を当てた

「普通、溺れた患者さんだと プズプズ プズプズという音がするんだけれども 肺の音はきれいだった。

Q 心臓の音は?

「心臓はもう聞く必要なかった。

肌はピンク色で 意識が無いというだけで・・」

Q (蘇生をしたら)どこまで回復したか?

「かなりの確率で社会復帰できたのではないかと思う。」

 

筆者見解:肺の音がきれいで、すでに溺れた患者の肺の状態ではなかったのである。そして、心音を聴く必要がないと医者が判断する状態で、肌がピンク色だった。これは、やがて意識を回復するだろうと予測できる状態だったのではないか? 少なくとも、「死」とはほど遠い状態だったことは議論の余地はないだろう。

 

功名心にはやる和田の人体実験か?

 

何が始まろうとしているのか理解できないままに手術室を出ると、和田から告げられたのは

「実は心臓移植をやろうと思う」午後、8時半頃

 

和田医師の主張

吉村さんの蘇生をしたが、その後容体が悪化し、午後10時10分に死亡判定したと答えている。

脳波平坦 心拍停止などを確認したことから死亡と判定した

 

そして遂に、深夜、午前2時5分 心臓移植手術を開始

 

術後順調に回復していく市川さんの姿に、メディアは殺到

和田は一躍、時の人となった。

 

偽りの光の世界から闇へ転落

 

しかし、その後容体は急変 83日目に市川さんは亡くなった。

 

すると一転

新聞記事 「和田心臓移植の疑問点」「脳死の証明、記録無し」「死亡時刻に疑惑」

和田医師は殺人容疑で刑事告発される

 

一番の争点は「正しい死亡判定は行われたか」

和田医師の主張

「瞳孔に対光反射なし 自発呼吸無し 心拍停止 脳波平坦などを確認して死亡と判定した」

死亡判定に一人の医師が大きく関わっていた

その人物は部下の胸部外科の高橋医師(仮名)

高橋医師が蘇生中に、吉村さんの容体は悪化、心電図で心停止したことを確認

脳波が平坦になったことも調べた。

それらの報告を聞き、和田は死亡判定した、と言う。

 

筆者見解:他の医師の証言とは、正反対の食い違う証言である。

 

警察は高橋医師に話を聞こうとしたが、捜査が始まる4ヶ月前にガンで亡くなっていた。

 

心臓移植は必要だったのか?

 

和田の主張

市川さんの心臓は、複数の弁が悪化していたため、一度に人工弁に換えるのは危険性が高いと判断、移植手術を勧めた。

 

筆者見解:仮に弁が悪くても、一つずつ対応する方法はあっただろう。市川さんの命を救うことを考えるなら、初めての心臓移植の危険を冒す必要はなかった。実際、オーストラリアの移植は18日で死んでおり、失敗であったと言わざるを得ないのに。

 

そこで検察は、市川さんから摘出された心臓で、どれほど弁が悪かったか確かめようとした。

すると弁は全て切り離されてしまっており、病状を詳しく調べられない状態になっていた。

これについて和田は、こう説明している。亡くなった高橋医師らが、研究のために弁をくり抜いたと証言。・・・筆者感想:「死者に口なし」である。

 

捜査はおよそ1年7ヶ月にも及んだが、捜査項目全てについて、殺人と認める十分な証拠がないとして、嫌疑不十分で、不起訴処分となった

 

和田の記者会見

「私は非常に良いことをした。出来るだけした。

人間でこれ以上のことが出来るか。これからこの手術をもっともっと

これだけプレスの人が集まらなくても 皆 拍手するように我々は努力をしていこうというふうに、何度も自分に言い聞かせております。それが その後考えていることであります。これはずっと変わっておりません」

 

その後和田が心臓移植手術をすることはなかったが、長年に亘る胸部外科医療への貢献は高く評価された。

名誉会長:日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会

名誉会員:日本呼吸器外科学会・日本人工臓器学会など

 

日本初の心臓移植

あの時和田は何を思っていたのか?

内藤裕史さん「野心と、もう一つは医学の進歩のため」

「若しかしたら助かったのかも知れないけれど、一人が犠牲になっても心臓移植の第一歩を踏み出して、その後に心臓移植がたくさんあれば、医学の進歩になるだろうと(和田は考えたと思う)」

 

その後、1997年、日本で臓器移植法が施行 

1999年 国内二例目の心臓移植手術 31年が経っていた。

 

筆者追記: 世間では、「助かる方法は臓器移植しかない、心臓移植しかない」と、まるで臓器移植をすれば助かるかの如き宣伝がされており、人々の同情により1億円以上の募金を募り、海外に出かけて移植を受けている。手術後の生存期間が、例え1年であっても、助かったと意気揚々と帰国した姿だけがマスコミに流れるので、多くの人々はだまされている。しかし、組織適合をしっかり行って、万全の準備をして移植を受けても、助かるとは限らない。もちろん、48年前の殺人のような無謀な手術とは異なり、術後の生存率は上がってはいるが、それでも、「それしか助かる方法はない」というような状況ではない。

 

筆者心臓移植適応患者の生存率について、以下の論文のデーターをご紹介する。

以下のデータをどのように考えるかは個人差があるだろう。手術しなければ、10人中3人が助からないが、他の人の心臓をもらって手術を受けても、10人中2人は助からない。

 

国際心臓・肺移植学会統計(1997年4月〜2008年10月)

    40,755人の心臓移植者 未移植患者293人

1年生存:78〜79%      70%

5年生存:64%         32%

10年生存:45%        20%

 

http://plaza.umin.ac.jp/~hearttp/PDF/2008yogo.pdf

 

http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph108.html

 

心臓を上げるドナーについては、「人にあげるために役に立つかどうか」という視点でしか論じられないことが多いが、実は、和田氏のようなひどいことをしなくても、臓器を取り出しても良いという「脳死判定」には大きな問題がある。

単純には、脳死判定が正しく行われても、’昌猗縦蠅亮蟒腓ら考えて、判定のためにこの患者を死の淵にたたせることになる。臓器を取り出されているドナーは、どうやら断末魔の苦しみを味わわされるらしい。

詳細は以下の書籍を読んでください。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本敗戦の混乱に便乗し四島を略奪したロシアが返還を拒否し、米国はなぜ沖縄・小笠原を返還したのか?

遅刻常習犯のプーチン

 

首脳会談に二時間四〇分も遅刻されても、日本の首相はにこやかに出迎えるしかなかった!いい面の顔である。相手を大切に思うなら、決して遅刻などしないものである。安倍首相を、それはとりもなおさず日本を、軽く見て自分が優位に立とうとする悪意は見え見えである。

 

「遅いぞ! 武蔵!」と怒って刀のさやを捨てて武蔵に侮られ、負けた佐々木小次郎・・・。多分、作り話だろうが、人間心理をついている。相手を大切に思い、友好的な心を持っている場合は遅刻などしない。プーチンそしてロシアは、日本を大切になど思っていないし、四島を返還する気など毛頭無いのは、この71年間、彼らがしでかしてきた行動を見れば明らかである。順次、自国の領土であると主張するための事実を積み上げるための様々な策を練って実行してきた。71年間である!

 

中曽根元首相が、レーガン元米国大統領と「ロン・ヤス」とファーストネームでおつきあいする関係だと、「愚かな」ことを言い始め、華々しく宣伝した。彼らがその任務から離れた後も、「ロン・ヤス」の個人的な付き合いが続いたのだろうか? が、とにかくも、それ以降、「ファーストネームのつきあい」という形だけの宣伝をしたがるバカな首相たちが後を絶たない。元々、子どもは別として家族・親戚以外の人々とファーストネームで呼び合う文化を日本人は持っていない。ファーストネームで呼んだり、べたべたと体を触ったり、挙げ句の果てには抱き合ったり、自分の身についていない欧米の習慣をむやみやたらに「猿まね」をしている日本人の振る舞いをあざ笑われているのが分からないのだろうか? 安倍首相も、プーチンとファーストネームで呼び合う仲だとバカなことを言っているらしいが、プーチンは知らん顔をして「アベ」と呼んでいるらしく、「アベ」は愚かな独り相撲・道化師を演じているに過ぎない。

 

そして、今回の会談は、安倍さんや政府がどのように取り繕おうとしても、もはやそれは不可能であり、残念ながらどんな実も結ばなかった! 外国での評価もそのようであり、安倍は敗北したと報じられている。

 

旧ソ連の参戦は、そもそも国際法違反

 

そもそも、当時日ソ不可侵条約を結んでいたのであり、しかも、日本はすでにポツダム宣言受諾を決定していた。その時になって、戦場のドサクサに紛れて宣戦布告をして参戦し、すでに戦いが終わった後で、戦場泥棒を働いたソ連である。そして、北方四島を無理矢理に占領してしまった。そして、ロシア(旧ソ連)とは地続きであるので絶対返さない、自分のものだと既成事実を造ろうとしている。現在、中国がしている陣取り合戦と同じ振る舞いである。

 

なぜ、アメリカは沖縄および小笠原諸島を返還したのか?

 

沖縄の基地は治外法権地域であり、米兵は沖縄で無法な振る舞いのし放題である。そして、折しもオスプレイの事件。事故後のアメリカの対応は、日本をやはり植民地まがいの何かだと思っているとしか受け取れない。これだけ様々なことをされても日本は、喜んでしっぽを振っているのか?沖縄の住民が怒るのは当然であるのに、沖縄の問題・怒りを本土の人間は理解せず、まして政府はどこ吹く風である。沖縄がアメリカのものか、日本国であるのかが曖昧である間は、日本は真の独立国とは言えない。

 

なぜ、ロシアは北方四島を占領し続け、なぜアメリカは日本に返還したのか? アメリカが日本に友好的であるからではない。ロシアにとって四島は極めて重要であり、一方、アメリカにとって、沖縄は日本に形だけの主権を与えておいて、基地として使う方が有益であるからである。ロシアは地続きである北方四島を、日本には返還したくない。北方四島にアメリカが基地など設けたら大変なことになる。一方、アメリカは沖縄も小笠原諸島も、アメリカ本土と遠く離れているので、管理するのは大変である。そういう大変なことは日本にさせた方が便利である。そして、沖縄の最良の場所を基地として占領し続けて、日本に守らせ、ロシアや中国など仮想敵国に対応できるようにした方が自国にとって有効だからである。アメリカが日本に友好的であるなどと錯覚しているから、いつまで経っても米兵の無法な振る舞い一つ制することが出来す、沖縄県民が痛めつけられているのである。そのような状況下に今回のオスプレイの事故が起こり、それに対するアメリカの対応は、まさしく彼らの本音をもろにさらけ出したものであり、許容範囲を逸脱している。

 

世界の三大勢力が、様々な形で小国を利用し、思い通りに蹂躙している。そして、日本は好都合な、利用価値の高い小国なのである。世界情勢が険しくなってきた昨今、日本はロシア、中国、そしてアメリカから目をつけられて、三すくみになっている事実が一挙に明らかになった感じである。

 

日本人は、敗戦により背骨まで抜かれてふぬけになってしまったのであろうか? 戦後、71年、そろそろ日本人としての自覚・誇りを取り戻すべき時期が来ているのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「野心と医学の進歩」のため二人の青年を心臓移植の「実験」材料にして殺した「優秀な?」外科医

激動!世紀の大事件・特別スクープ番組


毎年、年末になると一年を総括する様々な出来事が放映される。その一つかと思ったら、実は、世紀の大事件という特別スクープ番組の一つで、第4弾だったようであり、録画しておいた。羽田沖のJALの墜落事件、ニューヨークの9.11事件、信楽高原鉄道の満員電車の正面衝突事故等々、多くの人々が覚えている驚くほどに悲惨な大事件が次々と起こっている。その中には筆者が多少の「体験?」をした東大安田講堂事件も記録されていた。筆者は当事者というほどではなかったけれども、当時大学は荒れに荒れており、研究には大幅に邪魔が入り、そしてよもやと思った暴力事件の果てに大学は機動隊を大学に招き入れるという愚かな決断をしてしまったのであった。機動隊導入の当日、大学関係者は入れてもらえず、喫茶店で友人たちと共に安田講堂でのおぞましい「戦争」をテレビでを眺めるという情けない無力さであった。

 

日本初の心臓移植事件

 

その中に日本初の心臓移植という大事件が取り上げられていた。臓器移植に大きな関心を持っている筆者は、書物を読み、また学生たちに講義の課題の一端として臓器移植に関する人々の意識調査をさせたりして臓器移植の実態や、生と死の問題として何度も講演をしている。

 

「脳死は人の死か?」 臓器移植:医学・生物学及び聖書的問題

 

「臓器移植」講演のレジュメに、今回報道されている日本初の心臓移植について簡単に紹介しているものを下に紹介する。

 

序:日本最初の心臓移植 札幌医大の和田の心臓移植

1968年

8月7日 12:45 大学生溺れ病院へ搬送 自発呼吸あり、心拍もしっかりしていた。

     16:10 対光反射回復、顔色赤み、血圧130ー80、呼吸・心拍確実

     19:37 札幌医大へ。

8月8日 午前2:30 心臓摘出・移植

 

疑念:/澗‥出時、ドナーは生きていたのか?

   ▲疋福爾竜潴唇緡鼎賄切に行われたのか?

   レシピエントは心臓移植が本当に必要だったのか?

 

10月29日 レシピエント死去(移植後 83日) 殺人罪で刑事告訴

1972年8月14日 不起訴決定 当時脳死の概念はなかった。

  小松美彦著「脳死臓器移植の本当の話」(PHP新書)

 

番組に紹介された事件の詳細は、次回紹介する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新しい記事(公式サイト):地球を中枢に据えて創造された宇宙

新しい記事(公式サイト)をアップしました。

 

「地球を中枢に据えて創造された宇宙」(創造と福音シリーズ 第23回)

「ハーザー」に連載記事(2014年-)を公式サイトに公開しました。

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生物の優れたリサイクル機能・オートファジー

「1949年・昭和24年」・・・日本人にとって特別な年であった

 

1949年、世界大戦敗戦後間もない日本は占領下にあって「進駐軍」がおり・・・町に銃を持った兵士がいたということではないが・・・、敗戦による痛手から、経済的に文化的に、そして精神的にも立ち直っていなかった。日本人はあらゆることで負け犬であり、武力闘争に負けただけであるのに、そのように受け取ることが出来なかったのである。

 

それは、日本の歴史に深く関わっているが、簡単に言ってしまえば、日本の歴史に於いて常に独立を維持してきており、外国に侵略されたことが、それまで一度もなかったということである。常に、「勝てば官軍」「武力で勝てばそれが正義」という認識が植え付けられていた国民だったのだろう。したがって、武力に負けただけと思うことが出来ず、しかも、アメリカの進駐軍の一兵士に過ぎないマッカーサーが・・・という感覚が日本人にはあったのだが・・・日本人にとって「神」であり、尊敬の的であった天皇を見下しているかの如き写真が公表されたのである。正装し威儀を正して直立不動している天皇と、でれっとした”軍服”を着て、両足を揃えず休めの姿勢でズボンのポケットに手を入れて突っ立っている体のばかでかいマッカーサーが並んでいる写真・・・は、どうひいき目に見てもマッカーサーの態度は傲慢、傍若無人、無礼千万な態度であり、日本全体が愚弄されたように思え、口に出して言うことが出来ないだけに日本人は腹立たしい思いをしたのであろう。

 

まだ学齢前の私は余り理解してはいなかったが、それでも祖母や両親がこの写真に痛く心を痛めていたことを覚えている。我が家は特別に天皇崇拝をしていたわけではないが、それでも、この写真の意味することを深く考え、こんなことになってしまった日本や日本人の将来を危ぶんでいたのである。

 

そして、事実起こったことは、進駐軍が行政、司法、立法全てに亘って日本を統治したのであり、その結果、東京裁判によって軍部のみならず民間人の日本の指導者であった人々が、「裁判」・「正義」という仮面のもとに絞首刑に処せられてしまったのである。

 

敗戦後4年、1949年は、国民はまだまだ飢えに苦しみ、爆弾や焼夷弾で破壊された町に住み、社会が混乱し、自信を失い、日本国は、日本人はまだ右往左往していた時代であった。

 

ノーベル賞・・・学問の最高の賞

 

1949年、そんな社会に、湯川秀樹(写真・Wikipedia)のノーベル賞受賞のニュースが飛び込んできた。日本人最初のノーベル賞である。今でさえ、ノーベル賞受賞のニュースは結構明るく大騒ぎされるニュースであるが、その比ではない。全てのことにうちひしがれ、劣等感の虜になり、少なくとも心のありように関しては何をする気力もないかに見えた日本人をわき上がらせてくれたニュースであった。

 

受賞の対象となった業績は、理論物理学者が「寝床の中で考えついた」という受賞決定直後の会見で言われたことも、何もない日本人の学者としてはなるほどとうなずかせるものであった。実験科学研究は、今ほどでなくても、実験器具を備えた実験室が必要であり、ほどほどの経済的支えが必要である。理論科学は・・・今は、コンピューターが必要であるが大きく価なコンピューターはネットでつながっていて共用できるので、やはり実験科学ほどは金食い虫ではない。

 

湯川秀樹のノーベル賞が決定したときに、母が言った。「(世界的な賞を与えられる前に、日本がきちんと評価して)文化勲章をすでに受けていて、本当に良かった」。アメリカ追従の日本のありようにうんざりしていた日本人の一人として、自分の目で優れたものを見つける目を日本人が失っていなかったことに、母は安堵したのであった。

 

大隅良典さんのノーベル賞受賞

 

 

日本では、昔と異なり毎年のようにノーベル賞受賞のニュースで賑わうようになったが、学問の内容は一般人にはわかりにくい。大隅良典さんが(写真、Wikipedia)「オートファジーの仕組みの解明」の業績によりノーベル賞を受賞されたが、一般には聞き慣れないであろう「オートファジー」を易しく紹介するつもりであったのに、余りにも前置きが長すぎた。それで、オートファジーの話は次回に後回しにして、大隅さんの挨拶にあった言葉を、改めて紹介するに留める。

 

「科学研究に於いて、現在余りにも目先の結果を社会は要求しすぎる、追いすぎる。すぐに応用に、経済的なことに結びつかないと評価されないので、研究費が出ないし、優れた人材が集まらない。日本の今後の科学研究を憂う」というような趣旨であった。全く同感である。

 

昔々、私が実験科学研究の分野を志したとき、「社会のお役に立つ」という若さ故の気負い、自負、意気込みがあった。それに冷水をぶっかけた先輩がいた。「科学研究は、いつの日か人類の役に立つだろうという希望を抱くことだけで良い。それを自分で確かめる日が来ると思うな。究極は、生物がどうなっているかに興味があるから、研究が面白いから一生懸命やるんだ。」

 

大隅さんも、このオートファジー現象が、ガン研究などになにがしかのつながりがあるとは予想もしなかったはずである。ただ、面白いから、生命現象を研究してきたら今に至ったということだろう。

その一方で、iPS細胞の研究は、その生物学的な意味や詳細は分からなくても、とにかくも応用に直結した研究であったので、一般人にも解りやすかったのだろう。ちなみに、この研究に関して、山中教授は一般人を対象に何回かセミナーを開催されたので、京都、神戸のセミナーには必ず参加させていただいた。参加者は、殆どが生物学とは無縁の人々であったようだが、実に盛況であった。研究の進展などについて、またセミナーが開催されるのを心待ちにしているのだが・・・

 

 折しもこの秋学期に、生物の特徴全般や、生物を正常に維持する働き・ホメオスタシス機能、細胞の自食作用、オートファジー、貪食細胞、免疫などを学生たちに講義をした。生物に組み込まれているリサイクル機能が、どんなに精巧であるか、エネルギー効率がどんなに良好であるかなどを、生物の驚異の一端を若い学生が納得してくれることを期待しつつ、教師自身が改めて驚嘆し、感動を覚えた次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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豪華なオリンピック計画、築地市場移転問題、貧困に喘ぐ東京都民、アスリートファースト!?

7,340億円が、3兆円に跳ね上がったオリンピック・・・もめ続け

 

韓国の民主主義は形だけと批判する資格は日本人にはない。オリンピックのモタモタを見たら、一目瞭然である。日本の民主主義が形だけであると言われ続けているが、オリンピック問題でそれが少しだけ表に出てきた。

 

アスリートファーストという見解が関係者には当たり前みたいに受け入れられているようであるが、一般国民が容認できる概念だろうか? だが、だが・・・・今まで「立派な」成績を上げた選手たちの意見が大きく採り上げられるのである!

 

リオ五輪カヌー銅メダルを獲得した選手が、「カヌースラロームが東京ではなく違う県で行われることになったら、本当にさみしくて絶対に嫌だと思うので、・・・・ぜひ東京でやれるように調整してもらいたい」と言った。銅メダルは大きなことかも知れないが、しかし、一選手の単なる「好み」が、東京都・国の行事に口出しをしても良いのか!

 

また、日本ボート協会の新理事長は「アスリートファーストという観点からも海の森(水上競技場)でやってもらいたい」と言った。アスリートファーストなどという概念が、どうしてまかり通るのであろうか?様々な運動競技で何かの良い成績を上げた選手を甘やかし、優遇して、一般国民、特に苦しんでいる庶民には目をつむってしまっている国家である。北朝鮮ほどではなくても、日本も大きく歪んでいる。

 

新しいことをするのは大変な日本

 

小池東京都知事は、前任知事たちのしでかした様々を修正しようとしているので、旧勢力は手をつないで抵抗している。昔々、ぶざまなことをしでかして、あっという間に首相としての首を切られた見苦しいことで有名なあの人が、生き残ってオリンピックの何とか委員長になっており、既得権を守り通そうとする人々を味方につけて新しい動きに抵抗している。この人は、本当にろくなことをしない。

 

日本は、一度何かの「権力」を手に入れると、それがいつまでも持続する悪い風習がある。いわゆる「院政」である。昔、天皇が政治権力を持っていた時代、天皇が退位して「〜〜院」になって、その〜〜院が隠然たる権力を持ち続けて、政治の混乱を招いた時代があった。その悪弊が、天皇だけではなく方々に及んでおり、現在、「元首相」「元何とか大臣」「元国会議員」等々が、それぞれに権力を持ち続けている。特に、大勢の元首相が、現首相や現大臣などを陰に陽に支配しているのは、余りにも嘆かわしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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パク・クネ大統領の最後の足掻きで噴き出した悪知恵・歴代韓国大統領が権力を失った後の末路

ニュース番組の視聴率を稼がせている事件

 

彼女を取り巻く大勢の「悪者たち」は、大統領という権力に取り付き骨の髄までしゃぶり尽した。しゃぶり尽される方も悪いが、しゃぶり尽した方の隠然たる勢力は目に余るものがある。

 

日が経つにつれて、次々と絶大なる権力構造とそれを取り巻く陰の力が明らかになり、彼らのしでかした数々の悪行が表に出てきた。韓国民の怒りは凄まじい。そして、大統領の弾劾が国会で決議されることが必至になった。

 

予定の前日になって、間髪を入れず「任期前に辞任します」と言ったのは良いが、条件付きである。また、いつ辞任するとも言わないで、言うなら弾劾を阻止するための時間稼ぎをして、そのうちずるずると人気いっぱいまで辞めなくても済む方策を講じたということだろう。いくらでも悪知恵は出てくるらしい。

そして、案の定、弾劾は延期になった。

 

権力を手に入れた人間の醜さ・弱さ

 

韓国大統領の絶対的に強い権限は、事件が起こるたびに驚かされる。その裏舞台が明らかになるのは、大統領を辞任した後である。大統領になった途端にどんな審査も潜らないで、全てしたい放題のようである。そして、権力を持ち続けている間は、恐ろしい悪行に明け暮れる。そのために、大統領を辞任した途端に、今度は刑事被告人である。今回も、大統領を辞任すれば、警察の取り調べに直行であることは間違いないだろう。

だが、弾劾を免れ、辞任の時期を延ばして権力を持ち続けて時間稼ぎをして、権力によって自分がしでかした悪事を粉飾してしまおうということなのか?

 

人間は、苦労をして坂道を登っているときの姿は、その人の人間として一番美しい姿を見せるようである。ところが、その人が目標にしていた段階に達した途端に、人間の醜い本性をさらけ出す。その顕著な例が、隣国韓国の大統領であろう。

 

話は変わるが、NHKの大河ドラマ、実力のある俳優や演出家、監督を動員し、大金を投入して、主人公が成功するまでは面白い.所が、しかるべき地位に達した途端に、主人公は堕落する。通年のドラマであるが、大抵半年以内に面白くなくなる。これを工夫しないと最後まで面白いドラマに仕上がらないだろう。とは言っても、歴史上の人物を取り扱っているから、仕方のないことかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人気テレビ番組「相棒」・大人のいじめ・醜い大人の心の内を根こそぎにすると・・・

高視聴率を稼ぎ続けるテレビ番組「相棒」

 

長期間に亘り高視聴率を稼ぎ続けているテレビ番組「相棒」の人気の原因は様々だろうが、筆者は静かなファンである。「静かな」というのは、劇場版がでても映画館に赴くことはなく、テレビで公開されても一生懸命見るわけではなく「ながら族的」に横目で見ていたり、他のことをしながら聞くともなく聞いていたりという程度であるということである。それでも、再放送が何度もされるので相当のことは知っているというか、記憶の底にうっすらと留まっている。

 

そして、面白いと思っている。

どこまで警察・警視庁の実態を映し出しているか、どこまでありえない状況かは分からないが、とことん極端な舞台設計である。

 

舞台設計の大枠

 

超が付く頭脳明晰な杉下右京という警部が組織の支配を嫌い、彼の定義による「真実・事実」だけを絶対視して、事件解決にだけ力を注ぐ。ただ余りにも優秀であることが嫌われ、上司の間違いを見逃すことが出来ず自分の意見を押し通す一匹狼である。一般社会でも流れをかき乱す人間は、それがどれだけ正しくても「いじめられる」。いや、正しければ正しいほど「いじめられる」。右京は窓際に追いやられ独りぼっちであるが、そこへ送り込まれてくるのは「首切りの代わり」というあぶれ者である。それが、「相棒」である。

 

警察組織のことはよく知らないが、警視庁というのは東京都の警察本部で、その頂点にのさばっている警視庁の刑事部長の保身は尋常のレベルではない。ただ「威張りたい」だけの見苦しさ極まる馬鹿者である。そして、その側で揉み手をして「へいこらする」別の見苦しい馬鹿者も、言うなら別の、陰に存在する情けない相棒である・・・。この二人は、現在社会問題になっている子供たちのいじめなど顔負けのいじめをしでかして、優秀な杉下警部をことあるごとに「合法的に」いじめを実行する。

 

警察の部署で強盗や殺人という凶悪犯罪を取り扱う現場の刑事は、一番威勢が良く、一番威張っている部署のようである。その部署の刑事3人組、特に嫌みたっぷりの一人がまた面白い。先を見通すことが出来る優秀な右京を当てにしては寄り掛かっていながら、様々な嫌みを言ったり邪魔立てをして、手柄を丸ごと貰ってしまう。しかし、右京は手柄を横取りされても、そうとさえ認識せず、どこ吹く風である。

 

そして、鑑識課の一人が右京を陰で支えている。

 

何が面白い?

 

面白いと感じる点は様々だろう。

 

右京がその優れた頭脳を駆使して、難解な事件を暴力を使わず論理的に次々と解決する点が小気味よい。右京には好意を持ちながら、組織の人間なのでおおやけに支持できない鑑識課員のとぼけも面白い。島流しとして送られてくる人物が、次々と面白く全く良い相棒である。


組織に働く権力層と、権力の下で喘ぎながら組織の階段を上に登りたい野心を抱く下の層、「出世」はしたいが、しかし見苦しく揉み手をして唯々諾々と従う無様な真似はしたくない、多少は骨はあるものの、しかし、右京のように窓際族にはなりたくない・・・そういう人間の心の葛藤を、真面目でもなく、コメディでもなく描いている。

 

組織からはじき飛ばされ、いじめ抜かれている一人の警部が、そのいじめを肩すかしして、苦痛と感じているかいないのかさえ解らない。そもそも、出世には興味が無いらしい。しかし、威張り散らしている上層部の鼻を明かして事件を解決してしまうが、彼は、上層部の鼻を明かすつもりすらない。そういう所が人気の原点かも知れない。

 

相棒と言えば、この間、この相棒の番組に出演していた女優が麻薬関連で逮捕された。番組の中では、右京の前の妻という設定で、小さな、一膳飯屋と言うには格好良すぎる店の女将さん?である。奇妙な元夫婦で、離婚していながら、右京はそこで夕食を摂る。この元妻は、奇妙な論理を振りかざして右京を非難しまくり、何もかも右京が悪いという風情であるが、右京はどこ吹く風である。

このドラマの元妻が逮捕されたのである。

 

俳優たちの演技が面白いのか? ストーリーが面白いのか?

筆者は、神戸尊(作中人物、俳優の名前は知らない)という相棒の、人を食ったようなクールな役柄を面白いと思った。

ちなみに、新シリーズが始まっているようで、一回目か、二回目かを見たが、どうも面白くなかった。そろそろ、ネタ切れかも知れないな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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