人の始祖アダムの息子カインの妻はどこから来たのか? CRJのスカイプセミナーご案内
カインの妻を巡る不思議な討論会

キリスト教会にはかつて不思議なことがあった。

アメリカで神学者と進化論学者との公開討論みたいなものがあり、「カインの妻はどこから来たのか?」と質問された神学者は答えに窮したという、ウソみたいな本当の話である。カインが妻と交わり、子をなしたという場面で記載されている登場人物は、アダムとエバの夫婦、カインとすでに殺されていたアベル、それだけであり、舞台は全くシーンとしている。この中からカインの妻を探すのはもちろん不可能である。

カインの妻はどこからきたのか?

創造主は最初の人アダムとその妻エバを創造なさった。二人に息子が与えられ、カイン(獲得というニュアンス)と名付けられた。
カインにアベルという弟が生まれ、それから様々なことがありカインは弟アベルを殺し、神様の叱責を受け、土地を追われた。

創世紀4章16〜17節
カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。


カインはその妻を知った。」と翻訳されている「知った」は、男女の交わりがあったことを意味している。そのことは、教会でも説明されてはいるが、それでも、このエデの地で二人が知り合ったような印象を与えているが、それは不明である。

CRJスカイプセミナー

クリエーション・リサーチ・ジャパンは月に一回、初級と中級とを分けてスカイプセミナー(原則、第三金曜日午後8時〜9時半)を行っている、次回、6月26日(金)にこのカインの妻について共に考える。
CR誌34号で、「創造論の疑問・難問 カインの妻と福音」という特集が組まれている。この特集を読んでおいて、この記事に関する質疑応答を通して、理解を深める予定である。

CRJ会員であれば、誰でもこのスカイプセミナーに参加できるので、CRJオフィスに申し込んでください。また、会員でなくても、この重要な疑問に答えが欲しいと思われる方は、CR誌34号をオフィスに申し込んで下さい。

URL: www.sozoron.org
E-mail: office@sozoron.org





 
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「地上の星」 名も無きクリスチャンの生涯:韓国の孤児3千人の母、田内千鶴子の貧しく美しい生涯
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    韓国の孤児3千人の母 田内千鶴子物語 


   第39回 2015年3月6日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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キリストの香りを漂わせて生涯を美しく生きた女性。まさしくキラキラと輝く「地上の星」という最高の勲章を与えるに相応しい生涯を生きた人だったのだろう。

現在、日本と韓国とはギクシャクしていて、「憎しみ、怒り、復讐の怨念」が韓国の生きるエネルギーになっている気配が漂っている。しかし、歴史的にかつて両国は、地理的に近いだけではなく、人々の交流、文化的接触も、まさしく親しい関係にあった。朝鮮半島から訪れる人々はひとかどの教養人であり、大陸の文化(文明も)が朝鮮半島を通して日本にもたらされ、日本人に尊敬され、篤くもてなされた人々であった。このように朝鮮半島からのお客様は、尊敬と厚意を持って迎えられ、日本の社会に融け込むことから両国の関係は始まったのである。

日韓の関係がおかしくなったのは、いつから、どのようにしてという歴史的な話をするつもりはない。今は、この一人の美しい生涯を生きた日本女性に焦点を当てて、メッセージに耳を傾けたい。
日本人でありながら、韓国で孤児のために全てを捧げた一人の女性が、彼らに母として慕われるようになり、戦後、国家間の醜い憎しみ・争いの「ドロドロ」を背負わされた彼女を庇ったのは、かつて彼女が庇護した孤児たちであった。

この講演を、一人でも多くの方に聴いてほしいと切に願う。
心にわだかまりを持っている日本人に、政府から負の教育を受け続けている韓国・北朝鮮の人々に、そして、最も聴いてほしいのは、両国の政治家たちである。国民の怒りや不満を外国に向けさせて、自国での我が身の権力、経済力と安全を画策する韓国の政治家たち、無責任な政治を繰り広げて国民を騙し、やはり我が身の権力、経済力と安全を確保することしか考えていない日本の政治家たち。

一般民衆は彼らとは比較にならないほど美しい人生を歩んできたし、今も歩んでいるのである。その実例に涙し、悔い改めて欲しいと切に願う。

大波小波を乗り越えた後の記録は輝かしくまぶしい。
1965年、韓国文化勲章国民賞を受賞し、その3年後、孤児を育てた共生園のある木浦市で死去した。木浦市では市民葬を行い、実に3万人が参列したという。田内の生涯は「愛の黙示録」という題名で、日韓合作で映画化された。

2015年3月(3ヶ月前)、日韓国交正常化50周年を記念して、白建宇のピアノリサイタルがサントリーホール(東京都港区)で行われ、田内の息子(現在共生園園長)も参加した。
尾崎先生が木内千鶴子を取り上げられたのは、このような機運に連動されたのであろうか。


 
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「地上の星」 片山日出雄大尉:アンボンの真実・上官の罪を負わされ銃殺された
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
        片山日出雄大尉:アンボンの真実・上官の罪を負わされ銃殺された 


   第9回 2012 年 7 月 6 日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705
             
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上記より、転記。
「・・・処刑にあたった8人のオーストラリア兵は、「義人を殺した」という罪責感からみな寝込んでしまった、と言います。享年29歳。短くも気高いその生涯の終わりを、片山大尉がこよなく愛した聖書を手がかりに学びます。」

ロマ書12章17節〜21節
  だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
  あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
  愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
  もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
  悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

テモテへの手紙第二4章6節〜8節
  私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
  私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
  今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。


 
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「地上の星」 名も無きクリスチャンの生涯: 斉藤宗次郎と「雨ニモマケズ」
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                          斉藤宗次郎と「雨ニモマケズ」 


   第1回 2011年10月7日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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「地上の星」という名前の由来をこのCDの説明を聴くまで筆者は知らなかったが、それでも「地上の星:名も無きクリスチャン」というタイトルの意味は明白であり、大きな魅力を感じるタイトルだと思った。ともあれ、中島みゆきという人の詩であり曲を付けて歌ったらしく、NHKの番組のテーマソングだったようである・・・知らなかったのがどうかしているほど知られているそうである。詩をここへ書いて紹介するほどのこともないと思うし、また著作権の関係でどうやら書けないようなので、ご存じでない方は簡単に探せるので調べられたい。

宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」の詩には実在のモデルがいた。この「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズで、この「雨ニモマケズ」のモデルとなったと思われる斉藤宗次郎が第一回に取り上げられた。
賢治研究者の栗原敦は、「『雨ニモマケズ』には賢治の嘆きや弱さがにじんでおり、安易に斎藤に重ねることは、迫害に耐えた強固なキリスト者としての斎藤の独自性を見逃すおそれがある」と指摘している。

ただ、宮沢賢治はこの詩の最後を「そういう者に私はなりたい」と結んでいるのである。具体的なモデルがなければ、このような詩はなかなか書けないという気がするし、例え想像で書いても、この結びにはならないだろうという気がする。宮沢賢治は斉藤宗次郎を心底から尊敬していたから、この詩をこのように締めることが出来たのではないだろうか。

斉藤宗次郎をこのシリーズで最初に取り上げようと思われた理由は、彼が内村鑑三の愛弟子であったということかも知れないと推測する。内村鑑三は晩年多くの弟子に裏切られ「弟子を持つの不幸」という文まで書いたのであるが、斉藤宗次郎はどこまでも誠実で、1930年、内村が死の病の床についていたときには、隣室に泊り込んで日夜看病して尽くしたという。

斉藤宗次郎の感激の生涯を紹介して、最後にイザヤ書に預言されているイエス・キリストのことを語ってメッセージの締めくくりをしておられる。





 
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名も無きクリスチャンの生涯:神様の台本のままに生きる、石川正一の青春
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    神様の台本のままに生きる 石川正一の青春 


   第35回 2014年10月10日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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今回ここでご紹介するのは、23年7ヶ月の短い命を燃焼し尽くした石川正一さんという筋ジストロフィーを背負って生きた青年の生き様である。筆者は全く知らなかったのだが、本を出版しベストセラーになり、映画にもなったので相当有名になった人であるらしいので、ご存じの方もおられることだろう。今は絶版になっているが、古本としては入手可能である。

「たとえぼくに明日はなくても」車椅子の上の17歳の青春 石川正一著


筋ジストロフィーを簡単に紹介すると、筋線維が変性・破壊され、次第に筋肉が萎縮し脂肪に置き換わり筋力低下が進行していく遺伝性の筋疾患の総称で恐ろしい病気である。歩けなくなり、手が使えなくなり、歯を磨く、排泄をする、という普通の日常の生活も出来なくなり、心筋も含めて体中の全ての筋肉が脂肪になってしまう。一番頻度が高く、一番重篤なデュセンヌ型筋ジストロフィーでは、20歳位がぎりぎりの寿命であるという厳しい病気である。二十一世紀の今に至っても原因不明であり、また治療法も全く分からない。対症療法は多少あっても焼け石に水という感じでしかない。
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もう35,6年も昔のことであるが、筋ジストロフィーの研究をしている臨床医とお付き合いをしたことがあった。筋ジストロフィーの治療薬を創るのだと情熱を燃やしておられ、後10年と言い切っておられたが、もちろんそれが根も葉もない夢物語であったことは明らかである。励まそうという善意からではあったのだろうが、当時既に遺伝性であることは判明していたのに、遺伝するなどと言ったら可哀想であるとセンチメンタリズムを振り回され、病気の原因は分からないと言い、もう少しすれば薬は出来ると、筋ジストロフィー患者や家族を騙し続けていた。本当のことを言うべきであると筆者が抗議をしたところ、何という思いやりのないことかと叱責された。医者は今よりさらに頻々と、患者にウソ八百を言っていた。
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「この病気は治るのか、治らないのか」「幾つまで生きられるのか」「こんな病気で生きていく意味は何なのか?」という厳しい質問を、正一さんは父親にぶつけてきた。父親は躓きうめきながら答えを探していく。

筋ジストロフィー患者の家族会で、「病気だから死ぬのではなく、人間は誰でも死ぬという事実を受けとめて、家庭で語り合う必要がある」「きっと治るよ」と言って元気付けなさいと指導する医者もいるが、それは正しくない。「治るよ」と希望的なことを言って最後まで騙そうとしても、「子どもに見破られるのは時間の問題」だという。実際の問題に直面している家族は、しっかりと正気であり、息子を騙し続けることは百害あって一利なしであることをよく知っている。

正一さんの父親も悩んだ末に「多分、20歳までしか生きられない」という医者から宣告された事実を遂に話した.正一さんはワァーと泣き伏すかと思ったが、そうではなかったという。「そうなんだ! 20歳までしか生きられないのなら、時間は少しも無駄に出来ないね。本当に一生懸命生きていかなければならないね。燃焼しきらなければならない」というような返事をしたという。驚くべきことに、僅か14歳の少年である!
この少年は、その後、体は不自由であっても、精神は自由で祈りの人となり、主と共に燃焼し尽くした9年間を生きたようである。

尾崎先生のこの話に、心を射された。
筆者も自分の人生をそろそろまとめ上げる時期が来ていると時々思いはするものの、今後、20年も30年もまだ元気で生きていけるかの如き日常を過ごしているかも知れない。確かに、もう30年、元気な30年を頂けたらどんなに嬉しいかと思うが、そうはいかないだろう。

この美しく生きた23年7ヶ月の石川正一さんの壮絶な人生と信仰、そして家族の愛が情熱的に語られている。聴いてみられると励ましと感動を与えられることだろう。







 
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名も無きクリスチャンの生涯:金森通倫物語・・・新島襄・同志社との関わり
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    エリートが挫折を経て大伝道者へ 金森通倫物語 


   第24回 2013年10月4日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 TELFAX026-295-6705
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このところ人気がやや下火になってきたとは言うものの、それでも大河ドラマはやはり高い視聴率を保っているようである。その大河ドラマでNHKにしては珍しくクリスチャンが取り上げられたのは、東北の大震災のおかげ?であったようである。他の企画を急遽取りやめて、「八重の桜」が放映されたようであった。どれ位の視聴率があったのか分からないが、それでもかなりの人々が見たようであった。

このドラマで同志社に颯爽と現れ、講義で散々もめ事を起こしたり、同志社の学生のレベルの低さをなじったりした誇り高き熊本バンドの一人、金森通倫のことを覚えておられる方は多いだろう。

エリートの家に生まれ、優れた教育を受けた後にキリスト信仰を得て座敷牢に閉じ込められる迫害をものともせず信仰を貫いた。京都に出て同志社で頭角を顕し、エリート街道をまっしぐら、伝道者として教育者として素晴らしい業績を上げるかと思いきや、聖書の正統性を否定する「新神学」の影響を受けて棄教した。もっとも、人間的な社会では、最も輝かしい成果を上げた20年だったようである。

その後、激しい悔い改めを迫られ、猛烈な伝道活動に執念を燃やす。晩年には湘南の嶺山に隠居、原始的な洞窟生活をして「今仙人」と言われたという。

尾崎先生はこの波瀾万丈の人生を詳細に調べて熱心に語っておられるので、感動の金森通臨物語になっており大きな励ましを受けるだろう。


 
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「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」 シリーズ 長野キリスト集会・37回の講義リスト
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ 長野キリスト集会 

 長野キリスト集会が主催されたセミナー(2014年9月)に招かれて、共に学び、主に豊かに祝福された三日間を過ごさせて頂いたときに、素晴らしいお土産を頂いた。それは、長野キリスト集会のリーダー、尾崎富雄先生による「聖書を読む会」における講義のCDである。

 既に幾つかこの欄でもご紹介しているが、ここで長野キリスト集会で講義されたタイトルの一覧をご紹介する。

名も無い信仰者たちがどのように主に忠実に幸せな人生を全うしたかを、尾崎先生の語り口で情熱を以て語られている感動のシリーズである。聴かれると信仰が覚醒されると思うので、是非にとお薦めする。

 長野キリスト集会に問い合わせられると廉価で入手可能である (費用面だけでも実は負担を掛けるのだと思うが、ダビングに相当の手間暇がかかることを考えると実質的には大変なご奉仕である。感謝)。また、非常に好評なので、諸方面からの希望が多く、少し待つ必要がある。

問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
TELFAX026-295-6705



「地上の星 一名も無きクリスチャンの生涯−」 シリーズ    収録:長野キリスト集会

No       タイトル                                    収録日
斉藤宗治郎と「雨ニモマケズ」                               2011/10/7
森永製菓創業者森永太一郎物語                               2011/11/4
賀川豊彦物語                                       2012/1/13
大原孫三郎と倉敷の奇蹟                                  2012/2/3
西村久蔵物語 友なき者の友となりて                          2012/3/2
五十嵐健治白洋舎創業者の物語                       (2枚/組)2012/4/6
五十嵐健治白洋舎創業者の物語(続編)                         2012/5/11
城ノブ物語 一寸待て、神は愛なり                            2012/6/1
片山日出雄大尉アンボンの真実                               2012/7/6
10  淵田美津夫物語 奇蹟の生涯                                  2012/8/3
11 「北京の聖者」清水安三物語                                  2012/9/7
12 「仏教からキリストへ」亀谷凌雲物語                          2012/10/5
13 「日本人になったアメリカ人」メレル・ヴオーリズ     (2枚/組)2012/11/2
14 「日本で最初の女医J 荻野吟子物語                   (2枚/組)2012/12/7
15  暗闇から光へ 好地由太郎物語                      (2枚/組)2013/1/11
16  燃ゆる生命 亀井光子物語                          (2枚/組)2013/2/4
17  燃ゆる生命 亀井光子物語(続編)                  (2枚/組)2013/3/1
18 「一路白頭二至ル」留岡幸助物語                     (2枚/組)2013/4/5
19 “鹿鳴館の華”から”福祉の母”へ石井華子物語       (2枚/組)2013/5/10
20  1 0 0 歳のおばあちゃん先生”桝本うめ子物語        (2枚/組)2013/6/14
21  なぜ長崎に原爆が?平和への祈り 永井隆物語        (2枚/組)2013/7/5
22  二千人の混血孤児の母として 沢田美喜物語          (2枚/組)2013/8/2
23  三千人の孤児の「お父さん」 石井十次物語          (2枚/組)2013/9/6
24  エリートが挫折を経て大伝道者へ 金森通倫物語      (2枚/組)2013/10/4
25  ちいろば先生物語 榎本保郎の生涯(1)             (2枚/組)2013/11/8
26  ちいろば先生物語 榎本保郎の生涯(2)            (2枚/組)2014/1/10
27 「無私の愛に生きた伝道者」升崎外彦物語             (2枚/組)2014/2/7
28 「歓喜の聖徒」長尾巻物語                           (2枚/組)2014/3/7
29 「ハンセン病患者から母と慕われた数奇な生涯J 井探八重(2枚/組)2014/4/11
30 「その栄光と挫折の物語」 W.S.クラーク博士          (2枚/組)2014/5/9
31 「洞爺丸遭難で命を捨てたカナダ人」A.R.ストーン宣教師(2枚/組)2014/6/6
32 「名医、聖書全巻を日本語に訳す!」J.C.ヘボン博士    (2枚/組)2014/7/4
33 「車椅子の伝道者」三橋萬利物語                      (2枚/組)2014/8/8
34 「グンゼ」創業者 波多野鶴吉物語                     (2枚/組)2014/9/5
35  神様の台本のままに生きる 石川正一の青春           (2枚/組)2014/10/10
36  戦後の危機を救った女性 河井道 平和の使者として   (2枚/組)2014/11/7
37 「我、太平洋の橋とならん」 新渡戸稲造             (2枚/組)2015/1/9
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「名も無きクリスチャンの生涯」 長野キリスト集会企画:J.C.ヘボン・聖書を日本語に翻訳
               「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    聖書を日本語に翻訳した功労者、J.C.ヘボン博士 


 長野キリスト集会が主催されたセミナー(2014年9月)に招かれて、共に学び、主に豊かに祝福された三日間を過ごさせて頂いたときに、素晴らしいお土産を頂いた。それは、長野キリスト集会のリーダー、尾崎富雄先生による「聖書を読む会」における講義のCDである。
 そのタイトルで分かるように、名も無きクリスチャンについて詳細に調べて、彼らの信仰を温かく伝えている。その要約を順次、ご紹介する。いずれも実に敬虔なクリスチャンたちの感激の生涯が語られているので、是非CDを聴いてみられることをお薦めする。これは、長野キリスト集会で2011年10月7日から始まった特別企画である。
必ずしも「名も無き」人々ではないが、詳細に調べ、それぞれの方々の人柄と信仰を誠実に伝えておられる。これらの方々の証は非常に感動的で一人の信仰者として大きな励ましを受けるCDばかりである。
このシリーズ、1〜37まで、37名の方々についてCDがある。
                ******************
「聖書を読む会」特別企画   タイトル「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  メッセージはゴスペルホール代表、尾崎富雄氏による
  第1回  2011年10月7日(金)
  第36回 2015年1月9日(金) 
    各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 TELFAX026-295-6705
               ******************

名医、聖書全巻を日本語に訳す!

辞書も満足になかった時代に、聖書和訳という偉業を成し遂げた中心人物は、何とアメリカ人だった。
結婚後、医師として不動の名声を勝ち得ていたヘボンであったが、開国したばかりの日本に福音を伝えることこそが自分の使命と確信し、周囲の猛反対を押し切って、まだキリシタン禁制の1859年に来日。
当時は外国人排斥の空気が強く、ヘボン夫妻も命を狙われる日々が続いた。しかし無料診療所を開き、五ヶ月間で3千5百人の患者の手当をし、次第に信頼と名声を勝ち得ていく。
その中で当時の日本人の寿命が短い原因は不道徳と罪にあることを見抜き、「人間の不幸に対する唯一の万能薬」である福音を伝えるために聖書翻訳を決意。日本人の協力を求めながら、ただ一人最初から最後まで関わった。
実に完成まで28 年を要する大事業であった。また妻クララが英語を教えることから始まったヘボン塾は、やがてフェリス女学院、明治学院へと発展していくことになる。今回は、日本の恩人とも言うべき、ヘボン博士の波瀾万丈の人生にスポットライトを当てます。
(尾崎先生の勉強会の案内文をそのまま書き写した。)

美しい文語体日本語で書かれた聖書

ヘボン式ローマ字として定着しているので、日本人でヘボン博士の名前を知らない人は少ないだろう。
しかし、今回、このCDを聴いて感激を新たにした。

文語体の聖書は、参考にしたいときに時々開く程度であるが、日本語はこんなに美しかったのだと感激することがしばしばある。筆者は当然戦後教育を受けたので、文語体はやはり得意ではないが、それでも時として文語体を美しいと感激する。この文語体を余り苦労しないで読めるなら、文語体聖書を中心に聖書を読むのだけれど、と残念に思うこともある。

今回、この美しい日本語に翻訳したのが、アメリカ人であったということにびっくりし、これだけの労苦を払って日本人のために翻訳したヘボン博士に感謝の念を熱くした。是非、その詳細を語るこの講演のCDを聴かれる事をお薦めしたい。
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地上の星 名も無きクリスチャンの生涯シリーズ 【供曄/恒並整賚叉擇啣貔酲彦 
「地上の星 名も無きクリスチャンの生涯シリーズ」【供 

 長野キリスト集会のリーダー、尾崎富雄先生による「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズの紹介、第二弾である。
 前回ご紹介した人々以外のCDについて、今回また幾つかをご紹介する。

                ******************
「聖書を読む会」特別企画   タイトル「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  メッセージはゴスペルホール代表、尾崎富雄氏による
  第1回 2011年10月7日(金)
  第37回 2015年1月9日(金) 
    各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 TELFAX026-295-6705
               ******************

名もなきクリスチャンの生涯 (2)2011114()   
                           森永製菓創業者=森永太一郎物語=


 佐賀県伊万里で一番の豪商の家に生まれながら、6歳の時に父が死に、財産を失い、苦難の人生を強いられた太一郎は、叔父に商人の心構えを叩き込まれ、陶器販売の仕事を覚え、明治21(1888)年24歳の時に単身渡米した。米国では「ジャップ」等となじられるほどの人種差別による迫害もあり、仕事を転々としたが、日本では誰も手掛けていなかった西洋菓子の製造に目を付けた。

 そして、
当時そこで出会った洋菓子とキリスト信仰によって人生を根底から変えられた。昭和10年、社長を退きキリスト教の伝道活動を開始した。晩年は、「我は罪人の頭なり」と題して、全国で講演活動をした。

名もなきクリスチャンの生涯 (3)20121月13()  賀川豊彦物語

  

 
























賀川豊彦が「地上の星」と言われるのに反論のある人はいないだろうが、「名も無きクリスチャン」というにはあたらないのではないかと思うほど、賀川豊彦はクリスチャンにも、またそれ以外の人々にも相当よく知られている人である。しかし、知られているのは彼の生涯のある側面、そして多分光り輝く側面だけだろう。詳細な調査に基づいて、この偉大な人物が、どのようにキリストに従った敬虔な生涯を送ったかが明らかにされることは非常に興味深い。

 
 賀川豊彦は明治21年生まれ、大正・昭和の時代にキリスト教社会運動家、社会改良家であり、労働運動、農民運動、生活協同組合運動などにおいて、重要な役割を果たした。キリスト教における博愛精神を実践した「貧民窟の聖者」として世界的に知名度が高い。 
 

 妻の賀川ハルも社会運動家。女工のハルと貧民窟で出会い、大正2年に神戸の教会で簡素な結婚式を挙げた。ハルは15歳で下女となるために上京した女性だった。


 賀川は貧民窟で下層の貧民らを招いて豪華な披露宴を行って、下層民たちにご馳走を振る舞い「私は皆さんの女中をお嫁に貰いました。あなた方の家がお産や病気で手が足らなくて困った時には、いつでも頼みに来てください。喜んで参ります。」と紹介したという。
                                        
 賀川豊彦は次のような言葉を残している。
子供は食う権利がある。子供は遊ぶ権利がある。子供は寝る権利がある。子供は叱られる権利がある。・・・ところが本当に子供を叱る人が少なくて、怒る人が多いのである」


                                                                                       写真   賀川豊彦と妻ハル
 
  感動の一言である。昨今、筆者はこのことに憂いを抱いている。それが、大昔、賀川豊彦の時代にすでにこのような徴候のある日本の社会だったのだと感慨を新たにする思いである。                            
                              

 



 
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名も無きクリスチャンの生涯シリーズ紹介:長野キリスト集会の特別企画 
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ 

 長野キリスト集会が主催されたセミナー(2014年9月)に招かれて、共に学び、主に豊かに祝福された三日間を過ごさせて頂いたときに、素晴らしいお土産を頂いた。それは、長野キリスト集会のリーダー、尾崎富雄先生による「聖書を読む会」における講義のCDである。
 そのタイトルで分かるように、名も無きクリスチャンについて詳細に調べて、彼らの信仰を温かく伝えている。その要約を順次、ご紹介する。いずれも実に敬虔なクリスチャンたちの感激の生涯が語られているので、是非CDを聞いてみられることをお薦めする。これは、長野キリスト集会で2011年10月7日から始まった特別企画である。
筆者が頂いたCDは以下の十三人の方々のCDである。
このシリーズ、1〜36まで、36名の方々についてCDがある。今後、後23名のCDについて聴いて、順次ご紹介する。

                ******************
「聖書を読む会」特別企画   タイトル「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  メッセージはゴスペルホール代表、尾崎富雄氏による
  第1回 2011年10月7日(金)
  第36回 2014年11月7日 
    各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 TELFAX026-295-6705
               ******************

名も無きクリスチャンの生涯 (4)  大原孫三郎と倉敷の奇蹟 1枚
 石井十次というクリスチャンに出会い、自らもクリスチャンとなった大原は、大胆な信仰と類い希な商才で巨額の富を手にするが、それを惜しげもなく孤児院や美術館のために注ぐ。大原の人生を変えた聖書について一緒に考える。


名も無きクリスチャンの生涯 (5)  友無き者の友となりて・西村久蔵 1枚
 作家、三浦綾子さんがクリスチャンになるきっかけとなったのは「愛の鬼才」と言われた西村久蔵氏との出会いでした。北の大地で、真実一筋に生きた愛の人、西村久蔵の信仰と苦闘の足跡を辿ります。 

名も無きクリスチャンの生涯 (6)  白洋舎創業者・五十嵐健治 全3枚
名も無きクリスチャンの生涯 (7)  白洋舎創業者・五十嵐健治・続編
 8ヶ月で生母と別れ、5歳で養子となった五十嵐健治は、一攫千金を夢見て16歳で家を出、波瀾万丈の道を歩みますが、やがてキリストに出会い、人の垢を洗うクリーニング業に辿り着きました。熱烈な信仰に貫かれた、クリーニングの「白洋舎」創業者の生涯を辿ります。

名も無きクリスチャンの生涯 (12)  仏教からキリストへ・亀谷凌雲 1枚
 浄土真宗の開祖、親鸞上人の八代目の孫にあたる蓮如上人の家系に長男として誕生。旧制四高から東京帝大に進み、哲学、比較宗教学を学ぶが、仏教に本当の答えはないと煩悶。悩み抜いた末、聖書こそが真理と確信し、クリスチャンとなる。凌雲が生涯の拠り所とした聖書の真理について学びます。

 
名も無きクリスチャンの生涯(16)  燃ゆる生命・亀井光子 4枚
名も無きクリスチャンの生涯 (17)  燃ゆる生命・亀井光子・続編
 不治の病による闘病生活20数年。絶望と苦悩の死の淵で、「何故私だけがこのようにひどい苦しみを受けなければならないのか? 私は生まれてこない方がよかった!」と絶叫した亀井光子が、死の宣告を受けて八年後、「生きていてよかった!」と喜びと希望に溢れていた! 彼女に生きる意味と目的を与えた聖書について学びます。

名も無きクリスチャンの生涯 (19)  鹿鳴館の華から福祉の母へ・石井筆子 2枚
 日本初の女子留学生としてフランスに留学。帰国後は家族女学校の教師となり、その美貌から「鹿鳴館の華」と謳われ、社交界でも注目を浴びた。しかし、恵まれた筈の結婚後、運命は暗転する。生まれた三人の子のうち、二人は知的障害があり、後の一人は衰弱で出産後ほどなく死亡したのである。数々の危機を乗り越え、神に頼りつつ、信念を貫き、現在の知的障害教育の礎を築いた筆子の生涯を辿ります。
 

名も無きクリスチャンの生涯 (21)  なぜ長崎に原爆が?平和への祈り・永井 隆 2枚
 明治41年、島根県に生まれ、長崎医科大学の医者となる。当時不治の病とされていた結核の研究のため、何百人ものレントゲン写真を撮るうちに白血病にかかる。昭和20年8月9日に爆心地から700メートルの診察室で被曝。病床に伏し、43歳の若さで召天。博士の「平和を」の願は多くの人の心の中に生きている。

名も無きクリスチャンの生涯 (22)  二千人の混血孤児の母として・沢田美喜 2枚
 1901年、三菱の三代目総帥、岩崎久弥の長女として生まれる。キリスト者だった沢田慶三と結婚して自らもクリスチャンに。1947年2月、ごった返す列車の中で黒人嬰児の死体が入った風呂敷包みが美喜の上に落ちてきた。警察にあらぬ疑いを掛けられ、罵詈雑言を浴びる。疑いは晴れたが、このことを機に混血児救済を決心。戦後の混乱期、二千人近い孤児を引き受け、育てた美喜の生涯を辿ります。
 

名も無きクリスチャンの生涯 (29)  ハンセン病による数奇な生涯・井深八重 2枚
 会津藩家老の家柄に生まれた八重は、英才教育を施されて、長崎女学校へ赴任。ところが縁談を前に肌に赤い斑点が現れ、精密検査を受けたところ「ハンセン病」と診断。名門井深家より籍を抜かれ、隔離入院。入院した病院長のレゼー神父と患者たちの明るい姿を見て今まで知らなかった世界を発見する。その後、八重のハンセン病診断が誤診だったことが判明するが、八重は敢えて病院に残ることを決断。「自分がここにいることは恵みです。神様からこの場を与えられたことを感謝します」と明言した八重の生涯を辿ります。

名も無きクリスチャンの生涯 (30)  その栄光と挫折の物語・W.S.クラーク博士  2枚
 Boys be ambitious (青年よ 大志を抱け)で余りにも有名なクラーク博士は、以外にも母国アメリカではほとんど知られていない。札幌農学校(現北海道大学)の礎を築いた8ヶ月という短期間で、日本、また日本人に与えた影響の大きさは計り知れない。その背後には、クラーク自身の若き日の信仰覚醒、アマースト大学での新島襄との出会い等が大きく関わっている。内村鑑三、新渡戸稲造など、世界に影響を与える人物に感化を与え、今日も日本人の記憶に鮮明に残りながらも、多くを知られることのないW.S.クラークの実像に迫ります。

名も無きクリスチャンの生涯(31) 洞爺丸遭難で命を捨てたカナダ人A.R.ストーン宣教師 2枚
 昭和29年(1954年)9月26日夜、台風15号に襲われた青函連絡船「洞爺丸」は荒れ狂う海の中で木の葉のように翻弄され、やがて沈没した。行方不明者1155人という日本海難史上最大の惨事である。この沈没寸前の船内で、恐怖におののく乗客たちを励まし、慰め、自ら付けていた救命胴衣を日本人乗客に譲り、自らは海に呑み込まれていった宣教師たちがいた。その一人がアルフレッド・ストーンである。今まで余り知られることのなかったその生涯にスポットライトを当て、その人となりに迫ります。

 
名も無きクリスチャンの生涯 (32) 名医、聖書全巻を日本語に訳す!J.C.ヘボン 2枚
 辞書も満足になかった時代に、聖書和訳という偉業を成し遂げた中心人物は何とアメリカ人だった。結婚後、医師としての不動の名声を勝ち得ていたヘボンであったが、開国したばかりの日本に福音を伝えることこそが自分の使命と確信し、周囲の猛反対を押し切ってまだキリシタン禁制の1859年に来日。当時は外国人排斥の空気が強い中、多くの患者の手当をし、次第に信頼と名声を勝ち得ていく。その中で当時の日本人の寿命が短い原因は不道徳と罪にあることを見抜き、「人間の不幸に対する唯一の万能薬」である福音を伝えるために聖書翻訳を決意。日本人の協力を求めながら、ただ一人最初から最後まで関わった。日本の恩人とも言うべき、ヘボン博士の波瀾万丈の人生を紹介します、

名も無きクリスチャンの生涯 (33) 絶望の淵から希望の生涯へ・三橋萬利 2枚

 1928年(昭和3年)、青森に生まれるが、小児麻痺のため、両足と右手の機能を失う。小学校にも入学できなかったが、全くの独学で大学入学資格検定の一部学科に合格。21歳の時クリスチャンになり、その喜びを伝えようと伝道者を志す。妻となった幸子は看護学校を中退して勘当されるが、二人はそれに屈せず、四面楚歌の中、軽井沢聖書学院にて学びと訓練を受ける。その後、函館、札幌で教会を設立。幸子夫人の背に負われて、日本国内、又世界数十ヶ国を訪ね、聖書メッセージを伝えた。2004年、台湾より帰国直後の日曜日「神に会う備えをせよ」と礼拝メッセージをしたその夕方に、天に召された。劇的な、しかし、満ち足りた生涯であった。


 
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