地上の星・名もなきクリスチャンの生涯: 時代の良心・北村徳太郎物語
地上の星「名もなきクリスチャンの生涯」シリーズ

長野キリスト集会の尾崎先生による講演、今回は北村徳太郎(右の写真はWikipediaより)についてご紹介する。少し読みづらいのでチラシの下に、紹介文だけをコピーするので、それをお読みください。
また、長野キリスト集会のホームページには講演がアップされているので、是非お聴きください。この北村徳太郎のみならず、大勢の名もなきクリスチャンの生涯が紹介されており、大きな感動を覚えられると思います。






時代の良心 北村徳太郎物語
日本にかつて驚くほど無私の政治家がいた。「日本が第二次世界大戦で敗け、今までにない混乱と困窮の最悪状態にあった時、神は二粒の麦の種を国会に与えた」と元総理大臣中曽根康弘は述べている。その一人は片山哲首相、もう一人は運輸大臣を務めた北村徳太郎。ふたりともクリスチャンである。
 
徳太郎は幼少時より虚弱体質で、二人の兄も早逝した。少年の頃より人間の死について深く考えるようになったのも自然であった。阿弥陀如来に帰依したいと思ってもその客観的実在が信じられず、論語を学んでも「われ未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」との箇所を読み、絶望した。しかし、トルストイの作品に親しむうちに聖書を知り、やがて賛美歌の歌詞を読みふけるうちに輝く希望を見出していった。そして熱心に聖書を読む日々が続く中で、不思議にも健康をとりもどしていったのである。
 
大阪の北浜銀行に入行してキリスト信者の先輩と接し、教会に通うようになった。初めて富士登山をして大自然の荘厳さと美しさに圧倒された徳太郎は、それまで自分という小さなものさしで神を測ろうとしていた愚かさに気づき、神に従う決心をして下山し、洗礼を受けた。
 
大正4年の北浜銀行破綻により、鈴木商店、播磨造船、神戸製鋼所、佐世保商業銀行(常務、頭取)、佐世保商業会議所(会頭)と、活躍の舞台は変わったが、それぞれにおいて人々の心に忘れがたい功績を残した。終戦翌年の昭和21年、60歳の北村は、政界への転身を決意。以降7回連続当選を果たし、片山哲内閣の運輸大臣、芦田均内閣の大蔵大臣を務めた。対共産圏との関係改善のため日ソ東欧貿易協会会長に就任したほか、日中国交回復にも尽力した。
 
父の熱烈な信仰を受け継ぐ英才の誉れ高い一人息子を27歳で天に送る、という悲哀も味わうが、その信仰は終生変わることなく、「一書の人」と称されるように、聖書に学び続ける人であった。
今回は、知られざるクリスチャン政治家、北村徳太郎の生涯から学びます。
 
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地上の星:人を恐れず天を仰いで 「広岡浅子物語」
「地上の星」シリーズ ご案内

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「聖書を読む会」特別企画  
「地上の星--名もなきクリスチャンの生涯」
  ゴスペルホール代表、尾崎富雄氏
  第1回 2011年10月7日(金)
  第48回 2016年2月19日 
 各回、平均CD2枚に納められている
問い合わせ先 長野キリスト集会 
〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8
 TEL・FAX026-295-6705

「地 上の星」リスト・2016年3月

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長野キリスト集会の「名も無きクリスチャンの生涯」シリーズはタイトルの如く、取り上げられる人物は、ほとんどが名のないクリスチャンたちの生涯である。講師は尾崎富雄先生で、詳細に調べキリスト者としての視点からまとめて話されるので、含蓄のある話になっている。

興味のある人は、上に上げたサイトに講演がアップされているので聴いて見て下さい。伝道に心を用いている人は、このCDは役に立つだろうと思います。

今回は時の人、広岡浅子である。NHKの宣伝力のおかげで、無名だった一人の女性が突如として、日本中に知られる人物になったようであるが、どうやらかなり魅力的に作り変えられている話らしい。NHKで放映しているドラマが、広岡浅子がモデルの小説のドラマ化したものだとは知らなかったが、このドラマに触発されたのかどうか、民放で彼女の生涯を取り上げていたのを聞いて、まさしく度肝を抜かれた。あの時代に、こんなにすごい人がいたのが信じられない気がした。今の時代でも、彼女ほどの生き様を貫き通すことの出来る人がそうそういるだろうかと思わされた。この驚異的なスケールの大きさは生まれつき与えられた才能だろう。

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上にコピーした要約は、読みづらいので、下に書き改めて示す。

9月から放送されるNHK 朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン、「今井あさ」(後に白岡あさ)のモデルとなった女性である。豪商三井家の四女として生まれ、17歳で大阪の豪商、加島屋の次男、広岡信五郎に嫁ぐが、夫は三味線や茶の湯など風雅に興じ、店は手代に任せきり。

この危機に、浅子は簿記、算術、今律、経済の知識を、寝る間も惜しんで習得し、のちに加島屋を救うことになる。20歳の時、明治維新が起こり、家運の傾いた加島屋の立て直しに奔走する。

さらには炭鉱事業に着手。護身用のピストルを懐に単身炭鉱に乗り込み、坑夫らと起き伏しを共にした、という冒険談も伝えられている。明治21年には、加島銀行を設立、35年に大同生命創業に参画して、加島屋は大発展を遂げた。


明治29年、梅花女学校の校長、成瀬仁蔵の訪問を受けたことがきっかけとなり、浅子は明治の元勲を含む人脈を駆使し、実家の三井家も目白台の土地を寄付させ、明治34年に、日本女子大学校(現・日本女子大学)設立にこぎつけた。

ところが60歳のとき、長年放置していた胸のしこりが乳癌の末期となっていたことを知る。手術は成功し、自分が無事生還できたのは、まだなすべき使命があるからではないか、と思っていたとき、熊本バンド出身の牧師、宮川経輝より懇切に聖書を学ぶ機会を得て、ついに受洗。クリスチャンとしての新しい人生が始まった。

婦人運動や廃娼運動にも参加し、大正3年からは毎夏、御殿場で若い女性を集めた合宿勉強会を主宰。参加者には若き日の市川房枝や村岡花子らがいた。「私は、遺言はしない。普段言っていることが、皆遺言です」と言っていた浅子は1919年(大正8年)、波乱万丈の生涯を終え、天に召されていった。


今回は、テレビ放送では扱われることのない浅子のクリスチャンとしての側面にも光を当てて、その生涯から学びます。

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死は受け容れ難いか? 死は永遠の国への凱旋か?
死は誰にとっても受け容れ難いか?

朝のひととき、テレビから耳に飛び込んできた一言、「誰にとっても死は受け容れ難いものですが・・・」に思わずもテレビを見に行ったところ、末期ガン患者の緩和医療の話であった。確かに、死は肉体が滅びることであり、物質、すなわち「見えるもの、触れるもの、数値化できるものなど」が全てである考えでは、死は「肉体の滅び」であり、全ての終わりを意味している。

死を具体的なこととして認識するのは、愛する人、身近な人の死であり、それは辛く、惨めな状況下に起こることが多い。どのように死がやってくるとしても、肉体的には苦しい体験を通らずに辿り着くことはまれであり、大なり小なり痛みを伴う苦しみを嘗めなければならないので、当人にとってはもとよりのこと、周りの人々にとっても堪え難い出来事である。

生命が尽きるということはそれくらい大変な出来事なのであり、死に至る過程は確かに恐ろしい。どれだけの時間、どのような精神的、肉体的苦しみが襲ってくるか誰にも分からないが、楽に死に至ることは少ない。充分長生きして、静かに生命の炎が燃え尽きる場合は、死の瞬間は確かに苦しまずにすんなりと息絶えることが出来るかも知れないが、それに至る「苦しみ抜きに」、とはいかないのが普通である。

医療が進歩して、ただ息をしている状況を永続きさせることが医療行為として推奨されなくなったのは昨今のことである。ペインクリニックも発達し、またホスピス活動も少しずつ広がっている。肉体的に余り苦しまないで、命を終えたい、終えさせて上げたいという動きが表面化してきている。

ところが、このような事情は、世界観・死生観には余り関係がないように思われる。「誰にとっても死は受け容れ難い」というのは、死に至るまでは心身共に様々な苦しみを経由しないと死ぬことは出来ないということ以上に、もっと深刻な意味を持っていると思われる。物質的価値観にどっぷり浸っている思想では、死はどういうことか全く分からない不気味な世界である。充分長生きした後でも、やはり死は完全に未知の世界であり恐ろしい。

特に日本人は信仰深い人々であって、一人の人が数多くの宗教を「掛け持ち」する不思議な現象が当たり前になっている。つまり死後の世界が分からない、死後地獄に堕ちると脅かされるので、どれも大して御利益がありそうには思えないが、幾つもの偶像を拝んでおけばちょっとは何かあるかもとから頼みする。それでも心配なので、「死は受け容れ難い」ことになるのである。

この世の命を終えて、永遠の希望の国に喜んで凱旋する

地球史、人類史を本当に知った時に、自分がどこから来て、死後どこに行くのか明らかになる。今の命は言うなら一時的に与えられた命であり、幸せに生きたいと願うなら、真実の命を見つめる必要がある。

どのようにして宇宙が、地球が創造されたのか。どのようにしてこの地球に、人々の命が豊かに生きるように創造されたのか。何故、破綻もしないで支えられているのか。誰が、地球を、人を護っていて下さるのか。

そして、死後、どうなるのか?

死に至る道のりは、大抵は険しい。辛いことは山ほどあるかも知れない。しかし、それを一瞬たりとも目を離さず見守っていて下さる方がおられるのである。
最高の人生を歩んだ後にこの肉体は滅び、人間の実質は新しい体を戴いて希望と幸せの満ち満ちている神の国に凱旋することが出来るのである。これは、イエス・キリストを救い主として信じた者には誰でも、一人残らず与えられている約束である。

クリスチャンにとって死は決して受け容れ難いものではない。ある意味で喜びの凱旋である。死に至る道のりは険しくても、行き着く先は光り輝く神の国であるからである。












 
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イエス・キリストが地上に降誕された日: 秋の「仮庵の祭り」の時が真のクリスマス
初めて聞いた讃美歌

一 諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
  久しく待ちにし 主は来ませり
  主は来ませり 主は、主は来ませり

小学校3年生の時だっただろうか、初めてこの讃美歌を耳にしたのは。
キリスト教とか、イエス・キリストとかに関しては完全に無知であったから、この歌詞も全く意味が分からなかった。


中学校の演劇大会だったのだろうと思う。ある学校が発表した演劇は、恐らくはイエス・キリストの生誕を扱ったものだったのだろうと思う。ただ、中学生たちの演じたこの劇については何も覚えていないのに、その劇の最後に歌われたこの「もろびとこぞりて」だけが耳の奥にとどまって、そして一回聞いただけで、この讃美歌を覚えているのは不思議である・・・歌詞を全て覚えたということではないが。どうしてあんなに耳の奥にこの曲が留まったのだろう? 「主」とはイエス・キリストのことだとは夢にも知らず、その主がなぜ、いつ、どのようにして来られたのかも全く分からなかったのに、それでもこの歌詞は耳の奥に残った。

四 萎(しぼ)める心の 花を咲かせ
   恵みの露(つゆ)置く 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり
 
五 平和の君なる 御子を迎え
  救いの主とぞ 誉め称えよ
  誉め称えよ 誉め、誉め称えよ

初めてこの讃美歌を耳にしてから幾十年、どうしてだかこの讃美歌が心の奥底にしっとりと染み付いている。

キリストの御降誕を感謝する礼拝

筆者が礼拝を献げているグレイス・チャペルでは、イエス・キリストが本当に地上に御降誕なさった日にその感謝の礼拝を献げている。今年、2015年は本日、9月27日にその感謝の礼拝が献げられた。
 
この礼拝の中で、この古典的ですばらしい賛美が献げられた。
ご自身を献げ尽くされたイエス・キリストのお苦しみと愛を思って、歌詞の心をしみじみと噛みしめ、新たに心が痛み、そして喜びで満たされるひとときとなった。

現在、キリスト教会はもとよりのこと、未信者も又他の信仰を持っている人も、クリスマスの御祝いをする。クリスマスがイエス・キリストのご生誕を御祝いする日であることを知らない人はいないだろう。知っていても、余り深く考えないで12月25日をキリストのお誕生日として御祝いをしている。
イエス・キリストは一度死に、そして甦って今も生きておられるので、2000年経った今も人々はその方の誕生日を御祝いするのである。


イエス・キリストの真のお誕生日について、少し詳しく記載し、又その講演のCDをこのブログに記載しているので、興味のある方は参考にされたい。

仮庵の祭り:キリスト降誕祭礼拝(CD音声)



 







 
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「国賊」と罵られた内村鑑三の不敬事件・・・明治時代の出来事と見過ごせない今の日本
テレビで内村鑑三が取り上げられていた。

日本を帝国主義に暴走させ、遂に太平洋戦争まで引きずっていった悪名高い「教育勅語」が発布されたのが、1890年(明治23年)である。その翌年1891年明治24年)1月9日、第一高等中学校の講堂で教育勅語奉読式が挙行され、内村鑑三が天皇晨筆の名に対して最敬礼をおこなわなかったことが同僚教師や生徒によって非難され、それが社会問題化したのが「不敬事件」である。写真は、この事件から10年後、1901年札幌を訪れた時のものである。

内村鑑三はこの「不敬事件」によって国賊と罵られ、甚だしい屈辱的迫害を受けたようである。そして、第一高等中学校を免職になった(形の上では依願退職であるが、辞表の書体は内村の字ではないらしい)が、このときに彼を迫害したのは教会外の人々だけではなく、キリスト教会がことごとく彼を見捨ててしまった。
このことによって、彼はこの世の「教会」という名の組織を否定することになり、いわゆる「無教会」という考えを持つに至ったという。現在のいわゆる無教会派が、内村の目指した無教会を実行しているかどうかは別として、彼の無教会の考えには共鳴するものを筆者も持っている。

ついでに言うと、「教会」と翻訳された言葉、「エクレシア」は「神に呼ばれた人々の群れ」であって、一般に理解されている、いわゆる「教会」ではない。ましてや、教会堂という建物を意味しているのではない。
内村鑑三が「無教会」についてどのような哲学を持って提示したか、その内に時間を見つけて深く学んでみようと思う。

ちなみに、内村鑑三はこの事件のために非常に長く苦しめられたようで、それが経済的な困窮だけではないようで、どのようなことであったのだろうか? 社会の理不尽と戦うという姿勢でもなかった気配もあり、さらに共に歩む人も、理解者さえいなかったようで、その孤独に苛まれたのであろうか? 毅然として戦ったように勝手に想像していたので、これはびっくりであった。

ともあれ、この内村鑑三への「国賊」呼ばわりをして、高等中学校を「クビ」にした明治の出来事を聞いて、ふと、ついこの間大阪で同じようなことが起こったのを思いだした。
「国旗に敬礼しなさい。国歌を斉唱しなさい」と公立学校の教師たちに強制し、従わないと処罰される。
「この道は いつか来た道。」

こうして、日本は今、かつて辿ったよく知っている懐かしい道を、また辿ろうとしているのだろうか? 平和憲法を変更して、戦争地区に「自衛隊」を派遣し、様々な形で戦争支援を出来るようにしようとしているのも、同じ道である。かつてしでかした歴史の間違いに目をつむって、ごまかし続けているから戦後処理がいつまでも出来ない日本の国である。
今や日本国民の8-90%は戦争を知らない人々である。戦争の恐ろしさを知らない人々が、次の戦争に突っ走ろうとしているのではないだろうか?


 
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人の始祖アダムの息子カインの妻はどこから来たのか? CRJのスカイプセミナーご案内
カインの妻を巡る不思議な討論会

キリスト教会にはかつて不思議なことがあった。

アメリカで神学者と進化論学者との公開討論みたいなものがあり、「カインの妻はどこから来たのか?」と質問された神学者は答えに窮したという、ウソみたいな本当の話である。カインが妻と交わり、子をなしたという場面で記載されている登場人物は、アダムとエバの夫婦、カインとすでに殺されていたアベル、それだけであり、舞台は全くシーンとしている。この中からカインの妻を探すのはもちろん不可能である。

カインの妻はどこからきたのか?

創造主は最初の人アダムとその妻エバを創造なさった。二人に息子が与えられ、カイン(獲得というニュアンス)と名付けられた。
カインにアベルという弟が生まれ、それから様々なことがありカインは弟アベルを殺し、神様の叱責を受け、土地を追われた。

創世紀4章16〜17節
カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。


カインはその妻を知った。」と翻訳されている「知った」は、男女の交わりがあったことを意味している。そのことは、教会でも説明されてはいるが、それでも、このエデの地で二人が知り合ったような印象を与えているが、それは不明である。

CRJスカイプセミナー

クリエーション・リサーチ・ジャパンは月に一回、初級と中級とを分けてスカイプセミナー(原則、第三金曜日午後8時〜9時半)を行っている、次回、6月26日(金)にこのカインの妻について共に考える。
CR誌34号で、「創造論の疑問・難問 カインの妻と福音」という特集が組まれている。この特集を読んでおいて、この記事に関する質疑応答を通して、理解を深める予定である。

CRJ会員であれば、誰でもこのスカイプセミナーに参加できるので、CRJオフィスに申し込んでください。また、会員でなくても、この重要な疑問に答えが欲しいと思われる方は、CR誌34号をオフィスに申し込んで下さい。

URL: www.sozoron.org
E-mail: office@sozoron.org





 
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「地上の星」 名も無きクリスチャンの生涯:韓国の孤児3千人の母、田内千鶴子の貧しく美しい生涯
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    韓国の孤児3千人の母 田内千鶴子物語 


   第39回 2015年3月6日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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キリストの香りを漂わせて生涯を美しく生きた女性。まさしくキラキラと輝く「地上の星」という最高の勲章を与えるに相応しい生涯を生きた人だったのだろう。

現在、日本と韓国とはギクシャクしていて、「憎しみ、怒り、復讐の怨念」が韓国の生きるエネルギーになっている気配が漂っている。しかし、歴史的にかつて両国は、地理的に近いだけではなく、人々の交流、文化的接触も、まさしく親しい関係にあった。朝鮮半島から訪れる人々はひとかどの教養人であり、大陸の文化(文明も)が朝鮮半島を通して日本にもたらされ、日本人に尊敬され、篤くもてなされた人々であった。このように朝鮮半島からのお客様は、尊敬と厚意を持って迎えられ、日本の社会に融け込むことから両国の関係は始まったのである。

日韓の関係がおかしくなったのは、いつから、どのようにしてという歴史的な話をするつもりはない。今は、この一人の美しい生涯を生きた日本女性に焦点を当てて、メッセージに耳を傾けたい。
日本人でありながら、韓国で孤児のために全てを捧げた一人の女性が、彼らに母として慕われるようになり、戦後、国家間の醜い憎しみ・争いの「ドロドロ」を背負わされた彼女を庇ったのは、かつて彼女が庇護した孤児たちであった。

この講演を、一人でも多くの方に聴いてほしいと切に願う。
心にわだかまりを持っている日本人に、政府から負の教育を受け続けている韓国・北朝鮮の人々に、そして、最も聴いてほしいのは、両国の政治家たちである。国民の怒りや不満を外国に向けさせて、自国での我が身の権力、経済力と安全を画策する韓国の政治家たち、無責任な政治を繰り広げて国民を騙し、やはり我が身の権力、経済力と安全を確保することしか考えていない日本の政治家たち。

一般民衆は彼らとは比較にならないほど美しい人生を歩んできたし、今も歩んでいるのである。その実例に涙し、悔い改めて欲しいと切に願う。

大波小波を乗り越えた後の記録は輝かしくまぶしい。
1965年、韓国文化勲章国民賞を受賞し、その3年後、孤児を育てた共生園のある木浦市で死去した。木浦市では市民葬を行い、実に3万人が参列したという。田内の生涯は「愛の黙示録」という題名で、日韓合作で映画化された。

2015年3月(3ヶ月前)、日韓国交正常化50周年を記念して、白建宇のピアノリサイタルがサントリーホール(東京都港区)で行われ、田内の息子(現在共生園園長)も参加した。
尾崎先生が木内千鶴子を取り上げられたのは、このような機運に連動されたのであろうか。


 
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「地上の星」 片山日出雄大尉:アンボンの真実・上官の罪を負わされ銃殺された
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
        片山日出雄大尉:アンボンの真実・上官の罪を負わされ銃殺された 


   第9回 2012 年 7 月 6 日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705
             
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上記より、転記。
「・・・処刑にあたった8人のオーストラリア兵は、「義人を殺した」という罪責感からみな寝込んでしまった、と言います。享年29歳。短くも気高いその生涯の終わりを、片山大尉がこよなく愛した聖書を手がかりに学びます。」

ロマ書12章17節〜21節
  だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
  あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
  愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
  もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
  悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

テモテへの手紙第二4章6節〜8節
  私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
  私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
  今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。


 
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「地上の星」 名も無きクリスチャンの生涯: 斉藤宗次郎と「雨ニモマケズ」
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                          斉藤宗次郎と「雨ニモマケズ」 


   第1回 2011年10月7日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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「地上の星」という名前の由来をこのCDの説明を聴くまで筆者は知らなかったが、それでも「地上の星:名も無きクリスチャン」というタイトルの意味は明白であり、大きな魅力を感じるタイトルだと思った。ともあれ、中島みゆきという人の詩であり曲を付けて歌ったらしく、NHKの番組のテーマソングだったようである・・・知らなかったのがどうかしているほど知られているそうである。詩をここへ書いて紹介するほどのこともないと思うし、また著作権の関係でどうやら書けないようなので、ご存じでない方は簡単に探せるので調べられたい。

宮沢賢治の有名な「雨ニモマケズ」の詩には実在のモデルがいた。この「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズで、この「雨ニモマケズ」のモデルとなったと思われる斉藤宗次郎が第一回に取り上げられた。
賢治研究者の栗原敦は、「『雨ニモマケズ』には賢治の嘆きや弱さがにじんでおり、安易に斎藤に重ねることは、迫害に耐えた強固なキリスト者としての斎藤の独自性を見逃すおそれがある」と指摘している。

ただ、宮沢賢治はこの詩の最後を「そういう者に私はなりたい」と結んでいるのである。具体的なモデルがなければ、このような詩はなかなか書けないという気がするし、例え想像で書いても、この結びにはならないだろうという気がする。宮沢賢治は斉藤宗次郎を心底から尊敬していたから、この詩をこのように締めることが出来たのではないだろうか。

斉藤宗次郎をこのシリーズで最初に取り上げようと思われた理由は、彼が内村鑑三の愛弟子であったということかも知れないと推測する。内村鑑三は晩年多くの弟子に裏切られ「弟子を持つの不幸」という文まで書いたのであるが、斉藤宗次郎はどこまでも誠実で、1930年、内村が死の病の床についていたときには、隣室に泊り込んで日夜看病して尽くしたという。

斉藤宗次郎の感激の生涯を紹介して、最後にイザヤ書に預言されているイエス・キリストのことを語ってメッセージの締めくくりをしておられる。





 
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名も無きクリスチャンの生涯:神様の台本のままに生きる、石川正一の青春
「地上の星:名も無きクリスチャンの生涯」シリーズ
                    神様の台本のままに生きる 石川正一の青春 


   第35回 2014年10月10日(金) 尾崎富雄氏
   問い合わせ先 長野キリスト集会 〒381-0082 長野県長野市上駒沢918-8 
                                  TELFAX026-295-6705

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今回ここでご紹介するのは、23年7ヶ月の短い命を燃焼し尽くした石川正一さんという筋ジストロフィーを背負って生きた青年の生き様である。筆者は全く知らなかったのだが、本を出版しベストセラーになり、映画にもなったので相当有名になった人であるらしいので、ご存じの方もおられることだろう。今は絶版になっているが、古本としては入手可能である。

「たとえぼくに明日はなくても」車椅子の上の17歳の青春 石川正一著


筋ジストロフィーを簡単に紹介すると、筋線維が変性・破壊され、次第に筋肉が萎縮し脂肪に置き換わり筋力低下が進行していく遺伝性の筋疾患の総称で恐ろしい病気である。歩けなくなり、手が使えなくなり、歯を磨く、排泄をする、という普通の日常の生活も出来なくなり、心筋も含めて体中の全ての筋肉が脂肪になってしまう。一番頻度が高く、一番重篤なデュセンヌ型筋ジストロフィーでは、20歳位がぎりぎりの寿命であるという厳しい病気である。二十一世紀の今に至っても原因不明であり、また治療法も全く分からない。対症療法は多少あっても焼け石に水という感じでしかない。
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もう35,6年も昔のことであるが、筋ジストロフィーの研究をしている臨床医とお付き合いをしたことがあった。筋ジストロフィーの治療薬を創るのだと情熱を燃やしておられ、後10年と言い切っておられたが、もちろんそれが根も葉もない夢物語であったことは明らかである。励まそうという善意からではあったのだろうが、当時既に遺伝性であることは判明していたのに、遺伝するなどと言ったら可哀想であるとセンチメンタリズムを振り回され、病気の原因は分からないと言い、もう少しすれば薬は出来ると、筋ジストロフィー患者や家族を騙し続けていた。本当のことを言うべきであると筆者が抗議をしたところ、何という思いやりのないことかと叱責された。医者は今よりさらに頻々と、患者にウソ八百を言っていた。
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「この病気は治るのか、治らないのか」「幾つまで生きられるのか」「こんな病気で生きていく意味は何なのか?」という厳しい質問を、正一さんは父親にぶつけてきた。父親は躓きうめきながら答えを探していく。

筋ジストロフィー患者の家族会で、「病気だから死ぬのではなく、人間は誰でも死ぬという事実を受けとめて、家庭で語り合う必要がある」「きっと治るよ」と言って元気付けなさいと指導する医者もいるが、それは正しくない。「治るよ」と希望的なことを言って最後まで騙そうとしても、「子どもに見破られるのは時間の問題」だという。実際の問題に直面している家族は、しっかりと正気であり、息子を騙し続けることは百害あって一利なしであることをよく知っている。

正一さんの父親も悩んだ末に「多分、20歳までしか生きられない」という医者から宣告された事実を遂に話した.正一さんはワァーと泣き伏すかと思ったが、そうではなかったという。「そうなんだ! 20歳までしか生きられないのなら、時間は少しも無駄に出来ないね。本当に一生懸命生きていかなければならないね。燃焼しきらなければならない」というような返事をしたという。驚くべきことに、僅か14歳の少年である!
この少年は、その後、体は不自由であっても、精神は自由で祈りの人となり、主と共に燃焼し尽くした9年間を生きたようである。

尾崎先生のこの話に、心を射された。
筆者も自分の人生をそろそろまとめ上げる時期が来ていると時々思いはするものの、今後、20年も30年もまだ元気で生きていけるかの如き日常を過ごしているかも知れない。確かに、もう30年、元気な30年を頂けたらどんなに嬉しいかと思うが、そうはいかないだろう。

この美しく生きた23年7ヶ月の石川正一さんの壮絶な人生と信仰、そして家族の愛が情熱的に語られている。聴いてみられると励ましと感動を与えられることだろう。







 
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安藤和子 文 / 神谷直子 絵
800円(定価)

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