国会を会期中に欠席して遊んだ上西議員。アイドル議員だからか? 議員でなくても許されない!
国会議員が政治家でなくなって、その一部がただの「アイドル」になって久しい。

国民の現在・将来に大きな影響を及ぼす政策を考えるための知的・感性的・経験的・良心の準備のない人々が、知名度が高いというだけの理由で、各種の「議員」になり始めたのはいつからだろうか? 大騒ぎをして、まだ忘れられていない出来事が「小泉チルドレン」の出現である。

社会人としてのまともな自覚がなくて、自立・自律の出来ていない人々が国会議員になると、上西議員のようなとんでもない人間が国政に携わることになる。

維新の党は除名処分にしたようであるが当然である。
また、彼女は国会議員を辞職するべきだと思うが、「法律に触れない限り議員の職を奪われない」と言って居直っている。全く、呆れて開いた口がふさがらないという感じであるが、このような人間を推薦した維新の党には任命責任がある。また、このような人を自分たちの代表にさせられてしまった国民こそ、迷惑至極である。

大体、国会会期中に欠席するなど異例のことである。これが予算を審議し、決定する重要な日であったかなかったかなど、ある意味では関係がない。勤務するべき日に欠席するなどということは本来起こってはならないことなのである。・・・もとより生身の人間であるから、非常事態が勃発することまで否定しているわけではないのは言うまでもないが・・・。
それを欠席して、新幹線に乗ってどこかへ出かけたとか、どこかで会席食事を楽しんだとか、ビールを飲んだとか、その後あろう事か二次会、三次会に出て「個人的」な付き合いを楽しんだとか・・・。秘書と特別な関係にあるとか、秘書の実家に宿泊したとか、・・・。そして、その秘書たるや、その日には別の女性とデートしていたとか・・・。
落ちも落ちたり、日本の国会議員たち。バカバカしいスキャンダルを引き起こして、陰り始めた人気を盛り返そうと必死の足掻きをする「タレント」という言葉で言われているある種の人々の振る舞いである。

彼女は色々と申し訳にもならない申し開きをしようとしていたが、全然何の役にも立たない。

国会議員であるかないかは関係なくどんな職業であろうとも、社会で公的に働くということには責任があるのである。その責任を果たすために健康管理し、日々の生活を整えなければならない。社会人としての最低限の責務である。

ちなみに、社会で働く人々よりもっと大きな責任を負って、年中無休の働きをしている人々がいる。多分、考える以前に任務を果たしている健気な人々・・・、それは母親たちである。最初の1年は、夜中に何度起きなければならないか、自分のことより真っ先に子どもたちのために自分を捧げている・・・・時代が変わったので今はどうなっているか分からないが。

もっとも、このように子どもたちを「王子様・お姫様」にしてしまった結末は、歪んだ時代と共に上西議員のような、いつまで経っても駄々っ子でしかない、とんでもない「子どもたち」を作ってしまったのかも知れない。こういうとんでもない人々が多すぎるような気がする。

・・・・・・ 指導者としての役割を果たしていた時代の王室(日本では皇室)では、しっかりした指導者になるための帝王学と人間学が世の中の教育よりは遙かにしっかりとした教育が王子・姫に施されていたのである。猫かわいがりをして我が儘いっぱいに放縦するのが真の愛ではないことを、世の親たちは学ばなければならないのである。放縦すると、このような体だけが成長して中身の伴わない「成人」を作り上げるのである。

さて、一方では、このように甘やかされなかった若い人々の多くが、見事に社会で生きている事実を筆者はよく知っている。このような社会のアンバランスを何と見るか?





 
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元戦闘兵の証言: イスラム過激派組織(IS)の残虐性・人間はどこまで鬼・悪魔になれるのか?
ISの元戦闘兵(脱走した)が毎日新聞のインタビューに応じて語った記事を読んだ。

戦闘員の忠誠心を試すために残酷な処刑の執行を躊躇うかどうかを「踏み絵」にして、組織は相互不信の「恐怖の支配」をしているという。権力を握る者に睨まれたら最後、何が悪いか分からぬままに残酷な処刑の対象にされてしまうという。

「神を汚す言葉を口にした」という14歳の少年の処刑、「70歳の女性から金品を奪い、強姦した」という15歳の少年などに対して理不尽な処刑が行われたという。少年を磔にし、喉元を浅くナイフで切り出血多量で死亡させた。腹部には「強奪と強姦」という「罪名」を書いた布が巻かれ、3日間放置されたという。

「母親が毎日、顔を水を洗い、水で唇を湿らせてやっていたという。その姿が頭から離れない」と語った。

このように我が子を理不尽にも無残に殺された母親の姿は、余りにも哀れである。自ら好んでISに身を投じた兵士でさえ、忘れられないというのであるから、想像を絶するむごたらしい処刑の風景であったのだろう。
この元戦闘兵は取材の最後に「毎日、悪夢を見て明け方まで眠れない」と語り、苦しみの中で悶々としている状況を語っている。そして「信仰は、自分と神との間の問題なのだと感じている」と言い切っているのは感動的である。信仰と言いながら、しばしば周りの人々との人間関係であって本当の信仰でないことが多いが、彼はこの苦しみの体験の中から貴重な教訓を把握し、自分と神との間の問題として捉えることができて本当の信仰を獲得したのだろう。

このように言い切った元兵士は、しっかり割り切れたのであろう。そして、当人も言っているように、ISのみならず同様の忌まわしい組織にもう二度と戻ることはないと確信する。

人間が悪魔になった事件は過去にも、また今も後を絶たない。悪魔の代表は誰に聞いてもヒットラーを挙げることだろう。このような超極悪人はともかくとして、枚挙に暇がない位、日本でも悪魔に身を売ってしまう人間は後を絶たない。逃げ回っていた容疑者の裁判が目下行われていて記憶が風化していないサリン・テロ事件がある。彼らはオウム真理教という宗教の仮面を被った悪魔の集団であり、迷いの中にあった若者たちは悪魔の誘惑に引っ掛かってしまったようである。若者たちの殆どがいわゆるエリートであり、悪魔に魅入られさえしなければ、きちんとした生活を送れたはずの恵まれた環境に育っていたのである。それが悪魔に魅入られ、今度は自身が悪魔となってあのような残虐極まるテロ行為に走ってしまった。

今、日本中で大騒ぎになっている中学1年生の少年が惨殺された事件だが、18歳と17歳の既に大人と考えられる3人が殴る蹴るの暴行を加えて少年をなぶり殺してしまった。この3人と少年がどのような付き合いがあったのかはよく知らないが、何がどうであれ、命の尊さ云々を言う以前の出来事であるという気がする。

理由もなく、あるいは些細なことで人を殺傷する。その時に、殴る蹴るの暴行を働き、半殺しの目に合わせて相手の苦しむ様子をまるで楽しんでいるかの如き残虐な振る舞いに及ぶ。人間はいくらでも残虐非道・卑劣になれるようで、正義の名を借りた残虐な処刑は、ヨーロッパでも日本でも行われてきた。磔、火あぶり、釜ゆで、公開処刑、処刑後首を曝しものにする・・・・。それらとISのしていることと同じであるとは言わないが、しかし、人間の残虐性・残忍性という意味では大差は無いだろう。

しかしながら、その発生頻度や動機、またどのような人がそのような振る舞いに及ぶかも予測が付かないほどに蔓延して、事態は悪化の一路を辿っているようである。いつ何時、どのような犯罪の被害者として巻き込まれてしまうか分からない恐ろしい社会になっている。

いわゆる先進国でない国々は、今でさえ長閑な生活を楽しんでいるかも知れない.しかし、その他の国々は救いようもなく荒れ狂っており、ISの狂気はもとよりのこと、その他の国々もそんなに正気であるようには見えない。国盗り合戦、権力闘争が国家間で、そして国の中でも見るも無惨な争いを繰り広げており、人間の目には破滅しかあり得ないように映る。

このようになるだろうことは、世界が創造され、人がその創造主に反逆したときから分かっていた。人類史の早い時期に下らない嫉妬の故であろうか、兄が実の弟を殺してしまった。

このような人類であるからこそ、早くから救いの手は差し伸べられている。この恩恵をありがたく受けとって、その手に縋り付きさえすれば、無償で与えられるのである。今のような騒々しい社会になってみると、なおのことこの恩恵に縋り付くことが出来るのは何にも代えがたくありがたいと思う。

この素晴らしい救いの道は、全員に与えられている恩恵であることを知り、この贈り物をありがたく頂戴さえすれば、今の狂気は収まるのにと残念至極である。




 
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弱い者いじめの率先者・人種隔離を擁護する曾野綾子さん
非常に残念な思い・怒り・嫌悪感を噛みしめながら、「曾野綾子さんの『甘ったれた女子社員たち』への不当な叱責」というタイトルで前に書いた。曾野綾子さんに関しては、数々の賞に輝く有名な作家であり、そしてカトリック信徒であるということしか知らなかった。しかし、カトリック信徒であるということなので、ある程度の信頼、愛の心を持った人であるはずと思い込んでいた。「それなのに!」 幼稚園から大学まで聖心女子学院に通った生え抜きのお金持ちのお嬢様には、弱い立場の女性たちを思いやることなどあり得ないことだったのだろう。手厳しい叱責を加えるとは何ということだろうかと、呆れかえったのであった。

さて、今回、労働力不足を緩和するための移民の受け入れに言及して、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」と提言しており、全く呆れて開いた口がふさがらない。陽の当たるところで大きな業績を上げ、誉めそやさとれることしか知らない人は、恵まれない人々を理解出来ず、この世の不条理が見えないのであろうかと、ただ残念である。

イエス・キリストの愛を裏切って弱い者いじめを促進してきた人類は、あり得ない「人種差別」という概念を導入して、取り返しのつかない残忍な歴史を歩んできた。キリストのことを知らない人でさえ、人種差別の見苦しい歴史を繰り返してはならないと考えているのである。イエス・キリストを知っているはずのカトリック信徒の曾野綾子さんのこの発言は、全く理解に苦しむ。もしかしたら、形の上で「洗礼」という儀式を通過しただけなのかも知れないと、失礼ながら疑ってしまう。

今回のこの記事には、日本だけではなく外国からも、諸方面から厳しい批判が寄せられているようであるが、当たり前であろう.これを黙って許す社会ではないことを、取り敢えずは嬉しいと思う。

「人間にとって成熟とは何か」というエッセー集を出して、ベストセラーになったそうであるが、こんな歪んだ思想を持っている人の「人間としての成熟」とは、一体どういうことなんだろう? 大きな、大きな疑問符を打たざるを得ない.しかも、こんな思想の持ち主の、こんなタイトルのエッセー集を何故大勢の人が読みたがるのであろうか?

曾野綾子さんの今回の記事に関して、誤解されていると弁護している人もいるようであるが、他の人ならばいざ知らず、文字を扱うことに関しては大ベテランである人が、そんな間違いはないだろう。

彼女はどのように謝罪するのだろうか?


 
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カラスがずる賢いのか? 人間がカラスの住み処を奪ったのか? 
カラスが都会人の嫌われ者になって久しい。カラスの悪口はあちこちで耳にする。
ゴミ収集の日には出したゴミを荒らし回って汚くする。ゴミが出てくる時間を見計らってゴミ荒らしをしに集まってくる悪賢いヤツ。町中を飛び回って、ハンガーや針金や何でも盗んで、電柱でもどこにでも巣作りをして町を荒らし回る。
 
カラスは無類の害鳥である。そう思ったら、あの「カァーカァー」という鳴き声まで憎らしい!?

カラスはかつて人々に愛された鳥であった。

今の子どもたちが歌うかどうかは定かでは無いが、カラスを歌った可愛い童謡の代表は、野口雨情の「七つの子」だろう。
 

 烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛い七つの 子があるからよ 
 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と 啼くんだよ
 山の古巣へ 行つて見て御覧 丸い眼をした いい子だよ  
                                                                      
この詩には、カラスが憎いという気持ちどころか、カラスの丸い眼を可愛いと見たのであり、またその鳴き声にも好意を抱いて描かれている。そして、この詩に曲が付き、子どもたちに長く歌われたのである。

今でも、筆者の近くの小学校では、家に帰るじかんだよと子どもたちに伝えるために、夕方に流される曲がある。

 夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る
 お手々つないで みな帰ろう からすと一緒に 帰りましょ

この詩でも、カラスは子どもたちの「お友だち」という視点で描かれている。

こんなにも親しい生きものであったカラスが、何故今のように憎まれ、カラスの賢さが「ずる賢い」という憎々しい修飾語付きで言われるようになったのだろうか?都会では、各家庭で出るゴミは曜日を定めて収集される。人々はまず水気が漏れるのを防ぐために、そしてまた、犬や猫に荒らされないようにとビニール袋などに入れて収集場所に出す。それをカラスが「荒らし回る」。犬や猫さえ荒らさないのに、何だってカラスは面厚かましくも、ゴミを荒らし回ってまで餌漁りをするのだ! 憎らしい! ということになっているようである。

このように近年都会でカラスが急激に数を増やし、そしてゴミから餌漁りを盛んにするようになったのは、実はゴミ袋が透明か半透明の、すなわち外から中が見える袋を使用するよう義務づけられたためもある。カラスは眼で見て食べ物であるかどうかの判断をするのであり、犬や猫など多くの動物がにおいで判断するのとは異なる。カラスの生態を知って、食べ物であるということを知らせなければ良いのである。

昨今、カラスの色覚が四色型である特徴を利用して、カラスには中身が見えない黄色いポリエチレンのゴミ袋が開発されたようであるが、筆者のグループでは深い合成樹脂の、中の見えない大きな入れ物を購入してカバーをして、完全に中の見えない収集箱を使っている。こうしてネットにすればカラスを防げても犬や猫に荒らされるという、あちら立てればこちら立たずという悩みは解消されて、動物たちに荒らされる「被害」は今のところ防げている。

都会に餌を探しに来るカラスは、ハシブトカラスで元々は森林に住んでいたのである。それが、人間の「開発」によって住まいを追われ、致し方なく都会に餌や住む場所を求めて出てきたのである。人間の生活を敢えて「ずる賢く」破壊しに来たわけではないのであって、彼らの生存を脅かしたのは人間の側である。動物たちをしっかり管理監督しなさいと創造主に命じられた任務を怠って地球を破壊し、植物系を乱し、動物たちの生存を脅かしたのは人間である。

カラスはずる賢いのではなく賢いのであり、非常に知能が高い鳥なのである。案山子を見抜くので追い払うための役には立たず、また記憶力も高くて、石や銃で狙われた経験は覚えていて、石を拾おうとしたり、傘を銃のように構えたりすると、それだけで逃げ出してしまう。「害鳥」と思ってただ敵視するだけではなく、人間の生活を乱させないようにカラスの特徴をよく知ってつき合う責任が人間の側にあるのである。カラスの賢さは同時に人間と仲良しになることも出来るようである。幼鳥から飼い慣らすと、人間によくなついて、トイレを覚え、飼い主の肩に止まったり、九官鳥のように人間の言葉を真似て喋ったりもするようである。

もう程なくして、人類はハトを憎むようになるだろうと思う。ハトの可愛い声にすっかり理性を失った人類は、考えなしに無制限に餌を与え、公園や駅やその他様々な所でハトが異常繁殖して、その糞害に困っている。餌を与えるのなら彼らの生活の管理をきちんとしなければならない。しかし、それを怠るので人間の生活を脅かす存在になる。同じことは猫でも起こっている。子猫が可愛いから飼い始めるが、可愛がるのは初めのうちだけの人も多い。また、猫を飼っている人々の多くが、言うなら放し飼いにしているので、猫は好き勝手なところを走り回り、糞尿を垂れ流し、ゴミを荒らす。

ある都市では野良犬が凶暴になって暴れ回って、人々を襲っているというニュースを見たことがある。日光などではサルが観光客を襲ったと時々ニュースになっている。熊や猪が人里に降りてきて人々を襲うことも珍しくなくなっている。

人類は地球を見直し、その上に創造された動物たちをしっかり管理監督する光栄ある任務を与えられたことを、今一度思い起こさなければならない。

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危険ドラッグ、デング熱、小学生誘拐、「オレオレ詐欺」、御嶽山噴火・・危険いっぱいの現代社会
世界も日本も自然災害と共に、人間同士の争いで様々な悲しい出来事が起こっている。

毎日私たちの目にし、耳に届くニュースには思わず目を、耳を覆いたくなる。
こうした危険をどうやって防げば良いのか、防ぎようのない様々な事件が引きも切らず起こっている。

麻薬であれ危険ドラッグであれ、どんなに危険か、自分自身にもまた傍に近付いた見ず知らずの他人にも取り返しの付かない危害を及ぼすことが分かっているのに、どうして手を出すのだろう? これだけ情報が流れているのである、危険性を知らないわけでは無いだろう。

いわゆる「オレオレ詐欺」は、次々と悪質な方法が考え出されているが、何故そんな詐欺に引っかかるのだろうと思うものの、それくらい悪辣なのかも知れない。悪人は最高の善人の顔をして、与えられた素晴らしい頭脳を悪事を行うために駆使している。総じて優れた頭脳を持っている悪人は救いようのない悪賢さで、特に自分の手を汚さないで他人を顎で使って様々な悪事を行うようである。どうすれば、このような詐欺を防げるのだろうか? 関係者はその対策に頭を悩ませているようであるが、悪者の方が何歩も先んじているようであり、一向に良い方向に向かっていかない。

家にいると、非常に穏やかで親切そうな声で覚えの無い電話が掛かってくることがある。生命保険や火災保険の勧誘だったり、その他諸々の売り込みである。また、チャイムを鳴らして、「壁が傷んでいます、屋根が傷んでいます、このままにしておくと家が傷みます。塗り替えませんか? シロアリ対策は大丈夫ですか? 植木の剪定をさせて下さい。」と。こういう売り込みをしに来るかと思えば、宗教の仮面を被った悪質商法は後を絶たない。町の自治会が備えている「悪質な勧誘お断り」のビラを門に貼り付けていても、悪質な人間には一向に効果が無い。

彼らはびっくりするほどよく学習していて、どのようにすれば人を騙せるかについて様々な訓練を受けているようである。人々が騙されないようになるには、どういう指導をすれば良いか、諸方面は頭脳明晰な悪者退治のために、その上を行く知恵と工夫を考えて貰いたいものである。

子どもたちを交通事故や誘拐犯から守るために、善意のボランティアたちが登下校を見守り、また町内を巡回したりと手を尽くしているようであるが、それでも、子どもが交通事故の犠牲になり、大人たちの悪事の犠牲になっている。

このような悪事は後を絶たず、そのような社会の不安定さをあざ笑うかの如く、まだ日本には侵入していないがデボラ出血熱騒動があり、そして日本ではデング熱の流行は無秩序な騒ぎになって何が何だか分からない様相を帯びながらも、収まったのであろうか? それとも、別の事件でかき消されてしまったのであろうか? デング熱とはどのような感染症であるのか知らないために然るべき予防を講じることが出来ない、あるいはやみくもに恐れられたりした。情報の不足や無知は事態を収拾の付かない愚かな、時には取り返しの付かない方向へ追いやってしまう。

世の中が静かであったためしがないと思っていたら、御嶽山が噴火して10月2日現在、47名の犠牲者が出て戦後最悪の記録だそうである。何故、予知できなかったのであろうか? 噴火を予知させるように地震の頻度は増加していたという記録が紹介されていた.しかし、地下活動が見られなかったので噴火を予想しなかったのだそうである。地下活動が見られなかったのは水蒸気爆発だったからだと説明されているが、それで本当に納得しても良いのだろうか?何故なら、火山噴火に伴って水蒸気爆発があることはよく知られていることである。それなのに、なおかつ溶岩の噴火だけを考えていたとは、専門家集団は何をしていたのであろうか?

今回のことから多くの教訓を学ぶべきであると、専門家たち?あるいは評論家たちは公に見解を述べているが、日本の地震学会は、火山専門家たちは、そして行政は何を学んだのであろうか? 今回の惨事の原因究明は、今後されることだろう。地震予知がどれ位されていたのか、山に入っても良い状況だったのかどうか、等々。御嶽山は、決して低い山ではないし、活火山である.その高さの割には素人にも登りやすいらしく、しかも七合目まで車で行けるそうである。そのために、「気軽に」登山が楽しめるという醍醐味に、山登りの怖さが周知徹底されていなかったかも知れない。今回登山していた人々や、まして遭難した人々をとやかく言うつもりはないが、山も海も危険がいっぱいであることだけは知っておかなければならない。

筆者の育った神戸では、南側に瀬戸内の穏やかな海、北側に六甲山の山波がなだらかに続いていて、子どもでも東西南北を知る道しるべになり親しく懐かしい山である。温暖な地域にある1000メートルに満たない山であり、気軽に登山するのであるが驚くなかれ、遭難者は結構出てようである。一旦、道に迷うと山は恐ろしい。歩けば歩くほど深みに落ち込み、帰り道には辿り着けない。そして、思わぬところで崖を転がり落ちて転落死を遂げてしまう。

山の遭難のニュースを耳にする度に思うのは、万全の準備をしてこの登山を敢行したのであろうか?ということである。本当に避けることの出来ない遭難だったのであろうか? 天候不順を知りながら敢えて登山しなかったのだろうか? 体調不全でありながら、あるいは元気でも余りにも軽装で登山した人々、冬山にその装備もしないで出かけた人々などが、どうやら後を絶たないようである。そしてその人々を救出するために、どれほど多くの人々が我が身を危険に曝して立ち向かっているか。好い加減な登山をする人々は考えたことがあるのだろうか?

この頃、まるで銀座を歩いているような格好で富士山に登る人が増えているそうである。ハイヒールで富士山の登山道を歩いている人、短パンのサンダル履きで楽しく歩いている人々の姿が、富士山の登山道を埋め尽くしているのが映像で紹介されていた。このような行動はほとんど犯罪行為である。自由とは「得手勝手に何をしても良い」みたいな思想が氾濫しているが、その象徴のようなこの「富士登山?」である。自由は規律に基づいて与えられているものであり、重い責任を伴うものなのである。

さて、火山噴火というと、1980年、米国ワシントン州で起こったセントヘレンズ山の噴火を思い起こす。この山の噴火はかなり前から予告されており、学者たちは地震前の研究をして多くのデーターを集めていた。また、周辺の住民や山小屋の住人にも避難を何度も呼びかけていた。そして、噴火し、それでもこのとき総勢51名の犠牲者が出た。

また、地質学、火山学的に多くのデーターが集積され、人類は実に多くのことを学んだ。セントヘレンズ山噴火については、多くの人々が報告し、数多くの写真を発表している。筆者も何度も講演をし、またクリエーション・リサーチ誌33号に特集号として紹介しているので、読まれると様々な詳細が分かって頂けるだろう。山や地層、地球の歴史に関心のある方はもとよりのこと、そのような関心を持たない人でもちょっとした興味を抱かせる火山噴火だったのである。

富士山に匹敵するほどの美しい山が、あっという間に変容した姿は無残と言おうか、びっくり仰天の大噴火だったのである。そして、後には美しい地層を形成し、「小グランド・キャニオン」と名付けられた峡谷が形成された。地球史を改めて見直す多くの貴重な資料と教訓を与えてくれた噴火であった。

さて、御嶽山の噴火は人類に、日本人に何を教えてくれたのであろうか?















 
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「自叙伝? 少年H」 大宣伝の戦略が功を奏して?ミリオンセラーに
妹尾河童という面白い名前の人が、17〜8年前、自伝小説として「少年H」を発表し、非常な話題になったらしい。それが映画になり、そしてテレビでお目見えしたので録画しておいた。それをやっと時間を見つけ出して、チラリと見て驚いた。これがどうして、そんなに大きな反響を呼んだのだろうか?

筆者は戦中・戦後についての体験的な知識は乏しいが、それでも歴史や書物から学んで多少とも知っている積もりである。演じている俳優たちの熱演はさておいて、この河童さんの「自叙伝」というのは、どうもしっくり来ないというか、変なのである。

クリスチャン一家であるからある程度当然かも知れないが、当時としては驚くほど民主的で自由、周囲に呑み込まれない確たる考えを持った人々である。少年Hの母親は律法主義的なのは多少気にはなるが、しかし堅い信仰に立ち、しっかりした信念のもとにキリストの愛を実践している。その両親に育まれた少年Hは終戦の時に15歳であり、現実離れをしたしっかりし過ぎている少年である。国民の大多数が熱狂的な天皇バンザイ思想に毒されていた時代であるのに、いくら優れた一家、優れた少年であったとしても、いささか並外れて出来過ぎていると思った。戦争が終わって長い時間が経って様々なことが分かり、また戦争の評価も定まった今だから書けたことだろうという気がした。

もちろん、日本中が一丸になって心の中でまで「天皇陛下バンザイ」と叫んでいたわけではなかった。しかし、外で天皇批判、軍部批判などをしたら、直ちに憲兵に連行されて、拷問を受けるような社会であったのである。したがって、戦争反対の者も黙っている以外の選択肢は無かったのである。我が家も戦争には賛成していない家族だったので、明治2年生まれの祖母は息子を戦死させられて、盛んに東條英機批判を繰り返していたし、戦後東京裁判で絞首刑にされたことを当然の処罰だと考えていた。それでも、そのような戦争批判、反戦的な言動は外では一切しなかったはずである。

僅か13,4歳の少年が、戦争が終わる遙か前に大本営発表に疑義を挟み、戦争は負け戦であると喝破し、戦争が終わってすぐに戦争が終わってよかったと口にする。玉砕などと国民に言わせるのは、日本の作戦が悪い等と口走る。そして、銃器庫の鍵を中学生が自由に使用できるなど、いくら何でもあり得ないと思わされた。

戦後、疎開していた妹が神戸に戻ってきた時に、お土産にお米を担いできて白米のおにぎりを賞味していたら、隙間だらけの板一枚で仕切られた被災者住宅の隣に香りが漂った。白米のご飯を食べたいと子どもが親にねだっている声が聞こえてきたので、母親がおにぎりを握って隣人に振る舞おうとした。少年Hは「一度上げたら癖になる。それが愛やと言うのか! 少ししかないのに、よそにくれてる場合か!」と母親に激しく大声で抗議する。母親は、「与うるは受くるより幸いなり(使徒行伝20章35節)」と静かに答えて、実行してしまう。

これほどの強烈な出来事では無いが、筆者も幼い日に似たような体験をしたことをふと思い出した。筆者の著書、「ダーウィン・メガネをはずしてみたら」「満腹を知らない胃袋」の中に書き記している。傷痍軍人に母が喜捨しようとした時に、「私たちもひもじいのに」と筆者がふと心の中でつぶやいた時に、その心の動きを読み取った母が「兵隊さんはお国のために戦って脚を失ったのよ」と、筆者の貧しい思いをいさめたのである。

神戸は筆者には懐かしいところである。少年Hは神戸第二中学校(戦後新制度になり、神戸第二女学校と合併して兵庫高校になった)に通っていたが、筆者は神戸高校(神戸第一中学校と神戸第一女学校が戦後合併)を卒業した。その神戸が戦災で丸焼けになってしまったのも、他の町の戦災とは別の意味を持つ。今回は「ながらぞく」で見て「ちょっと違うんじゃ無いの?」と漠然と思ったが、きちんと見てから整理をしてみたいと思う。また、この自伝小説「少年H」について、事実との検証もされているようであるので、それも参照にして、後日、もう少し書いてみたいと思う。


 


 

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小学校時代の旧友との再会・・・・60年の歳月の隔たりが霧か霞に包まれて消え去った!
小学校時代の友人、YKさんからメールが届いた、「ブログを見ましたよ。」
そして、子どもの頃の面影がしっかり残っているので,間違いなく小学校の時のクラスメートだと確信したということであった。

電話をして、少しだけお喋りをして,あっという間に会いましょうと小学校の旧友.jpg決まった。
同じ5年生の頃の同級生一人とメル友として今も交友が続いているという。「CKさんを覚えてます?」「顔まではっきり思い出しますよ。格好いい人だったよね。」という会話があり、CKさんも一緒に京都で会うことになった。64年の歳月が経っていた。少女の頃の顔しか知らないのであるから、会っても分からないかも知れないと思ったが,彼女が筆者の顔をウェブサイトで見ているので,見つけてくれるだろうと期待した。彼女が言ったように、筆者は幼い頃の面影を残したまま歳を取ってしまったようで,見つけるのに苦労はないかも知れないとも思った。

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余談だが、もう11年以上昔のことになるが、テレビのハーベストタイムに出演した時であっただろうか。番組構成上必要であるということで、昔の写真を要望されて古い写真を探し出し、年代順に並べて驚いた。学齢前に始まって,中学に入るまで同じ顔をしているのである。ちょっとずつ、大人に近付いているに過ぎないという感じであった。
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一人(CKさん)は生駒から,一人(筆者)は枚方から,そして一人(YKさん)ははるばる千葉から出かけてきて、無事に京都で会うことが出来た。偶然、どこかで会って,仮にしみじみと眺めても決して気が付かないほどに,二人は昔の面影が残っていなかったような気がした。64年の歳月は気が遠くなるほど長い年月である。64年前は,今とは違い写真を撮ることは滅多になかったが、幸いにして5年生の時のクラス写真が1枚見つかった。上の写真は、50名以上写っている集合写真をスキャンニングしてそれぞれの顔を切り取って、今回撮影した写真に切り貼りしたものである。
        

三人は五年生と六年生の時に同級であり、三人ともその土地の中学校へ入学した。そして、YKさんは多分二年生でどこかへ転出したが,CKさんと筆者はその中学を卒業し,そして別の高校へ進学した。それ以来の再会であった。したがって正確には、58~9年ぶりというべきかもしれないが、いずれにしても子ども時代の友人というのは不思議なものである。あっという間に,よそいき言葉ではなく、友だち会話・・・男性の場合、「俺・おまえ会話」という表現をするが,神戸弁・大阪弁の砕けた友だち会話が始まった。60年の歳月は霧か霞に包まれてふっと消えてしまったようであった。昔々の、「このこと、あのこと」と思い出話に花が咲き、懐かしい友だちのことなども語り合い、時間の経つのを忘れるほどであった。

同窓会が開かれていないので、級友のニュースは二人も余り知らなかったが、当時、お姫様のような爽やかな雰囲気を漂わせていたTHさんは、小学校を卒業してから神戸市内の女学校へ進学したが、すでに故人になってしまっていることを聞いたのは悲しかった。筆者が多分大学生か、あるいは卒業して大学院生になってからかも知れないが,芦屋駅でばったり出会って一緒に電車に乗り、お喋りを楽しむひとときを持ったが、それが彼女に会った最後だった。

日本の60年前がどのようであったか、若い人には分からないだろうが、第二次大戦の敗戦からやっと立ち直り始めた時期であった。例えば、高校への進学率は男性は多分70%位だったかも知れないが,女性の進学率は50%に達していなかったかも知れない。そういう時代であった。もちろん、筆者たちが住んでいた村が,兵庫県の郡部の貧しい漁村であったということも関係があるだろう。中学に入学した頃に神戸市に編入されたために,先生たちは大変なプレッシャーに曝され,それは生徒たちにもろに影響した。中学全体として集団的な劣等感を背負わされて、様々な外圧、内圧の中で、苦しい思春期を共有した仲間であった。

筆者たちの小学校では,裕福な家庭出身の卒業生は私立中学に進学するものだと相場が決まっていた。トップレベルの優秀な男子生徒は、日本中にその名が轟いている灘中へ行った。受験戦争が始まる前ではあったが、それでも、灘中→灘高→東大が秀才の歩むべき道だと決まっていたようである。そして,女性は神戸女学院のような女学校へ進学するのが「お嬢様」教育の見本になっていたようである。私立でない場合でも、神戸大学の附属中学という道が男女共に開かれていたが、私立中学ほどはお金は掛からないが、それでもその地域の中学へ行くよりは経済的負担は大きかった。そういう漁村では、地域の公立中学へ行く生徒は否が応でも劣等感を社会から押しつけられ、搔き立てられる社会情勢であった。貧乏人の行く学校、出来の悪い生徒が行く学校、レベルの低い中学校、明らかな軽蔑を含めて「シンセー中学」と呼ばれ、見下げられ、差別意識の餌食であったのである。

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「シンセー中学」には注釈がいるだろう。全国で一体どれ位の地域で用いられた言葉かは知らないが,変な言葉なのである。終戦後、教育制度が変更になって、六・三・三制、新制度になったのであり、その時代に存在した中学は私立であってもなくても例外なく新制中学だったのである。にもかかわらず、「レベルが低い貧乏人の行く中学」という評価を受けた公立中学だけが,「シンセー中学」と呼ばれて,差別用語となっていたのである。
     *************

小学校では筆者は都会から引っ越してきた転校生であったので、密接な地域社会を形成していて人間的繋がりの強い漁村で,異質の雰囲気を持っている都会育ちのよそ者には入り込みにくいものがあったような記憶がある。社会的に劣等感の塊を押しつけられた複雑な精神性がうごめいている中学では,さらに厳しい様々な経験をしたように思う。思春期の精神的不安定さもあって、すぐに頭痛や訳の分からない体調不良に見舞われるという病気がちな中学時代を過ごし、欠席日数は相当なものであった。人生で患うはずの病気をこの時代に一括して全部消化してしまったかの如き時代であった。高校に進学して、ひ弱な中学時代がウソだったように、風邪一つ引かなくなり、以来健康に恵まれている。

あれから60年、戦争こそ無かったが,日本の社会では様々な厳しい出来事があり、ある意味で激動の60年であった。幼い日の友人は別々の道を歩いてきた。その60年にそれぞれどのような人生を過ごし、何があったかを語り,空白の時間を埋め合ったわけではない。しかし、長い年月に何があったとしても、「後期高齢者」などという訳の分からない名称で呼ばれる年齢に達した今、贅沢な昼食を共にしてお喋りをし、旧交を温めることが出来るというささやかな庶民の幸せを「一緒に」噛みしめ、無事に生きてきたことを確認し、喜び合ったのであった。

小学校、中学校時代に何があったとしても、60年もの空白の歳月を経てから互いの無事を確認しあうことは、やはり格別な幸せな思いを味わうことが出来る。CKさんは当時様々なことをスマートにこなす少女で,筆者の目にはかっこの良いクラスメートであった。ちょっとした女王様でいつも何人かが側でかしずいていたような気がする。筆者はYKさんとはかなり親しくしていたが,様々なことにリーダーシップを取れる人であったような気がする。

子どもを育て孫の顔を見て年輪を重ね、恵まれた人生の幸せを感謝し、まだ死には少し遠いと安心している豊かな時間を味わうことが出来る「後期高齢者」?としてのひとときかも知れない。互いに年齢相応にほどほどに健康に過ごしていても、顔にしわが出来、腰が痛かったり、関節が痛かったりして、不調のほうも年齢相応に生じてきている。しかし、このような老化は急激に訪れたわけではないので、仕方の無いこととして受け容れることが出来るのである。お互いに、まだ人生のカウントダウンするには少し早過ぎると秘かに思っていて、今から、10年以上の歳月を与えられているのかな?という期待を互いに膨らませながら、与えられているかも知れない10年を思い巡らしながら、次の小さな「同窓会」を約束して別れを告げた。






 
13:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
生きる(1) 封建思想・弱肉強食思想の中で、「女が生きる,男が生きる、老いを生きる」
STAP細胞騒動は,残念ながら最悪の事態で幕引きになりそうである。この件については「STAP細胞」シリーズで、STAP細胞に焦点を合わせて考察することにするが,この出来事の主人公が人々の異常な興味をかき立てたその理由について,少しだけここでも取り上げてみる。

あの世紀の大発見という鳴り物入りの記者会見、チヤホヤともてはやされ,科学者ではなく女優のような扱いをされてしまった。もしも小保方氏が同年齢の男性研究者であったら,あるいはあんなに可愛らしい女の子でなければ,あるいは美人であってもあんなに入念に装いを凝らしていなければ、マスコミや人々はあのような仰々しいもてはやし方をしただろうか? マスコミを初め評論家たちや世の人々の関心は,研究そのものよりは「この世紀の大発見?」をしたかも知れない科学者が、美人女優並みの「美少女」であり(実は少女という年齢ではなく、立派な大人であるはずなのである)、そして女優並みの化粧、装い,振る舞いをしていることであったように思われる。

最初に記者会見をして「STAP細胞」の説明をした時の彼女は,「可愛らしい女の子」の印象だった。今の若い研究者は、研究に打ち込む雰囲気より,割烹着を着て化粧をする雰囲気が普通なのかな?と思わせられた。科学者はこうでなければならないというステレオタイプを主張するわけではないが,しかし、研究に身も心も頭脳も捧げている生活をしている人間は,研究以外の諸々に心も時間も余り割くことが出来ない。したがって常識的には,男性でも女性でも念入りにおしゃれをしたり、化粧をしたり,ましてつけ睫毛をしたりなどという芸当は通常出来ないものである。こうして、結果的に科学者はどこか「野暮ったく」見えるが、外側を飾らなくても内側を飾る何かが蓄えられているものである。

そして、急転直下の捏造疑惑。疑惑が生じてから初めて記者会見に現れた彼女は,清楚な洋服で全身を美しく装っていた・・。口さがない記者や評論家たちは,彼女の装いを頭のてっぺんから足のつま先まで「ああだ、こうだ」と鋭い視線で観察し、根掘り葉掘り書き立て、こぞって非常に高い評価を与えた。このように、中心であるはずのSTAP細胞への関心よりは、彼女個人に関する,それも女性に対するある種の偏見に基づいた、むしろどうでも良いことがどす黒く中心に渦巻いているようである。

こうして、この疑惑が生じて以来、まるで屍体に群がるハゲタカのように、マスコミやその他諸々の人々が彼女の周囲をうろつき、そのバッシングの激しさは想像を絶するもののようで、どうやら彼女をボロボロにするまでの取り扱いをしたらしい。NHKの記者がパパラッチ行動をして,彼女に怪我を負わしたというニュースが最近報じられた。

STAP細胞騒動で,日本人の心の奥底にこびりついていた深層意識が表に出て来たが、この出来事と時期を同じくして、政治の世界でも女性議員に対する差別・蔑視事件が次々と明るみに出て来た。日本は社会全体が前時代的な思想体系から抜け出ておらず、封建思想・進化思想に基づく弱肉強食思想の中でうごめき苦しんでいる。被害は女性の側により多く出るのは自然の成り行きであるが,それと同時に前時代的思想から女性自身が自分自身を救出する必要もある。そしてまた、支配者であるとうそぶいている男性自身が,ある環境になると突如自分がその被害者になっていることに気が付くという事態がしばしば生じているのも事実である。

二十一世紀の今もなお、このような見苦しい事件が起こることは悲しいが,しかし、それを見逃さず取り上げることで、問題であるという認識が社会に拡がっていく。こうして、ひとつずつ問題を潰していけるのではないかと期待している。日本の社会で弱い人々がどのように虐げられているか,社会の底辺にヘドロの如くにこびり付いている見苦しいものをこのシリーズで取り上げていきたいと思う。





 
20:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
セクハラ天国日本、あぁ恥ずかしい!・・・女性蔑視は同じ重みで人間の尊厳を踏みにじる
都議会のぶざまなセクハラ野次が表面に出て来たことがきっかけになり、日本の社会を「指導する」立場の国会議員や地方議会議員などが、この恥を支える日本の土壌に、これでもか、これでもかと養分を注ぎかけて恥の上塗りをしていることが次々と明らかになってきている。

日本の社会も少しずつ、もどかしいほど微々たる変化ではあるが、暴力的な行為、表面的な差別、職業上での差別などなど、表面に現れることに関しては改善されてきてはいるようである。

(1)肉体的暴力は形の上では許されないことになった。しかし、水面下では意外な人々が暴力を振るっているようである。人間は舌が二枚も三枚もあるだけではなく、顔も二つも三つも持っているようである。社会的地位が高くても、議員のように「先生」とか呼ばれている人でも、温厚な人柄という評判を獲得していても、それは外向きの顔である人が意外と多いようである。事実、今回その本音が見事に人々の前に曝されてしまったと言うべきか。

(2)職業的差別は今でも厳然と存在している。特に、体力が大きな要因と考えられる軍隊や警察組織は骨の髄まで男社会であり、女性の出る幕はないようである。そして、今回奇しくも露呈したように、問題になった政治の世界も、とんでもない男社会であり、女性に屈辱的な野次を飛ばして一緒になって笑い飛ばすような社会である。法曹界:裁判官・検事・弁護士などでも、女性が働いていこうとすると、目の前に立ちはだかっている様々な障壁が高く聳えて邪魔立てをしている。女性差別が比較的緩やかな科学者の世界でさえ、美しい外面に隠された見苦しい差別は存在しており、有形無形の差別的言動は山ほどあり、女性にとって生きにくい社会であることに変わりはない。男性に可愛がられることでのんびりと勤めたいという女性、いわゆる女性の武器を使って職場で居心地の良い雰囲気の中で生きる人は別として、一人前の科学者として生きていくのは並大抵ではない。

 実力を発揮する場を与えられない、女性が有能であっても表から裏から汚い手を使ってでもその邪魔をして女性には成功させないようにする。女性の上司には従えないという男性は多い。女性が自分の意見を述べることは認められないことが多いが、仮に認められているとしてもそれは表向きのことであって、鄭重に無視されることが多い。「女の言うことなど当てになるか」と、面と向かって言われた人はいないかも知れないが、陰口は山と叩かれ、それが聞こえてくるのである。

 女性差別に対する行動や言葉を跳ね返すと、とんでもないしっぺ返しを受けることが多い。どんなに差別されても、苛められてもやんわりと受け流すのが「おとな」であると言われる。様々なことが男の視点、男の基準で定められている社会に生きるのは並大抵のことではない。

(3)政治的差別は、現在、形式的には「男女平等」が日本では実現している。諸外国でもそうであるが、日本でも最初は高額納税者だけに選挙権を与えていたのが、納税額の多少に関わらず全員に選挙権を与えることに制度が変更された。その選挙を「普通選挙」という言葉を使って当然だと思う社会であるが、これは普通選挙ではなくに男性だけに選挙権を与えたのであり、「男性による選挙」であり、女性は人間でさえなかったという認識の低さである。

 First_Japanese_Congresswomen-Wikipedia.jpg日本で女性に参政権が与えられたのはついこの間、戦後間もなくの1945年であり、欧米諸国と比べると20〜40年遅れている。そして、戦後初めて行われた1946年の総選挙で女性代議士が誕生した(写真 Wikipediaより)。こうして、様々な分野でおおやけに女性差別を行い、暗々裡に差別を実行し、行動によって、言葉によって、雰囲気によって女性をいじめ、弱者を苛めている。

(4)今回の政治家諸氏の恥ずかしい発言の根っこは、何度も言っているように煙が地面を這うように日本の底辺を覆っている女性蔑視思想である。少子化問題に取り組んできたという大西英男衆議院議員のどす黒い本性が今回暴かれることになった。社会全体として少子化は問題であるが、それが「優秀な人材は男性でも女性でも子どもを早く作れ」という発想法に基づいていること、また少子化は女性の責任だと決めつける前近代的発想法は赦せない。彼は都議会議員の頃から「ヤジ将軍」として有名だったそうで、議会で野次を飛ばすということが常識として認められている議会が大問題なのである。

(5)女性が子どもを産むための道具と見なされたり、男性の性的欲求を満たすための道具と見なされたり、そんな社会を築いてきた人類は、それが当たり前だと思う醜い思想が社会に染み込んでいる。だから、戦後すぐに「慰安婦問題」をきちんと後始末しなかったのは、戦後の日本の指導者たちに罪の意識があまりなかったせいだろう。どんなに女性たちを傷つけたか、どんなに人間の尊厳を踏みにじったかという罪の意識、詫びる気持ちがなかったせいだろう。

(6)創造主はご自身の御姿を映して人をお創りになり、そして「産めよ、増えよ」と祝福を与えられた。子孫をもうけることは主に与えられた大きな祝福であるが、アダム(男)とエバ(女)をお造りになったのは子どもをもうけることを第一義の目的とされたわけではない。二人が補完して助け合い、愛し合い、この地上で共に主を愛し礼拝するように創られたのである。人々が人としての尊厳を取り戻し、主の愛を受け容れることが出来る素直さを取り戻し、主を愛し大切にし、礼拝することが出来る日が来るようにと願ってやまない。






 
18:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark
女性蔑視・性的差別が心の内で大活躍している都議会議員たちと日本の社会
*女性蔑視の野次を飛ばした犯人は一体誰?

 
 「結婚したら」という中傷する野次を飛ばした犯人はもう一人いることが判明した。他にも、
 「子どももいないくせに」
 「まずは、自分が産めよ」
 「産めないのか!」
 

 これだけの声が聞こえたと報道されているが、犯人はばれるまで口をつぐんでいるつもりらしい。
現在の分析技術をもってすれば、議場の全ての野次をくまなく拾えるはずである。そして、声紋分析をすれば犯人も特定できるはずである。
 

 「女性蔑視」と「議場での常軌を逸した下品な野次」によって楽しむことは、彼らにとって別に普通のこと、常識であった。その常識が問題になるとは夢にも思わなかったのだろう。世の中の常識はしばしば人権侵害で人を傷つけ、自分自身をも含めた人間の尊厳を傷つけるという実例の一つである。

*野次を飛ばした人間と見解を共有した議員たち

 上記のような聞くに堪えない野次を耳にして、議場に笑いが巻き上がったことは隠しようもない。また、舛添知事は好い加減なことを言って何とか誤魔化そうと弁解しているが、一緒に笑ったのを見られているのである。塩村議員が笑ったから笑ったというのは嘘である。前にも指摘したが、彼女は笑ってない。弱々しく苦笑しており、その証拠に、その後涙声になって質問を棒読みする醜態を演じた。そして、席に戻ってからハンカチで涙を拭ったそうである。

 このように下品で卑劣な野次を叱責しないで、笑うなどとは言語同断であるが、それはこの野次は彼ら自身もまた心の中に蓄えていた野次でもあったからに他ならないだろう。

*名乗り出たXX議員は嘘で塗り固められた人

 
 政治家というのは自分の都合の良いように嘘ばかり付く人々であるとは思っていたが、それにしてもよくもまぁまぁ、こんなに嘘ばかり言うものぞとあきれ果てる。最初は、自分ではないと否定していたようであるが、騒動が収まらずにどんどん大きくなり、声紋分析などが始まりそうになって嘘を突き通せないと観念して名乗り出たが、これ以外の野次は自分ではないと言っているそうであるが・・・それも嘘でなければ良いが。

 そして、「早く結婚して欲しいという思いで発言した」と釈明しているそうで、この釈明で通用すると思う神経自体が問題である。質問者である女性の婚姻関係、子どもがいるかどうか、家庭環境その他、議員である職業的任務に何の関係もないことを職場である公的な議場で野次を飛ばす形で口にしたこと自体が問題である。何故「早く結婚」させたいのか? 結婚するかしないかは完全に個人的な案件である。親ならこういう理不尽を家庭で口にすることがあるのは理解出来るが、他人が、しかも個人的に親しくもない、議場でしか顔を合わせない他党の議員が「早く結婚して欲しい」などという感情を持つことを誰も異常だと思わないのだろうか?

*議会の大掃除が必要

 そして、誰も名乗り出ないということは、議会全体でこの問題をうやむやにしてしまおうとしているのだろうか?

 からかうような笑いで議場を賑わした男性議員たちは、ある意味で卑劣な野次を飛ばした当人より赦せないと筆者は思う。このような議員たちで構成されている都議会だと思うと身の毛がよだつ思いがする。

 議会が正常な神経を持っているのなら、あの場で野次を制止し処罰するべきであった。「その野次は人権侵害だ」と大声で反論するべきであった。それなのに、むしろ野次を飛ばした人と思いを共有して、何とかこの場をやり過ごそうとしている。塩村氏が議長宛に提出した発言者の処分を求める要求書を受理さえしなかった。さらに、野次の発信源と指摘されながら見逃している・・・恐らくは意図的に・・・都議会自民党の対応も異常である。

 公正で真正であるべき議会がこのように泥まみれであることの一端が、こうして都民の前に、そして国民の前に明らかになったのは、日本の国のために喜ばしいことである。この機会をしっかり捉えて、是非とも都議会の大掃除をして貰いたい。人権侵害の発言や野次を一掃してもらいたい。



 



 
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